265 / 330
戦火
第265話 非日常の合間へ
しおりを挟む
迎えが王都に到着したのは、そろそろ昼に差し掛かろうかというだった。
空戦ユニットだのなんだのとゴテゴテ装備された翡翠はいつも以上に嵩張り、後部ハッチから車内に入れば、折りたたんだ翼や増設された武装があちこちにぶつかって歩きにくい。
それでもできるだけ慎重に歩き、ようやく整備ステーションで青い鎧を脱ぎ捨て一息つけば、何故かファティマが目の前で尻尾をブンブンと大きく振っていた。
「えーと、なんだろうか」
彼女の機嫌は実にわかりやすい。いや、正しくはこれまでの付き合いでわかるようになった、と言うべきか。
そしてこう尻尾を振り回している時は、大概ゴキゲン斜めな時である。
「ボクの寝台にゴリゴリぶつかりましたね」
「あ、あぁ、すまない。装備が増えた分、どうしても後付けの寝台は邪魔で――いたたたたたた」
「ほぐろしんらいはほわえはらほーひてふれうんれすは」
「噛みながら文句を言わないでくれ。腕に刺さってる、八重歯がしっかり刺さってる」
こちらが全面的に悪いのは間違いないとはいえ、まさかいきなり腕を噛まれるとは思わなかった。
一応、こちらに怪我を負わせないよう気を遣ってくれているらしい。しかし、彼女の絶妙な力加減は甘噛みと呼べるほど優しい物ではなく、僕は顎に皺を寄せて激痛に耐えつつ、空いた手で橙色の頭をポンポンと軽く撫でて許しを請う。
その甲斐あってか、ファティマは渋々といった様子で腕を解放してくれた。
「もぉー……おにーさんじゃなかったら、腕をぶっちんしてたところですよ。お礼を言いたくてついてきたのに、いきなりなんてことしてくれるんですか」
「あぁその、今後もし壊してしまったとしてもちゃんと責任を持って直すから、腕を持って行くのは勘弁してくれない、だろうか」
「その時は寝台が直ってから考えますね」
「引きちぎってから考えられてもなぁ……」
真顔で無茶苦茶なことを口走る猫娘に、自分の背中は寒風に晒されるが如く冷たくなる。
彼女にとって僕の腕は、玉匣の寝台と等価であるらしい。
そう考えてしまうと少々心に来るものがあったが、この会話が馬鹿馬鹿し過ぎたからか、マオリィネは盛大なため息をついて眉間を揉んだ。
「はぁ……いきなり何を物騒な話してるのよ。キョウイチの腕が無くなったら、ファティマだって困るでしょう? 撫でてもらえなくなってもいいのかしら?」
少々過熱気味だった感情に冷や水を浴びせられたからか、珍しいことにファティマは激しく動揺した様子を見せた。
視線をあちこち彷徨わせながら怯えたように尻尾を足に巻きつけ、最後には縋るように歯型の残った腕にしがみ付いてくる。挙句その表情は、捨てないで、と言わんばかりのものだった。
「ぼ、ボクついカッとなって……おにーさんに撫でてもらえないのは、とっても、とっても困ります、から」
「そんな顔をしないでくれ。僕の方が困ってしまうじゃないか」
腕を引きちぎられるのは流石に勘弁してほしいが、だからといってファティマの悲壮な表情など見たくはないのだ。
だから僕はこれまでの物騒な言葉を冗談と受け取り、いつもと変わらない苦笑を浮かべながら大きな耳の間を優しくゆっくりと撫でていく。
そんな自分の様子にファティマは安心してくれたのだろう。抱き着く腕に一層力を込めて身体を寄せると、頬を擦りつけてゴロゴロと咽を鳴らしはじめる。
全く現金な娘だ。マオリィネは琥珀色の半眼を向けていたが、僕にはこの素直すぎる表裏の無さもまたファティマの魅力であり、許してやってくれと肩を竦めておく。
「貴方は本当に――ひゃっ!?」
すると彼女は自分の対応にも呆れたのだろう。何か言おうとしたものの、直後に背後から生えてきた焦げ茶色のキャスケットに、ビクリと身体を震わせて跳び退いた。
「驚かせてごめん。キョウイチ、少しいい? ポラリスのことだけれど」
「あぁ、どんな具合だろうか?」
「魔術行使によって消耗している様子は依然と変わらない。けれど、スノウライト・テクニカで療養していた時より落ち着いているように見えるから、じきに目を覚ますと思う」
シューニャからの報告に、僕は緩くファティマを離しながら安堵の息を漏らした。
エーテル遺伝子研究によって、人工的に植え付けられた超能力という兵器的特性。現代で魔術と呼ばれる才に関しては、残念ながら使用者の感想程度の漠然とした情報しかなく、その能力を行使することが身体に与えるダメージについては謎が多い。
だからか、マオリィネはシューニャの所見に首を捻った。
「けれどポラリスが使った魔術は、あの時と変わらないくらい強力なものだったわよ? それも連発していたのに、前より早く目覚める事なんてできるのかしら」
「私も魔術のことについてはほとんど分からないから、今の身体的状態を見てそう推測しただけ。ただ、ポラリスが特別な存在であることを考えれば、魔術の才能を急速に成長させたとしても不思議ではない」
「ホント、ポーたんは天才って奴だねぇ。魔術を使った後の疲れた感じって、身体鍛えても変わんないのが普通だし、アクアアーデンとか使うのだって楽して強い力を出せるようにするためだもん」
いつの間にかポラリスの隣へ潜り込んでいたらしいエリネラは、両手で頬杖をつきながら、ほへぇと感心したような声を漏らす。
見た目にしても思考にしても子どもっぽいところが多い元将軍様であるが、業火の少女というあだ名の通り、現代人の中では他の追随を許さないほど武勇と魔術に長けた存在であるため、シューニャもマオリィネも興味深げにその感想に耳を傾けていた。
「触媒の有無以外で消耗は変えようがない、ということかしら」
「それ以外で強くなったとか、魔術を使える時間が伸びたとかって話は聞いたことないなぁ。そもそも鍛えて強くできるなら、普通の魔術師がみんなアンプラトみたいなのにはならないだろー?」
「それは確かにそう」
アンプラトというのは確か、サラダに入っている豆苗のような非常に細い野菜の事だったと思う。なので、貧弱で痩せている、とかいう意味の言葉なのだろう。
触媒の研究ばっかりしてるからなぁ、というエリネラの言葉にシューニャも納得しているため、どうにも本来の魔術師とは随分インドアな存在であるらしい。無論、それ以外に魔術能力を向上させられないのなら、当然の形だったが。
ただ、今気にするべきは魔術そのものに関してではないため、僕は彼女らの間を縫って寝台の横にしゃがみ込み、穏やかな寝息を立てる白い少女の髪をふわりと撫でた。
「なぁに、体に何の異常も無ければ、元気になってくれさえすればそれでいいんだ。ポラリスが強力な魔術を使わないといけないのは、毎度毎度僕ら大人の都合のせいなんだからね」
魔術やホムンクルスの身体について、自分たちはあまりにも無知でありながら、それでも強すぎる力に頼ってしまうことは多い。
だからこそ、できるだけポラリスが魔術を行使することなく健やかであれるよう、僕は一層強く平穏な暮らしを求めねばならないのだ。
その思いは言葉にせずとも伝わったのだろう。皆一様に頷いてくれる。そのついでとばかりに、アポロニアは砲手席の入口から顔を覗かせた。
「だとしてご主人、この後はどうするッスか?」
「一旦家に戻ってダマルと合流するつもりだよ。怪我をするまで無茶をしてくれた子らの傷も、きちんと確認しておく必要があるからね」
気にするべきはポラリスの事だけではない。
今回の戦いでは、自分が到着するまでの時間を稼ぐため、全員が危険へ身を投じてくれたのだ。後できちんと報いるのは当然として、身体のケアは適宜しておく必要がある。
しかし、ファティマは包帯の巻かれた腕を持ち上げて首を傾げ、アポロニアは額を擦ってどこか申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「ボクはお仕事しただけですし、傷も全部浅いんで大丈夫ですよ?」
「自分も役目を果たしただけで大したことは――って言ってもダメ、ッスよね?」
「当たり前だろう。浅い傷から重い病気に繋がることだってあるんだ。状況的に無茶をしなければいけなかったのは理解しているが、それでももっと自分を大切にしてくれないと僕が困る」
いくらシューニャが彼女らの治療をしてくれているとはいえ、それは包帯とガーゼを用いた応急処置に過ぎない。
対する現代の衛生環境はあまりにも劣悪であり、傷の悪化や感染症のリスクを抑えるためにはまず身体を清潔にしつつ、必要に応じて薬を用いておいたほうがいいに決まっているのだ。
しかしアポロニアはといえば、砲塔から軽やかに降りてくると、何か含みがある笑みを浮かべながら僕の前に立った。
「なぁんでご主人が困るんスか?」
「いやそれは――あれだ。身内が危険に晒されていると思うと、気が気じゃないってことだよ、うん」
小柄な犬娘の不思議な圧力に、僕は1歩後ずさって頬を掻く。
家族が傷つけられて困るのは当然のことであろう。しかし、何やらアポロニアはファティマと顔を見合わせると、今度は2人そろって嫌らしい笑みをこちらへ向けてきた。
「な、なんだい2人して」
「ご主人が心配でたまらないっていうなら仕方ないッス。後で自分たちの事、ちあゃんと診てもらうッスよ」
「んふふ、そーいうことにしときましょーね」
僕は何を言われているのかサッパリわからなかったが、彼女らは随分と上機嫌であり、くるりと左右から腕に巻き付いてくる。おかげでシューニャとマオリィネからの視線が少々痛い。
そんな状況を打開してくれたのが、退屈そうに欠伸を漏らすエリネラだった。
「ねぇ帰るなら早くしよーよ。あたしお腹空いた」
「あ、あぁ、そうだね、そうしよう。シューニャ、運転代わるよ」
「……ん、お願い」
状況が整理できない以上、一時撤退とばかりに僕が運転席へ向かえば、ファティマは大切な寝台へよじ登り、マオリィネは後部座席へ腰を下ろし、アポロニアは砲塔の上へと戻っていく。
ただ、シューニャだけは僕の後ろをついてきており、わざわざ座り心地の良くない補助座席へ陣取った。
「運転で疲れただろう。後ろで休んでいてもいいんだよ?」
「私は平気」
いつもの無表情で短くそう告げられると、そうか、としか言えず、僕はエーテル機関を始動して玉匣を発進させる。
最早この巨体を隠す必要もないため、驚いて逃げる人々を横目に、堂々と北門へ向かって大通りを進んだ。
その途中、轍か何かを踏んで車体が動揺した折、シューニャはポツリと口を開いた。
「……マオリィネには、言ったの?」
「ああ。君たちの凄さが分かったよ。後出しだというのに、告白とは思った以上に緊張するものだ」
「そう」
ちらと視線だけを横に流しても、彼女の表情は相変わらずで内心は全く読み取れない。
ただ、短い沈黙の後、シューニャは視線を合わせないままで、また小さく呟いた。
「できれば……ファティたちも、あまり待たせないであげて欲しい」
「ああ、わかっているよ」
ハンドルを握る手に力が入る。
過去と弱さを盾にして、今まで散々待たせてきたのだ。それも腹を括れたのは、シューニャの勇気に背中を押されてようやくのことである。
誰かの感情に報いるのではなく、自らの気持ちを伝えねばならない。強い好意は自分の中にもあるのだから。
しかし、告白のことだけでなく、既に2人から了解を得てしまった将来の家族構成を想像すれば、身体は自然と震えそうになる。
それを必死に短く息を吐いて、落ち着け、まだ何も始まってすらいないぞ、と自分に言い聞かせて抑えこんだ。
「……私もまだ、皆に気を遣って我慢してる、から」
それは蚊の鳴くような声であり、半分も聞き取れなかったが、またチラと視線を向けてみれば、何故かシューニャは何もない壁と向き合ったまま硬直していた。
彼女が何を伝えたかったのかは正直分からない。だが、彼女なりに相当恥ずかしい言葉を呟いたらしく、ポンチョから覗く色白な肌は首まで赤くなっている。
――夫婦か恋人、ね。
軽く唇に親指を這わせれば、2人分の柔らかい感触と800年前の出来事が鮮明に思い出される。ついでに頭突きからきた血の味もだ。
恋人らしい触れ合いはまだまだ覚束ず、気恥ずかしさと彼女らを求めたい想いが半分ずつ思考を染めていく。
これがもし5人ともなれば、自分はおかしくなってしまうのではないか。頭ではそう思っていながら、心臓は不必要に高鳴るのだから始末に負えない。
「惚れるって言うのは、想像以上に大変なことだなぁ」
「……けど、苦しくない。ふふ、とても不思議」
翠色の瞳と視線だけを合わせ、頬を赤らめたシューニャと小さく笑い合う。
破壊された北門を越えた玉匣は、一時的に温かい我が家へ向けて加速する。それが恒久的な物となることを切に願いながら。
空戦ユニットだのなんだのとゴテゴテ装備された翡翠はいつも以上に嵩張り、後部ハッチから車内に入れば、折りたたんだ翼や増設された武装があちこちにぶつかって歩きにくい。
それでもできるだけ慎重に歩き、ようやく整備ステーションで青い鎧を脱ぎ捨て一息つけば、何故かファティマが目の前で尻尾をブンブンと大きく振っていた。
「えーと、なんだろうか」
彼女の機嫌は実にわかりやすい。いや、正しくはこれまでの付き合いでわかるようになった、と言うべきか。
そしてこう尻尾を振り回している時は、大概ゴキゲン斜めな時である。
「ボクの寝台にゴリゴリぶつかりましたね」
「あ、あぁ、すまない。装備が増えた分、どうしても後付けの寝台は邪魔で――いたたたたたた」
「ほぐろしんらいはほわえはらほーひてふれうんれすは」
「噛みながら文句を言わないでくれ。腕に刺さってる、八重歯がしっかり刺さってる」
こちらが全面的に悪いのは間違いないとはいえ、まさかいきなり腕を噛まれるとは思わなかった。
一応、こちらに怪我を負わせないよう気を遣ってくれているらしい。しかし、彼女の絶妙な力加減は甘噛みと呼べるほど優しい物ではなく、僕は顎に皺を寄せて激痛に耐えつつ、空いた手で橙色の頭をポンポンと軽く撫でて許しを請う。
その甲斐あってか、ファティマは渋々といった様子で腕を解放してくれた。
「もぉー……おにーさんじゃなかったら、腕をぶっちんしてたところですよ。お礼を言いたくてついてきたのに、いきなりなんてことしてくれるんですか」
「あぁその、今後もし壊してしまったとしてもちゃんと責任を持って直すから、腕を持って行くのは勘弁してくれない、だろうか」
「その時は寝台が直ってから考えますね」
「引きちぎってから考えられてもなぁ……」
真顔で無茶苦茶なことを口走る猫娘に、自分の背中は寒風に晒されるが如く冷たくなる。
彼女にとって僕の腕は、玉匣の寝台と等価であるらしい。
そう考えてしまうと少々心に来るものがあったが、この会話が馬鹿馬鹿し過ぎたからか、マオリィネは盛大なため息をついて眉間を揉んだ。
「はぁ……いきなり何を物騒な話してるのよ。キョウイチの腕が無くなったら、ファティマだって困るでしょう? 撫でてもらえなくなってもいいのかしら?」
少々過熱気味だった感情に冷や水を浴びせられたからか、珍しいことにファティマは激しく動揺した様子を見せた。
視線をあちこち彷徨わせながら怯えたように尻尾を足に巻きつけ、最後には縋るように歯型の残った腕にしがみ付いてくる。挙句その表情は、捨てないで、と言わんばかりのものだった。
「ぼ、ボクついカッとなって……おにーさんに撫でてもらえないのは、とっても、とっても困ります、から」
「そんな顔をしないでくれ。僕の方が困ってしまうじゃないか」
腕を引きちぎられるのは流石に勘弁してほしいが、だからといってファティマの悲壮な表情など見たくはないのだ。
だから僕はこれまでの物騒な言葉を冗談と受け取り、いつもと変わらない苦笑を浮かべながら大きな耳の間を優しくゆっくりと撫でていく。
そんな自分の様子にファティマは安心してくれたのだろう。抱き着く腕に一層力を込めて身体を寄せると、頬を擦りつけてゴロゴロと咽を鳴らしはじめる。
全く現金な娘だ。マオリィネは琥珀色の半眼を向けていたが、僕にはこの素直すぎる表裏の無さもまたファティマの魅力であり、許してやってくれと肩を竦めておく。
「貴方は本当に――ひゃっ!?」
すると彼女は自分の対応にも呆れたのだろう。何か言おうとしたものの、直後に背後から生えてきた焦げ茶色のキャスケットに、ビクリと身体を震わせて跳び退いた。
「驚かせてごめん。キョウイチ、少しいい? ポラリスのことだけれど」
「あぁ、どんな具合だろうか?」
「魔術行使によって消耗している様子は依然と変わらない。けれど、スノウライト・テクニカで療養していた時より落ち着いているように見えるから、じきに目を覚ますと思う」
シューニャからの報告に、僕は緩くファティマを離しながら安堵の息を漏らした。
エーテル遺伝子研究によって、人工的に植え付けられた超能力という兵器的特性。現代で魔術と呼ばれる才に関しては、残念ながら使用者の感想程度の漠然とした情報しかなく、その能力を行使することが身体に与えるダメージについては謎が多い。
だからか、マオリィネはシューニャの所見に首を捻った。
「けれどポラリスが使った魔術は、あの時と変わらないくらい強力なものだったわよ? それも連発していたのに、前より早く目覚める事なんてできるのかしら」
「私も魔術のことについてはほとんど分からないから、今の身体的状態を見てそう推測しただけ。ただ、ポラリスが特別な存在であることを考えれば、魔術の才能を急速に成長させたとしても不思議ではない」
「ホント、ポーたんは天才って奴だねぇ。魔術を使った後の疲れた感じって、身体鍛えても変わんないのが普通だし、アクアアーデンとか使うのだって楽して強い力を出せるようにするためだもん」
いつの間にかポラリスの隣へ潜り込んでいたらしいエリネラは、両手で頬杖をつきながら、ほへぇと感心したような声を漏らす。
見た目にしても思考にしても子どもっぽいところが多い元将軍様であるが、業火の少女というあだ名の通り、現代人の中では他の追随を許さないほど武勇と魔術に長けた存在であるため、シューニャもマオリィネも興味深げにその感想に耳を傾けていた。
「触媒の有無以外で消耗は変えようがない、ということかしら」
「それ以外で強くなったとか、魔術を使える時間が伸びたとかって話は聞いたことないなぁ。そもそも鍛えて強くできるなら、普通の魔術師がみんなアンプラトみたいなのにはならないだろー?」
「それは確かにそう」
アンプラトというのは確か、サラダに入っている豆苗のような非常に細い野菜の事だったと思う。なので、貧弱で痩せている、とかいう意味の言葉なのだろう。
触媒の研究ばっかりしてるからなぁ、というエリネラの言葉にシューニャも納得しているため、どうにも本来の魔術師とは随分インドアな存在であるらしい。無論、それ以外に魔術能力を向上させられないのなら、当然の形だったが。
ただ、今気にするべきは魔術そのものに関してではないため、僕は彼女らの間を縫って寝台の横にしゃがみ込み、穏やかな寝息を立てる白い少女の髪をふわりと撫でた。
「なぁに、体に何の異常も無ければ、元気になってくれさえすればそれでいいんだ。ポラリスが強力な魔術を使わないといけないのは、毎度毎度僕ら大人の都合のせいなんだからね」
魔術やホムンクルスの身体について、自分たちはあまりにも無知でありながら、それでも強すぎる力に頼ってしまうことは多い。
だからこそ、できるだけポラリスが魔術を行使することなく健やかであれるよう、僕は一層強く平穏な暮らしを求めねばならないのだ。
その思いは言葉にせずとも伝わったのだろう。皆一様に頷いてくれる。そのついでとばかりに、アポロニアは砲手席の入口から顔を覗かせた。
「だとしてご主人、この後はどうするッスか?」
「一旦家に戻ってダマルと合流するつもりだよ。怪我をするまで無茶をしてくれた子らの傷も、きちんと確認しておく必要があるからね」
気にするべきはポラリスの事だけではない。
今回の戦いでは、自分が到着するまでの時間を稼ぐため、全員が危険へ身を投じてくれたのだ。後できちんと報いるのは当然として、身体のケアは適宜しておく必要がある。
しかし、ファティマは包帯の巻かれた腕を持ち上げて首を傾げ、アポロニアは額を擦ってどこか申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「ボクはお仕事しただけですし、傷も全部浅いんで大丈夫ですよ?」
「自分も役目を果たしただけで大したことは――って言ってもダメ、ッスよね?」
「当たり前だろう。浅い傷から重い病気に繋がることだってあるんだ。状況的に無茶をしなければいけなかったのは理解しているが、それでももっと自分を大切にしてくれないと僕が困る」
いくらシューニャが彼女らの治療をしてくれているとはいえ、それは包帯とガーゼを用いた応急処置に過ぎない。
対する現代の衛生環境はあまりにも劣悪であり、傷の悪化や感染症のリスクを抑えるためにはまず身体を清潔にしつつ、必要に応じて薬を用いておいたほうがいいに決まっているのだ。
しかしアポロニアはといえば、砲塔から軽やかに降りてくると、何か含みがある笑みを浮かべながら僕の前に立った。
「なぁんでご主人が困るんスか?」
「いやそれは――あれだ。身内が危険に晒されていると思うと、気が気じゃないってことだよ、うん」
小柄な犬娘の不思議な圧力に、僕は1歩後ずさって頬を掻く。
家族が傷つけられて困るのは当然のことであろう。しかし、何やらアポロニアはファティマと顔を見合わせると、今度は2人そろって嫌らしい笑みをこちらへ向けてきた。
「な、なんだい2人して」
「ご主人が心配でたまらないっていうなら仕方ないッス。後で自分たちの事、ちあゃんと診てもらうッスよ」
「んふふ、そーいうことにしときましょーね」
僕は何を言われているのかサッパリわからなかったが、彼女らは随分と上機嫌であり、くるりと左右から腕に巻き付いてくる。おかげでシューニャとマオリィネからの視線が少々痛い。
そんな状況を打開してくれたのが、退屈そうに欠伸を漏らすエリネラだった。
「ねぇ帰るなら早くしよーよ。あたしお腹空いた」
「あ、あぁ、そうだね、そうしよう。シューニャ、運転代わるよ」
「……ん、お願い」
状況が整理できない以上、一時撤退とばかりに僕が運転席へ向かえば、ファティマは大切な寝台へよじ登り、マオリィネは後部座席へ腰を下ろし、アポロニアは砲塔の上へと戻っていく。
ただ、シューニャだけは僕の後ろをついてきており、わざわざ座り心地の良くない補助座席へ陣取った。
「運転で疲れただろう。後ろで休んでいてもいいんだよ?」
「私は平気」
いつもの無表情で短くそう告げられると、そうか、としか言えず、僕はエーテル機関を始動して玉匣を発進させる。
最早この巨体を隠す必要もないため、驚いて逃げる人々を横目に、堂々と北門へ向かって大通りを進んだ。
その途中、轍か何かを踏んで車体が動揺した折、シューニャはポツリと口を開いた。
「……マオリィネには、言ったの?」
「ああ。君たちの凄さが分かったよ。後出しだというのに、告白とは思った以上に緊張するものだ」
「そう」
ちらと視線だけを横に流しても、彼女の表情は相変わらずで内心は全く読み取れない。
ただ、短い沈黙の後、シューニャは視線を合わせないままで、また小さく呟いた。
「できれば……ファティたちも、あまり待たせないであげて欲しい」
「ああ、わかっているよ」
ハンドルを握る手に力が入る。
過去と弱さを盾にして、今まで散々待たせてきたのだ。それも腹を括れたのは、シューニャの勇気に背中を押されてようやくのことである。
誰かの感情に報いるのではなく、自らの気持ちを伝えねばならない。強い好意は自分の中にもあるのだから。
しかし、告白のことだけでなく、既に2人から了解を得てしまった将来の家族構成を想像すれば、身体は自然と震えそうになる。
それを必死に短く息を吐いて、落ち着け、まだ何も始まってすらいないぞ、と自分に言い聞かせて抑えこんだ。
「……私もまだ、皆に気を遣って我慢してる、から」
それは蚊の鳴くような声であり、半分も聞き取れなかったが、またチラと視線を向けてみれば、何故かシューニャは何もない壁と向き合ったまま硬直していた。
彼女が何を伝えたかったのかは正直分からない。だが、彼女なりに相当恥ずかしい言葉を呟いたらしく、ポンチョから覗く色白な肌は首まで赤くなっている。
――夫婦か恋人、ね。
軽く唇に親指を這わせれば、2人分の柔らかい感触と800年前の出来事が鮮明に思い出される。ついでに頭突きからきた血の味もだ。
恋人らしい触れ合いはまだまだ覚束ず、気恥ずかしさと彼女らを求めたい想いが半分ずつ思考を染めていく。
これがもし5人ともなれば、自分はおかしくなってしまうのではないか。頭ではそう思っていながら、心臓は不必要に高鳴るのだから始末に負えない。
「惚れるって言うのは、想像以上に大変なことだなぁ」
「……けど、苦しくない。ふふ、とても不思議」
翠色の瞳と視線だけを合わせ、頬を赤らめたシューニャと小さく笑い合う。
破壊された北門を越えた玉匣は、一時的に温かい我が家へ向けて加速する。それが恒久的な物となることを切に願いながら。
10
お気に入りに追加
65
あなたにおすすめの小説
ゲート0 -zero- 自衛隊 銀座にて、斯く戦えり
柳内たくみ
ファンタジー
20XX年、うだるような暑さの8月某日――
東京・銀座四丁目交差点中央に、突如巨大な『門(ゲート)』が現れた。
中からなだれ込んできたのは、見目醜悪な怪異の群れ、そして剣や弓を携えた謎の軍勢。
彼らは何の躊躇いもなく、奇声と雄叫びを上げながら、そこで戸惑う人々を殺戮しはじめる。
無慈悲で凄惨な殺戮劇によって、瞬く間に血の海と化した銀座。
政府も警察もマスコミも、誰もがこの状況になすすべもなく混乱するばかりだった。
「皇居だ! 皇居に逃げるんだ!」
ただ、一人を除いて――
これは、たまたま現場に居合わせたオタク自衛官が、
たまたま人々を救い出し、たまたま英雄になっちゃうまでを描いた、7日間の壮絶な物語。
強制ハーレムな世界で元囚人の彼は今日もマイペースです。
きゅりおす
SF
ハーレム主人公は元囚人?!ハーレム風SFアクション開幕!
突如として男性の殆どが消滅する事件が発生。
そんな人口ピラミッド崩壊な世界で女子生徒が待ち望んでいる中、現れる男子生徒、ハーレムの予感(?)
異色すぎる主人公が周りを巻き込みこの世界を駆ける!
異世界あるある 転生物語 たった一つのスキルで無双する!え?【土魔法】じゃなくって【土】スキル?
よっしぃ
ファンタジー
農民が土魔法を使って何が悪い?異世界あるある?前世の謎知識で無双する!
土砂 剛史(どしゃ つよし)24歳、独身。自宅のパソコンでネットをしていた所、突然轟音がしたと思うと窓が破壊され何かがぶつかってきた。
自宅付近で高所作業車が電線付近を作業中、トラックが高所作業車に突っ込み運悪く剛史の部屋に高所作業車のアームの先端がぶつかり、そのまま窓から剛史に一直線。
『あ、やべ!』
そして・・・・
【あれ?ここは何処だ?】
気が付けば真っ白な世界。
気を失ったのか?だがなんか聞こえた気がしたんだが何だったんだ?
・・・・
・・・
・・
・
【ふう・・・・何とか間に合ったか。たった一つのスキルか・・・・しかもあ奴の元の名からすれば土関連になりそうじゃが。済まぬが異世界あるあるのチートはない。】
こうして剛史は新た生を異世界で受けた。
そして何も思い出す事なく10歳に。
そしてこの世界は10歳でスキルを確認する。
スキルによって一生が決まるからだ。
最低1、最高でも10。平均すると概ね5。
そんな中剛史はたった1しかスキルがなかった。
しかも土木魔法と揶揄される【土魔法】のみ、と思い込んでいたが【土魔法】ですらない【土】スキルと言う謎スキルだった。
そんな中頑張って開拓を手伝っていたらどうやら領主の意に添わなかったようで
ゴウツク領主によって領地を追放されてしまう。
追放先でも土魔法は土木魔法とバカにされる。
だがここで剛史は前世の記憶を徐々に取り戻す。
『土魔法を土木魔法ってバカにすんなよ?異世界あるあるな前世の謎知識で無双する!』
不屈の精神で土魔法を極めていく剛史。
そしてそんな剛史に同じような境遇の人々が集い、やがて大きなうねりとなってこの世界を席巻していく。
その中には同じく一つスキルしか得られず、公爵家や侯爵家を追放された令嬢も。
前世の記憶を活用しつつ、やがて土木魔法と揶揄されていた土魔法を世界一のスキルに押し上げていく。
但し剛史のスキルは【土魔法】ですらない【土】スキル。
転生時にチートはなかったと思われたが、努力の末にチートと言われるほどスキルを活用していく事になる。
これは所持スキルの少なさから世間から見放された人々が集い、ギルド『ワンチャンス』を結成、努力の末に世界一と言われる事となる物語・・・・だよな?
何故か追放された公爵令嬢や他の貴族の令嬢が集まってくるんだが?
俺は農家の4男だぞ?
日本帝国陸海軍 混成異世界根拠地隊
北鴨梨
ファンタジー
太平洋戦争も終盤に近付いた1944(昭和19)年末、日本海軍が特攻作戦のため終結させた南方の小規模な空母機動部隊、北方の輸送兼対潜掃討部隊、小笠原増援輸送部隊が突如として消失し、異世界へ転移した。米軍相手には苦戦続きの彼らが、航空戦力と火力、機動力を生かして他を圧倒し、図らずも異世界最強の軍隊となってしまい、その情勢に大きく関わって引っ掻き回すことになる。
辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します
潮ノ海月@書籍発売中
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる!
トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。
領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。
アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。
だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう
完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。
果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!?
これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。
異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜
KeyBow
ファンタジー
間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。
何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。
召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!
しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・
いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。
その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。
上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。
またぺったんこですか?・・・
【改稿版】休憩スキルで異世界無双!チートを得た俺は異世界で無双し、王女と魔女を嫁にする。
ゆう
ファンタジー
剣と魔法の異世界に転生したクリス・レガード。
剣聖を輩出したことのあるレガード家において剣術スキルは必要不可欠だが12歳の儀式で手に入れたスキルは【休憩】だった。
しかしこのスキル、想像していた以上にチートだ。
休憩を使いスキルを強化、更に新しいスキルを獲得できてしまう…
そして強敵と相対する中、クリスは伝説のスキルである覇王を取得する。
ルミナス初代国王が有したスキルである覇王。
その覇王発現は王国の長い歴史の中で悲願だった。
それ以降、クリスを取り巻く環境は目まぐるしく変化していく……
※アルファポリスに投稿した作品の改稿版です。
ホットランキング最高位2位でした。
カクヨムにも別シナリオで掲載。
『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる
農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」
そんな言葉から始まった異世界召喚。
呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!?
そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう!
このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。
勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定
私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。
ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。
他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。
なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる