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エピローグ①
しおりを挟むサンルームには暖かな春の陽射しが降り注いでいた。
白いレースカーテンがゆらゆらと揺れて、まだ肌寒さの入り混じる三月の風と戯れている。
開け放した窓の向こうにはサロン自慢の庭園が広がっていて、雪の溶けた花壇には水仙やチューリップ、パンジーといった春の花々が所狭しと植えられている。
「そっちの準備はどうー? あと一時間で柊木さんが来ちゃうんだけどさっ」
扉の向こうからひょっこりと顔を覗かせたオメガの美青年が、サンルームにいる面々へと声をかけてくる。
「もうすぐ終わる予定! 次はどこをやればいい?」
机を拭く圭人の後ろで、色とりどりのクッションをソファに並べ直していた九藤が元気よく返事をした。
顔馴染みのサロンスタッフの指示のもと数人で進めていたサンルーム内の掃除と飾り付けは、もうすぐ終わりそうだった。
「これから注文してた料理が届くはずだから、二人くらい一緒に運ぶのを手伝って欲しいかな」
「俺もう終わるから、行くよ」
「あ、ぼくも今終わったから手伝います!」
圭人とともに名乗り出たオメガは若い。
まだ高校生だという溌剌としたオメガの少年と連れ立って、 圭人はサンルームを出て長い回廊を歩いていく。
「サロンの奥にこんな素敵な場所があったなんて、ぼく知らなかったです」
「俺もだよ。こんなところまで廊下が続いていたんだね。準備もみんな気合が入ってるし、柊木さんも喜んでくれるといいよね」
頷きあって、エントランスへと向かう歩調を早めた。
今日はサロンが所持する敷地内にありながらも滅多に開放されないという特別な場所を貸し切って、特別なパーティが催されるのだ。
先月サロンで発生した例の事件は、国内のみならず海外でも大きく報道された。
センセーショナルな報道は世間の関心を集めた。事件の経緯や犯人たちの素性よりも、大勢のオメガ性の人間が一堂に会していたという点が問題視され、議論の的となった。
若いアルファの犯人も悪いがオメガ連中も悪い、リスク承知で集まっていたオメガの自業自得、いやオメガにも楽しむ場と権利はあるべきだ、社交場からオメガを弾き出している風潮にそもそも問題はないのか……等々、多種多様な立場や職種のコメンテーターが意見を交わし合うテレビ討論なども一時増えた。
パーティを主催していたオメガサロンは大きな批判を浴びることとなり、事件以降は閉鎖状態が続いている。
あの日あの会場でバレンタインパーティに参加していたオメガたちはひっそりと息を潜め、嵐が過ぎ去るのを静かに待っている者が多かった。
サロンが閉鎖してからは顔馴染みとなったオメガの知人たちにも会えずにいたが、九藤は時々連絡を取り合っていたらしい。
事件の際に活躍した柊木が近いうちに海外に引っ越すことになったそうで、その前に送別会を兼ねた結婚お祝い会をしようという話になったのだとか。
「大活躍だったんだってね、柊木さん」
主役が登場したコリドーには桜の花びらに見立てた紙吹雪が次々に舞い上がり、明るい祝福の声が飛び交っている。
桃色の紙片に彩られ嬉しそうに応える柊木の後ろ姿を眺めながら小声で呟くと、九藤は大きく頷いた。
「まさか犯人を仕留めちゃうとはね~」
事件の日、パーティ会場に残っていた柊木は、あの後犯人であるアルファたちと直接対峙し、見事返り討ちにしたらしい。
アルファのフェロモンが効かないオメガ性のゲストが柊木以外にも複数人いたようで、彼らもまた空き瓶や椅子など手に取れるものを何でもかんでも持ち出して、柊木を援護しつつ応戦したそうだ。
アルファとオメガ双方のフェロモンが施設内に充満していたことも影響してか警察の突入が遅れたものの、アルファ数人を一蹴して仲間を守った美人オメガというのが世間的にも注目を浴びて、より報道に拍車をかけたという経緯がある。
「柊木さん、取材の申し込みも沢山されたらしいよ」
「まじで?」
「だってさ、オメガのヒーローだよ? そりゃみんな話を聞きたいって思うよね。――でも旦那さんに全部却下されたんだって」
「あー……。まあ、そっか。柊木さんのインタビュー、俺も見たかったなあ」
ちらりと恋人の顔が脳裏によぎって、圭人は思わず苦笑した。
柊木の番のアルファも、所謂アルファらしい判断を下したということだ。
柊木の華々しい姿が見られないのは勿体ない気もするが、番を得たアルファというのは一般的に支配欲や独占欲が増大するものらしいので。
「圭人、いま香倉さんのこと考えてたでしょ」
「え、いや別に」
「いま絶対考えてたじゃんっ。……あのさ、話のついでだし一応言うけど、アルファはただ独占欲が強いだけじゃないんだからね?」
「……というと?」
首を傾げた圭人に、「まだわかってないの?」と九藤は呆れたように溜め息をついた。
「アルファにとっては、意中のオメガ……特に番関係にあるオメガは彼らの弱点になるんだよ。アルファがオメガを囲いたがるのは、自分の弱点を世間に晒さないためでもあるんだよね」
「弱点か……え、それってもしかしてあの写真のこと言ってる?」
「当たり前でしょ!? 共犯の僕が言うのもあれだけど、圭人も自覚しなよ? きみってとっくに香倉さんの弱点なんだ。兄貴みたいな悪どいアルファに利用されたくなかったら、きみがガードを固めないとっ!」
圭人は再び苦く笑って、「肝に銘じます」と親友に誓った。
回廊を抜けた先にあるサンルームに移動して、乾杯をして。
久しぶりに顔を合わせることができたオメガたちは、食事もそこそこに、あちらこちらで話に花を咲かせている。
室内の様子を眺めながら壁際でグラスを傾けていた圭人は、ふと最近ずっと気になっていたことを思い出した。
隣でショートケーキの苺を頬張ったばかりの九藤に、「そういえばさ」と切り出してみる。
「史仁さんがお兄さんと面識があるって、ノゾムはいつから気付いてたんだ?」
「……この僕が、隙だらけのきみに得体の知れないアルファを勧めると思うの? 圭人の番かもってわかった時点で、あの人の人となりは一応兄貴に確認したよ」
「てことは、まさか最初から……?」
「まあね。アルファは番を定めたら粘着質だから面倒だけど、きみが本気で香倉さんを拒否する場合は手を貸してもいいとは思ってた。だから敢えて言わずにいたんだよ」
圭人は思わず天井を仰ぎ、顔を覆った。
「……やば。俺やっぱノゾムに惚れるしかなくない? めっちゃ男前じゃんか……」
「きみ、恩人に仇で返す気なの? やめてよね、あの人の嫉妬とかめちゃくちゃ怖い!」
「……なんでそこまでしてくれたんだ?」
「……秘密。ていうかただの慈善活動だよ。徳を積んでおけば、いつかは僕もオメガの神様に愛されるかなって」
小ぶりのケーキはあっという間に九藤の胃袋へと消えていった。
ちょうどその時、「集合写真を撮りまーす」と大きく呼びかける声があって、二人そろって写真撮影の輪に加わった。
ひとしきり撮影が終わったところで、圭人は花冠を頭にのせた柊木に弾んだ声色で肩を叩かれた。
「圭くんもついに番になったんでしょ? おめでとう!」
「ありがとうございます。ノゾムに聞いたんですか?」
「まあね。ふふっ、これで心置きなく私も旅立てるよ。本当に良かった!」
圭人と柊木の会話を聞きつけたのか、周囲にいた美少年たちがわあっと色めき立つ。
「そうなの!? 例のアルファの人と? ぼくにも誰か紹介してよっ」
「おめでとー!」
「うわぁ、おめでた続きじゃん! ぼくも幸せになりたーい!」
祝福と羨望の言葉を次々に投げかけられて、急に注目を浴びた圭人は、はにかんだ笑顔で応じながらも少々たじろいだ。
そのうちに誰かが「噛み跡が見たい!」と言い出したので、慌ててタートルネックニットの項部分を両手で隠して懸命に死守した。
「ちょ、それだけは勘弁してください……っ」
「えー! 何で隠すの! 噛み跡なんて見せびらかしてなんぼでしょ!」
「そうだそうだー! えーいっ」
目の保養になるレベルの美貌を持っていようと、周囲にいるのは全員男だ。オメガでもそれなりに力が強い。
必死の防衛もむなしく、圭人はあっさりとタートルネックを引き下げられて、首筋を晒された。
圭人の項に注目が集まって、一瞬その場がしんとなった。
「うわ、思ったより生々しいというか……ケダモノ?」
「……これさ、一体どれが本物の噛み痕なの? 圭くんったら何回噛ませたの?」
「これは夢が壊れるような」
「確認だけど、無理矢理噛まれたんじゃないよね? 同意の上で番になったんだよね?」
と、美少年たちが口々に好き勝手言うので、圭人は羽交い締めにされたまま、赤面するしかなかった。
少し遅れて圭人の項を覗き込んできた柊木は、そこに刻まれているであろう幾重もの噛み跡を見るなり、「圭くん愛されてるね! 私ももっと精進しなきゃ~」と腹を抱えて爆笑している。
一連の騒動を離れた場所で見守っていた九藤はというと、盛大に呆れた様子で首を振っていた。
……あの一夜の後も色々あった経緯を、親友である彼はすべて知っているので。
美少年の集団から解放されて、よろよろと壁際に戻ってきた圭人に対し、半眼の九藤は溜め息とともに言い放った。
「圭人、その噛み跡は完全にきみの自業自得だからね? ――まったく、きみってばいつまでもオメガ初心者なんだから」
いずれ花開く日を待つ蕾たちの上に、春の陽射しは静かに降り注ぐ。
冬の嵐に晒され続けるサロンにも、今日だけはいつまでも賑やかな笑い声が満ちていた。
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