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いつかめ ~なくしたものは~
こわれかけ
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幼いころの、夢を見た。
いや、ねぇね――翡翠さんもいたから、きっと本当にあったことじゃなくて、自分にとって都合のいい……まさしく、夢。
「んぅ……ちっち……」
夢の中のわたしは幼稚園児とおんなじくらいちっちゃくて、まだおむつも取れてなくて、何にもがまんしなくてよくて――とってもしあわせそうに、わらってた。
ああ、そんなふうに、なれたら、な。
ぱちりと目を覚ましたら、木の堅さが今の状況を思い知らせてくれる。
ここは、中学校。授業中。夢じゃなくて現実。
下半身のジトっとした感覚にすこしだけ眉をひそめた。
おねしょ、またしちゃった。
今朝みたいにおむつの中からあふれてないだけまだマシかもしれない……けど、そもそも中学生にもなっておむつを穿いておねしょしているってこと自体がおかしいのだ。
わかってる。これがおかしいのは。
もう、やだよ。なんで、わたしだけ――。
そのとき、チャイムが鳴った。
普段なら時間を知らせる合図でしかないその鐘の音が、今日はなんだかとても大きく聞こえて、わたしの膀胱を揺さぶって――「あっ」
出ていた。我慢する暇すら与えられずに。
思わず涙目になって……誰にも見せないようにしながら、わたしはぎこちなくトイレへと駆け込んだ。
おむつを替えて教室に戻ると、途端に、一瞬だけ静かになる。
すぐにざわざわと騒ぎ出すけど、視線が少し突き刺さるのを感じる。
……何があったんだろう。
わたしの名前が誰かの口から出ていることに気づかないふりをして――それにくっついた「おもらし女」なんて枕詞を聞かないふりをしながら、わたしは次の授業の準備をした。
昼休みのことだった。
「ねぇねぇ、るりちゃーん」
いつもわたしとは別のグループで話してる、感じの悪そうな女が、ねっとりとした声でわたしの名前を呼んだ。
……この人、いっつも他人をいじめてばっかで、嫌いだから……無視しちゃおう。
聞こえなかったふりをして保健室に向かおうとするが。
「るりちゃーん、答えないと、おむちゅしてんの、みんなに言っちゃうわよ~」
びくり。肩が震えた。
「ど、うして、それ、を」
「ぐうぜん、スカートの中が見えちゃって、ねぇ。スパッツを穿いてなかった瑠璃ちゃんが悪いんだよ~?」
煽るような、からかうような口ぶり。
「いっぱーいおもらししてて、たっぷたぷで、臭かったわよ~?」
がたがた、背筋が、顎が震えて、胸とのどがきゅうっと締まる。
そんなわたしにとどめを刺すように、女が、いやらしく、耳元で囁いた。
「中学生にもなって、恥ずかしくないの? ド変態赤ちゃん」
過呼吸になる。ああ、もう壊れそう。いや、だめ。だめ。だめだ。まだ、まだ耐えなきゃ。
「おむつしておもらししている中学生なんて、あなたくらいよ」
わたしには、やることだってあるのに。がっこうだって、まだ終わってないでしょ?
「あなたみたいな赤ちゃんは幼稚園にも入れないはずよね?」
あおいちゃんのお世話も……ママやパパやお兄ちゃんの代わりに……私が全部やらなきゃいけないんだから――。
「聞いてるの!? 聞けよ! この糞尿垂れ流しクソベイビーが!」
息が、詰まった。
「いっつもいつも言うのはきれいごとばっかで、カッコつけて無口で、クールなんて気取っちゃってさ。それなのにみんなから好意的に見られてて。そんなあんたがすっと昔から大っ嫌いだったんだよ」
「……」
「極めつけは、この前。恥ずかしいことしでかして、みんなから笑われて……ザマミロって思った。けど、実際、次の日になってみりゃみんなお前のことを慰めてて。ウザったくて本当に嫌になった。殺してやりたいくらい」
息が詰まって、しゃべれなくなった。いや、放心して何にも考えられなくなって。
「でね、その日、偶然あなたの下着を見た。びっくりしたわ。おむつにおもらししてるなんてね。ああ、こいつ、本当は赤ちゃんなんだって。クールな顔して、そんな変態なことしてたんだって……笑うしかなかったわ」
「ちがっ……」
「どこが違うの!?」
……何にも言えなかった。
“いつもは違う”“その日はたまたま”と、いろいろと言いようはあったと思う。けど、そんなのは全部無駄だった。
だって、いままさにそんな恥ずかしいことをしているところなのだから。
「それをみんなに知られれば、あなたの人生は今度こそ終わるでしょうね。ふふふ……いい気味。ふふふふふ……ひゃひゃひゃひゃひゃっっ!!」
そして、わたしは無理やり立たされ――「やだよっっ」
叫ぶと、女はわたしを殴りつけ、その手で首根っこをつかむようにして、廊下の真ん中に晒されて――彼女はもう片方の空いた手で、スカートの中身の秘密を曝した。
「この子、こんな中学生にもなっておむつしてまーーーーす!!!! ド変態赤ちゃんでぇぇぇぇす!!」
涙で顔がぐちゃぐちゃになって、泣きながら、ただ「やめて、やめてよ」と繰り返すだけの人形になって。
そのうち、人だかりがわたしを嘲笑い。
仲のいい友達がわたしを助け出そうとして大喧嘩になって――珊瑚が先生を呼んできて半ば強制的に仲裁されるまで、わたしの周りは血みどろの戦いだった。
わたしは何もせずに、ただ床に黄色い水たまりを広げながら、泣いて、泣いて、泣きじゃくるだけだった。
ああ、わたしは、なんておろかで、はずかしいいきものなんだろう。
だれか、たすけてよ。
にぃに。ねぇね。ぱぱ。まま。
ねぇ、ねぇ。だれか、だれか。
たすけてよ――。
**********
わたしはまた、学校を早退した。
友達はみんな、おむつをしてることについて特に責めたりなんかはしてなかった。それどころか慰めてくれて。
そんなやさしさが、いまのわたしには、とても痛かった。気を使わせてるのが、とても心苦しくて。
逃げたかった。どこか遠い遠い、どこかへ。
坂の上、立ち止まって、ぼうっと遠い空、ぷかぷかと浮かんだ雲を見て――。
――いや、そんなことはしちゃいけない。わたしはまだやれるんだ。やらなきゃいけないんだ。
心に根拠のない鞭を振るって、わたしはまた足を動かし始めた。
いや、ねぇね――翡翠さんもいたから、きっと本当にあったことじゃなくて、自分にとって都合のいい……まさしく、夢。
「んぅ……ちっち……」
夢の中のわたしは幼稚園児とおんなじくらいちっちゃくて、まだおむつも取れてなくて、何にもがまんしなくてよくて――とってもしあわせそうに、わらってた。
ああ、そんなふうに、なれたら、な。
ぱちりと目を覚ましたら、木の堅さが今の状況を思い知らせてくれる。
ここは、中学校。授業中。夢じゃなくて現実。
下半身のジトっとした感覚にすこしだけ眉をひそめた。
おねしょ、またしちゃった。
今朝みたいにおむつの中からあふれてないだけまだマシかもしれない……けど、そもそも中学生にもなっておむつを穿いておねしょしているってこと自体がおかしいのだ。
わかってる。これがおかしいのは。
もう、やだよ。なんで、わたしだけ――。
そのとき、チャイムが鳴った。
普段なら時間を知らせる合図でしかないその鐘の音が、今日はなんだかとても大きく聞こえて、わたしの膀胱を揺さぶって――「あっ」
出ていた。我慢する暇すら与えられずに。
思わず涙目になって……誰にも見せないようにしながら、わたしはぎこちなくトイレへと駆け込んだ。
おむつを替えて教室に戻ると、途端に、一瞬だけ静かになる。
すぐにざわざわと騒ぎ出すけど、視線が少し突き刺さるのを感じる。
……何があったんだろう。
わたしの名前が誰かの口から出ていることに気づかないふりをして――それにくっついた「おもらし女」なんて枕詞を聞かないふりをしながら、わたしは次の授業の準備をした。
昼休みのことだった。
「ねぇねぇ、るりちゃーん」
いつもわたしとは別のグループで話してる、感じの悪そうな女が、ねっとりとした声でわたしの名前を呼んだ。
……この人、いっつも他人をいじめてばっかで、嫌いだから……無視しちゃおう。
聞こえなかったふりをして保健室に向かおうとするが。
「るりちゃーん、答えないと、おむちゅしてんの、みんなに言っちゃうわよ~」
びくり。肩が震えた。
「ど、うして、それ、を」
「ぐうぜん、スカートの中が見えちゃって、ねぇ。スパッツを穿いてなかった瑠璃ちゃんが悪いんだよ~?」
煽るような、からかうような口ぶり。
「いっぱーいおもらししてて、たっぷたぷで、臭かったわよ~?」
がたがた、背筋が、顎が震えて、胸とのどがきゅうっと締まる。
そんなわたしにとどめを刺すように、女が、いやらしく、耳元で囁いた。
「中学生にもなって、恥ずかしくないの? ド変態赤ちゃん」
過呼吸になる。ああ、もう壊れそう。いや、だめ。だめ。だめだ。まだ、まだ耐えなきゃ。
「おむつしておもらししている中学生なんて、あなたくらいよ」
わたしには、やることだってあるのに。がっこうだって、まだ終わってないでしょ?
「あなたみたいな赤ちゃんは幼稚園にも入れないはずよね?」
あおいちゃんのお世話も……ママやパパやお兄ちゃんの代わりに……私が全部やらなきゃいけないんだから――。
「聞いてるの!? 聞けよ! この糞尿垂れ流しクソベイビーが!」
息が、詰まった。
「いっつもいつも言うのはきれいごとばっかで、カッコつけて無口で、クールなんて気取っちゃってさ。それなのにみんなから好意的に見られてて。そんなあんたがすっと昔から大っ嫌いだったんだよ」
「……」
「極めつけは、この前。恥ずかしいことしでかして、みんなから笑われて……ザマミロって思った。けど、実際、次の日になってみりゃみんなお前のことを慰めてて。ウザったくて本当に嫌になった。殺してやりたいくらい」
息が詰まって、しゃべれなくなった。いや、放心して何にも考えられなくなって。
「でね、その日、偶然あなたの下着を見た。びっくりしたわ。おむつにおもらししてるなんてね。ああ、こいつ、本当は赤ちゃんなんだって。クールな顔して、そんな変態なことしてたんだって……笑うしかなかったわ」
「ちがっ……」
「どこが違うの!?」
……何にも言えなかった。
“いつもは違う”“その日はたまたま”と、いろいろと言いようはあったと思う。けど、そんなのは全部無駄だった。
だって、いままさにそんな恥ずかしいことをしているところなのだから。
「それをみんなに知られれば、あなたの人生は今度こそ終わるでしょうね。ふふふ……いい気味。ふふふふふ……ひゃひゃひゃひゃひゃっっ!!」
そして、わたしは無理やり立たされ――「やだよっっ」
叫ぶと、女はわたしを殴りつけ、その手で首根っこをつかむようにして、廊下の真ん中に晒されて――彼女はもう片方の空いた手で、スカートの中身の秘密を曝した。
「この子、こんな中学生にもなっておむつしてまーーーーす!!!! ド変態赤ちゃんでぇぇぇぇす!!」
涙で顔がぐちゃぐちゃになって、泣きながら、ただ「やめて、やめてよ」と繰り返すだけの人形になって。
そのうち、人だかりがわたしを嘲笑い。
仲のいい友達がわたしを助け出そうとして大喧嘩になって――珊瑚が先生を呼んできて半ば強制的に仲裁されるまで、わたしの周りは血みどろの戦いだった。
わたしは何もせずに、ただ床に黄色い水たまりを広げながら、泣いて、泣いて、泣きじゃくるだけだった。
ああ、わたしは、なんておろかで、はずかしいいきものなんだろう。
だれか、たすけてよ。
にぃに。ねぇね。ぱぱ。まま。
ねぇ、ねぇ。だれか、だれか。
たすけてよ――。
**********
わたしはまた、学校を早退した。
友達はみんな、おむつをしてることについて特に責めたりなんかはしてなかった。それどころか慰めてくれて。
そんなやさしさが、いまのわたしには、とても痛かった。気を使わせてるのが、とても心苦しくて。
逃げたかった。どこか遠い遠い、どこかへ。
坂の上、立ち止まって、ぼうっと遠い空、ぷかぷかと浮かんだ雲を見て――。
――いや、そんなことはしちゃいけない。わたしはまだやれるんだ。やらなきゃいけないんだ。
心に根拠のない鞭を振るって、わたしはまた足を動かし始めた。
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