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1章 出会い

1話.受け入れられない現実

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 一羽の白い伝書バトが、薄っすら見えている城壁へ向かって飛んで行く。
 鬱蒼とした森の中を切り開き、比較的広いと言える綺麗に整備された道が、まっすぐと王都へ向かって伸びていた。
 その道を貴族のお忍びと見られる数名の騎馬に護られた、家紋の無い一台の馬車が、物凄い勢いで王都へ向かって駆けていく。
 後ろからは、黒装束で正体を隠した盗賊が、武器を振り翳しながら追いかけて来ている。
 待ち伏せていたのだろう、馬車の前方からも、黒装束の盗賊が姿を現した。
 森の中からは、中距離魔術による攻撃が行く手を阻むが、決して当てては来ない。
 商品が傷物になるのは、不本意なのだろう。
 馬車の中に居る貴婦人と、まだ幼い子供は奴隷商人に高く売れる為、彼らにとっては最高の品物だからだ。
 護衛も決して腑抜けではなかったが、如何せん数が多すぎる。 
 負傷しながらもなんとか主を護っていたが、援軍が来る前に全滅すると判断した指揮官は、馬車の窓を開け貴婦人に声をかけた。
 「ルミア様、馬車は捨ててお逃げください。ここは我々で食い止めます」
 そう言って彼は、息子を大切に抱きかかえているルミアと呼ばれた貴婦人に、一時だけ姿が見えなくなる魔道具を持たせた。
 盗賊に見つからないよう馬車から降ろすと、まだ年若い部下にゆだねる。
 「貴方達も必ず、逃げおおせなさい」
 気高さが隠しきれていない貴婦人は、護衛達の安否を気遣いながらも、素早く逃走した。
 その直後見透かされていたかの様に、盗賊集団との交戦が激しくなり、ルミアと護衛も見つかってしまった。
 このままでは連れ去られてしまう。
 そう考えた護衛は、何とか貴婦人だけでも逃がしたいと時間を稼ぐが、援軍はまだ見えない。
 万事休すと思ったその時。
 まだ日の落ちていない空が暗がりに包まれ、周りの木々がさわさわと揺れ、頭上で咆哮が響く。
 見上げると黒光りした鱗に包まれ、鋭い眼光を放つドラゴンと、視線が合った。
 負傷者や、幼子を気遣かっているのか?
 風を巻き上げないよう、高い空で空中停止していた。
 何かが落ちて来る。
 それは瞬きをするのも遅く感じる程に、一瞬の出来事だった。
 稲妻が如く閃光が走り、残像が消えない内に黒装束の盗賊達は、バタバタと倒れて行く。
 森の中からは巨大なゴーレムがゆっくりと上体を起こし、轟音と共に木々を薙ぎ倒し、一歩また一歩と大地を揺らしながら歩いて来る。
 その手には、遠距離魔術を使っていたであろう盗賊が、数人握られていた。
 「相変わらず脆弱だな、リッデルは何をやっとるんだ?」
 溜息混じりに壮年の男は呟く。
 たった一人で数十人の武装した盗賊達を殲滅させた後、何事も無かったかのようにドラゴンへ飛び乗り去って行った。
 ゴーレムは握っていた盗賊を護衛に引き渡すと、大きな地響きと共に大地へ沈み姿を消した。
 「ソードマスター…」誰かがぼそりと呟く。
 ドラゴンが見えなくなる頃、王都からの援軍が駆けつける。
 何処かソードマスターに似た近衛騎士の肩で、伝書バトが毛づくろいをしていた。





十年後…


「辺境伯…一体これは、何だと言うのだ?
「儂にも分かりません、陛下。捕虜の体内で確認したのじゃが、ほぼ全員同じ呪詛に掛けられておりましたぞ」
「呪術師団長、其方にはこれが、何か分かるか?」
「……このような複雑怪奇な呪詛を、私も見た事がありません…レッドスパイダリー辺境伯、本当にこれは…呪詛なのか?」
「呪詛でなければ、呪術師団長殿は、何だと思うのじゃ?」
「………呪詛の変異種…に、なるのか?」
暫しの沈黙が続き、国王が口を開いた。
「呪術師団長、今直ぐこの奇妙な呪詛を、解明せよ。辺境伯は引き続き、西の国の捕虜を、警戒せよ」
「「御意」」







 
 ここは、マルス・ドメスティカ王国。 
 南は友好条約を結んでいる帝国と隣接し、東側は海に囲まれている為、船を使った貿易が盛んに行われている。 
 西側は情勢のよく分からない国で交流も無く、常に緊張状態が続いているが、大きな争いが起こるのは西の国と一部だけ隣接している北の国境だった。 

 北は広大な不毛の大地で、厳しい寒さと魔物が蔓延っている。
 その為国民からは毛嫌いされているが、希少価値の高い魔晶石が多く採れる事や上級ポーション用の薬草が育ちやすい事もあり、王国にとって最も奪われてはならない重要な地域になっていた。  
 その土地を任されているのは、史上最年少でソードマスターになった、王国一の剣士と謳われる北のレッド・スパイダリー辺境伯だ。
 少なくない頻度で起こる争いは、ソードマスターが率いる強者揃いの辺境伯軍により護られている。 

 その王国に、ドメスティカの妖精と謳われている、愛らしい八歳になったばかりの王女リシャーナ・フォティア・マルス・ドメスティカが居た。  
 彼女の父は現国王の弟、マヌエル・フォティア・マルス・ドメスティカである。
 王弟妃の母ルミアと兄のルイフォードと共に、宮殿の一画にある居住区で使用人たちに囲まれ、何不自由無く暮らしていた。
 平穏な日々が未来永劫続くと、誰もが疑っていなかったある日の午後。
 雲一つ無く澄み渡った青空の下で、何の前触れも無くそれは起こった。

 王弟家族の為に設けられている庭園には、庭師が丹精込めて育てた美しい花々が咲き誇る。 
 レンガの小道の先に建てられたガゼボには、シダが程よく絡みついていて、キラキラと宝石の様に美しい木漏れ日が差し込んでいた。 
 真っ白いクロスがかけられたテーブルには、美味しそうな色とりどりの甘いお菓子が所狭しと並んでいる。  
 いつも公務で忙しい父が珍しくお茶の席に着いていたので、リシャーナは久し振りの家族団欒に、嬉しくておしゃべりが止まらない。 
 そんな王女を愛おし気に、両親と兄が見守っている。 

 この国の王族は、家族仲がとても良い事で有名だ。 
 特に王弟一家は絆が強く、両親もルイフォードも幼い王女を溺愛していた。
 そんな楽しい筈のひと時に、突然リシャーナは身体の中で何かが蠢き、全身に広がって自由を奪われ支配される感覚に襲われる。 
 恐怖のあまり声も出せず辛うじて動かせた右手を胸に当てた瞬間、それが何かを考える暇も与えず、魔力が一気に膨れ上がり爆発した。 
 リシャーナの意識は、そこで途絶える事になる。 

 王弟妃は、真っ赤な炎に包まれてしまった娘の惨状を目の当たりにした事で、パニックに陥り気を失ってしまう。 
 「リーシャ!」
 「いけません、殿下。近寄るのは危険です、離れてください」
 ルイフォードは妹に駆け寄ろうとしたが、控えていた護衛に引き留められて動けない。 

 王弟は気を失い、地面に叩きつけられそうになったルミアを、寸前の所で抱き留めた。
 「至急、宮仕えを呼ぶのだ、一刻の猶予も許さぬ」

 その場に居る者が皆、炎に包まれ燃え盛る王女に、近寄れずにいた。 
 何故なら、その様子が幼い頃に必ず起こす、魔力暴走によく似ていたからだ。 
 魔力暴走とは、生涯一度だけ二歳~三歳頃に、魔力を暴走させてしまう現象の事を言う。 
 原理は未だ解明出来ておらず、魔力暴走が起きた時の為事前に用意された護符を身に着けさせる事でしか、解決出来ていないのが現状だ。 
 その為、子が産まれると必ず神殿で属性を確認し、後に起こる魔力暴走に備える事が義務付けられている。 
 義務を怠り魔力暴走を放置した場合、子だけではなく、周りにいる者へも被害を及ぼし兼ねないからだ。 

 王族とて同じ人間、例外無くリシャーナも、三歳の時に魔力暴走を起こしていた。 
 現在までに、二度目の魔力暴走を起こした事例は、一切無い。   
 だがしかし、眼前で起こっている現象は、魔力暴走にしか見えなかったのだ。
 有り得ない出来事に、皆思考が追い付かずにいる。
 止める為の手立てを持ち得て無い事もあり、現状を受け止められず立ち尽くしてしまうのも無理は無かった。 
 
 程無くして、魔術師・医術師・薬術師・呪術師が駆け付ける。
 皆宮仕えのエリート達だったが、燃え盛る王女を見て言葉を失った。 
 一人の呪術師が、呪詛破りの呪印を結ぼうとする。
 「東の青龍・西の白虎…」
 「駄目だ!その呪詛を祓ってはいけない」
 「何故ですか呪術師団長、王女殿下からは、強い呪詛を感じます。直ぐに祓わないと、お命に係わります」
 「分かっている、分かってはいるが、あれを祓っては駄目だ。魔術師団長、結界をお願いします」
 「分かりました。水属性魔術師ここへ!王女殿下の魔力の邪魔にならない様、結界を張りなさい」
 「お待ちください、魔術師団長、ここは我ら土属性の魔術で、封印するべきではないのですか。何故結界なのですか」
 「分からないのですか、王女殿下は魔力を放出されています。あれを止めてはいけません」
 「暴走しているのは分かります。このままでは、魔力が枯渇してしまいかねません。団長、我々に封印の許可をください」
 「駄目です。貴方達は手出し無用、水魔術師、結界を張りなさい」
 土属性の魔術師達が身を引くと、水属性の魔術師達が詠唱を始める。
「滴水成氷、生きとし、生けるものの淵源よ。我が血潮となり、その偉大なる力を解き放て 『開け水の門』」
 庭園に、淡い緑色の術式が幾つも浮かび上がった。

 「医術師達はポーションを、上級ポーションを持って来なさい。このままでは、王女殿下のお身体が、炎で焼き尽くされてしまう」
 「薬術師は全員、ポーション作りに専念しなさい。この状態では幾らあっても足りない、炎が収まる迄、寝食は最低限にせよ」
 その後王女は、三日三晩燃え続ける事となった。
 そして体を包んでいた炎は、ろうそくが吹き消される様、唐突に消滅したのだ。 
 魔術師達によって結界の中に閉じ込められていた為甚大な被害は免れたが、リシャーナのお気に入りだった美しい庭園は、焼け野原となっていた。 

宮仕え達の賢明な努力の結果、三日間もの間燃え続けた王女は、全身に大火傷を負ってはいたが微かに息があった。
崩れ落ちるリシャーナを受け止めた医術師は、上級ポーションを使ったが、期待した効果は得られない。
 即座に二本目を使うも、効果は全く無く、一刻の猶予も許されないと判断した。

そのまま抱き抱え宮殿に連なる大神殿へ連れて行ったが、国一番の癒し手とされる大司教ですら、命を繋ぎ止める事しか出来なかったのだ。 
 それでも全身の9割を占める程の火傷を負ったのだから、命があるだけ奇跡と言えよう。 
 かつて妖精と謳われた王女は、性別の判断すら難しくなる程、変わり果てた姿になってしまっていた。 
 
 あの【悪夢の日】の事象は、世界に混乱を招きかねないとされ、即座に緘口令が敷かれた。 
 生死を彷徨い意識を取り戻さない王女を救うべく奔走するも、時間だけが虚しく過ぎて行く。
 今も一向に目覚める気配を見せない王女を、宮仕え達は諦める事なく賢明な治療を続けていた。
 その努力が神に通じたのか【悪夢の日】から丁度二か月目の午後、王女はようやく意識を取り戻した。

 リシャーナは重い瞼を開けようとしたが、思うように開かない。
 状況が分からず起き上がろうとした途端、全身に激痛が走り、悲鳴にすらならない呻き声だけが漏れた。 
 傍らに控えていた侍女が、その音にいち早く気付き、すぐさま人を呼ぶ。 
 程無くして、医術師が薬術師を伴い部屋に入って来た。

 容態を確認し、痛み止めのポーションを用意するよう、指示を出す。 
 「王女殿下。痛み止めを御口の中に入れますので、零れても気にせずに、ゆっくりと飲み込んで下さい」 
 そっと丁寧に、口の中にポーションが入れられる。
 リシャーナは飲み込もうとしても口が閉じず、ダラダラと顎を伝って、殆どのポーションが流れ落ちて行った。 

 零れたポーションを助手が綺麗に拭き取っていると、王弟夫妻と兄のルイフォードが部屋に入って来た。 
 王弟妃は目に涙を溜めて、娘の右手を両手で包み込む様に触れる。
 そこに、自身の額を付け「良かった、本当に良かった」と、何度も繰り返えしていた。 
 王弟は、娘が意識を取り戻したのを確認出来、安堵した表情を見せてから言葉を選ぶように話し出す。 
 「リーシャ、帝国には癒しの聖女様がいらっしゃる。移動出来るだけの体力が付いたら直ぐに向かおう。必ず治るから、気をしっかりと持ちなさい」 
 リシャーナは返事をしようとしたが、僅かに動いた顎からは、掠れた声が漏れるだけだった。
 王弟はゆっくりと頷く。

 そしてリシャーナの身に何が起こったのか、今後どうしたら良いのかを、話し始めた。 
 しかし幼い王女には、とても受け入れがたい現実であった。
 意識はハッキリしているのに、身体は自由に動かない。
 薬の効果が薄れると、耐えがたい激痛が襲って来る。
 それを伝え助けを求める事さえ、思うように出来なかったのだ。

 声すらまともに出せない、地獄の様な日々を過ごしていた時。
 三歳の時に顔合わせをしてから、ほぼ毎日の様に面会をしていた二歳年上の婚約者が、見舞いに来てくれた。
 だが久し振りの面会はリシャーナの姿を見た瞬間、婚約者が失神してしまった事で、一言も話しを聞けずに終わってしまう。
 それ以降、見舞いどころか、手紙すら来なくなった。 
 また別の日には、親友だと語り合っていた令嬢が、見舞いに来てくれた。
 やはり、リシャーナを見た途端失神した。
 後日定型文のような手紙が届いただけ、婚約者よりはマシかもしれない。

 一人物思いにふけるリシャーナは、己を顧みる。
 痛み止めが欠かせない身体、呼吸も酷く苦しい。
 何処か怯えた様子の、宮仕え達。
 取り除かれた姿見、締め切り、開かれる事が無くなったカーテン。
 皮膚が引き攣る感覚、痛ましい程身体中に巻かれた包帯。
 半分しか開かない瞼、見えない左側。
 僅かしか動かない口から、流れ落ちて行く液体。
 炎に包まれていた身体、大司祭でも癒せなかった火傷…

 『気をしっかり持ちなさい』父親の言葉が頭を過った時、何かがストンと音を立てた気がして腑に落ちた。 
 誰もが拒絶し、目を背けたくなる程に、醜い姿をしているのだと理解する。 
 それからのリシャーナは、人が変わった様に努力した。 
 苦い薬も我慢して飲み、味が薄く口当たりの悪い流動食も、残さず食べた。 
 そして体力を付け、お忍びで帝国へ渡った王弟一家に待ち受けていたのは、余りにも無常で残酷な現実だった。 

 幼いリシャーナは流行る気持ちを抑え、車椅子に身体を任せ、聖女を待っていた。 
 元の姿に戻れずとも、流暢な会話が出来る様になりたかったのだ。 
 たったそれだけの願いだったのに、目の前に現れた聖女は、リシャーナを見た途端悲鳴を上げた。 
 口から泡を吹き倒れていく姿がゆっくりと長い時のように感じ、持っていた淡い期待がガラガラと大きな音を立てて崩れて行く。 

 「聖女様がお倒れになった!悪魔だ、悪魔の子だ」 
 誰かが叫んだ言葉が、リシャーナの無垢な心を容赦なく抉る。 
 大聖堂内が、右往左往する聖職者達で、騒がしくなった。 
 悪魔の子と罵られ、腸が煮えくる思いをしたが、他に救える手立ては無い。 
 王弟夫妻は怒る感情を、無理やり腹の底に押し込め、蓋をする。 
 愛娘の為に、滞在予定である一週間。
 毎日大聖堂に通い何度も、何度も頭を下げたが、聖女との面会はついぞ叶わなかった。 

 そして誰からともなく紡がれた言葉に、尾ひれ背びれが付き、大きな噂となって瞬く間に広まって行った。 
 『二度目の魔力暴走を起こし、聖女様でも救えなかった、神から見放された子』
 その噂は、国王の耳にも届く事になる。
 恐れていた最悪の事態になってしまった事を悔やむが、現状なすすべもなく、世界中を震撼させる事件となっていた。 

 二度目の魔力暴走など、何処の国にも前例が無かった為、各地の神殿には護符を求めて人々が殺到する。
 数が足りず護符を貰えなかった者は半狂乱になり、暴動が起こり始めた。 
 そんな中、人目を避けるように帝国から帰国した王弟一家を出迎えてくれたのは、ルイフォードと数人の宮仕えだけだった。 

 回復の見込みが無い事を知った者達は、一人、又一人と王女の元を去って行く。
 婚約者からも、婚約の解消を求められたので了承した。
 王女を取り巻いていた令嬢達からは遠巻きにされ、茶会への誘いも来ない。

 医術師達は最新技術を取り入れ、治療に真骨を注いでいたが、形成手術が失敗に終わった事で症状が悪化した。 
 瘢痕拘縮が酷く、動く事も話す事も出来ない、物言わぬ人形の様になってしまったのだ。
 それでも時間は無常に過ぎて行く。
 車椅子に座っているだけの王女は、九歳の誕生日を迎えた。
 祝ってくれているのは宮殿に住む王族と、僅かに残った宮仕え達だけ。
 一年前の誕生会とは雲泥の差だったが、リシャーナは変わらず接してくれる彼らの心遣いを嬉しく思う。

 誕生会の数日後、国王の執務室には王弟とルイフォード、リシャーナの主治医が居た。
 重苦しい空気が流れている。
 「大変心苦しい事ではございますが…王女殿下は…十歳の…十歳の誕生日を迎える事は………困難かと存じます」    
 何度も声を詰まらせながら、絞り出すように残酷な言葉を紡いだ初老の医術師は、実年齢よりもかなり老いた外見をしていた。
 一番聞きたくなかった言葉を振り払うかの様に、王弟は天を仰ぐ。
 国王は沈黙を貫いて、ルイフォードは唇を噛みしめる。
 「私が…私が身代わりになれないのか?」

 大切な妹を助けてあげられない、己の不甲斐なさを、込み上げて来る怒りを抑える事が出来なかったのだ。
 「残念ながら…」
 この中の誰よりも、それを願って止まないであろう、医術師が答える。
 彼は手術の失敗により、王女を更に苦しめてしまった事を、心の底から悔いているのだ。
 厳罰を求めたが、国王も、王弟からも却下されたのだ。
 誰より忠誠を誓い、王女を救おうとしたこの男を、責める事等出来る筈がない。

 皆行き場の無い感情をひたすら押し隠していた時、沈黙を貫いていた国王が王弟を見た。
 「マヌエルよ…家族を連れて、国内視察に行きなさい。空いた時間で観光をしても構わない。王都から出て北へ向かい、オルテンシア伯爵領に暫く滞在すると良い」
 ゆっくりと紡がれていた言葉は優しく、何処か力強くも感じた。

 魔力暴走を起こす前、こっそりと伯父である国王の執務室に来ては、いろんな話を強請って来たリシャーナを思い出す。
 可愛い姪が一番興味を持ったのは、北国にしか咲かない幻の白い花『リーテン』だった。
 王弟もリシャーナが見たがっていた事を知っていたが、幼い王女を連れて行くには過酷な場所だった為、その願いを叶えてあげられずにいた。

 幻と言われる花だ、今更行った所で見られる保証はない。
 それでも国王の…いや、兄として姪を思う心に感謝する。
 王弟も敢えて、陛下とは言わなかった。
 「ありがとうございます。兄上」 
 深く頭を垂れ、感謝の意を示す。

 そして、一時の時間すら惜しい事を隠そうともせず、早々に準備を整え王弟一家は北へ向かって出立した。
 国王は、宮殿の一室から見送っている。
 弟達の姿が見えなくなる迄、北の方角を見つめながら。
 「頼んだぞ、ティア」
その小さな呟きは誰の耳にも届く事なく、真っ青で何処までも続く北の空の彼方へと、溶け込んで行った。
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