33 / 54
第三章 二つの傷
12
しおりを挟む
―――――
初めて夢子に会いに行ったときから、文也が自分のモノにならないってことはわかっていた。……いや、それ自体はもっと前から。
ある日、それまでずっと同じ場所にいると思っていた文也との傷の舐め合いに温度差を感じた。無機質だった言葉が、少しだけ温かくなったのを覚えてる。今思えばあのあたりで文也が夢子を意識したのだろう。確か、今年の春休み頃だったはずだ。
最初は奪い取るつもりでいた。兄妹という壁がある以上世間体や一般論を振りかざせば、文也の思考は勝手に色々な事を考えてくれる。そうなればいつも通り、他の男と同じように弱ったところを叩いて終わり。そのはずだった。
……夢子の精一杯に頑張る姿を見るまでは。
あの子は本当に文也が好きなのだ。だからそれ以外に何もいらなくて、最初からそれしか見ていない。純粋でまっすぐ。待ったり追ったり支えたり、でも不器用で形にならなくて。自分とはまるで大違いだ。
ああいう風になりたかった。
何か一つ、信じられるものが欲しかった。その為だけに頑張ってみたかった。自分とあの子は、一体どうしてここまで違ってしまったのだろうか。
……わかってる。そんなこと、努力以外に何もない。
父親の有無は、女の恋愛の価値観に大きく影響すると思う。自分もそうだし、夢子も間違いなくその一人だ。
田舎暮らしが嫌で、自分は母親を残してこの街へ来た。生活費は父親の生命保険から捻出してもらっていた。ただ売春してまで生きるのは嫌だったから、代わりに恋人を作ってその人たちに寄生して生きることを選んだのだ。
自分からしてみれば、生きる為に利用していた関係だ。ただ不思議と近づいてくる男の顔が良かったから、いつの間にか自分の中のスタンダードがイケメンということになっていた。価値観というのは後天的に変わるものだ。最初からイケメンが好きだったわけではない。
そんなある日、文也に出会った。
文也は不思議な奴だった。自分が何を言っても動じずに冷たくて、その癖に絶対に裏切らずそばにいてくれた。困っていれば助けてくれたし、だからと言って見返りを求めるような真似は一切しなかった。
だから、いつしかそれが当たり前なのだと思っていた。自分が野良猫のようにふらついて、どこで何をしようとも必ず待っていてくれる存在。追いかけなくても、いつの間にか恋人になるのだろうと、そう思っていた。
そうやって驕った結果が、自分と夢子の決定的な違いだ。
後悔はしている。ただ、夢子に嫉妬する気には一切ならなかった。目的の為にひたむきに努力することの美しさを知れば、そんなことの愚かさは充分すぎる程理解できる。ならば、恨むべきは何もしなかった自分だ。
今だから言える。自分は文也の事が好きだった。その気持ちは、きっと夢子にも負けていなかった。
早く忘れる練習をしておいて、本当に良かったと思う。もしこれが初恋なら、自分は立ち直れるわけがないから。
だからもう少し。この思いが風化するまでの間だけでも、傍にいさせてほしい。
夢子はきっと羨むだろう。あの子は意外と自分に自信がない子だから。
でも、それでいい。そうやって二人が意識し合っていつか幸せになるのなら、今の自分にとってこんなに嬉しいことはない。
文也が優しさを教えてくれたように、自分は恋愛を教えてあげよう。肌に触れることは怖いことではないのだと。女は文也が思う以上に強く、そして脆くないということを。
支えられていた分を返すには、もうそれしかない。互いの傷がない以上、埋める必要がないのだから後は積んでいくしかないのだ。経験はきっと、あんたの為になるから。
……。
そしてどうか、二人の昔話の中に、中根紗彩がいますように。
初めて夢子に会いに行ったときから、文也が自分のモノにならないってことはわかっていた。……いや、それ自体はもっと前から。
ある日、それまでずっと同じ場所にいると思っていた文也との傷の舐め合いに温度差を感じた。無機質だった言葉が、少しだけ温かくなったのを覚えてる。今思えばあのあたりで文也が夢子を意識したのだろう。確か、今年の春休み頃だったはずだ。
最初は奪い取るつもりでいた。兄妹という壁がある以上世間体や一般論を振りかざせば、文也の思考は勝手に色々な事を考えてくれる。そうなればいつも通り、他の男と同じように弱ったところを叩いて終わり。そのはずだった。
……夢子の精一杯に頑張る姿を見るまでは。
あの子は本当に文也が好きなのだ。だからそれ以外に何もいらなくて、最初からそれしか見ていない。純粋でまっすぐ。待ったり追ったり支えたり、でも不器用で形にならなくて。自分とはまるで大違いだ。
ああいう風になりたかった。
何か一つ、信じられるものが欲しかった。その為だけに頑張ってみたかった。自分とあの子は、一体どうしてここまで違ってしまったのだろうか。
……わかってる。そんなこと、努力以外に何もない。
父親の有無は、女の恋愛の価値観に大きく影響すると思う。自分もそうだし、夢子も間違いなくその一人だ。
田舎暮らしが嫌で、自分は母親を残してこの街へ来た。生活費は父親の生命保険から捻出してもらっていた。ただ売春してまで生きるのは嫌だったから、代わりに恋人を作ってその人たちに寄生して生きることを選んだのだ。
自分からしてみれば、生きる為に利用していた関係だ。ただ不思議と近づいてくる男の顔が良かったから、いつの間にか自分の中のスタンダードがイケメンということになっていた。価値観というのは後天的に変わるものだ。最初からイケメンが好きだったわけではない。
そんなある日、文也に出会った。
文也は不思議な奴だった。自分が何を言っても動じずに冷たくて、その癖に絶対に裏切らずそばにいてくれた。困っていれば助けてくれたし、だからと言って見返りを求めるような真似は一切しなかった。
だから、いつしかそれが当たり前なのだと思っていた。自分が野良猫のようにふらついて、どこで何をしようとも必ず待っていてくれる存在。追いかけなくても、いつの間にか恋人になるのだろうと、そう思っていた。
そうやって驕った結果が、自分と夢子の決定的な違いだ。
後悔はしている。ただ、夢子に嫉妬する気には一切ならなかった。目的の為にひたむきに努力することの美しさを知れば、そんなことの愚かさは充分すぎる程理解できる。ならば、恨むべきは何もしなかった自分だ。
今だから言える。自分は文也の事が好きだった。その気持ちは、きっと夢子にも負けていなかった。
早く忘れる練習をしておいて、本当に良かったと思う。もしこれが初恋なら、自分は立ち直れるわけがないから。
だからもう少し。この思いが風化するまでの間だけでも、傍にいさせてほしい。
夢子はきっと羨むだろう。あの子は意外と自分に自信がない子だから。
でも、それでいい。そうやって二人が意識し合っていつか幸せになるのなら、今の自分にとってこんなに嬉しいことはない。
文也が優しさを教えてくれたように、自分は恋愛を教えてあげよう。肌に触れることは怖いことではないのだと。女は文也が思う以上に強く、そして脆くないということを。
支えられていた分を返すには、もうそれしかない。互いの傷がない以上、埋める必要がないのだから後は積んでいくしかないのだ。経験はきっと、あんたの為になるから。
……。
そしてどうか、二人の昔話の中に、中根紗彩がいますように。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜
雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。
【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】
☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆
※ベリーズカフェでも掲載中
※推敲、校正前のものです。ご注意下さい
副社長氏の一途な恋~執心が結んだ授かり婚~
真木
恋愛
相原麻衣子は、冷たく見えて情に厚い。彼女がいつも衝突ばかりしている、同期の「副社長氏」反田晃を想っているのは秘密だ。麻衣子はある日、晃と一夜を過ごした後、姿をくらます。数年後、晃はミス・アイハラという女性が小さな男の子の手を引いて暮らしているのを知って……。
【完結】maybe 恋の予感~イジワル上司の甘いご褒美~
蓮美ちま
恋愛
会社のなんでも屋さん。それが私の仕事。
なのに突然、企画部エースの補佐につくことになって……?!
アイドル顔負けのルックス
庶務課 蜂谷あすか(24)
×
社内人気NO.1のイケメンエリート
企画部エース 天野翔(31)
「会社のなんでも屋さんから、天野さん専属のなんでも屋さんってこと…?」
女子社員から妬まれるのは面倒。
イケメンには関わりたくないのに。
「お前は俺専属のなんでも屋だろ?」
イジワルで横柄な天野さんだけど、仕事は抜群に出来て人望もあって
人を思いやれる優しい人。
そんな彼に認められたいと思う反面、なかなか素直になれなくて…。
「私、…役に立ちました?」
それなら…もっと……。
「褒めて下さい」
もっともっと、彼に認められたい。
「もっと、褒めて下さ…っん!」
首の後ろを掬いあげられるように掴まれて
重ねた唇は煙草の匂いがした。
「なぁ。褒めて欲しい?」
それは甘いキスの誘惑…。
ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~
菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。
だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。
車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。
あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。
【完結】もう一度やり直したいんです〜すれ違い契約夫婦は異国で再スタートする〜
四片霞彩
恋愛
「貴女の残りの命を私に下さい。貴女の命を有益に使います」
度重なる上司からのパワーハラスメントに耐え切れなくなった日向小春(ひなたこはる)が橋の上から身投げしようとした時、止めてくれたのは弁護士の若佐楓(わかさかえで)だった。
事情を知った楓に会社を訴えるように勧められるが、裁判費用が無い事を理由に小春は裁判を断り、再び身を投げようとする。
しかし追いかけてきた楓に再度止められると、裁判を無償で引き受ける条件として、契約結婚を提案されたのだった。
楓は所属している事務所の所長から、孫娘との結婚を勧められて困っており、 それを断る為にも、一時的に結婚してくれる相手が必要であった。
その代わり、もし小春が相手役を引き受けてくれるなら、裁判に必要な費用を貰わずに、無償で引き受けるとも。
ただ死ぬくらいなら、最後くらい、誰かの役に立ってから死のうと考えた小春は、楓と契約結婚をする事になったのだった。
その後、楓の結婚は回避するが、小春が会社を訴えた裁判は敗訴し、退職を余儀なくされた。
敗訴した事をきっかけに、裁判を引き受けてくれた楓との仲がすれ違うようになり、やがて国際弁護士になる為、楓は一人でニューヨークに旅立ったのだった。
それから、3年が経ったある日。
日本にいた小春の元に、突然楓から離婚届が送られてくる。
「私は若佐先生の事を何も知らない」
このまま離婚していいのか悩んだ小春は、荷物をまとめると、ニューヨーク行きの飛行機に乗る。
目的を果たした後も、契約結婚を解消しなかった楓の真意を知る為にもーー。
❄︎
※他サイトにも掲載しています。
あまやかしても、いいですか?
藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。
「俺ね、ダメなんだ」
「あーもう、キスしたい」
「それこそだめです」
甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の
契約結婚生活とはこれいかに。
出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
玖羽 望月
恋愛
親族に代々議員を輩出するような家に生まれ育った鷹柳実乃莉は、意に沿わぬお見合いをさせられる。
なんとか相手から断ってもらおうとイメージチェンジをし待ち合わせのレストランに向かった。
そこで案内された席にいたのは皆上龍だった。
が、それがすでに間違いの始まりだった。
鷹柳 実乃莉【たかやなぎ みのり】22才
何事も控えめにと育てられてきたお嬢様。
皆上 龍【みなかみ りょう】 33才
自分で一から始めた会社の社長。
作中に登場する職業や内容はまったくの想像です。実際とはかけ離れているかと思います。ご了承ください。
初出はエブリスタにて。
2023.4.24〜2023.8.9
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる