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8 これはなんという感情なんでしょう②

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 ああ、ここは天国だろうか。ぬくぬくと気持ちよくて、窓の外に見える雪景色が嘘みたいだ。

 この学園には植物の生態観察や栽培の知識を学ぶ一環として温室植物園が併設されている。ここは温度が一定に保たれているため、真冬でも温かく快適に過ごせるのだ。

 今、俺はその温室植物園の片隅で、食堂でテイクアウトしてきた弁当箱を簡易テーブルの上に広げているところだ。
 今日はハンバーグ弁当だ。デミグラスソースの。うまい。毎度思うが、学食のレベルを超えてるよな。肉汁があふれてジューシーで……食材がいいのかシェフの腕前がいいのか分からんが、なんにせよ、さすが王立! と思わされる逸品だ。

 ここはこの時間、それほど人の出入りもなくわりと落ち着いている。静かに食事するにはもってこいの場所だ。まあ、ここで昼食を食べようなんて物好きは俺ぐらいしかいないのだろう。
 しかし俺としても、学園での心安らげる数少ない時間なのだ。許してくれ。そんな不審な目を向けるんじゃない。

「あっ、ジェイミー様。髪に虫がっ。今お取りしますので動かないでくださいっ」

「ん? いいよ別に。そのままで」

「えっ……でも虫がお嫌いですよね、ジェイミー様。ここの温室も虫が多くて苦手だからってあまり近寄らなかったくらいなのに」

「虫ぐらい、どうってことないさ」

 考えるだけで憂鬱なことなんて、もっといっぱいあるんだからな。

「はぁ、そうですか……。って、そんなことはいいんですよっ! それよりもジェイミー様、いつまでこんなことを続ける気ですか。せっかくグラシエット様が振り向いてくださったというのに、こんな逃げるような真似を……!」

「うっ……」

 お友達ーズの一言によって、あっけなく現実に引き戻されてしまった。

 考えたくないこと、そのいち。ヘイデン様のこと。
 目に入るだけで鼓動が速くなる気がするし、巻き毛の少年と一緒にいるところを見ようものならキュッと心臓をつままれたような居心地の悪さを感じる。前ならそれでもなんとか受け入れられていたと思うのだが。

「それは嫉妬、ですね」

「し、しっと!?」

「はい。恋をされてる証拠です。ドキドキするのも、それが理由です」

 お友達ーズの一人があっけらかんと言い放った。
 恋。──恋、だと!? あの小生意気でおませな弟だけにとどまらず、絶対的味方のお前たちまでそんなことを言うのか!

「追われると逃げたくなる気持ちも分かりますが、今こそしっかりグラシエット様と向き合うべきです」

「でも、あいつにどんな顔したらいいのか……」

「ああ、くりくり頭ですか? 彼は大丈夫でしょう。それよりもっと自分のことを心配されたらどうですか!」

 一喝されてしまった。シュンとした俺を見て、お友達ーズの面々はやれやれ……といったように顔を見合わせていた。

 だって。俺が向き合ったところで、それは道理に反することなんだ。ヘイデン様のお相手は、本物のジェイミー君でなければいけない。偽物の俺なんかじゃなく。
 言えない言葉を、俺はハンバーグとともに飲み込んだ。



 考えたくないこと、その二。“じゃあどうすればジェイミー君の意識を戻せるか?”ってことだ。

 考えたくないというか、頭を悩ませていると言ったほうがいいか。
 ジェイミー君の思い出を辿ってみても、なんの変化も見られなかった。微笑ましいなと思いながらも、ちょっと切なくなったくらいで。

 となれば。再現性を求めるなら、やはり何らかの衝撃を体に与えるしかない。
 放課後、俺は階段の前でふとそんな考えがよぎった。

 ──ここから落ちたら……でも気を失うほどではないかもしれない。

「エルベール様」

 あらぬ考え事をしていたら、後ろから声をかけられた。思わず足を踏み外しそうになり焦る。わたわたと腕を振り、なんとか持ちこたえた。

「おっつ……はは、ごめんね。な、何かな?」

「グラシエット様が向こうで探しておられましたが」

「ああ、いいのいいの。ほっといて。わざわざありがとうね」

「いえ……あのエルベール様」

 ん? まだ何かあるのか? 見たところ、あまり話したことはない生徒だけど。あれ、この子。以前に確か「エルベール様推しです」と言ってくれたあの男子生徒だろうか。そんなことを言ってくれる生徒なんて珍しくて嬉しかったから、なんとなく覚えている。

「何か……お手伝いできることはありますか? どんな汚れ役でもやります」

「い、いや別に……大丈夫だけど」

「僕はっ……エルベール様のあの不敵な笑みが大好きで……流し目で罵ってもらいたい……じゃなくて、何かお役に立ちたいと」

 おい。途中、心の声がだだ漏れてなかったか? その後も必死に「最近、何か思いつめてるようにお見受けされて……」とか何とか付け足していたが、頭に入ってこないんですけど。
 しかし本当に、彼に手を借りてまですることなどないのだが。ここは愛想笑いを浮かべて、やんわりとお断りさせていただこう。

 そうしていると、遠くで「ジェイミー!」と呼ぶ声が聞こえた気がした。空耳であってほしいが、悠長にはしていられない。
 俺は男子生徒に軽く挨拶をして、「もしヘイデン様が来たら、向こうに行ったことにして」と言付けを頼み、慌てて階段を駆け下りた。

「あっ、エルベール様っ……!」

 ──あれ、視界が斜めに見えるのは気のせいだろうか?
 一瞬、スローモーションのように静止したように見えたが、その後は体が勢いづいて自分の力では制御できなかった。慌てすぎて足を引っかけたのだろう。身体能力とかの問題じゃない。これはただのドジとしか言いようがない。こういう時に限っていつもやらかすんだよなぁ、俺のばか。






 暖かい日差しが頭上から降り注いでいる。
 穏やかな緑の庭に大きな樹が二つ植わっていて、そこに渡してあるブランコが風で少し揺れていた。辺りにはピンクや紫、黄色などの色とりどりの花が咲いていて、その景色の奥にはなだらかな丘や木々が続いている。

 そして目の前にはティーカップとお菓子、にこやかに微笑むヘイデン様。

 ──ん? ヘイデン様?

 でも俺の知っている仏頂面のヘイデン様ではなく、あの絵の中の幼き頃のヘイデン様のように見える。

 そういえば階段から落ちたよな、俺? と両手を開いてみる。自分のとは思えないほど小さな手のひらがそこにあった。

 んんん? 夢ですか、これ? それにしては臨場感がすごいのですが。
 目の前のヘイデン様も、俺に向けているとは思えないニコニコ笑顔でご機嫌な様子だ。目尻が下がり、口角もキュッと上がって……なんつーか、破壊力抜群だ。天使。天使がおります、ここに。

 俺はヘイデン様に話しかけようとした。だが、思うように声が出ない。ゲームでいうところの、スキップ不可の強制イベントのように目の前で物事が進んでいく。意識は俺だが自動操縦されているみたいな、ただ誰かの記憶を追体験しているような、そんな不思議な気分だった。

『……でね、あのお空にうかんでいるくもはねっ、ほんとうはわたがしみたいに食べれるんだよ!』

『へえ! ジェイミーはなんでもしってるんだね。すごいや』

『うん、あたりまえだろっ。ヘイデンのほうが知らなさすぎるんだ』

 ──おいおい待て待て待て。嘘八百を教えるな!
 と思わずツッコミが出てしまったが、これは可愛らしい子供同士の会話のそれだ。実に微笑ましく、内心では俺は親のように二人を見守っていた。
 それにこの体、やはりというべきか、ジェイミー君のようだ。なんだか妙な納得感。
 しかも小さい頃は呼び捨てだったんだ、ヘイデン様のこと。ヘイデン様もなんか子供らしく素直だし……。二人の関係性をふいに垣間見た気がして、オタクの俺、大歓喜である。

『こんどはあのブランコであそぼ! それともまた追いかけっこする?』

『だめだよ、おとなしくしときなさいって言われてたでしょ』

『だいじょうぶだって。ほら行こ、ヘイデン!』

『まってよジェイミー!』

 ジェイミー! と声が響く。ああ、そんなに走ったら……! と心配する俺をよそに、一際大きな「ジェイミー!」が脳内に響いた。そのやかましくも思える声で、はっと我に返った。



「おいジェイミー!」

「……はっ、はい!」

「はあぁ。よかった、目を覚ましてくれて……」

 何事かと目を瞬かせていると、安堵の表情で息をついている男子生徒と、目を細め、なにやら難しい顔つきのヘイデン様が俺を見下ろしていた。


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