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「いいよ、タクシーなんて。ちゃんと帰れるし」

「一人で帰せるような顔ではないよ」

「帰れるよ。それよりも話そう?」

「車の中で話せば良いだろう?」

「二人で話がしたいんだ。――なあ、史仁さん。浮気、した?」

 香倉は目を瞠った。言われたことを反芻して、そして腑に落ちる。
 圭人がこんなひどい顔をしている理由。突然自分を呼び出したわけも。

 深く息を吐く。
 苦々しいものを飲み込んで、圭人へと身体を向けた。繋がれたままの手に僅かに力を込める。

「……その顔色の悪さはおれのせいなんだ。はぁ、ごめん。浮気なんかしないよ。あの日、やっぱり近くにいたんだね。圭人の匂いがするから、もしかしたらとは思ったんだ」
 
 思い当たる出来事はあった。数日前にあの令嬢を連れて入った映画館。
 恋愛映画を見終えてそこを出るときに、どこかから圭人のフェロモンが香っているような気がしたのだ。
 ただ、あまりに薄い匂いだったので、香倉は気のせいかと思っていたのだが…………圭人に目撃されたとするなら、十中八九その時に違いない。

 圭人は香倉を疑っているらしい。
 不安そうに瞳を揺らし、懸命に真偽を見極めようとしている。
 自分を疑う恋人の視線を香倉は正面から受け止めた。いくら疑われようと、焦る気持ちはない。
 
「おれは誓って浮気なんかしてないよ。きみを裏切るようなことはしていない。あの夜一緒にいたのは取引先の娘さんで……ちょっと最近、厄介なことになっていたんだ」
 
 身の潔白には自信がある。
 それなのに自分を疑って、傷付いて眠れなくなるくらいなら、この胸の内側を圭人に覗かせてあげたいと香倉は思う。
 ドン引かせてしまうくらいに重たい愛で圭人を愛しているのだと、嫌われないように必死なのだと、いっそ知って欲しい。

 運命のオメガに振り回されている今の香倉を知ったなら、自分の友人や過去の交際相手たちは皆驚くに違いないのだ。
 
「そっか。……疑ってごめん。史仁さんを信じるよ」

 考え込むようにしていた圭人だけれど、納得するものがあったらしい。
 顔を上げた圭人からは疑いの色がさっぱり消え去っていて、香倉はほっと胸を撫でおろした。

「信じてくれてありがとう。他にも何か気になる事があるなら、何でも聞いて。後ろめたいことは……まあ、その件では少しあったかもしれないけれど。全部ちゃんと正直に答えるから」

「聞きたいこと、か。……じゃあさ」

「うん」

「――俺の発情期がきたら、本当に傍にいてくれる?」

 一瞬、耳を疑った。あまりに予想外の方向から質問がきて、頭がフリーズする。
 喜びはやや遅れてじわじわと湧いてきた。

(……本当に?)

 夢でも見ているようなふわふわとした現実感。圭人の手を握り、力強く答えた。

「必ず傍にいる。何をおいてでも」

「……仕事が忙しくても? 来てくれる?」

 見上げてくる彼に、力強く頷く。

「何があっても休みをもぎ取るよ。そのために最近、仕事を変えようと思っていて――」

 その時、構内に轟音が響き渡った。すぐ下の線路を通過する列車の音。
 掻き消された自分の言葉を聞き返されて、なんとなく香倉は誤魔化してしまった。
 まだ来ないヒートのために転職すると伝えるのは、やはり重すぎる気がして。
 
「……休みでも、まだこれからも会えない日が続きそうなのかな」

 圭人にそう問われて、香倉は再び迷った。
 自分も会いたいし、本当は時間もつくれる。
 でも以前のように、圭人に頻繁に会いながら耐え続けることは不可能だとわかっていた。
 
(怯えさせるわけにはいかない……ヒートまでは、せめて)
 
 今夜だって医師の忠告を無視して抑制剤を飲んできている。余裕のなさは自分が一番わかっている。
 
「そうだな、まだしばらくは……。……休日の接待がね、詰まってるんだ。今まではこんなことはなかったんだが」

 誠実に答えようと思っていたのに、嘘が混ざっていく。

「……そっか。忙しいんだ」

「ああ……ごめん」

「じゃあさ。最後に一つ、お願いしたいことがあるんだけどさ」

「うん、何かな」

「この首輪、一度外してもらえないかな?」
 
 言われたことの意味が、最初、頭に入ってこなかった。
 
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