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2022年
ヴァンパイアガールはガマンできない
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「あたしはヴァンパイア。なんか文句ある?」
文句はない。ただ、薄暗い路地裏でひときわ輝くその銀髪のツインテールがなんだか妙に可愛らしかった。それだけだった。
東京都心の歓楽街、悪い大人たちの遊び場にいた少女に目を惹かれたのだ。
「文句はない。ただ、ここは危険だから――」
「血ぃ、吸うわよ」
その銀の眼光は鋭く、俺を品定めするように睨みつける。
「でもあんた可愛いわね」
俺のどこが可愛いんだ。だいいち、俺は男だ。というか割とガタイも良くて男らしいと言われる方なのだが、と反論しようとして。
「……よし。かぷっ」
いつの間にか指をくわえられてて。
そのときふしぎなことがおこったみたいで。
「なにこれ」
気付いたら、わたしは知らない洋館にいた。
「喜びなさい! あなたは今日からあたしの眷属よっ!」
赤いカーペットの敷かれた、あまりにも広い空間。両サイドには大理石製と思しき豪華な階段がついている、広いロビー。
その中心で、さっきの少女――黒と紫の、いわゆるゴスロリの服を身にまとった、だいたい人間の尺度では七歳くらいに見える銀髪ツインテールの女の子が、そのぺったんこな胸を張ってわたしを指さしていた。
「……ごめん、どういうこと?」
口に出した言葉は甲高く幼い声に聞こえ、わたしは目を皿にして――一人称が変わっていたことにさらなる困惑を示す。
一方の彼女は、物理的にも心理的にも上から目線で答えた。
「知らないわっ!」
「ええ……。というかあなたは誰でここはどこ?」
「ここはおうち! あたしは……たぶんもう『知ってる』はず!」
そのとき『思い出した』。知識として知っていた。知らされたというべきだろうか。
彼女はイザベラ。由緒正しき普通の……いや、普通より弱い、落ちこぼれ吸血鬼だ。
知らないはずの知識を思い出したことに対しての違和感に首をかしげるわたしに。
「とにかく、あなたとあたしは今日から家族、なのよ!」
叫ぶイザベラ。
まったく状況がつかめない中、かつかつと靴音が響く。
「あっ、せんせー!」
先生。イザベラがそう呼んだタキシードの、男とも女ともつかない存在は、洋館のロビーの中央に敷かれたカーペットに靴音を響かせて不敵に笑う。
「やあ、イズ。眷属は作れたかね」
「うん!」
イズって誰だ? わたしの見間違いでなければ、先生とやらはイザベラを指して「イズ」と言っていた。
「……この子の名前、間違ってますよ。確か、イザ――」
指摘しようとする。が、しかし。
「“そのことは言わないで”、『リーゼロッテ』」
突然“何も言えなくなった”。
「よく覚えてるね」
「だって、せんせーにはじめて教わったことだもん」
「そうだね。でも、彼女は知らなかったみたいだ。教えるためにも、復唱してみようか」
なにを言っているのかはわからなかったが。
そのあとに聞き取れた言葉の意味は、何となく理解できた。
『ほんとの名前は、言っちゃダメ』
どうやら本当の名前を使って命令すると、どんなことでも従わせられるらしい。
名前には特別な力がある。故に、真の名、本当の名前は知られてはならない。そんな先生の言葉を『思い出す』。イザベラが理解していたのかどうかは知らないが。
そのイザベラ――ここからは先生とやらにならってイズと呼ぶことにする――イズは、自分の『本当の名前』を言わせないために、わたしに『本当の名前』の魔法を使った。だから、イズの名前のことを言えなくなった。
「リゼ、ごめんね!」
「あ、うん」
イズの全く反省の様子が見えない口先だけの謝罪に、わたしはもういいやと投げやりに答える。
ちなみにリゼとはわたしの――どうやら、リーゼロッテと勝手に名前を改められたらしいわたしの愛称らしい。
「まあ、いいよ。魔法は使えるみたいだからね」
「とーぜんよ、せんせー。あたし『てんさい』だもん!」
あの、目の前のこの子は落ちこぼれ、みたいな知識が頭に入ってるのですが。
困惑するわたしを見て「困惑しているようだね、リゼちゃん」と至極当然のことを言って、教卓や椅子、机、黒板なんかを虚空から呼び出した。
「じゃあ、教えてあげよう。授業開始だ」
教えてくれとも頼んでないのですが。けど、教えてくれるのはありがたい。
わたしは先生の授業を真面目に聞くことにした。
――吸血鬼は、人間に血を与えて繁殖する。
血を与えられた人間は血を与えた吸血鬼の望む姿に変化し、血を通して記憶と知識を共有する吸血鬼になる。血を与えた吸血鬼を主と呼び、与えられた方は眷属と呼ばれる。
まず、現代日本にそんなものがいたことにまず驚いて。
「そもそも吸血鬼って何ですか?」
木製の机の前に置かれた椅子に座り手を上げたわたしに、イズは「えー、そんなこともわかんないのー?」と煽ってくる。……知識を共有するってことは、イズも覚えてなかったんだよね。
「イズ、この子はまだ無知なのだから我慢したまえ。そしていい質問だリゼちゃん。お答えしよう」
先生は薄笑いしながらわたしを指さし。
――魔法の使える人間だ、と答えた。
使えるものは様々。それこそファンタジックなものは少ないけれど、悪魔を呼んだり、人や動物を使役したり。
「さっきの『本当の名前』ってのもそれですか?」
「そうだねリゼちゃん。けど、それには代償があるんだ」
それは、人間の血。
人の血を飲まなければ活動できない。魔法を一度でも使えばそんな体になってしまうらしい。そのために歯が鋭くなったり、血を消化できる魔力機関が生まれたりするらしいが、根本は人間とそう変わらないのだとか。
「つまりは、ただ魔法が使えて代わりに血を吸わないと生きられないだけのただの人間。それが吸血鬼さ」
先生は自嘲するように言った。
「さて、話はこれくらいにしておこうか」
彼はそう言って。
「えー、帰っちゃうのー?」
イズの甘えた声に、先生は笑う。
「ああ。屋敷の案内は自分でしてくれ」
「やだー」
「眷属を作った……お姉ちゃんなら、このくらいのことはしてあげないといけないよ」
……お姉ちゃん? その言葉にわたしは違和感を覚える。
「ちょっと待って、わたしは」
大人の男だった。こんな小さな女の子に妹呼ばわりされるのはおかしい、はずだ。反論しようとして。
「あたしの妹よ? ……まさか、リゼってばいまの自分の姿わかってない?」
姿。まさか。
――血を与えられた人間は血を与えた吸血鬼の望む姿に変化し、血を通して記憶と知識を共有する吸血鬼になる。
言い換えると、眷属は、主の望む姿になる。
主は目の前の女の子、イザベラことイズ。そして、わたしは彼女の眷属。
目線を下げると、そこにあったのは黒と紫のフリルやリボン。
身の毛がよだった。いままで自然に受け入れられていたのが途端におかしく感じる。
小さくなった視点。動きにくいドレスとヒール付きの靴。股間も妙にもこもこして動きにくい。なんで自然に動けていたのかすらわからなくなって。
「ほら、行くわよリゼ!」
そんなわたしの事情などお構いなしのイズに手を引かれ、わたしはぎこちなくついていった。
「ここがわたしとリゼのおへや。……ほら、これがリゼの姿よ」
ドアを開けると、ピンク基調で黒いレースやフリル、リボンなどの装飾が施された、ロリータ風味の部屋が目に飛び込んだ。
奥に据え付けられた薄ピンクで透け感のあるレースの天蓋が付いたベッドが特徴的な可愛らしい部屋で、どことなくバラの香りが漂っていた。
ベッドの反対側、入ってきたドアの横には、巨大な――それこそ、二メートルくらいはありそうな黒縁の姿見が置いてあって。
映ったものは、およそ五歳くらいのあどけない女の子だった。
七歳くらいのお姉ちゃんとおそろいの、パニエで膨らんだ黒を基調にしたゴシックロリータなドレスを着て、すまし顔のお姉ちゃんに手を引かれ、きょとんと目を丸くしている、イズより少し短い銀髪をおそろいのツインテールにした幼女。
……こんな小さい子が、わたし?
試しに手を振ってみると、鏡の中の幼女も連動して手を振った。
どうやらわたしはこのお姉ちゃんの妹、らしい。
なんとなくドキドキして、そっと目を背けた。
「似合ってるでしょ。当然よね。あたしがお着替えさせてあげたんだから」
ふふんと胸を張るイズ。わたしはペタペタと全身を触って。
……わたし、本当に女の子になっちゃったんだ。
妙な実感がわいてきて、胸の奥が締め付けられた。
「それより、濡れてない?」
わたしはその言葉に「え?」と素っ頓狂な声を上げる。
「決まってるじゃない。おむつ、よ」
「おむつ?」
その不思議な響きの三文字に、わたしは疑問符をつける。
なんで、そんな、幼稚を象徴するようなものをつけられたのか。
「さっき……姿が安定してすぐ、おねしょしてたのよ。だから穿かせておいたの!」
理由は分かった。股間が妙にふわふわして歩きにくかったのは、それが原因かと合点もいった。
「だから、おむつ濡れてる?」
けれど、濡れてるかなんて聞かれても、その濡れた感覚がどんなものなのかがわからない。だって、おむつなんて何十年も使っていなかったのだから。
わたしの気持ちを察したのか。
「じゃあ、スカートをたくし上げてみて」
イズは突如そんなことを言った。
「イ、イズ!? できないよぉ、そんな恥ずかしいこと!」
赤面するわたしに対して、イズは嘆息して。
「仕方ないわね……。“スカートをたくし上げておむつを見せなさい”、『リーゼロッテ』」
「わっ」
――魔法の力。本当の名前を使った魔法。
体はその力に従って、意思とは関係なくスカートをたくし上げる。
「……濡れちゃってるわね」
イズはスカートの中のフリフリのパニエのその先をツンツンと触って口にした。
かあっと顔が熱くなった。自分が、体相応ですらない幼すぎる失敗を無意識にしていたことに、非常な羞恥心を抱く。
「なにするの、おね……イズ!」
こんな人間をおねえちゃん、だなんて呼びたくはなかった。本能に抗うわたしをまるで気遣うかのように、彼女はわたしを撫でる。
「おむつ、濡れてたら替えないとかぶれちゃうじゃない。あなたのためなのよ、リゼ」
恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない。まるで、自分が幼い子供のように扱われてるように感じて。
「じゃあ、そこに寝転がりなさいな、リーゼ……」
「わかったからっ!」
けど、魔法を使われてマリオネットのように動かされる方が嫌で。
むっと頬を膨らましながら、わたしはベッドに寝転がった。
スカートがめくられて、濡れた股間がひやりとする。
「恥ずかしいよ……」
「仕方ないでしょ」
べりべり、使用済みの紙おむつを丸めるテープの音。
「これ、どっちがいい?」
ピンク色の可愛らしい柄の描かれた紙おむつを差し出され、問いかけられる。
「……こっち」
適当な――猫ちゃんが描かれたほうを指さすと、イズはそれを広げて、わたしに穿かせ始めた。
ドキドキする胸と、肌と新しいおむつの擦れる音。
「終わったわよ、リゼ」
「ん」
静寂。心音。そのなかで、わたしは違和感に気付く。
おねえちゃんって、おしっこどうしてるんだろ。
「……ねぇ、おトイレってどこ?」
「トイレ? あー……えっと……」
この部屋まで歩いてきた道中に、トイレらしき部屋や分岐はなかった。あるのは大量の、おそらく今は使っていないのであろう静かな部屋の扉がいっぱいあるだけ。しかも、この部屋は入ってすぐに寝室があって、ほかにはシャワールームと書かれた扉が一つだけ。こんな豪華な邸宅でまさかユニットバスなんて使っているわけがないだろう。そこから推測されるに。
「このおうち、もしかしておトイレ無いの?」
「……あ、あるに決まってるじゃない!」
「どこに?」
「うぅ……お、お姉ちゃんをあんまりからかわないで、リゼ」
赤面するイズ。ふふ、とってもかわいい……。
自分の中の嗜虐心に火がついてしまったのを感じた。
「リゼ? どうしたの――」
「“スカートをめくり上げてわたしに見せて”、『イザベラ』ちゃん」
さっき教わった魔法。その強制力は油断していた目の前の少女に否応なく襲い掛かる。
「ひゃ!?」
ばっとめくり上げられたそのスカートの中。
――果たして、わたしのつけられている紙おむつと全く同じものが、そこにはあった。
微かに黄色く染まったそれを確認して、わたしはほくそ笑む。
「じゃあ今度は……“おもらししてよ”、『イザベラ』おねえちゃんっ!」
暗に「自分より年上で立場も上なおねえちゃんが、おもらしするわけないでしょ?」なんて嘲笑を込めながら、楽し気に命令した。
本当の名前を使った命令は、つまり魔法による強制。
「やめて!」
「やーめない!」
子供のように、無邪気に、残酷に。
これはわたしに恥ずかしい思いをさせた罰だ!
「やめなさ……んぅ……っ」
幼い身体とは不釣り合いに色っぽい声。しゅいぃ、と元気な音。そして、可愛らしい柄のおむつのクロッチの部分に描かれた黄色い線が少しずつ青緑色に染まっていく。勢いよくおもらししていることが、よくわかった。
普通であればおむつなんてしているはずもない、まして昼間におもらしするはずのないような年齢の少女が、いままさにおむつにおもらししている。
それだけで、わたしの嗜虐心と倒錯への興奮は最高に上がって。
いやらしく体をくゆらせ放尿する目の前の少女も、どこか興奮してるように見えた。
やがて、響いた放尿音は小さくなって。
イズはカーペットに跪いた。
「どう? おねえちゃん。わたしの恥ずかしさがわかった?」
わたしはそれを見下ろして、悦に浸って。
「……リーゼ…………し……」
「なぁに、おねえちゃん」
故に、油断した。
「『リーゼロッテ』、“おもらし”!」
「え」
眷属は、主と血を通して記憶と知識を共有する。
瞬間、わたしの口に入ってきた指、そして鉄の味の液体。――血液。
イズの指が、わたしの口の中に入っていた。
吸血鬼の歯は非常に頑丈で鋭利だ。目的は、血液を摂取するため。皮膚を貫いて血を出させるために進化したのである。
故に、眷属《わたし》は主《イズ》の指を傷つけ。
流れ込んだ記憶。感覚。目の前の霞む顔は、わたしみたいにほくそ笑んでいた。
背中を走るびりびりとした感覚は、排尿のせいだけでない。
幼い脊髄神経を燃やし尽くそうとする、快楽の炎。チリチリとした前兆が数秒で膨れ上がり高まって。
爆発した。
ちょろろ、と勢いはイズのそれに大幅に劣る。尿道を締め付ける筋肉が未発達であるためだ。
やっぱりおねえちゃんにはかなわないや。はは、ははは!
けれど、おむつ内放尿の感覚――絶頂するほどの快感は、記憶のそれと変わらない。
現在進行形でインストールされる、この幼い身体にはまだ早すぎる感覚は、男の頃に味わった性感とはあまりにかけ離れたもの。
全身が甘くとろけるような刺激が、脳内麻薬を生み出す。もう忘れられなくなる。
「どう、リゼ。……きもちいいでしょ」
「んっ!」
息の詰まるような快感。もこもこと膨らんでいく紙おむつ。嬌声。心音。ふたりは唇を合わせ、舌を入れ、抱きしめあって――。
「はぁ、はぁ……」
荒く息を吐く、二人の少女。
「ごめんね、おねえちゃん」
「いいの。あたしも調子に乗り過ぎたわ」
華美なドレスは二人の体液でびしょびしょに濡れて、おむつはもう限界まで仕事を果たし、既に用をなしていない。
ちょろろ、とせせらぎの音がした。
「でちゃ、た……」
わたしがつぶやくと、イズおねえちゃんが「わたしも……」と顔を赤らめる。
ずいぶん汚れてしまったカーペット。わたしの幼く小さな心臓は張り裂けそうなほどバクバクと高鳴る。
どうしよう。わたし、へんたいになっちゃった……。
「……お着替えしましょ、リゼ」
「うん、おねえちゃん!」
いつの間にか、自然に目の前の少女を姉と慕っていた。そうとしか考えられなくなっていた。
わたしはイズおねえちゃんの妹で、吸血鬼のリーゼロッテ。ようやく自分が自分になったような安心感。
ふう、と息を吐く。
ゴシックロリータのドレスの背中についたチャックはおねえちゃんによって開かれて、その華美な布の塊はどさりと音を立てて落ちる。
同じように、おねえちゃんのワンピースを脱がせると、彼女は静かに顔を赤らめ。
「……これからもそばにいて、リゼ」
静かに、ぽつりと、蚊の鳴くような声で、か細く口にした。
幼げな綿製のキャミソールと、幼児用の可愛らしい模様が台無しに崩れおもらしサインが真っ青になった紙おむつという幼すぎる格好。おそろいの姉妹。
きっと今まで孤独だったのであろう少女。
――強制力のない命令に、わたしは。
「いわれなくても、ずっとそばにいるよ」
微笑んだ。微笑んで、彼女をぎゅっと抱きしめた。
もう、好きになっちゃったんだもん。
えへへ、と笑ったわたしに、イズおねえちゃんは鼻をすすって、涙を流して。
「ありがと」
一言、微笑んだ。
しばらく時が経った。
「おやおや、仲良くやっているようで何より」
少女から『先生』と呼ばれた存在が、少女たちの寝室に侵入する。
当の部屋の主――イザベラとリーゼロッテは、ピンクでレースのついた天蓋が特徴の大型ベッドの上で、おそろいのネグリジェを着て、抱き合いながら寝息を立てていた。
『先生』は、幸せそうな二人に近づき、まるで割れ物を触るかのように優しくなでる。
「ふぅ、可愛らしい姉妹だ。よかったね、イズ。妹が出来て」
何十年も、寂しかったろう。
そう慈悲に満ちた声音で語りかける『先生』。指をしゃぶり妹を抱き寄せるそのイザベラは、幸せそうによだれを垂らしていて、あたかも赤ん坊のようだった。
微笑する『先生』はやがて、妹のほう――リーゼロッテに目を向ける。
「君には悪いことをした。イズのワガママに突き合わせてしまって申し訳ない」
悲しげな眼をして、その男とも女ともつかない存在は告げる。
「じきに、かつて君が男だったという実感や記憶、やがて記録までもが失われてしまうことだろう」
せめて、幸せであれ。男は指十字を切り、リーゼロッテを撫でた。もっとも、その彼女も幸福に顔をゆがめていた。
祈りはきっと、届くだろう。『先生』は確信した。
しゅいい、ちょろろ、と二つの音がハーモニーを奏でる。
ネグリジェから微かに透けて見える紙おむつ。そのシルエットはもこもこと膨らんでいき、少し不格好に、二人の少女を可愛く彩る。
ふふ、ともう一度『先生』は微笑して。
「二人の幼い吸血鬼《ヴァンパイア》に、祝福あれ」
祈りを捧げ、部屋を後にした。
Fin.
*
初出:2022/8/21 小説家になろう・pixiv・ノベルアッププラス「雑多掌編集」・アルファポリス「雑多掌編集v2」・カクヨム「雑多掌編集γ」
文句はない。ただ、薄暗い路地裏でひときわ輝くその銀髪のツインテールがなんだか妙に可愛らしかった。それだけだった。
東京都心の歓楽街、悪い大人たちの遊び場にいた少女に目を惹かれたのだ。
「文句はない。ただ、ここは危険だから――」
「血ぃ、吸うわよ」
その銀の眼光は鋭く、俺を品定めするように睨みつける。
「でもあんた可愛いわね」
俺のどこが可愛いんだ。だいいち、俺は男だ。というか割とガタイも良くて男らしいと言われる方なのだが、と反論しようとして。
「……よし。かぷっ」
いつの間にか指をくわえられてて。
そのときふしぎなことがおこったみたいで。
「なにこれ」
気付いたら、わたしは知らない洋館にいた。
「喜びなさい! あなたは今日からあたしの眷属よっ!」
赤いカーペットの敷かれた、あまりにも広い空間。両サイドには大理石製と思しき豪華な階段がついている、広いロビー。
その中心で、さっきの少女――黒と紫の、いわゆるゴスロリの服を身にまとった、だいたい人間の尺度では七歳くらいに見える銀髪ツインテールの女の子が、そのぺったんこな胸を張ってわたしを指さしていた。
「……ごめん、どういうこと?」
口に出した言葉は甲高く幼い声に聞こえ、わたしは目を皿にして――一人称が変わっていたことにさらなる困惑を示す。
一方の彼女は、物理的にも心理的にも上から目線で答えた。
「知らないわっ!」
「ええ……。というかあなたは誰でここはどこ?」
「ここはおうち! あたしは……たぶんもう『知ってる』はず!」
そのとき『思い出した』。知識として知っていた。知らされたというべきだろうか。
彼女はイザベラ。由緒正しき普通の……いや、普通より弱い、落ちこぼれ吸血鬼だ。
知らないはずの知識を思い出したことに対しての違和感に首をかしげるわたしに。
「とにかく、あなたとあたしは今日から家族、なのよ!」
叫ぶイザベラ。
まったく状況がつかめない中、かつかつと靴音が響く。
「あっ、せんせー!」
先生。イザベラがそう呼んだタキシードの、男とも女ともつかない存在は、洋館のロビーの中央に敷かれたカーペットに靴音を響かせて不敵に笑う。
「やあ、イズ。眷属は作れたかね」
「うん!」
イズって誰だ? わたしの見間違いでなければ、先生とやらはイザベラを指して「イズ」と言っていた。
「……この子の名前、間違ってますよ。確か、イザ――」
指摘しようとする。が、しかし。
「“そのことは言わないで”、『リーゼロッテ』」
突然“何も言えなくなった”。
「よく覚えてるね」
「だって、せんせーにはじめて教わったことだもん」
「そうだね。でも、彼女は知らなかったみたいだ。教えるためにも、復唱してみようか」
なにを言っているのかはわからなかったが。
そのあとに聞き取れた言葉の意味は、何となく理解できた。
『ほんとの名前は、言っちゃダメ』
どうやら本当の名前を使って命令すると、どんなことでも従わせられるらしい。
名前には特別な力がある。故に、真の名、本当の名前は知られてはならない。そんな先生の言葉を『思い出す』。イザベラが理解していたのかどうかは知らないが。
そのイザベラ――ここからは先生とやらにならってイズと呼ぶことにする――イズは、自分の『本当の名前』を言わせないために、わたしに『本当の名前』の魔法を使った。だから、イズの名前のことを言えなくなった。
「リゼ、ごめんね!」
「あ、うん」
イズの全く反省の様子が見えない口先だけの謝罪に、わたしはもういいやと投げやりに答える。
ちなみにリゼとはわたしの――どうやら、リーゼロッテと勝手に名前を改められたらしいわたしの愛称らしい。
「まあ、いいよ。魔法は使えるみたいだからね」
「とーぜんよ、せんせー。あたし『てんさい』だもん!」
あの、目の前のこの子は落ちこぼれ、みたいな知識が頭に入ってるのですが。
困惑するわたしを見て「困惑しているようだね、リゼちゃん」と至極当然のことを言って、教卓や椅子、机、黒板なんかを虚空から呼び出した。
「じゃあ、教えてあげよう。授業開始だ」
教えてくれとも頼んでないのですが。けど、教えてくれるのはありがたい。
わたしは先生の授業を真面目に聞くことにした。
――吸血鬼は、人間に血を与えて繁殖する。
血を与えられた人間は血を与えた吸血鬼の望む姿に変化し、血を通して記憶と知識を共有する吸血鬼になる。血を与えた吸血鬼を主と呼び、与えられた方は眷属と呼ばれる。
まず、現代日本にそんなものがいたことにまず驚いて。
「そもそも吸血鬼って何ですか?」
木製の机の前に置かれた椅子に座り手を上げたわたしに、イズは「えー、そんなこともわかんないのー?」と煽ってくる。……知識を共有するってことは、イズも覚えてなかったんだよね。
「イズ、この子はまだ無知なのだから我慢したまえ。そしていい質問だリゼちゃん。お答えしよう」
先生は薄笑いしながらわたしを指さし。
――魔法の使える人間だ、と答えた。
使えるものは様々。それこそファンタジックなものは少ないけれど、悪魔を呼んだり、人や動物を使役したり。
「さっきの『本当の名前』ってのもそれですか?」
「そうだねリゼちゃん。けど、それには代償があるんだ」
それは、人間の血。
人の血を飲まなければ活動できない。魔法を一度でも使えばそんな体になってしまうらしい。そのために歯が鋭くなったり、血を消化できる魔力機関が生まれたりするらしいが、根本は人間とそう変わらないのだとか。
「つまりは、ただ魔法が使えて代わりに血を吸わないと生きられないだけのただの人間。それが吸血鬼さ」
先生は自嘲するように言った。
「さて、話はこれくらいにしておこうか」
彼はそう言って。
「えー、帰っちゃうのー?」
イズの甘えた声に、先生は笑う。
「ああ。屋敷の案内は自分でしてくれ」
「やだー」
「眷属を作った……お姉ちゃんなら、このくらいのことはしてあげないといけないよ」
……お姉ちゃん? その言葉にわたしは違和感を覚える。
「ちょっと待って、わたしは」
大人の男だった。こんな小さな女の子に妹呼ばわりされるのはおかしい、はずだ。反論しようとして。
「あたしの妹よ? ……まさか、リゼってばいまの自分の姿わかってない?」
姿。まさか。
――血を与えられた人間は血を与えた吸血鬼の望む姿に変化し、血を通して記憶と知識を共有する吸血鬼になる。
言い換えると、眷属は、主の望む姿になる。
主は目の前の女の子、イザベラことイズ。そして、わたしは彼女の眷属。
目線を下げると、そこにあったのは黒と紫のフリルやリボン。
身の毛がよだった。いままで自然に受け入れられていたのが途端におかしく感じる。
小さくなった視点。動きにくいドレスとヒール付きの靴。股間も妙にもこもこして動きにくい。なんで自然に動けていたのかすらわからなくなって。
「ほら、行くわよリゼ!」
そんなわたしの事情などお構いなしのイズに手を引かれ、わたしはぎこちなくついていった。
「ここがわたしとリゼのおへや。……ほら、これがリゼの姿よ」
ドアを開けると、ピンク基調で黒いレースやフリル、リボンなどの装飾が施された、ロリータ風味の部屋が目に飛び込んだ。
奥に据え付けられた薄ピンクで透け感のあるレースの天蓋が付いたベッドが特徴的な可愛らしい部屋で、どことなくバラの香りが漂っていた。
ベッドの反対側、入ってきたドアの横には、巨大な――それこそ、二メートルくらいはありそうな黒縁の姿見が置いてあって。
映ったものは、およそ五歳くらいのあどけない女の子だった。
七歳くらいのお姉ちゃんとおそろいの、パニエで膨らんだ黒を基調にしたゴシックロリータなドレスを着て、すまし顔のお姉ちゃんに手を引かれ、きょとんと目を丸くしている、イズより少し短い銀髪をおそろいのツインテールにした幼女。
……こんな小さい子が、わたし?
試しに手を振ってみると、鏡の中の幼女も連動して手を振った。
どうやらわたしはこのお姉ちゃんの妹、らしい。
なんとなくドキドキして、そっと目を背けた。
「似合ってるでしょ。当然よね。あたしがお着替えさせてあげたんだから」
ふふんと胸を張るイズ。わたしはペタペタと全身を触って。
……わたし、本当に女の子になっちゃったんだ。
妙な実感がわいてきて、胸の奥が締め付けられた。
「それより、濡れてない?」
わたしはその言葉に「え?」と素っ頓狂な声を上げる。
「決まってるじゃない。おむつ、よ」
「おむつ?」
その不思議な響きの三文字に、わたしは疑問符をつける。
なんで、そんな、幼稚を象徴するようなものをつけられたのか。
「さっき……姿が安定してすぐ、おねしょしてたのよ。だから穿かせておいたの!」
理由は分かった。股間が妙にふわふわして歩きにくかったのは、それが原因かと合点もいった。
「だから、おむつ濡れてる?」
けれど、濡れてるかなんて聞かれても、その濡れた感覚がどんなものなのかがわからない。だって、おむつなんて何十年も使っていなかったのだから。
わたしの気持ちを察したのか。
「じゃあ、スカートをたくし上げてみて」
イズは突如そんなことを言った。
「イ、イズ!? できないよぉ、そんな恥ずかしいこと!」
赤面するわたしに対して、イズは嘆息して。
「仕方ないわね……。“スカートをたくし上げておむつを見せなさい”、『リーゼロッテ』」
「わっ」
――魔法の力。本当の名前を使った魔法。
体はその力に従って、意思とは関係なくスカートをたくし上げる。
「……濡れちゃってるわね」
イズはスカートの中のフリフリのパニエのその先をツンツンと触って口にした。
かあっと顔が熱くなった。自分が、体相応ですらない幼すぎる失敗を無意識にしていたことに、非常な羞恥心を抱く。
「なにするの、おね……イズ!」
こんな人間をおねえちゃん、だなんて呼びたくはなかった。本能に抗うわたしをまるで気遣うかのように、彼女はわたしを撫でる。
「おむつ、濡れてたら替えないとかぶれちゃうじゃない。あなたのためなのよ、リゼ」
恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない。まるで、自分が幼い子供のように扱われてるように感じて。
「じゃあ、そこに寝転がりなさいな、リーゼ……」
「わかったからっ!」
けど、魔法を使われてマリオネットのように動かされる方が嫌で。
むっと頬を膨らましながら、わたしはベッドに寝転がった。
スカートがめくられて、濡れた股間がひやりとする。
「恥ずかしいよ……」
「仕方ないでしょ」
べりべり、使用済みの紙おむつを丸めるテープの音。
「これ、どっちがいい?」
ピンク色の可愛らしい柄の描かれた紙おむつを差し出され、問いかけられる。
「……こっち」
適当な――猫ちゃんが描かれたほうを指さすと、イズはそれを広げて、わたしに穿かせ始めた。
ドキドキする胸と、肌と新しいおむつの擦れる音。
「終わったわよ、リゼ」
「ん」
静寂。心音。そのなかで、わたしは違和感に気付く。
おねえちゃんって、おしっこどうしてるんだろ。
「……ねぇ、おトイレってどこ?」
「トイレ? あー……えっと……」
この部屋まで歩いてきた道中に、トイレらしき部屋や分岐はなかった。あるのは大量の、おそらく今は使っていないのであろう静かな部屋の扉がいっぱいあるだけ。しかも、この部屋は入ってすぐに寝室があって、ほかにはシャワールームと書かれた扉が一つだけ。こんな豪華な邸宅でまさかユニットバスなんて使っているわけがないだろう。そこから推測されるに。
「このおうち、もしかしておトイレ無いの?」
「……あ、あるに決まってるじゃない!」
「どこに?」
「うぅ……お、お姉ちゃんをあんまりからかわないで、リゼ」
赤面するイズ。ふふ、とってもかわいい……。
自分の中の嗜虐心に火がついてしまったのを感じた。
「リゼ? どうしたの――」
「“スカートをめくり上げてわたしに見せて”、『イザベラ』ちゃん」
さっき教わった魔法。その強制力は油断していた目の前の少女に否応なく襲い掛かる。
「ひゃ!?」
ばっとめくり上げられたそのスカートの中。
――果たして、わたしのつけられている紙おむつと全く同じものが、そこにはあった。
微かに黄色く染まったそれを確認して、わたしはほくそ笑む。
「じゃあ今度は……“おもらししてよ”、『イザベラ』おねえちゃんっ!」
暗に「自分より年上で立場も上なおねえちゃんが、おもらしするわけないでしょ?」なんて嘲笑を込めながら、楽し気に命令した。
本当の名前を使った命令は、つまり魔法による強制。
「やめて!」
「やーめない!」
子供のように、無邪気に、残酷に。
これはわたしに恥ずかしい思いをさせた罰だ!
「やめなさ……んぅ……っ」
幼い身体とは不釣り合いに色っぽい声。しゅいぃ、と元気な音。そして、可愛らしい柄のおむつのクロッチの部分に描かれた黄色い線が少しずつ青緑色に染まっていく。勢いよくおもらししていることが、よくわかった。
普通であればおむつなんてしているはずもない、まして昼間におもらしするはずのないような年齢の少女が、いままさにおむつにおもらししている。
それだけで、わたしの嗜虐心と倒錯への興奮は最高に上がって。
いやらしく体をくゆらせ放尿する目の前の少女も、どこか興奮してるように見えた。
やがて、響いた放尿音は小さくなって。
イズはカーペットに跪いた。
「どう? おねえちゃん。わたしの恥ずかしさがわかった?」
わたしはそれを見下ろして、悦に浸って。
「……リーゼ…………し……」
「なぁに、おねえちゃん」
故に、油断した。
「『リーゼロッテ』、“おもらし”!」
「え」
眷属は、主と血を通して記憶と知識を共有する。
瞬間、わたしの口に入ってきた指、そして鉄の味の液体。――血液。
イズの指が、わたしの口の中に入っていた。
吸血鬼の歯は非常に頑丈で鋭利だ。目的は、血液を摂取するため。皮膚を貫いて血を出させるために進化したのである。
故に、眷属《わたし》は主《イズ》の指を傷つけ。
流れ込んだ記憶。感覚。目の前の霞む顔は、わたしみたいにほくそ笑んでいた。
背中を走るびりびりとした感覚は、排尿のせいだけでない。
幼い脊髄神経を燃やし尽くそうとする、快楽の炎。チリチリとした前兆が数秒で膨れ上がり高まって。
爆発した。
ちょろろ、と勢いはイズのそれに大幅に劣る。尿道を締め付ける筋肉が未発達であるためだ。
やっぱりおねえちゃんにはかなわないや。はは、ははは!
けれど、おむつ内放尿の感覚――絶頂するほどの快感は、記憶のそれと変わらない。
現在進行形でインストールされる、この幼い身体にはまだ早すぎる感覚は、男の頃に味わった性感とはあまりにかけ離れたもの。
全身が甘くとろけるような刺激が、脳内麻薬を生み出す。もう忘れられなくなる。
「どう、リゼ。……きもちいいでしょ」
「んっ!」
息の詰まるような快感。もこもこと膨らんでいく紙おむつ。嬌声。心音。ふたりは唇を合わせ、舌を入れ、抱きしめあって――。
「はぁ、はぁ……」
荒く息を吐く、二人の少女。
「ごめんね、おねえちゃん」
「いいの。あたしも調子に乗り過ぎたわ」
華美なドレスは二人の体液でびしょびしょに濡れて、おむつはもう限界まで仕事を果たし、既に用をなしていない。
ちょろろ、とせせらぎの音がした。
「でちゃ、た……」
わたしがつぶやくと、イズおねえちゃんが「わたしも……」と顔を赤らめる。
ずいぶん汚れてしまったカーペット。わたしの幼く小さな心臓は張り裂けそうなほどバクバクと高鳴る。
どうしよう。わたし、へんたいになっちゃった……。
「……お着替えしましょ、リゼ」
「うん、おねえちゃん!」
いつの間にか、自然に目の前の少女を姉と慕っていた。そうとしか考えられなくなっていた。
わたしはイズおねえちゃんの妹で、吸血鬼のリーゼロッテ。ようやく自分が自分になったような安心感。
ふう、と息を吐く。
ゴシックロリータのドレスの背中についたチャックはおねえちゃんによって開かれて、その華美な布の塊はどさりと音を立てて落ちる。
同じように、おねえちゃんのワンピースを脱がせると、彼女は静かに顔を赤らめ。
「……これからもそばにいて、リゼ」
静かに、ぽつりと、蚊の鳴くような声で、か細く口にした。
幼げな綿製のキャミソールと、幼児用の可愛らしい模様が台無しに崩れおもらしサインが真っ青になった紙おむつという幼すぎる格好。おそろいの姉妹。
きっと今まで孤独だったのであろう少女。
――強制力のない命令に、わたしは。
「いわれなくても、ずっとそばにいるよ」
微笑んだ。微笑んで、彼女をぎゅっと抱きしめた。
もう、好きになっちゃったんだもん。
えへへ、と笑ったわたしに、イズおねえちゃんは鼻をすすって、涙を流して。
「ありがと」
一言、微笑んだ。
しばらく時が経った。
「おやおや、仲良くやっているようで何より」
少女から『先生』と呼ばれた存在が、少女たちの寝室に侵入する。
当の部屋の主――イザベラとリーゼロッテは、ピンクでレースのついた天蓋が特徴の大型ベッドの上で、おそろいのネグリジェを着て、抱き合いながら寝息を立てていた。
『先生』は、幸せそうな二人に近づき、まるで割れ物を触るかのように優しくなでる。
「ふぅ、可愛らしい姉妹だ。よかったね、イズ。妹が出来て」
何十年も、寂しかったろう。
そう慈悲に満ちた声音で語りかける『先生』。指をしゃぶり妹を抱き寄せるそのイザベラは、幸せそうによだれを垂らしていて、あたかも赤ん坊のようだった。
微笑する『先生』はやがて、妹のほう――リーゼロッテに目を向ける。
「君には悪いことをした。イズのワガママに突き合わせてしまって申し訳ない」
悲しげな眼をして、その男とも女ともつかない存在は告げる。
「じきに、かつて君が男だったという実感や記憶、やがて記録までもが失われてしまうことだろう」
せめて、幸せであれ。男は指十字を切り、リーゼロッテを撫でた。もっとも、その彼女も幸福に顔をゆがめていた。
祈りはきっと、届くだろう。『先生』は確信した。
しゅいい、ちょろろ、と二つの音がハーモニーを奏でる。
ネグリジェから微かに透けて見える紙おむつ。そのシルエットはもこもこと膨らんでいき、少し不格好に、二人の少女を可愛く彩る。
ふふ、ともう一度『先生』は微笑して。
「二人の幼い吸血鬼《ヴァンパイア》に、祝福あれ」
祈りを捧げ、部屋を後にした。
Fin.
*
初出:2022/8/21 小説家になろう・pixiv・ノベルアッププラス「雑多掌編集」・アルファポリス「雑多掌編集v2」・カクヨム「雑多掌編集γ」
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