喫茶「のばら」

冬村蜜柑

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第一章

ミント茶に砂糖(その四)

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 サーディクとウィラータの夫婦は大量の菓子類とミントティーとの注文を終えて、今度はのんびりと周囲を眺めてみる。

 大きなガラス壁の向こうに見える庭は、面積こそごくごく小さなものだったが、よく手入れがされていて、とても可愛らしく整っている。
 花壇の中にはどうやら西方のハーブの一種らしい、背の低い草がかなりの密度で生えていた。
 今は春にまだ少しばかり遠い寒い時期ということもあってなのか、あまり花は咲いていないのだが、ちょっと奥の方にはなやかで優美な真っ赤な薔薇が咲いているのが見えた。

 今度は店内へ目をやる。
 壁には黒髪の少女を描いた絵のほかにも、いくつか小さな額に収まった絵画が飾られていた。夫婦の見立てでは、あれらもなかなかにいい絵に見える。
 本棚には、大陸西方語でタイトルが書かれた本のほかに、北方語らしい文字や、東方語のような文字が書かれた本が並んでいる。もちろん、南方語で書かれた本だってある。
 銀髪の給仕娘と、もうひとりの風変わりなドレスを着たまっすぐな黒い髪の給仕娘とが、注文をとったり茶や菓子を運んだりとくるくるくるくると、華麗とすら言えるような身のこなしで店内を動き回る。
 裕福そうなドレスのご婦人たちはくすくすとお上品に笑いあい、粗末ではあるがきちんと洗濯されたシャツを着た男は子供のように目を輝かせてこの上なく美味そうに茶を飲み菓子を食らう。
 カウンター席では、絵を描き終えて休憩ということなのか、体格のいい画家男がモデルを務めていた少女と何かジャムの付いた焼き菓子を食べながら、談笑している。

 そこは、とても気持ちのいい空間だった。 

 そして、カウンターの中では、店主らしい黒髪の男性が、茶を淹れているようだった。……あれは、透明なガラスポットの中の茶水の色からして夫婦が注文したミントティー……ではないだろうか。
 予想は正しかったようで、その後すぐに夫婦のテーブルには、ミントティー入りのガラスポットと、ガラスのティーカップがふたつ運ばれてくる。
「ご注文のミントティーですー。当店ではスペアミントのドライハーブを使用しておりまーす。残りの品も出来次第すぐにお持ちしますねー」
 
 ポットから飾り気のないガラスのティーカップにミントティーを注ぐと、ガラスの中に閉じ込められていたミントの爽やかですっきりとした芳香が解き放たれ、ふんわりと広がる。
「おお……」
 その豊かな香りに、おもわずサーディクは感嘆の声をもらす。
 ここまでミントの香りを引き出した茶は、ミントティーが盛んに飲まれている夫婦の故郷の国でも、そうそう淹れられる者はいないのではないだろうか。
 この明るいガラス天井の下にあるテーブルで、ガラスカップに入ってきらきら輝くミントティーの茶水はかすかに緑かかった色合いで、とても美しい。

 ……さて、香りと色を堪能したら、つぎは味覚を満足させる番である。
 
「あなた、砂糖はこれの中のようですよ」
「ありがとう、さて」
 夫婦は、砂糖を備えつけのスプーンにすくって
 一杯
 二杯
 三杯
 四杯
 そして五杯
 カップについてきたスプーンでかき混ぜて砂糖をとかし、サーディクとウィラータはミントティーをいただく。
 口の中に広がる、涼しさを感じるようなすっきりとした爽やかさ、それと、どこまでも甘くて甘くて甘い懐かしいとすら言える甘味。
 が、カップの中身を半分ほど飲んだところで、サーディクとウィラータは異変に気が付いた。

 静寂である。
 店の中が、妙に静かすぎた。
 それに……客たちは、みな一様に、こちらをみて、目を大きく見開いている。信じられないものを見てしまった、というように。
 気まずい静寂が、店内の、そしてサーディクとウィラータの時間を凍り付かせている。
 
 やがて……常連らしい誰かが、ぽつりと発言した。
「砂糖、五杯……か……」
「紅茶でこれやってたら、店主さんが叩き出してたんじゃないかな……」
「いや、そこまで、は、そこまでは……」
「やりかねませんね」
「えぇ」
「私も同意」
「五杯、かぁ……」
 ――どうやら、自分たちはこの店の重大なルール違反をしてしまったようだ。
 ぼそぼそと、話す常連らしい客たちの言葉をつなぎ合わせると
 砂糖の入れすぎは茶の味を損なうために、多くてもスプーンに3杯まで
 という、暗黙の了解が存在していたようである。
 ……とはいえ、その見えざるルールを理解したはいいが、時すでに遅い。夫婦は、二人合わせて砂糖をスプーン十杯もいれて飲んでしまったのだから。
 
 ……気まずい……
 一体どうすればこの気まずさ満点の空気から抜け出せるか、と思案し始めた時、

「はいはいはーい、ご注文のザッハトルテ2皿にー、ミルフィーユと林檎のタルトタタンに白鳥シュークリームとドライフルーツパウンドケーキとクレームブリュレを一皿ずつー! あとは、こちらの焼き菓子の盛り合わせは当店からのサービスとなりますよー」
 からりと明るく氷をとかす温かい太陽の光のような声が店内に響く。
「南方の砂の多いとこではね、もー、とにかく暑いから、爽やかな風味のミントティーに体を冷やす効果のある砂糖をたーっぷり入れて飲むんだよー。そうすれば身も心も涼しくなれるってわけなのだよー」
「ははは! マレインちゃんは物知りだねぇ!」
「そりゃあ、生まれた場所のー風習ぐらいは、知ってるよー。あぁ、ちなみにだけどねー、北方ではきっついお酒をいれたお茶をねージャムを舐めながら飲むしー、東方の極東列島では豆を甘く味付けしたお菓子をねー砂糖を入れないとっても苦いお茶といっしょにいただくことでねー……」
 大陸のあちこちの風変わりな茶の飲み方を解説しはじめる、小麦色肌の給仕娘(どうも彼女はマレインという名前のようだ)は、客たちに愛嬌を振りまきながら、サーディクとウィラータのいる席の方向へウインクを投げてくる。
 二人を助けてくれた、らしい。
「……本当に気の利く娘さんだね」
「えぇ、それに頭もよくて可愛らしいし。あの娘さんの年齢はうちの末っ子息子と同じぐらいか少し上、かしらね」
「うちの末っ子坊主はどうもふわふわしているばかりでいざとなっても頼りないところがあるから、ああいう娘さんに支えてもらうというのもよさそうだな」
「うちの息子を気にいってもらえなければ、いちばん上の孫も、もうそろそろ十四歳になりますしね」

 そんなことを話し合いながら、夫婦はザッハトルテというケーキを食べる。
 それは、あのマレインという名の娘が言っていた通りで、ケーキ表面のチョコレートの層は、しゃりしゃりとした砂糖の感覚がある。それが口の中で甘くあまくとろけていくのがたまらない。
 すかさず、ミントティーを飲む。
 うっとりするような甘さで、口の中が楽園のようだった。
 他の菓子にも手を付けるが、どれも美味だ。
 きっといい砂糖を、そしていい菓子職人を使っているのだろう。

 ……なぜ、こんな街に、それなりに人口はあるとはいえ、このような海からも離れてよい砂糖や茶葉などなかなか運ばれてきそうにない、こんな場所で、こんな店が存在するのだろう……?

 そう思ったのはウィラータだけではなく、サーディクも同様のようだった。
 そこでさっそく、マレインを呼んで聞いてみる。
「んー、なんでなんでしょうかねぇー、前に聞いたところによるとー、店主はー、ここのお水が、おいしい紅茶を淹れるのにとても適しているとかなんとか、いってましたねー」
「そういえば、ここの水目当てに医者や料理人も訪れるとか聞いたような――」
 そこで、もう一人いる黒髪の給仕が、盆を手に近づいてくる。
「お客さん、お話中のところすみません。うちの店主が、ぜひとも紅茶をのんでもらいたいってことで、お客さんたちにサービスですよ。たくさん注文してもらっちゃったこともありますしね」
 盆の上には、南海の島々でよく見かけたのに似ている文様が色鮮やかにえがかれたカップが二つ。
「店主曰く「うちに来て、紅茶を飲まずに帰らせるわけにもいかないので、ね」とのことでしたよ」
 黒髪の給仕は、夫婦のテーブルにある空になった菓子皿をマレインと一緒に片付けてから、そっと、二つのティーカップを置いた。
「これはどうも」
「ありがとうございます」
 給仕たちに、それとカウンターにいる店主の方向に会釈し礼をいう。

 せっかくの店の好意であるため、夫婦は紅茶には、今度は砂糖をスプーンに1杯だけいれるにとどめておくことにした。

「……うまい、な」
「えぇ、これは……美味しいですね……甘いお菓子にもよく合います……」

 その紅茶を味わいながら、夫婦は明日もこの店に来ようと、決意するのだった。
 もちろん、この店の紅茶に入れる砂糖は一杯で、多くても三杯、というのも心に刻んだ。





 そうして……

 大陸南方でも一、二を争うと言われる豪商の中の豪商タジェル商会の大旦那と大おかみである夫婦は、このサフィロの街への滞在を予定よりも七日も延長することになるのであった。

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