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Act 1 大事な恋の壊し方(本編)

愚かな血は争えない①[side瀬川]

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 こんな人生でも他人より恵まれているのだと気が付いたのは、いつ頃だったろうか。

 何処へ行っても誰と会っても誉めそやされる容姿に、投げ捨てるように散財しようが有り余るほどの小遣いを渡されていた子供時代。
 邸宅には最新の高級家電が一式並び、複数人のハウスキーパーによって快適に整えられた生活を提供されて。

 だけど記憶にある家庭というものはいつも陰鬱だった。
 明るい家庭というものに憧れた幼少の記憶はかすかに残っているし、それを当たり前につくれない母親を――母を名乗る女を無能とさえ思っていた頃も確かにあった。

 しかし、どうやら。……あの女の血は、この身体にも確かに流れていたらしい。

 
 ◆
 
 
 瀬川悠一郎がその日、に出会ったのは偶然だった。
 セフレの一人と落ち合うためにフードを深く被り、地下鉄に向かって。人がまばらなホームの、端のほうにあるベンチを選んで腰を下ろし、目立つ長身を丸めていた。
 深く俯きながら手元のスマートフォンを眺めていると、頭上から声がかかる。

「お兄さんカッコいいね。これから私と遊びに行かない?」

 またか、と嘆息しながら瀬川は顔を上げようとして、ふと気付いた。
 どこからか現れたギャル女の視線は、自分ではなく隣の席へと向けられている。

「ねえお兄さん、聞いてる?」
「え、オレ? ……すみません、こういうの慣れてなくて。あとごめんなさい、今から予定が」

 サングラス越しにこっそりと覗き見る。
 戸惑いながらも丁寧な受け答えをする隣の男は、どちらかというと中性的な整った容貌をしていた。茶髪の、見るからに善良そうな優男だ。年の頃は同じくらいか、少し下だろう。

「時間ないんだ? じゃあコレ、あたしの連絡先。暇なときメッセ飛ばしてよ」
「ええと、受けとれません。大事な恋人がいるんです。声をかけてくれたのに、すみません」

 なんとも腰の低い男だ。適当にあしらえばいいのに、丁寧すぎる断り文句。
 自分ならば決して口にはしないだろう台詞に、瀬川は名も知らぬ優男の品性を垣間見た気がした。
 別に恋人なんかに操を立てずとも、隠れて遊んでしまえばいいものを。生真面目な人生など何が楽しいのか。息がつまりやしないのか。

 そう思うのと同時に、「大事な恋人」とやらが気になったのも事実だ。ただの恋人なのか、婚約者か。後者ならば慎重になる理由も少しはわかる。
 ――だが、まあそれだけだ。
 
 不機嫌そうにギャル女が去っていくと、気不味いものでもあったのか、優男のほうもすぐにベンチから離れていった。
 しばらくして、ホームに列車が滑り込んでくる。
 隣の男の言動がこうも気になってしまったのは、彼が思いのほか瀬川好みの顔をしていたせいもあるのだろう。
 だが縁もない赤の他人だ。それ以上でもそれ以下でもない。
 
 名も知らぬ他人が交わし合ったささやかな会話など、数分後にはとっくに、記憶のどこかに埋もれて消えたはずだった。



 
 翌日の昼下り。
 
「は、ダブルデート?」
 
 最近セフレにしたばかりの素朴な女が、やけにピンクにこだわったホテルの部屋の丸いベッドの上で馬鹿なことを言い出した。
 彼女の大層なマグロっぷりには瀬川は退屈しかなかったのだが、肌を重ねたばかりの夢見がちな彼女の双眸に一体自分はどう映っているのやら。

「友人たちと一緒に遊園地へ遊びに行くんです。悠一郎さんも一緒に来てくれませんか?」
 
 これが想いの通じ合った恋人同士ならば、可愛いお願いとやらになるのだろう。しかし自分たちは身体の熱を分かち合うだけの関係だ。
 瀬川は、基本的にセフレ達とデートはしないと決めている。
 ベッドの外に誘われても当然断るし、そもそも相手がセフレを了承した時点で、そこらへんの線引きは伝えてある筈なのだが。

 (この女、馬鹿か? もう忘れたのかよ)
 
 ドライな関係を受け入れられない相手と関係を続ける気は毛頭ない。この女もこれきりかな、と瀬川はあっさりと目の前の女を切り捨てることにした。
 勘違いをした女は面倒だ。トラブルにしかならない。
 居酒屋や安いチェーン店で食事をする程度ならば受け入れてやることもままあるが、誰かを連れて歩くだけで瀬川には下らない噂がうようよと湧くのだ。
 
 約束が違うだろう、とやんわりと断れば、それはそれで女が泣きそうな顔をするので。
 瀬川は仕方なく訊ねてやった。
 
「仲いいんだ?」
「はい、大学からの友人なんですけど親友です。親友にはすごく仲の良い彼氏がいるんですけど、美男美女で……あ、写真あるかも!」

 興味があるフリを多少してやれば、途端に女の表情が明るくなる。
 いそいそとスマートフォンを操作する乱れ髪のショートボブの女の横顔を何とはなしに見つめながら、他人の写真を嬉々として見せてしまう彼女の軽率さを内心でせせら笑った。

 親友というのも怪しいものだ。
 その親友とやらに瀬川を会わせてどうしたいのだろう。マウントでも取りたいのだろうか。それとも奪わせたい? 純情そうな顔をしておいて、女はやはり陰険な生き物だ。

 やがて自分へと向けられた賑やかな画面を、瀬川は醒めた気持ちで覗き込んでやる。
 ちらりと一見するだけのつもりが……思わず、目を瞠っていた。
 記憶の奥に消えたはずの光景がゆっくりと輪郭を取り戻し、脳裏にぼんやりと蘇る。
 
「……ふうん。気が変わった。行ってもいいよ、そのデート」
 
 瀬川の口元には自然と歪んだ笑みが滲んでいた。
 女の顔が喜色に満ちていく。面倒事の予感はあったが、芽生えた興味が勝ってしまった。
 昨日ベンチで隣り合っただけの、名も知らぬ男が画面の中で照れたように微笑んでいた。



 都会の片隅ですれ違うだけの偶然を、運命として結びなおしてくれたのは間違いなく千華とかいうあの女だろう。
 だが不運にも瀬川をその気にさせてしまったのは自身だ。
 自らの性悪さを認識し、悪名高さを誇りとすら言い切れる瀬川であっても、最初から彼らに手を出そうと考えていたわけじゃない。
 ――ちょっとした淡い興味のはずだった。
 自分好みの顔をした男の、お育ちの良い人間性。上品な仮面の下の本性を暴いてやりたいというちょっとした出来心。
 瀬川とは正反対のものを尊ぶのだろうあの善良そうな男と、言葉を交わし合い、心の隙間から彼の汚い本音を覗いてやって。満足したら瀬川だけ一足先にあの遊園地くだらない場所から立ち去るつもりでいたのに。
 
 ――それがどういうわけか、ドハマリしてしまった。
 
 テーブル越しに視線を絡ませた彼の……真野律の、戸惑うようなあの表情。
 丁寧すぎる物腰の下に隠されていた律の本性は瀬川の期待とは異なるもので。
 本音を包み隠して強がる態度も、ちょっと引いたような瞳も、怯えたように腰が引けた態度も……率直に言って、すべてが堪らなかった。

 ああ、思い出してしまう。
 もそうだった。――好みの顔をした相手にをやられると、瀬川は滅法弱いのだ。
 もっと近くで見ていたくなってしまって。
 どうしても、どんな手を使ってでも、喉の奥の奥から手を伸ばして相手を傍に置きたくなってしまう。
 悪い病のようなものだという自覚はあるが、湧き上がる衝動を止められない。

 ああ、隣に立つあの女に注がれる眼差しが羨ましくて堪らない。――彼らを歪めてしまおうか。
 結局その日はほかの予定も取りやめ、丸一日付き合うハメになってしまった。
 
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