悠久の機甲歩兵

竹氏

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戦火

第257話 大地を踏み鳴らす者

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 古い文献に曰く、群体でないミクスチャというものは、往々にして個体ごとに様々な姿形を取るという。
 故に戦い方は一定せず、けれど必ず炎すら跳ね返す強靭な外皮を持ち、歴史に謳われる人種の国を数多く滅ぼしてきたのだ。
 そして今、化物と相対した多くの兵士達は、ユライア王国が時の奔流に呑まれようとしていることを悟っただろう。
 何せ彼らの眼前では、3階建ての家屋を幾つも繋いだほどの体躯を誇る化物が、瓦礫と化した防壁を巨木のような2本足で踏み砕き、胴体を覆うゴツゴツとした流線形の殻を震わせて唸りを上げているのだから。

「バリスタも魔術も小石みたいに弾かれてるぞ! まるで岩山だ!」

「こ、こんな化物、俺たちがどうこうできる相手じゃないですよ!?」

 クロスボウを構える兵士は悔し気に顔を歪め、触媒が入っているであろう小瓶を手にした魔術師は、震える声で絶望を叫ぶ。
 巨体に怯むことなく果敢に突撃した勇者たちも居た。だが、鋼の刃では甲殻に覆われていない脚部に傷をつけることすら叶わない。
 それをミクスチャは鬱陶しいとでも思ったのだろう。僅かに伸びをしたかのように見えた次の瞬間、その巨体を大地に叩きつけ、足元に居た兵士たちを血だまりへと変えてしまった。

「まさか本物のミクスチャだとでも言うのか……だとしたら、最早王都を守り抜くことなど――」

 部隊を指揮していた騎士は、小山のような化物が建物を押しつぶしながら進む姿を前に、呆然と立ち尽くすしかできなかったのだろう。
 だが、そんなミクスチャは数歩進んだところで、甲殻から激しい破砕音を響かせ、たたらを踏むようにして巨体を大きくよろめかせる。

「おうちこわしたら、めーだよぉッ!」


 ■


 篝火を映して輝く氷の台座。
 それは円筒形の身体を持つクラッカァの上で薄く広がって、まるで花のようだと私は思う。
 小さいながら幻想的に美しい舞台の上で、雪のように白い両手を前に向けて伸ばす少女は輝く空色の瞳も凛々しく、冬という季節が人の形を成しているかのようだ。
 とはいえ、中身が彼女である以上、それが長続きするわけもなかったが。

「うわ……ってちかくで見たらすっごいきもちわるい」

 たった一言で、神秘性などどこへやら。ポラリスは汚物を間近で見てしまったかのような表情を浮かべる。

 ――まぁ、気持ちはよくわかるのだけれどね。

 遠目には巨大な殻に覆われた胴体から、古木のように太い脚が2本生えているだけにしか見えていなかった。しかし、いざ近づいてみたところ、胴体底面は殻に覆われておらず肉のような表皮が露出し、何故か細い足のようなものが無数に蠢いていたのだ。
 おかげで私もさっきから背中がゾワゾワしているのだが、ミクスチャを前にそんなことを言っている余裕はなく、周囲に散らばる味方を庇うように前へ出る。

「この敵は騎士トリシュナーが引き受ける! 貴方達はチェサピーク卿と合流し、態勢を立て直しなさい!」

「む、無茶です! 単身であの化物に挑もうなど――」

「それが、この子たちを従える私の役目よ」

 周囲に居並んだ鉄蟹の姿に、部隊長らしき兵士は小さく息を呑んだ。
 きっと彼には引き締まった表情の私が恐ろしく、また凛々しく見えていることだろう。
 その内心はミクスチャへの恐怖から、キョウイチに縋りたくてたまらないというのに。

「これは命令です、負傷者を連れて後退なさい! 早く!」

「了解、しました……っ! 後退するぞ!」

 震える声の部隊長が踵を返して走り出せば、周囲の兵士たちもケガ人を支えながらその後に続いた。
 運命の歯車が1つ掛け違えば、きっと自分も彼らの方に居ただろう。あるいは、王国は抵抗することもできないまま消滅していたかもしれない。
 けれどそうはならなかった。だから私は深く息を吸って吐き、目の前で地面を打ち鳴らす化物を睨みつける。

「これ以上先には進ませないわよ――全機、攻撃開始ッ!」

「いっくよぉ、せーのっ!」

 クラッカァのキカンジュウとジドウテキダンジュウの音がけたたましく鳴り響き、ポラリスが神秘の力で生み出した氷柱が再び宙を駆ける。
 対する小山のような化物は、先ほどの攻撃を警戒してかその場で膝を折り曲げ、全身を甲殻で覆い隠した。
 それはまるで岩盤のようで、キカンジュウから吐き出される赤い光が弾かれ、テキダンの直撃も白煙を散らすばかり。更には、先ほど巨体を揺さぶったポラリスの氷柱さえ、その硬さを前にして一方的に砕け散ってしまった。

「見た目通り、とんでもない硬さね……ッ!」

「む! そっちがカメさんみたいになるなら――」

 ポラリスは小さく息を吸い、クラッカァの上で舞い踊るようにくるりと身体を翻す。
 すると彼女の周囲には薄く白いもやが現れ、合わせて篝火の光に照らされる空中がキラキラと輝いた。

「もっとおっきく、もっとかたぁく……もっと、もぉっとたぁくさん!!」

 まるで何かの合図のように、ポラリスが天へ向かって腕を大きく広げた途端、暗闇が支配する虚空には大量の氷柱が現れる。そのどれもが彼女の言葉通り、今までの倍近い大きさを誇っていた。

「そーれ、わんつーっ!」

 不思議な掛け声に合わせ、氷柱は意思を持ったかのようにミクスチャの殻へ襲い掛かる。
 彼女の生み出したそれらは尖ってこそいたものの、実際には硬さと硬さのぶつかり合いだったに違いない。辺り一帯にはとても氷が砕けているとは思えない程凄まじい音が轟いていた。
 とはいえ、最初は岩盤のような殻にぶつかる氷柱が、一方的に砕けていたように思う。そんな中、うっすらと瞳を輝かせるポラリスは、1発1発が打ち負ける度に魔術を強めているらしく、氷柱は確実にその大きさを増していった。

「たりないたりないたりないの! まだまだギュってかたく、ギュってつよく――!」

 鉄蟹の上で回る少女は、どこか狂気を帯びたように笑う。
 だからだろうか。彼女が生み出した氷もいつしか鋭利さを失って、鈍器のような見た目へと変貌を遂げていた。
 最初にミクスチャを揺さぶった氷柱など、最早霜柱程度にしか思えない。それほど大きく育ったに、ポラリスは恍惚とした表情を浮かべながらゆっくりと腕を振り下ろす。
 刹那、響き渡ったのは今までと大きく異なる破砕音と、化物の耳障りな雄たけびだった。

「アハハハハハっ! どーだ、参ったかぁ!」

「こうなると、どっちが化物かわからないわね……」

 その叫びは恐怖なのか、はたまた痛みによるものなのか。強靭な甲殻に亀裂が走ったことで、今までひたすら攻撃を防ぎ続けていたミクスチャは勢いよく立ち上がると大きく身体を揺さぶり、甲殻の下から何かをボトボトと地面に振りまいた。

「おぅ!? ままままマオリーネぇ! なんか小っちゃいのがワサワサきてるよぉ!?」

「巨体の癖に芸が細かいことね――ポラリス搭乗機5番機以外は攻撃目標を変更、新たに出現した小型のあんのうん不明生物を迎撃なさい!」

「ホントにカニカニだけでダイジョーブ!?」

「小さい連中くらいならなんとかできるでしょ! ポラリスはアイツに集中して!」

「う、うん!」

 キョウイチはこのジュウクラッカァという古代兵器について、場合によってはマキナにとっても脅威となる、と語った。
 ならば巨大な相手に歯が立たずとも、人間程の大きさしかないミクスチャモドキが相手なら、最悪足止め位はできるはず。
 そんな賭けに近い私の指示にも、恐れを知らぬクラッカァ達はポラリスが乗っている5番機を残し、円盤状の胴体から虫のような細い足が無数に伸びる小型の異形に狙いを定め、果敢に攻撃を開始した。
 キカンジュウがぬめった様な異形の身体に風穴を穿てば、無数に生える足に捕まったクラッカァの外殻が円形の口に噛み砕かれる。ジドウテキダンジュウが直撃して異形の肉が宙を舞い、複数体に組みつかれたクラッカァが火花を散らしながら崩れていく。
 互いの亡骸は次第に積み重なる。それでも小型の異形はミクスチャと呼ぶには弱く、飛び道具で十分撃破できたことで、状況はまだこちらに優勢だった。
 ただ、それはあくまで小さな異形と鉄蟹の戦いだけを見れば、だが。

「――ふゃぁっ!?」

「くっ!」

 轟音と共に起こった激しい地揺れに、ポラリスは氷舞台の上で尻もちをつき、私も危うく軍獣ごと転倒しそうになった。
 大きな体躯は相当な重さを誇るのだろう。何せ、巨大なミクスチャはただ方向を変えただけにも関わらず、周囲の建物からはバラバラと瓦が落ちていくのだから。
 大地を揺らす旋回は鈍重そのもの。しかし、それは明らかにポラリスへ狙いを定める行動であり、亀裂の走った甲殻を衝角のように構えるやいなや、ミクスチャは猛然と走り出した。

「わわわわわわっ!? カニさんよけてよけて!」

 一直線に5番機目掛けて突進するミクスチャに、クラッカァは私の指示を待つことなく、4本の細い脚で大きく後ろへ跳んで躱す。ポラリスが転げ落ちなかったのは、尻もちをついていたことによる不幸中の幸いだろう。
 だが、ミクスチャの進路上に居たクラッカァの全てが回避に成功したわけではなく、いくつかは跳ね飛ばされ、またいくつかは体当たりを受けた建物の崩壊に巻き込まれて破壊された。
 しかも破壊したクラッカァや建物などには目もくれず、巨体は周囲を踏み砕きながら再びポラリスへ向き直って走り出す。
 明らかに自身が狙われている状況では、いくら彼女でも魔術の行使に集中できるはずもなく、だからと言って小さな氷柱をぶつけたところで巨体はビクともしない。

「こ、このままだとぺちゃんこにされちゃうよ! マオリーネぇ!?」

 ポラリスの悲鳴に私は下唇を噛んだ。
 真銀の刃すら通らない相手に対し、自分が切れる手札はクラッカァとポラリスだけ。しかもクラッカァは未だに小型の異形と交戦中であり、何よりミクスチャに打撃を与えられるほどの力はないため、敵の気を逸らすことすら難しいだろう。

 ――何か、何かないの?

 ここから逃げ出すことも考えた。だが、凄まじい突進の速度から逃れることは難しく、大防壁すら崩せる敵を妨げる障害など王都にはない。
 隙を見せれば込み上げてくる絶望感に、握ったサーベルは小刻みに震える。それでも、思考をとめてはならないと必死で言い聞かせ、周囲を見渡して頭を捻った。

「……あっ」

 目の前でパッと散った液体を見た時、自分の脳裏に走る一条の光を見た。
 それは小型の異形をクラッカァの姿。
 知らず知らずの内に、私は不思議な飛び道具の力に酔いしれていたのだろう。
 だが、人々の間で鉄蟹が脅威として語られる理由はそうじゃない。
 そしてもしも同じようにできるなら、あるいは。
 思いついた瞬間、私はサーベルを鞘に叩き込み、軍獣アンヴを全力で走らせた。
 頑丈な蹄で瓦礫の上を飛び越え、ミクスチャの攻撃を躱し続ける5番機へ肉薄する。

「ポラリス! こっちに飛んで!」

「え――えええええええ!? むりむりむりだよー!」

「ちゃんと受け止めるから! 早く!」

 突然の無茶苦茶な注文に、彼女は潤む瞳を不安そうに揺らして尻込みする。
 しかし、背後から巨体が向きを変える地鳴りが轟けば、ポラリスはビクリと肩を揺らしてからギュッと瞼を閉じた。

「――う、う……うぅなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 もうどうにでもなれ、とでも言いたげな絶叫と共に、勢いをつけて宙へ舞う小さな体。それも目を瞑ったままであり、彼女には自分が何処に向かって跳んでいるのかさえわからなかっただろう。
 両手両足を突き出して突っ込んでくるポラリスに対し、私はあぶみの上に立って手綱を離し、広げた両手で小さな体を必死につかまえた。

「うぐっ――ぽ、ポラリス、怪我してないわね!?」

 小さく呻きを漏らしただけで済んだのは、彼女が小さく軽かったからだろうと思い冷や汗が流れる。

「……い」

「い?」

 い、とは何だろう。
 しがみ付くようにして胸に顔を埋めたまま硬直している彼女から、最初に漏れ出た謎の1音に、私は手綱を握りなおして軍獣を走らせながら首を傾げた。

「いったぁぁぁぁぁぁぁぁい!!」

 薄明の空へと打ちあがる甲高い叫び声。
 赤くなった額を押さえ、今にも決壊しそうな程潤む空色の瞳でポラリスはこちらを睨んでいた。

「マオリーネかったいよー! おでこもおはなもジンジンするぅ!」

「へ?」

 一瞬、私は何を言われているのかわからず、キョトンとしてしまった。
 何せ自分は乙女である。その胸に飛び込んでおきながら、硬いとは随分な言いようではないか。
 ただ、ガチャリとガントレットが鳴った事で、自分が強固な真銀鎧に包まれていることを思い出し、安心が半分と申し訳なさ半分の複雑な気分が込み上げてきた。

「え、えぇっと、その、ごめんなさい――ってそうじゃなくて! ポラリス、まだ魔術は使える!?」

「うー……まだスカスカちがうけど、あんなに追っかけられたらおっきいのは出せないよ?」

「作戦があるのよ。言った通りにできる?」

 中途半端な謝罪にポラリスは頬を膨らせて少々不満そうだったが、背後でミクスチャが狙いを定めている状況でぶう垂れる続けることはせず、私の作戦に耳を傾けていた。

「……うん、それならできると思う」

「上等ね。一泡吹かせてやりましょう」

 膝の上に座ったままのポラリスと頷きあえば、彼女はまた静かに瞳に魔術の光を宿す。
 それを確認して、私は手綱を引いて軍獣を旋回させ、地面を引っ掻くミクスチャへと向き合った。
 セイモンニンショウに用いる耳にひっかけた小さな道具に手を添え、深呼吸を1つ。

「――覚悟はいいわね、化物!」

 私は精一杯の気迫を声に乗せてサーベルを引き抜き、巨大な敵へ向かってその切先を突きつけた。
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