黒公爵と稲妻令嬢

吉華(きっか)

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最終話 愛し続けてきた貴方と共に

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「フレーバーティーか……ハーブティーとはまた違うのね」
 授業の要点を纏めたノートを見返しながら、確認も兼ねて呟いた。今日は貴族女性の間で開かれているお茶会についてだったが、この数年で随分と変わったようだ。
「ストレートの紅茶に香りをつけたティーがフレーバーティーね。香り付けに使うのは花びらや果物の皮が主流……あ、でも、ハーブを使う事もあるって先生おっしゃっていたわね。それなら、私のラベンダーも使えるのかしら」
 ハーブティーを淹れる時だって、飲み難さの緩和や効果アップを求めてブレンドする事がある。フレーバーティーも、発想のきっかけはそんなところだろう。早速、明日のお茶の時間に試してみよう。
「エクレール、今大丈夫か?」
 実際に加えるラベンダーの量がどのくらいなのかを調べていたら、ノワール様から声が掛かった。参考書に栞を挟んだ後で、出迎えるべくドアの方へと向かう。
「如何なさいました?」
「エクレールに渡すものがあって。入っても?」
「ええ、どうぞ……?」
 入ってもらっても問題ないので、入室を促したのだが。ノワール様は、やたらと大きな荷物を抱えていた。布が被せられているので見た目では判断がつかないが、微かに香ってくる香りには覚えがある。
「手に持ってらっしゃるものは何ですか?」
「これか? これは、エクレールへのプレゼントだ」
「私にプレゼント……何故です?」
「何故って、今日はエクレールの誕生日だろう」
「……覚えていらっしゃったのですか!?」
 驚いた勢いのまま叫び、目の前にあるノワール様のライムグリーンを見つめた。ノワール様は、不思議そうな表情を浮かべている。
「忘れる筈がないだろう。七年ぶりに本人へ直接プレゼント出来るから、何を贈ろうかと迷いはしたが」
「ありがとう、ございます……では、今抱えてらっしゃる物がプレゼントですか?」
「ああ。十七歳の誕生日おめでとう。気に入ってもらえると良いのだが」
 そう言ったノワール様は、プレゼントに掛けていた布をばさりと外した。中から現れたのは、単体のハーブの鉢植え。
「ローズマリーですか?」
「その通り。詳しいんだな」
「村にいる時に育てておりましたから。肉料理や魚料理をする際に重宝しまして……近所の方が分けてほしいと言って貰いに来るくらい評判だったのですよ」
「そうなのか。俺は、ハーブについてはよく知らないからな。これから色々教えてもらえると嬉しい」
「ご興味があるのでしたら、いくらでもお教え致します!」
「興味……そうだな、エクレールが好きな事や好きな物は何でも知りたい」
 私が好きな事や、好きな物。それを知りたいとおっしゃって下さるのは、とても、とても嬉しい。村暮らしを始めてから好きになった事もあるし、変わらず好きな物もある……話そうと思えば、いくらでも語れるだろう。
「それならば、ノワール様」
「うん?」
「私には、貴方が好きな事や好きな物を、余す事無く教えて下さいませね」
「別に構わないが、昔から対して変わらないぞ」
「それでもです。もしかしたら、自分でも気づかないうちに変わっている事もあるかもしれませんよ?」
「そうだな。それなら、エクレールと話す事で再確認するとしよう」
 彼のライムグリーンが少しだけ細められて、ほんの少しだけ口角が上がった。表情が大きく崩れないのは、昔から変わらない事なのだろう。それでも、彼の気遣いは十分過ぎる程に伝わってくる。
「素敵なローズマリーをありがとうございます。部屋のラベンダーと一緒に、丹精込めて育てていきますね」
「時々は成果を見せてくれ。ああ、確かそいつ、立ち性の品種だと店主が言っていた」
「かしこまりました。部屋に置く鉢植えですからね、匍匐性の品種よりは立ち性の品種の方が良いでしょう……そう言えば、ノワール様がどうしてローズマリーを選んで下さったのですか?」
「花には種類や色毎に割り当てられた言葉があるだろう? ローズマリーのそれが、俺からエクレールへのプレゼントとして渡すには一番合っていると思ったから」
「花言葉ですか。確か、ローズマリーの花言葉は、思い出、記憶、誠実……」
 他にもいくつかあったが、とある一つを思い出した。もしかして、まさか。
「俺が合っていると思ったのは、変わらぬ愛というやつだ」
「変わらぬ、愛」
「そうだろう? 俺達が出会ったのは十一年前、離れ離れになったのは七年前……それでも俺はエクレールを想い続けたし、エクレールを愛する気持ちは自覚した十一年前から一切変わっていない」
「……っ!!」
 堪え切れなくて、ローズマリーの鉢を抱えたままぺたんと床に座り込んだ。どうしたと言ってノワール様も膝をつき私の顔を覗き込んでくるけれど、後から後から涙が溢れて止まらない。
(これ以上、彼の何を疑うと言うの?)
 ここまでして頂いて、それでも彼の愛情を疑うと? 彼の言葉を疑うと? それでも信じ切れないのは、どうして? 私だって、彼の事は間違いなく……。
(……あ)
 その考えに漸く思い至る事が出来て、心の中の霧が晴れていく。そうだ、私は彼を疑っているのではなくて、信じ切れないのは彼ではなくて……私自身。私が、私に自信を持っていないから、今の自分は相応しくない、釣り合わない、そう思っているから。だから、そんな自分が本当に愛されている筈ないっていう思いが、ずっと心の隅に居残ったままだったのだ。それを、彼への疑いにすり替えていた……反省しなければ。
(でも、分かったのならば私がやる事は一つだわ)
 自分を信じられるように。自分で大丈夫だと思えるように。努力して、積み上げて、堂々と彼の隣に立てるように。
「……ノワール様」
「どうした!?」
「ありがとう、ございます。この子に込められた貴方の想いごと、大事にします」
「あ、ああ……喜んでもらえたなら、良かった」
「喜んでいます。嬉しいです。プレゼントを頂けた事も、ローズマリーなのも、私の誕生日を覚えていて下さった事も、全部、ぜんぶ」
「……そうか」
「空白の七年間を、今から埋めていかないといけないので、時間は掛かるかもしれませんが……」
 その先の言葉は、やはり彼の瞳を見ながら伝えたかったから。鉢植えをそっと床に置いて、心配そうな表情を浮かべているノワール様のライムグリーンを静かに見つめる。
「貴方の隣で生きていくのに恥じない女となってみせますから」
 容姿や振る舞い的にも、教養的にも、気遣い的にも、全てにおいて。この国の要となる事を期待されて産まれてきた貴方の隣にいるのに、相応しくあれるように。
「どうぞこれからも、末永く宜しくお願い致します」
 頭を垂れて、彼に願う。今の私と同じ目線まで来てくれたノワール様の腕が、私を力強く抱き締めた。

  ***

「おめでとうございます!」
「おめでとうございます、王子!」
 バルコニーから見える人々は、皆笑顔で手を振ってくれていた。応えるように手を振り返し、傍らのノワール様を見遣る。
「漸く仕切り直しだな」
「始まりではなくて、ですか?」
「そうだ。アクシデントがなかったなら、もう結婚して一年は経っていた……早ければ子供まで産まれていたかもしれないな」
 それは流石に気が早くないだろうか。王家の血を未来に繋ぐという意味では、子供を授かるのは早ければ早いほど、多ければ多いほど良いのだろうが……結婚して一、二年くらいは新婚生活を楽しんでもバチは当たらないのでは?
(……これからが本番だわ)
 今日までに出来たのは、重いドレスでももたつかずに歩けるようになった事とお茶会や舞踏会の作法についての再確認くらいだ。まだまだアップデートが必要な事ばかりだし、彼の助けとなるために領地経営の方法についても学んでいきたい。
「……エクレール」
「はい?」
「もう少し近づけるか?」
「ええ、はい……きゃっ!?」
 言われた通りに近づいたら、いきなり体が宙に浮いた。ドレープがたっぷりのドレスにロングベールをつけているのだから、いつも以上に重量がある筈なのに。
「せっかく俺達の結婚を祝って皆駆けつけてくれたのだからな。少しくらいサービスしてやらないと」
「これがサービスなんですか?」
「サービスだ。ほら、ひと際歓声が大きくなったぞ」
 本当かと思って、彼の肩にしがみつきながら領民達の方を振り返る。その瞬間、湧き上がるような歓声が響き渡った。
「エクレール様が見つからなければ、氷の王子もといノワール様は一生独身だった可能性が高いですからね……無事に伴侶を迎えられて、さぞかし領民達もホッとしたでしょう」
 いつもより着飾っているブランが、ハンカチで目頭を押さえながら現れた。ひょうきんな彼の事だから演技だろうか……と思ったら、どうやら本当に涙ぐんでいるらしい。
「王族の方が一生独身……許されるものですか?」
「許されるか否かは関係ない。押し切るだけだ」
「また貴方は、そういう事を言って……」
「……ブランも気苦労が絶えないわね」
 流石に彼が可哀そうになってきた。今度おすすめのリラックス用ハーブティーでも贈って労おう。
「お気遣い頂きありがとうございます。とはいえ、エクレール様が無事見つかりましたので、城を勝手に抜け出される頻度は減ると思うのですがね。ね、ノワール様?」
「…………そうだな」
「何ですか今の間は!?」
 ブランの悲鳴がバルコニー中に響き渡る。頭を抱えて蹲ってしまった彼を心配していたら、ノワール様に抱え直されて彼との距離を更に縮められた。
「ブランは放っておけ。どうせ、あと数分もしたらケロッとした顔で小言を言い始めるだろう」
「そうですか?」
「奴との付き合いは長いからな。さて」
 唐突に会話を切ったノワール様の顔が、私の顔へと近づいてきた。これがどちらかの自室だったなら何も言わずに受け止めたのだが、今いるのは結婚式を終えた私達を見るために集まった領民達がいるバルコニーだ。早い話、何百何千の目がある。
「こんな人前でダメですよ」
「人前だからだろう。エクレールが誰の妻か、きちんと知らしめておかないと」
「それならば、既に終わっているでしょう?」
「言い方を変えよう。さっき俺がエクレールを抱き上げて横抱きにしたら、更に大きい歓声が上がったな?」
「……上がりましたね」
「つまり、ここに集まった領民達は、俺とエクレールが仲良くしている所を見たい訳だ」
「……それならば、今みたいに抱えられていれば十分では?」
「集まった領民の中には、隣の領の方が近いくらいの場所から来てくれた者も多いらしい。そんな彼ら彼女らに、自分達の領主夫婦は幸せそうだったと思ってもらうのも俺達の仕事だろう?」
「……」
 本当に、昔から口が回るお方だ。かつての御者や側近達は、相当苦労しただろう。せめて、意趣返しにささやかな仕返しでもしてみたいところだが……そうだ。
「覚悟は決まったか? エクレール」
「……ええ」
「それでこそ俺の妻だ。さて……!?」
 彼のペースを無視して、私の方から彼の両頬を引き寄せて唇に口付ける。一瞬だけ開いてみた視界の中では、彼のライムグリーンが驚きで見張っていた。
「ふふ。確かに、地鳴りみたいな歓声ですね!」
 目を見開き、唇を震わせながら真っ赤に染まっている彼の顔を眺めつつ。湧き上がってくる愛おしさと高揚と達成感を隠さずに、愛するノワール様へそう告げた。
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