喫茶「のばら」

冬村蜜柑

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第一章

ランチの時間です(そのニ)

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 そして、今日もサフィロの街のお役所にありがたい昼食の時間がやってきた。

 書類仕事に熱中していたリセウスもいつもと同じように先輩に声を掛けてもらって、いつもと同じように庁舎の外へと出る。
 


 行く先は今日も、喫茶「のばら」と決めてある。

 正直言って「のばら」は、他の料理店や食べ物を出す屋台などに比べると、価格設定がぐっと高いことは否めない。
 かつてのような木っ端平役人を脱出し、今ではちょっとした人数のグループをまとめるお役目を任されているリセウスにとっても、いまだにそれは高額であることには変わりがない。
 リセウスの場合は「のばら」の支払いで、安くても銀貨一枚と銅貨が何枚かは必ず財布から出ていくし、うっかり調子に乗って良いものを注文をすると銀貨二枚は財布からいなくなってしまう。
 このあたりではまだまた珍しい存在である紅茶に、そこらの屋台では食べられないような美味い食事、それらを合わせた対価であるので、ごくごく正当でまっとうでむしろ安いぐらいだ。
 とはいえ、リセウスの給金では「のばら」通いは本当は贅沢なことである。
「といってもなぁ、ボクは特にこれと言った趣味もないし。ま、いいよねこのぐらいの楽しみは。本当はもうちょい貯めないといけないんだろうけどさ」
 そんな独り言を言いながら、なんでもない平凡な通りを早足で、しかし今日は目的地をうっかり通り過ぎることないように行く。
 やがて見えてくる白い壁に青い屋根の建物、喫茶「のばら」だ。
 たてかけられた黒板に「開店中です」とあるのをみて、両開き扉を開けようと
 したところで、黒板に何か他にも書いてあるのが見えたので、ちゃんと文字を見直してみる。
 
 喫茶「のばら」 開店中です。
 明日は、誠に勝手ながら臨時休業とさせていただきます。ご容赦ください。

「……明日はお休みなのかぁ」
 明日の昼食はどうしよう。他の店に行くか、弁当こしらえるか、今日のうちから考えとかないとな。
 そんな風に、いつもよりちょっとだけしおれつつも、扉の右側を開けて入り、今日も今日とてリセウスは「のばら」の客となった。



 店内は、明日に臨時休業を控えているせいなのか、それともたまたまそうなったのか、昨日より人が多いぐらいだ。
 今日はカウンター席がタイミングよく空いているような幸運も無かったため、「のばら」の奥さんに相席などでも構わないから早めに座れるようにしてほしいとお願いして、店内で待つ。
 暇つぶしに頭の中で数を数えていたら、三百になるすこし前ぐらいにカウンター席に案内されることになった。
 あともう少しで大台だったんだけどなぁ、なんてことを考えつつ、メニューの紙を受け取る。
 混み合っているし、今日は早目に注文を決めてしまうことにしよう。それも、手早く出せてもらえそうで、急いで食べられるようなのがよさそうだ、と常連きどりで店にも他の客にも配慮してみることにする。
 リセウスはざっくりと今日黒板に書かれいるメニューに目を通す。
 ――チーズのサンドイッチ(ブルーチーズ)
 という箇所で目を止める。
 ブルーチーズは、この街の近くにある酪農が盛んな村でつくられているもの、らしかった。
 そこの村のチーズは以前食べたことがあるが、リセウスには好みだった。ついでにいうと、ブルーチーズが苦手でもなく、むしろ好きな分類。
 価格設定から判断して盛り付けられている量は少ないだろうが、今日は下宿先のおかみさんが朝食を豪快なメニューにしてくれたおかげで、リセウスは今の時間でもそれほどの空腹感はない。ちょうどいいだろう。
 よし、これだ。となると、ブルーチーズに合いそうなのは紅茶はなんだろうか、とドリンクのメニューに目を落とす。
 ブルーチーズ、くせの強いチーズ……ここは紅茶の優等生的なテンプールベルか、ニュートラルで尖った個性のないアズラク……いや、違う。ここはあえて、この方向性は潰していく!
 産地別の紅茶の名前と価格が書かれた箇所から視線を移動、フレーバーティーやスパイスブレンドティーの名前が並んだ箇所へ。
 ……この際だ、とことん個性には個性をぶつけにいこう。
 フレーバーティー……林檎にレモンに苺、それに桃、オレンジ、違う、これらではなく、そう、これだ、これがいい。

「店主さん、注文大丈夫かな?」
「おや、今日は決めるのが早いね。いつでもどうぞ」
「ブルーチーズのサンドイッチ。それに、ベルガモットのフレーバーティー、これは少しだけ温度を下げてお願いします」
「そう来たか。ご注文、承ったよ」
 店主のアルフは口元だけでにやりと笑ってみせた。手元では紅茶を淹れながらである。まったく、器用なひとだ。


 注文を終えて、ほっとひといきつく。
 ふと、リセウスは店の壁を見る。そこには絵が飾られていた。
 この店に飾られているちゃんとした絵の具をつかって描かれているものとは明らかに違う、木炭筆かなにかで羊皮紙に描かれているらしい、黒と白だけのその絵。
 芸術は無縁だし、絵心もないリセウスではあるが、この絵はいいと思っている。
 この絵、というか……この絵に描かれている、若い女性がリセウスの好みだった。
 リセウスは心の中で、描かれている女性を「肖像画の君」と呼んでいた。絵の中にしか存在しない、リセウスの理想を描きあらわしたかのような女性。あまりにもそのまますぎる名付けのセンスだが、こういうロマンティックな方向の才能などはないためにこれが限界だったというわけだ。
 あまりじろじろとそれをみるのも恥ずかしいな、という考えのもと、その絵だけをじろじろ見たりはしない。ちらり、とほかのテーブルを眺めたり、他の絵もみたり、そういった動きも交えながらだった。
 ……店主には、そんなのとっくにばれていそうな気もするが。

「はい、お待ちどうさま。ブルーチーズのサンドイッチにベルガモットフレーバーティー、ちゃんとチーズに合う温度に下げておいたから」
 そんな声とともに、カウンターの向こうから差し出されるサンドイッチの皿と、紅茶の入ったカップ。
「……おっ、と。ありがとうございます。いただきます」
 早速、サンドイッチを手にする。使われているパンはサフィーリの万年雪のような白さで、指がどこまでも沈み込んでいきそうなしっとりとした柔らかさだ。中には、ブルーチーズにバターかなにかを混ぜ込んだらしいものが、贅沢にも分厚く塗られている。
 そのままぱくり、と一口。
 パンの甘さに覆われた、ブルーチーズの鋭い香りと濃厚な旨み。独特のざらついた舌触り。
 人によってはワインが欲しくなるような味だろう。だが、下戸のリセウスには紅茶のほうがいい。
 というわけで、チーズの旨みが口の中に残っているうちに、ベルガモットフレーバーティーを流し込んでやる。あらかじめ温度が少し下げられているので、ぐいっと飲めてしまう。
「……!」
 個性と個性のぶつかり合い、これって、良いんじゃないか……?
 いや、これは全然有りだ。
 うん。有り。
 百点満点で言うなら八十八点ぐらい、いや、もしかしたらこれは……九十点にも届く勢い。
「ベルガモットフレーバーはミルク無しだけじゃなくミルク入りのも、ブルーチーズに合うよ」
 何気なくかけられた店主の声に、なるほど、そういうのもあるのかと、うなづきながら、リセウスはどんどんサンドイッチを平らげていったのだった。




 喫茶「のばら」から庁舎へ戻る間、明日の昼食をどうしようかと考える。
 気が進まないが、自分で簡単なものでいいから弁当をつくろう。買い置きの食材を使えば節約にもなりそうだし。うん、簡単なものでいい。自分で作ろう。うん。
 そう、言い聞かせながら。


 


 次の日。
「はい、昼食の時間ですよ、リセウス君」
「え……あー……うん、来ちゃいましたか、この時間……」
 いつものように先輩に背後から軽く肩を叩かれるとともに声をかけられた。
「なんだいなんだい、元気ないねぇ今日は。せっかくのありがたいありたがい昼食のお時間だというのに」
「ありがたくないんですよ、今日は。今日に限っては。ボク、今日は弁当持参なんですが」
「リセウス君、以前料理は苦手だと言ってなかったかな?」
「その通りです……しかも、その、自作するような朝の時間もとれなくて」
 リセウスは、大きさだけが取り柄のような布かばんから、麻布の包みを取り出す。
 広げると、そこには、切ってすらいないパンが鎮座していた。
 そう、パン“だけ”が。
「……お弁当?」
「おべんと、う……」
 なぜかかわいらしく首をかしげたポーズで先輩が聞いてきたので、リセウスも同じように首をかしげて、言葉を返す。なんとか返せたが、最後の「う」は殆ど消え入りそうな声量である。
「リセウス君」
 いつになく、真剣な、先輩の声と瞳。
「な、何、ですか」

「今から庁舎に残っている弁当族を回ってきておかずを集めるよ。なぁに、ひとりからはちょっとずつでも、数が集まればそれなりの量になるだろう」

 というわけで、先輩のおかげで、リセウスの今日の昼食はかなりグレードアップしてしまった。
 恐れを知らぬ先輩は、上司たちにまでおかずをせびっていたので普段食べれないような上等な食材をつかったおかずまである。
 今食べている肉は、とっくに冷たくなっているというのにふっくらと柔らかく噛んでいるといつまでも肉汁があふれ……
「あ、それ代官さまからのだね。さすが、ここのトップというか正確にはトップ代行だけど、まぁそうなるとお人が違うねぇ、いちばんいいおかずくれたんだよ」

 ……なにそれあとがすごいこわいんですが。

 

 とにかく、こうしてリセウスは今日の昼食も終えたのだった。



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