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激動の今を生きる
第330話 悠久の機甲歩兵
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コロリ、とマンネンヒツが机を転がった。
人とは簡単に慣れるものらしい。帰ってきて早々は、あれほど懐かしく思えていた家の空気も自分の部屋も、今ではまた当たり前に感じられ、何事もなかったかのような暮らしに小さくため息が漏れる。
――戦争が全てじゃない。人生は続いていく。私たちに大事なのはこれからの事。
冬の寒さが抜け、暖かい日差しの差し込む窓に立ち、使い慣れたポンチョを羽織った。
「シューニャぁ? そろそろ出発ッスよぉ?」
「ん、すぐ行く」
アポロニアの声に急かされ、私は部屋を出た。
全てのことに実感がない。それでも階段を駆け下りれば、足には衝撃も伝わってくるし、手すりを撫でる手には滑らかな感触が伝わってくる。
これが現実だ。どんな悲劇があっても、終わりの先で私が生きている証。
玄関には既に、同じ家で暮らす女性たちが集まっていた。
「あっ、来た来た。また例の書き物でもしていたのかしら?」
「ごめん。考え始めると、陽が動くのを忘れてしまう」
だろうと思った、とマオリィネは苦笑する。
彼女の活躍はエデュアルトを通じてエルフリィナ女王へ伝えられ、その大きな勲功からトリシュナー家は伯爵家への陞爵《しょうしゃく》が行われた。
しかし、当主であるマオリィネの父は、アチカ近郊が戦災を免れていることを理由に、国難未だ去らずと他に示された褒美の一切を固辞したという。どこから流れたのかは知らないが、それが噂として市井へ広がったらしく、ユライアシティでは人気を博していた。
当のマオリィネについては、生活上で特に変わった様子もなし。肩書きで言えば、エルフリィナ女王直々に、私たちへの特別連絡役とやらを拝命したとは聞いている。
また、相手がリロイストン首長国という違いはあれど、王都への残留を決めたウィラミットも、同じお役目を担うこととなっているらしい。
尤もマオリィネは、今までに貰えた肩書きで1番嬉しいかも、などと言ってと拳を握っていたが。
「まぁ、シューニャらしいッスよね。髪の毛が跳ねてることにも気づいてないくらいッスから」
「ん゛っ!? どこ!?」
まさかと思い、あたふたと後ろ頭に手を回せば、プッ、とアポロニアは噴き出した。
その一瞬で気付く。どうやらからかわれたらしい。
「アッハハハ、冗談ッスよぉ! おめかしに気を遣うようになって、シューニャも乙女に――ぁキャンッ!?」
「やっぱりありました。ほら、尻尾に枝毛。アポロニアだって人の事言えませんよ」
「ちょ、ちょぉ!? ファティマ最近、気安くないッスか!?」
「気のせいでは? ボクは変わったつもりなんてありませんしー」
顔を真っ赤にして苦情を訴えるアポロニアに対し、ファティマはぼんやりした表情のまま、ツンとそっぽを向く。
相変わらず些細なことで口論となり、ドタバタ暴れまわっては、誰かに纏めて叱られる。そんなやり取りこそ変わらないものの、2人の距離は随分近づいたように思う。
それを最近強く感じたのは、私がお風呂に洗濯物を忘れた時である。それを取りに戻ると、なんと彼女らが揃って入浴していたのだ。それも、ファティマがアポロニアの背中と尻尾を流しているという、少々考えられない恰好で。
何やら、これは違うんスよ、とか、偶然一緒になっただけで、とか色々言っていたが、慌てて照れている2人はなんだか微笑ましく、羨ましかった。
「アポロ姉ちゃんのしっぽ、フカフカできもちいいもんねー。でも、ファティ姉ちゃんのもフワフワしてて、わたしはすきだよー」
「ふにゃっ、にゃははっ!? ぽ、ポーちゃん、くすぐったいですよぉ! 尻尾は大事なんですからね!」
「貴女、自分もやっておいてそれはないでしょ……」
「わっしゃわっしゃ、さかなでー」
「うななななななななな、そそそそれダメです! ゾワゾワが止まりません! シューニャぁ、助けてくださいぃ」
姉たちに囲まれて楽しそうに笑うポラリスだが、このところの成長には目を見張るものがある。
魔術の制御はもちろん、現代と神代双方の勉強を毎日欠かさず行い、その上でタマクシゲのホウシュとしても訓練を重ね、挙句はコウテツに乗ってみたいとまで言いだす始末。今の知識を教える私やマオリィネはともかくとして、これに付きまとわれるダマルは、流石にどうしたものかと困り果てていた。
何が彼女をそこまでさせるのか。ポラリスは困ったように笑うだけで語ろうとしない。
ただ、先の厳しい戦いと失われていく者の姿が、幼い瞳に決意を抱かせたのは確かだろう。私は彼女が望む限り、自らの持つ全てを教えていくつもりだし、その成長が楽しみでもある。
「おぉい、いつまで玄関でモタついてんだお前ら」
そう言って玄関から顔を覗かせたのは、相変わらず真っ白の髑髏頭である。
あの日、アンノウンを前に突如原因不明の不調に襲われたダマルだが、討伐後はこれと言った不調もないらしい。
ただ、元気であったればこそ仕事から逃れられず、タマクシゲの代表代理として各方面への重要な打ち合わせに鎧姿で走り回り、また、失われた自分たちの戦力を復旧するために毎日どこかへ出かけていく始末。
おかげで帰ってきたというのに、中々ジークルーンと一緒に過ごす時間が作れず、珍しく家に居る時は、さぁびすざんぎょうなんて滅びちまえ、とよく叫んでいた。
それが何とか落ち着いたのが10日ほど前。
ただ、多忙の中でこの骸骨はまた何か企み事をしていたらしい。私たちが出かけようとしている理由が正しくそれだ。
「形式上とはいえ、これが夜光協会の初陣になるんだぜ? 初っ端からクライアント待たせんのは、流石に笑えねぇぞ」
はーい、という間延びした返事と共に、皆は押し開いた玄関扉を抜けてタマクシゲへ入っていく。
その車体に描かれた、髑髏と流れ星の旗印。
どこの国家や組織にも属さず種族文化も問わず、一切平等に取引を行う神代に関する総合専門組織。目的は失われた技術の回収と再生、またそれらに起因した災害等の問題解決を図るテクニカの上位互換組織だと、発案者のダマルは豪語した。
その初陣が旧オン・ダ・ノーラ神国領であることを思えば、穏やかならざる組織であることは誤魔化しようもないが。
定位置となった運転席に腰を下ろし、椅子を少し前後させて足の感覚を確かめ、円形のハンドルを握る。皆も各々の定位置に収まっただろうか。
大体出発準備が整ったところで、ガリとムセンが鳴った。
『こちらノルフェン。予定していた試験飛行を完了。これより玄関前に帰還する。周囲の人員は注意してくれ』
ドォ、と音を立て、滑るように着地してくる赤いまきな。
アラン・シャップロン。新たに加わった機甲歩兵の青年は、今日に至るまでで随分私たちに馴染んだように思う。
私と似て、感情表現はあまり得意ではないらしく、口数も多い方ではない。それでも打ち解けてくれば、中々親しみやすい性格をしていることが分かってきた。
というのも、彼は難しい顔をしていながら案外照れ屋であるらしい。毎日の入浴という私たちには根付いてしまった神代の文化に対し、裸など見せられるかと顔を真っ赤にして逃げだしたのが運の尽き。我が家において清潔は義務と叫ぶアポロニアと、過剰な反応を面白がったポラリスに家中追い掛け回され、体力が尽きたところで掴まって上衣をひん剥かれた挙句、最後はキャーと叫びながら風呂場に叩きこまれてしまったのだ。
身体の汚れを湯で流せるなど贅沢の極みなので、アポロニアの言い分は私にも理解できる。
しかし、必死の形相で逃げ回る彼の姿を、心の中でも笑いそうになってしまったことは、申し訳なく思う。
「装甲の修理にちょっと手間取ったが、ノルフェンの状態はどうだ?」
『流石に本物の整備は違うな。以前よりもかなり反応がよくなっている』
「ったりめぇだろが。オートメックなんかと比べんじゃねぇ――痛ぇ!? なんだこらサラマンカ! この自走方墳が、人の足に静電気くれやがって! この俺とやろうってのか、おぉん!?」
パシナについてもそうだが、おーとめっく、という機械に関して、私はよくわかっていない。
ただ、どうにも生物のような自我があるらしく、カクカクした特徴的なサラマンカは、ダマルに明らかな対抗意識を燃やしていた。
その姿がなんとなく可愛く見えるのは、私がおかしいのだろうか。
などど思っていた矢先のこと。
『帰ってきて早々喧嘩とは、中々の歓迎だなダマル』
ムセンから漏れ出たため息のような声に、私の肩はビクリと揺れた。
同時に、全員が揃って顔を上げたのは言うまでもない。
私は弾かれたようにウンテンセキの天井を開け、背もたれを足掛かりにタマクシゲの上によじ登る。ホウトウの上には既に、ファティマとアポロニアの姿があり、後ろの扉からは目を丸くしたマオリィネとポラリスが顔を覗かせていた。
――聞き間違いなんかじゃない。本当に!
目に眩しく映ったのは、晴天の空を背に、溶けるような青。それは陽の光に影さえ落としながら、甲高い音を激しく響かせ駆けていく。
『ノルフェン、我が家までのエスコート感謝する。ついでで申し訳ないが、着陸地点の安全確保も頼むよ』
『ノルフェン了解』
無線の聞き慣れた声がそう告げると、青い人型は森の上で翻り、白い雲を引高く高く昇っていった。しかし、私の指先に隠れたかと思えば、次の瞬間には木の葉のように落下しはじめ、勢いそのままに私たちの頭上スレスレを通り過ぎた。
舞い遊ぶ風にキャスケット帽を押さえる。けれど、その姿を見失うことはない。
「ヒスイ……キョウイチ……!?」
「おーおー。あっちも人機共々見てくれは良さそうだな。4割くらい尖晶のパーツになっちまったが、あの様子なら、ガラクタ搔き集めながらガーデンに通いつめた甲斐もあったって言えるか」
「はぁ!? ダマルさんがここんとこ出突っ張りだったのって、まさか1人で司書の谷に通ってたんスか!? ズルいッス!」
「そーですよ! ボクだって行きたかったのに!」
意外過ぎる事実に、アポロニアとファティマは身を乗り出して叫ぶ。故郷の名が唐突に出てきたことで、私もポカンと口を開けてしまった。
だが、それだけではない。ガーデンにはキョウイチが運び込まれていたのだ。
寝台で目を閉じたあの日以来、一度も瞼を揺らすことなくずっと眠り続ける彼に、私たちでは手の施しようがなく、ダマルは頼みの綱としてリッゲンバッハに連絡をとった。
クロウドン災禍の顛末とキョウイチの容態を聞いた平たい老爺は、1にも2にもなくがぁでんへと運び込むよう告げ、彼の身体は司書の谷へと戻る姉とパシナに託されたのである。
それ以来、後処理に追われる私たちは、彼を見舞うことすら叶わなず、だからこそダマルの発言は信じられないものだった。
しかし、骸骨にとって私たちの反応は想像通りだったらしい。白い手を振ってカタカタと笑っていた。
「お前らがそう言うと思ったから、わざわざ黙ってたんだろうが。まだ状況も落ち着いてねぇ以上、こっちをもぬけの殻にもできねぇし、誰かだけ連れていくってのも役割上どうしたって偏るから不公平になっちまう。ま、恋人の御帰還サプライズってことで、一切許してくれや。カカ――ア゜ッ!」
「何がさぷらいずですか! ボク、ホントに不安だったんですからね!」
「自分たちが! どんな気持ちで! ご主人を待ってたか! わからないとは言わせないッスよぉ!」
「そーだそーだ! ダマル兄ちゃん、そういうのオセッカイっていうんだぞー!」
「言い分は理解できるわ。それでも、説明くらいしてくれたって、罰は当たらなかったんじゃないかしらね……?」
空しく響く、解体されゆく骸骨の声。ノルフェンに包まれたままのアランは、何事かとそれを一瞥するや、無情にもふいと顔を背けていた。
皆から激しいお仕置きを受けているなら、わざわざ自分まで加わる必要はないかと、ため息を1つ。代わりに私は空を見上げる。
ゆっくりと降りてくる青い機体。そこに激しく傷ついたあの日の面影はない。
「おかえり、キョウイチ」
いつの間にか、置いてけぼりになっていたファティのムセンを拾い上げ、小さく呟く。声が震えていないか、少しだけ心配だった。
『ただいま、シューニャ』
優しい返事に、胸がじわりと熱くなる。
何を話そう。何をしよう。目の前に現れた時に限って、やりたいことは中々纏まらない。
とりあえず、怪我の具合から聞いてみようか。その後は何かうまく理由をつけて、いや、何も無くてもいいから誰より早く彼に触れたい。はしたないことを考えている自覚はあるけど、こんな時くらい人目を気にせず自分に素直になったっていいハズだ。
それから、それからと頭で色々考えて、やめた。
焦る必要なんて、どこにもない。
彼はもう、この短い手で触れられるところまで、帰ってきてくれているのだから。
私の、私たちの愛する悠久の機甲歩兵は、もうすぐそこまで。
悠久の機甲歩兵 完
人とは簡単に慣れるものらしい。帰ってきて早々は、あれほど懐かしく思えていた家の空気も自分の部屋も、今ではまた当たり前に感じられ、何事もなかったかのような暮らしに小さくため息が漏れる。
――戦争が全てじゃない。人生は続いていく。私たちに大事なのはこれからの事。
冬の寒さが抜け、暖かい日差しの差し込む窓に立ち、使い慣れたポンチョを羽織った。
「シューニャぁ? そろそろ出発ッスよぉ?」
「ん、すぐ行く」
アポロニアの声に急かされ、私は部屋を出た。
全てのことに実感がない。それでも階段を駆け下りれば、足には衝撃も伝わってくるし、手すりを撫でる手には滑らかな感触が伝わってくる。
これが現実だ。どんな悲劇があっても、終わりの先で私が生きている証。
玄関には既に、同じ家で暮らす女性たちが集まっていた。
「あっ、来た来た。また例の書き物でもしていたのかしら?」
「ごめん。考え始めると、陽が動くのを忘れてしまう」
だろうと思った、とマオリィネは苦笑する。
彼女の活躍はエデュアルトを通じてエルフリィナ女王へ伝えられ、その大きな勲功からトリシュナー家は伯爵家への陞爵《しょうしゃく》が行われた。
しかし、当主であるマオリィネの父は、アチカ近郊が戦災を免れていることを理由に、国難未だ去らずと他に示された褒美の一切を固辞したという。どこから流れたのかは知らないが、それが噂として市井へ広がったらしく、ユライアシティでは人気を博していた。
当のマオリィネについては、生活上で特に変わった様子もなし。肩書きで言えば、エルフリィナ女王直々に、私たちへの特別連絡役とやらを拝命したとは聞いている。
また、相手がリロイストン首長国という違いはあれど、王都への残留を決めたウィラミットも、同じお役目を担うこととなっているらしい。
尤もマオリィネは、今までに貰えた肩書きで1番嬉しいかも、などと言ってと拳を握っていたが。
「まぁ、シューニャらしいッスよね。髪の毛が跳ねてることにも気づいてないくらいッスから」
「ん゛っ!? どこ!?」
まさかと思い、あたふたと後ろ頭に手を回せば、プッ、とアポロニアは噴き出した。
その一瞬で気付く。どうやらからかわれたらしい。
「アッハハハ、冗談ッスよぉ! おめかしに気を遣うようになって、シューニャも乙女に――ぁキャンッ!?」
「やっぱりありました。ほら、尻尾に枝毛。アポロニアだって人の事言えませんよ」
「ちょ、ちょぉ!? ファティマ最近、気安くないッスか!?」
「気のせいでは? ボクは変わったつもりなんてありませんしー」
顔を真っ赤にして苦情を訴えるアポロニアに対し、ファティマはぼんやりした表情のまま、ツンとそっぽを向く。
相変わらず些細なことで口論となり、ドタバタ暴れまわっては、誰かに纏めて叱られる。そんなやり取りこそ変わらないものの、2人の距離は随分近づいたように思う。
それを最近強く感じたのは、私がお風呂に洗濯物を忘れた時である。それを取りに戻ると、なんと彼女らが揃って入浴していたのだ。それも、ファティマがアポロニアの背中と尻尾を流しているという、少々考えられない恰好で。
何やら、これは違うんスよ、とか、偶然一緒になっただけで、とか色々言っていたが、慌てて照れている2人はなんだか微笑ましく、羨ましかった。
「アポロ姉ちゃんのしっぽ、フカフカできもちいいもんねー。でも、ファティ姉ちゃんのもフワフワしてて、わたしはすきだよー」
「ふにゃっ、にゃははっ!? ぽ、ポーちゃん、くすぐったいですよぉ! 尻尾は大事なんですからね!」
「貴女、自分もやっておいてそれはないでしょ……」
「わっしゃわっしゃ、さかなでー」
「うななななななななな、そそそそれダメです! ゾワゾワが止まりません! シューニャぁ、助けてくださいぃ」
姉たちに囲まれて楽しそうに笑うポラリスだが、このところの成長には目を見張るものがある。
魔術の制御はもちろん、現代と神代双方の勉強を毎日欠かさず行い、その上でタマクシゲのホウシュとしても訓練を重ね、挙句はコウテツに乗ってみたいとまで言いだす始末。今の知識を教える私やマオリィネはともかくとして、これに付きまとわれるダマルは、流石にどうしたものかと困り果てていた。
何が彼女をそこまでさせるのか。ポラリスは困ったように笑うだけで語ろうとしない。
ただ、先の厳しい戦いと失われていく者の姿が、幼い瞳に決意を抱かせたのは確かだろう。私は彼女が望む限り、自らの持つ全てを教えていくつもりだし、その成長が楽しみでもある。
「おぉい、いつまで玄関でモタついてんだお前ら」
そう言って玄関から顔を覗かせたのは、相変わらず真っ白の髑髏頭である。
あの日、アンノウンを前に突如原因不明の不調に襲われたダマルだが、討伐後はこれと言った不調もないらしい。
ただ、元気であったればこそ仕事から逃れられず、タマクシゲの代表代理として各方面への重要な打ち合わせに鎧姿で走り回り、また、失われた自分たちの戦力を復旧するために毎日どこかへ出かけていく始末。
おかげで帰ってきたというのに、中々ジークルーンと一緒に過ごす時間が作れず、珍しく家に居る時は、さぁびすざんぎょうなんて滅びちまえ、とよく叫んでいた。
それが何とか落ち着いたのが10日ほど前。
ただ、多忙の中でこの骸骨はまた何か企み事をしていたらしい。私たちが出かけようとしている理由が正しくそれだ。
「形式上とはいえ、これが夜光協会の初陣になるんだぜ? 初っ端からクライアント待たせんのは、流石に笑えねぇぞ」
はーい、という間延びした返事と共に、皆は押し開いた玄関扉を抜けてタマクシゲへ入っていく。
その車体に描かれた、髑髏と流れ星の旗印。
どこの国家や組織にも属さず種族文化も問わず、一切平等に取引を行う神代に関する総合専門組織。目的は失われた技術の回収と再生、またそれらに起因した災害等の問題解決を図るテクニカの上位互換組織だと、発案者のダマルは豪語した。
その初陣が旧オン・ダ・ノーラ神国領であることを思えば、穏やかならざる組織であることは誤魔化しようもないが。
定位置となった運転席に腰を下ろし、椅子を少し前後させて足の感覚を確かめ、円形のハンドルを握る。皆も各々の定位置に収まっただろうか。
大体出発準備が整ったところで、ガリとムセンが鳴った。
『こちらノルフェン。予定していた試験飛行を完了。これより玄関前に帰還する。周囲の人員は注意してくれ』
ドォ、と音を立て、滑るように着地してくる赤いまきな。
アラン・シャップロン。新たに加わった機甲歩兵の青年は、今日に至るまでで随分私たちに馴染んだように思う。
私と似て、感情表現はあまり得意ではないらしく、口数も多い方ではない。それでも打ち解けてくれば、中々親しみやすい性格をしていることが分かってきた。
というのも、彼は難しい顔をしていながら案外照れ屋であるらしい。毎日の入浴という私たちには根付いてしまった神代の文化に対し、裸など見せられるかと顔を真っ赤にして逃げだしたのが運の尽き。我が家において清潔は義務と叫ぶアポロニアと、過剰な反応を面白がったポラリスに家中追い掛け回され、体力が尽きたところで掴まって上衣をひん剥かれた挙句、最後はキャーと叫びながら風呂場に叩きこまれてしまったのだ。
身体の汚れを湯で流せるなど贅沢の極みなので、アポロニアの言い分は私にも理解できる。
しかし、必死の形相で逃げ回る彼の姿を、心の中でも笑いそうになってしまったことは、申し訳なく思う。
「装甲の修理にちょっと手間取ったが、ノルフェンの状態はどうだ?」
『流石に本物の整備は違うな。以前よりもかなり反応がよくなっている』
「ったりめぇだろが。オートメックなんかと比べんじゃねぇ――痛ぇ!? なんだこらサラマンカ! この自走方墳が、人の足に静電気くれやがって! この俺とやろうってのか、おぉん!?」
パシナについてもそうだが、おーとめっく、という機械に関して、私はよくわかっていない。
ただ、どうにも生物のような自我があるらしく、カクカクした特徴的なサラマンカは、ダマルに明らかな対抗意識を燃やしていた。
その姿がなんとなく可愛く見えるのは、私がおかしいのだろうか。
などど思っていた矢先のこと。
『帰ってきて早々喧嘩とは、中々の歓迎だなダマル』
ムセンから漏れ出たため息のような声に、私の肩はビクリと揺れた。
同時に、全員が揃って顔を上げたのは言うまでもない。
私は弾かれたようにウンテンセキの天井を開け、背もたれを足掛かりにタマクシゲの上によじ登る。ホウトウの上には既に、ファティマとアポロニアの姿があり、後ろの扉からは目を丸くしたマオリィネとポラリスが顔を覗かせていた。
――聞き間違いなんかじゃない。本当に!
目に眩しく映ったのは、晴天の空を背に、溶けるような青。それは陽の光に影さえ落としながら、甲高い音を激しく響かせ駆けていく。
『ノルフェン、我が家までのエスコート感謝する。ついでで申し訳ないが、着陸地点の安全確保も頼むよ』
『ノルフェン了解』
無線の聞き慣れた声がそう告げると、青い人型は森の上で翻り、白い雲を引高く高く昇っていった。しかし、私の指先に隠れたかと思えば、次の瞬間には木の葉のように落下しはじめ、勢いそのままに私たちの頭上スレスレを通り過ぎた。
舞い遊ぶ風にキャスケット帽を押さえる。けれど、その姿を見失うことはない。
「ヒスイ……キョウイチ……!?」
「おーおー。あっちも人機共々見てくれは良さそうだな。4割くらい尖晶のパーツになっちまったが、あの様子なら、ガラクタ搔き集めながらガーデンに通いつめた甲斐もあったって言えるか」
「はぁ!? ダマルさんがここんとこ出突っ張りだったのって、まさか1人で司書の谷に通ってたんスか!? ズルいッス!」
「そーですよ! ボクだって行きたかったのに!」
意外過ぎる事実に、アポロニアとファティマは身を乗り出して叫ぶ。故郷の名が唐突に出てきたことで、私もポカンと口を開けてしまった。
だが、それだけではない。ガーデンにはキョウイチが運び込まれていたのだ。
寝台で目を閉じたあの日以来、一度も瞼を揺らすことなくずっと眠り続ける彼に、私たちでは手の施しようがなく、ダマルは頼みの綱としてリッゲンバッハに連絡をとった。
クロウドン災禍の顛末とキョウイチの容態を聞いた平たい老爺は、1にも2にもなくがぁでんへと運び込むよう告げ、彼の身体は司書の谷へと戻る姉とパシナに託されたのである。
それ以来、後処理に追われる私たちは、彼を見舞うことすら叶わなず、だからこそダマルの発言は信じられないものだった。
しかし、骸骨にとって私たちの反応は想像通りだったらしい。白い手を振ってカタカタと笑っていた。
「お前らがそう言うと思ったから、わざわざ黙ってたんだろうが。まだ状況も落ち着いてねぇ以上、こっちをもぬけの殻にもできねぇし、誰かだけ連れていくってのも役割上どうしたって偏るから不公平になっちまう。ま、恋人の御帰還サプライズってことで、一切許してくれや。カカ――ア゜ッ!」
「何がさぷらいずですか! ボク、ホントに不安だったんですからね!」
「自分たちが! どんな気持ちで! ご主人を待ってたか! わからないとは言わせないッスよぉ!」
「そーだそーだ! ダマル兄ちゃん、そういうのオセッカイっていうんだぞー!」
「言い分は理解できるわ。それでも、説明くらいしてくれたって、罰は当たらなかったんじゃないかしらね……?」
空しく響く、解体されゆく骸骨の声。ノルフェンに包まれたままのアランは、何事かとそれを一瞥するや、無情にもふいと顔を背けていた。
皆から激しいお仕置きを受けているなら、わざわざ自分まで加わる必要はないかと、ため息を1つ。代わりに私は空を見上げる。
ゆっくりと降りてくる青い機体。そこに激しく傷ついたあの日の面影はない。
「おかえり、キョウイチ」
いつの間にか、置いてけぼりになっていたファティのムセンを拾い上げ、小さく呟く。声が震えていないか、少しだけ心配だった。
『ただいま、シューニャ』
優しい返事に、胸がじわりと熱くなる。
何を話そう。何をしよう。目の前に現れた時に限って、やりたいことは中々纏まらない。
とりあえず、怪我の具合から聞いてみようか。その後は何かうまく理由をつけて、いや、何も無くてもいいから誰より早く彼に触れたい。はしたないことを考えている自覚はあるけど、こんな時くらい人目を気にせず自分に素直になったっていいハズだ。
それから、それからと頭で色々考えて、やめた。
焦る必要なんて、どこにもない。
彼はもう、この短い手で触れられるところまで、帰ってきてくれているのだから。
私の、私たちの愛する悠久の機甲歩兵は、もうすぐそこまで。
悠久の機甲歩兵 完
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