14 / 88
春待つ花の章
その願いを護るために
しおりを挟むジルセウスは「その胸の白薔薇がしおれないうちにまた来るよ」という言葉を残し、茉莉花堂を出た。
リヴェルテイア家の立派な馬車が走り去ったのを、月星が姿を見せるときになってもぼんやりとメルは眺めていた。
「……中、入ろう」
だいぶ空気が冷えてきたことで、メルはようやく時間の経過を悟った。
冷たくなった手でのろのろと、もうとっくに閉店時間を過ぎている茉莉花堂のドアを戸締まりして、一階の台所でプリムローズおかみさんから小さいコップを借りて水を少しだけ汲んで、二階の自室に持っていく。
コップを机の上に置いてから、胸につけた白薔薇のはいったポージーを外す。
ポージーの中には水がまだはいっているらしくほんのかすかにちゃぷちゃぷと音がした。
メルは茎の短い白薔薇をポージーから慎重に取り外して、机の上のコップにいれて飾った。
多分、あの温室にあったということは薔薇としてかなり高貴な出なのだろう白薔薇は、茎を短く切られて安物の小さなコップに一輪だけで入っていてさえ、優美さを保っていた。
それからメルは、着ていたピンクのドレスをやや乱暴に脱ぎ捨てて、いつもより長くて重たいペチコートも外して軽い下着だけの姿になると、ベッドに倒れ込むようにして眠ってしまった。
「……メル、寝ちゃってる」
どこからか現れた髪も肌も服も白い人物が、これまた白い指先で、眠るメルの金色の髪をなでている。
「……もうすぐだよ、もうすぐだよ」
白い人物は、慈愛に満ちた――そして独占欲がほんの少しだけ混じった表情で、眠るメルを見つめている。
「メルの願いが叶うのは、もうすぐだよ。もうすぐ、だよ」
ベルグラード男爵家の使用人が、メアリーベルからの分厚い手紙を届けてくれたのはそれから二日後のことだった。
その時は、どういうお導きなのか、ユイハとユウハ、それにジルセウスが茉莉花堂に居合わせていた。
「例の子からの手紙か?」
ユイハがミルクたっぷりのモルグネ紅茶の入ったカップを、飲むわけでもなくゆらゆらさせながら聞いてくる。
「そうみたい、まずはカウンターで一人で読むね、内容が問題なかったら、みんなにも見せるから」
「僕達としては、見る分にはかまわないよ」
ジルセウスは、大きなほうの窓際にあるディスプレイをさっきからずっと角度を少しずつ変えては眺めている。
「読んでいる間も、メルの分のお菓子はちゃんと取っておいてあげるわね?」
ユウハは、ジルセウスが手土産として持ってきた新鮮な苺がたっぷりつかわれたミルフィーユを品のいい、しかし素早い動きでどんどん口に運んでいた。
「それじゃ、読んじゃうね」
幼さに見合う拙い文字で書かれた手紙は、まずは「茉莉花堂の店員さんのメルレーテ・ラプティさまへ」で始まっていた。
それからエヴェリアは元気にしていますか、と続く。手紙の前につくちょっとした前ふりの挨拶ようなものかと思ったのだが、その後の文章に目を丸くする。
『エヴェリアも一緒で、メルお姉さんと遠出がしたいのです。目的地は、私の実家の近くの村が見える丘です。本当は私は実家に一度戻りたかったのですが、おじさまとおばさまがいけないというのです。なぜ駄目なのか、なにかの理由があるようなのですが、教えてくれません。ただ、私が十五歳の成人を迎えたらちゃんと話そうと、約束してくれました』
この様子なら、メアリーベルは養父母とちゃんと話し合えているようだ。そのことにほっとはしたが、メアリーベル本人に話せない『理由』とはなんなのだろうか。
とりあえずまだ手紙は続いていたので、先を読む。
『もしも来ていただけるなら、メルお姉さんのお友達の方が一緒でもいいそうです。メルさんのお友達のひとなら、私も仲良くなれそうですし。あ、でもこの間の黒髪の貴公子さまはちょっとだけ怖かったです』
そして手紙は、自分の故郷がどんなところなのか、実家の近くにある山や林、泉のことなどが書かれている。そして結びの挨拶で、手紙は終わった――のだが……まだまだ、便箋はある。
追伸が長くなってしまったりしたのだろうか、とメルは軽く考えながら、次の便箋を手にとり――
「みんな、これ……見てくれるかな……」
内容を読み終わったメルは、それだけを震える声でようやく言い終え、カウンターに突っ伏した。
「メル?」
「……メル、どうしたっていうのよ?」
ユイハとユウハが心配そうにカウンターの前に駆け寄って心配そうに覗き込む。
「ふむ、ただ事ではなさそうだとは思ってはいたのだが……」
ぱさり、と便箋をめくる音がした。ジルセウスが手紙を読んでいるのだ。
「これは、ベルグラード男爵からの手紙か……これは……なるほど、あの少女に今、真相を伝えるのは、あまりに酷というものだね……それにしても男爵たちもやりかたが不器用なことだ」
ジルセウスはため息混じりにそう言って、手紙をユイハとユウハに差し出した。
「ユイハ、ユウハ、それにジルセウス様……せめて、せめてメアリーベルに故郷の近くまででも、行かせてあげよう。そしてその記憶が、楽しかったものであってほしいの、だから……」
のろのろと、カウンターに突っ伏していた顔をあげて、それからまたカウンターに頭がつくんじゃないかというほどに頭を下げて、メルは三人へお願いする。
「メル、みなまで言わないでくれるかい?」
「そうよ、頭をあげてちょうだいな」
顔をあげると、ユイハとユウハがそっくり同じ顔だけど違うやりかたで笑みを浮かべていた。その笑みは、とても頼もしい。
ジルセウスが、芝居がかった優美な動きで軽く礼をしながら言う。
「さぁ行こうか。君の――そして幼くかよわい少女の――その願いを護るために」
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
帰らなければ良かった
jun
恋愛
ファルコン騎士団のシシリー・フォードが帰宅すると、婚約者で同じファルコン騎士団の副隊長のブライアン・ハワードが、ベッドで寝ていた…女と裸で。
傷付いたシシリーと傷付けたブライアン…
何故ブライアンは溺愛していたシシリーを裏切ったのか。
*性被害、レイプなどの言葉が出てきます。
気になる方はお避け下さい。
・8/1 長編に変更しました。
・8/16 本編完結しました。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!
ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、
1年以内に妊娠そして出産。
跡継ぎを産んで女主人以上の
役割を果たしていたし、
円満だと思っていた。
夫の本音を聞くまでは。
そして息子が他人に思えた。
いてもいなくてもいい存在?萎んだ花?
分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。
* 作り話です
* 完結保証付き
* 暇つぶしにどうぞ
【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる