悠久の機甲歩兵

竹氏

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戦火

第264話 重なるパイロットスーツ

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 音の壁を超えて肉を突き破った弾丸に、最後の異形は汚泥のような体液を飛び散らせて倒れ込む。
 その音を最後に、今まであれほど騒がしかった王都の周りからは、完全に戦いの音が消えた。
 残されたのは、朝靄に混ざりこむ銃身冷却の白い煙と、時が止まったかのように硬直したままの味方たち。
 朝の冷たい空気が静けさを一層強調してくる中、僕は大きく息を吐いて、携帯式電磁加速砲パーソナルレールガンを抱え直した。

『敵部隊の無力化を確認――作戦終了、だな』

 視界に映しだされる、戦闘モード解除の文字。
 各種武装へのエネルギー供給が断たれたことで、エーテル機関の出力が常用位置まで低下して安定し、まるでため息をつくように翡翠はヒィンと甲高い音を鳴らした。

「……勝った、のか?」

 その呟きは誰の口から出たものか。兵士たちもキメラリアも関係なく、誰しもが周りの仲間と顔を見合わせると、やがて頬を引き攣らせただけのような笑みを浮かべはじめる。
 勝った、勝ったという呟きがさざ波のように広がり、それが大きく加速し始めた頃、空気を揺るがす大音声が辺りへ鋭く響き渡った。

「今ひと時、侵略者の脅威は去った! 王都の象徴たる壁が崩され、多くの同胞はらからを失えども、我らは未だ倒れておらぬ。者ども、勝鬨を上げよ! これぞ永劫の歴史に刻まれる、誉れ高きユライアの勝利であるぞ!」

 エデュアルトの高らかな勝利宣言に、兵士たちは揃って声を張り上げ、招集に応じたコレクタやキメラリアたちは思い思いの行動で、戦勝の喜びを仲間たちと分かち合う。
 指揮官たる彼の言葉によって、戦いと日常の間にハッキリと線が引かれた。これによって戦いに出ていた人々は、ようやく生き残ったことを誇り、得られたものに笑い、失った何かのために泣くことができるのだろう。
 その中には、英雄を賛美する声も多くあった。ただ、それに応えて手を振ってやろうという気には、どうしてもなれなかったが。

「全く……明けぬかと思う程に長い夜であったわ。待ちわびたぞ、アマミ」

 歓声を上げる兵士たちの垣根から、エデュアルトはため息をつきつつこちらへ歩み寄ってくる。その隣には見覚えのない、ラメラーアーマーを身に纏った背の高い女性騎士が付き添っていた。

『すみません。多少余裕を得られたと思っていたのですが、結局ギリギリになってしまいました』

「いや、むしろよく間に合わせてくれたものよ。帝国軍の侵攻速度は、我らの想像をはるかに超えておったのだからな。おかげでこちらも随分と痛手を被ってしもうた。プランシェ」

「はい。確認できている情報だけで、王国軍は4割近くの兵を失っています。それに加え、全ての市門と大防壁の一部が破壊されたことで、貴族街以外の各所は大きな被害が出ており、臣民にも多くの死傷者が出ているとか」

 プランシェと呼ばれた女性騎士の説明を聞けば、王国軍が如何に奮闘したかが伺える。
 門も壁も破られながら、それでも帝国軍の攻勢を耐え抜いたことは賞賛に値すると言っていい。しかし、その代償はあまりにも大きく、エデュアルトの表情からは悔しさがにじみ出ていた。

「国家存亡の危機だったからこそ、兵たちの執念と命がけの努力によってなんとか勝利をもぎとったが……これほどの大被害から軍を、国を立て直すとなると、どれだけの時間がかかるのか。正直なところ、俺には想像もつかん」

 腕を組んで肩を落とす大男。将として、また貴族として人の上に立っているからこそ、この被害状況に対する苦悩は非常に大きかったに違いない。
 だが、自分はその傷口に嫌でも塩を塗り込まねばならなかった。

『ですが、戦いはまだ終わっていません。このまま傷を理由に手をこまねいていれば、帝国はまたミクスチャを揃え、再度侵攻してくるでしょう。そうさせないためにも、次はこちらから打って出なければならない』

「む、無茶を申されるな! 我々は総力を結集しても、貴方に頼らねば王都を守ることすら危うかったのです! そんな状況で帝国へ攻め込むことなどとても不可能です!」

 よく通る声を裏返しながら、プランシェはガントレットを大きく振って抗議する。
 それも当然であろう。王国の傷はそれほどまでに大きいにも関わらず、帝国は元々多方面に軍を展開していたことから、1個軍が潰走しただけに過ぎないのだから。
 無論、もう一度同じ攻撃を受けたとしても、古代兵器の力を用いてミクスチャを撃破し敵部隊を蹴散らすことは可能だろう。だが、帝国軍だって指揮官は同じ人種である以上、再侵攻となれば必ず何かしらの対策を打ってくる。それこそ、密集戦法から散兵戦へと戦い方が変化するだけで、古代兵器の殲滅力は大きく減衰してしまう。
 だからこそ、ここで悠長に戦力の回復を待っている訳にはいかないのだ。

『厳しい作戦なのは百も承知です。ですが、帝国軍の圧倒的な物量とミクスチャは、時間を置けば一層強化されることでしょう。しかも、僕の力は有限で増やすことが難しい』

「た、たとえそうだとしても、それでは我々の被害が――」

「そこまでだプランシェ。我らの向かう先を決定することができるのは、女王陛下ただお1人である」

「……出過ぎた真似を」

 彼女は騎士でありながら、民衆感情に寄り添うことができる人物らしい。
 エデュアルトが女王陛下という名前を出したことで、硬い動作で引き下がったものの、握られた拳からは自分に対する僅かな反感が滲んでいた。

 ――善良な騎士様、か。

 セクストンに近いような堅苦しい雰囲気を纏っていることも含め、僕としては好印象を受ける女性である。それも、一旦顔を上げればそれまでの感情を綺麗に打ち消し、平静を保っているあたり大人なのだろう。
 目指す先が、自分もプランシェも平穏であることに違いはない。それをエデュアルトは察してくれたらしく、あからさまに話題を逸らした。

「ともかく、まずは目先の問題を急ぎ片付けねばならん。俺は父上と合流し、軍の再編を急ぐとしよう」

『あぁ、でしたら女王陛下に、今後の作戦計画については追って連絡する旨を伝えていただいてもいいですか?』

「む? なんだ、お前も来るものだと思っていたが、何かまだやらねばならぬことがあるのか?」

『ええ。家族を迎えに行ってやらないといけないので』

 エルフリィナ女王はこれから、軍の再編成や被害状況の確認、都市の戦災復興など様々な国家方針を決定しなければならないだろう。その場に自分のような機甲歩兵が1人のこのこ出ていったところで、邪魔にしかならないのだから。
 自分は成すべきことを成した。だからこそ、それ以上は下手に踏み込まないでおこうと気を遣ったつもりである。
 しかし、全身鎧の女騎士様はわなわなと身体を震わせたかと思えば、堪えきれなかったのか拳を握って前に踏み出した。

「え、英雄殿! いくら貴方であっても、女王陛下に対してそのような振舞い、流石に無礼では――」

「あーよいよい。俺的にもを優先してくれたほうが、色々と安心できるくらいだ」

 だが、叫び出して間もなく、隣から気の抜けた声が響いたことで、プランシェはしっかり出鼻を挫かれてつんのめった。

「ちょっと閣下!? 何言ってるんですか! 下手したら不敬罪ですよそれ!」

「阿呆を申すな。これが王国の将来を左右するものになるかもしれんのだぞ。一種の投資だ投資」

「え、ええぇぇ?」

 これまで見えていた燃え盛るような闘将の気迫は何処へやら。ぼりぼりと後ろ頭を掻くエデュアルトの様子は、休日に部屋でくつろぐオッサンのそれと大差がない。
 あまりにも急激な上官の変化に、プランシェはついていけなかったのだろう。今までにない間の抜けた声を出したが、理解が及ばないのは自分も同じだった。

『自分も話が読めないのですが、その、投資と言うのは一体……?』

「こっちの話だ。いいからはよう家族とやらを迎えに行ってやれ。あいつは普段ツンと澄ましとるが、結構子どもっぽいところもあるからな。あまり長く待たせたばかりに拗ねられると厄介だぞ」

 エデュアルトはシッシと手を振り、面倒くさそうに自分のことを追い払う。
 とはいえ、ここまで気を遣われてわからない程、自分もポンコツではなく、僕は深々と頭を下げて踵を返した。

『お気遣い、痛み入ります。それではまた後程』

「おう。他の連中にもよろしくな」

 状況が掴めずキョロキョロするプランシェを尻目に、青い脚で地面を蹴って舞い上がる。
 最早、翡翠は英雄として、一般大衆のよく知る存在となった。であるならば、わざわざのんびりと道を歩いて、お嬢様が拗ねてしまうリスクを冒す必要はないだろう。
 眼下には手を振る者も多く、その中には四方に散らばっていたであろうヴィンディケイタたちや、獣使いを軽々と引き摺るエリネラの姿も見えた。
 多くの血が流れたが、どうやら大切な縁者を失うことはなかったらしい。そう思えば、ようやく僕は少しだけ肩の荷が下りたような気がした。
 その一方、全く別方面の緊張感が腹の奥に走る。

 ――口にしちゃったからなぁ。

 弱気になるな。男だろう。と、自分に言い聞かせる。
 何せ、800年前であれば社会的な死を免れない案件なのだ。現代文明の倫理観はそうじゃないと言い聞かせても、やはり不安は込み上げてくる。
 だが、自分の口内がどれだけドライフルーツの如くカッサカサになろうとも、物理的距離が伸びたり縮んだりすることもない。
 ただでさえ、ベル地中海を数時間で越えてきた翡翠の飛行速度である。西門を飛び立ってから、コレクタユニオン支部の前に着陸するまでの時間など、本当にあっという間だった。
 いつもは朝市でにぎわう広場も、様々な依頼が張り出される街頭掲示板の前も、戦を終えた今日は閑散としている。
 だから、というのは言い訳かもしれないが、なんとなく僕は翡翠を着装したまま、コレクタユニオン支部の扉を押し開いた。

『これは……酷いな』

 先の飛行型ミクスチャによる攻撃に晒されたのか。天井に大穴があいており、受付の周囲には瓦礫が散乱している。
 それに加えてあちこちに見える血痕。不思議と遺体は見当たらなかったが、武器が残されているあたり、コレクタユニオンの職員たちも激しく抵抗したのかもしれない。
 そう思って床に転がった透明な破片を拾おうとした時、近くでギィと何かが軋んだ。

「キョウイチ」

 ちらと視線を上げてみれば、どこから現れたのか、マオリィネはいつものすまし顔でそこに立っていた。

『戦闘終了。帝国軍は散り散りに撤退したよ』

「そう。終わったのね、ようやく」

 ゆっくりと姿勢を正しながら、彼女の方へ向き直る。
 エデュアルトが口にしていたことだが、この籠城戦が明けない夜に思えたのは、彼女も同じだったのかもしれない。どこか遠くを見るような様子で、僅かに琥珀色の目を潤ませていた。

『ポラリスは?』

「あの子は地下で寝かせてあるわ。けれど、もう隠れる必要もないのね」

『ああ。本当によく頑張ってくれたものだ。早く温かいベッドに寝かせてやりたいが――』

 受付周りへ索敵システムを走らせ、動体反応がないことを確認する。
 この時、自分が中途半端に黙ったからだろう。翡翠のアイユニットは、不思議そうに首を傾げるマオリィネを捉え続けていた。
 息を吸って吐く。出撃前と同じように。
 密閉が解かれる音と共に背面の装甲とフレームが解放され、僕は金属製の外骨格を脱ぎ捨てて石造りの床を踏んだ。

「この時間だけは、なんとか許してもらうとしよう」

 マキナの外は驚くほどに寒い。けれど、小さく震える手は決して冷えによるものではないだろう。
 一呼吸置いてから、踏みしめるようにマオリィネに向かって歩く。技術の鎧を着ていない自分が、酷く弱弱しい存在に思えてくるが、それでも足に力を込めて、彼女に手が届く距離までたどり着いた。

「……随分改まった様子だけれど、私に何を言ってくれるのかしら。英雄様?」

「伝えたいことは、色々とね」

 小さく頬を掻く。
 パイロットスーツに身を包んだ男と、穴だらけになった公共建築。貴族令嬢へ語り掛けるというには、あまりにもみすぼらしい雰囲気だっただろう。
 だが、これ以上彼女を待たせたくはなかったし、自分自身をこれ以上甘やかしたくもなかった。

「マオは僕に、皆と向き合え、と言ったね。正直なところ、あれがなければ僕は未だに誰の気持ちからも、ひたすら逃げ続けていたように思う。それこそポラリスのこともあったし、何より誰かに好意を向けられる権利なんて自分には無いと考えていたから」

 いつの日かテクニカの地下で言われたことを思い出しつつ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
 1年にも満たない付き合いではある。けれど、一緒に居た時間はとても濃厚なもので、色々な表情が脳裏に浮かんでは消えていく。
 それをマオリィネはじっとこちらを見つめ、胸に手を当てたまま黙って聞いていた。

「だが、君との約束を果たすなかで、僕は皆との関係を考えることができた。まさかその中で、マオから告白されるとは、流石に思わなかったけれどね」

「っ――し、仕方ないでしょ! 私だって最初はそんなこと思わなかったわよ! でも気になり始めたら、ほらその……私って付き合いも浅いし、早く気持ちを伝えなきゃって思いもあったから……わかるでしょ」

 堪えきれず噴き出した感情に、彼女は1歩前へ出ようとしたものの、恥ずかしかったのかその場で頬を赤らめて制止し、語尾も徐々に小さくなっていった。
 だが、最後にチラと横目でこちらの顔を覗き込んでくる様は、流石に反則だろう。どうしようもなく愛おしいその姿を見た途端、自然と身体が動きかけ、まだ結論まで言ってないだろうが、と自分を必死で押さえ込んだ。
 けれど、もうこれで最後だ。結局どれだけ口を動かそうが、言い表せない感情は溢れ出る。だから1つ、己の口から言うべきことだけ告げるのだ。

「正直、自分が貴族になろうとは思えないんだが……それでも、この感情は、君への好意は嘘じゃない。どうか、僕と一緒にいてくれないだろうか」

 もう自分が受け入れようとしていることくらいわかっていただろうに、彼女は両手で口を押えると、琥珀が輝く眼から一筋の涙が頬を伝って零れ落ちる。
 いや、わかっていようともこの瞬間が大切なのだろう。何せ、後出しで右の手を差し出している自分でさえ、こんなに胸が高鳴っているのだから。
 やがて僕の掌にそっと細い指が添えられる。自分と同じように、パイロットスーツに覆われた、それでも美しい彼女の手が。

「……待たせてくれた分、ちゃんと幸せにしてよね」

「ああ。無責任な言葉になるが、約束しよう」

 マオリィネは、ゆるく顎が持ち上げる。
 どこか躊躇うような、それでいてねだるような仕草に堪えきれるはずもない。僕は空いた左手で彼女をゆっくりと抱き寄せ、静かに唇を重ねたのだった。
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