悠久の機甲歩兵

竹氏

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戦火

第250話 2つの陣中

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 ユライア王国首都、ユライアシティ。
 それは世界で最も肥沃な大地と呼ばれる大穀倉地帯、ユライアランドのおよそ中心に築かれた古い城塞都市である。
 大量に収穫される穀物コゾは国内を潤すだけでなく、世界各地に輸出されることで巨大な資金源となり、領地の狭い王国を世界に名だたる国家へと飛躍させていた。
 ただし、豊かな大草原に四方を囲まれた城塞都市は平時こそ豊かであれど、戦時には防衛に不向きな土地でもある。
 それでも歴史上の人々は豊富な食料を求めに求め、大変な労力を持って巨大な壁を二重に張り巡らせることで、ようやくユライアランドという土地を占有することを叶えたのだ。
 しかし、その絶対的とも言えた防御は今、大きく揺らごうとしていた。

「まさか、これほどとは……」

「お、王都の四方を兵士で囲むなど、帝国の兵力は我らの何倍なのだ……?」

 防壁上に居並ぶ将や騎士たちは、揃って圧倒的な数による恐怖を口にする。
 閉じられた城壁の向こう側で視界一杯ひしめく帝国旗。今までなら食料不足によって動かせなかった恐ろしいほどの大兵力が、意気軒高と槍を空に向けて立ち並ぶ。
 ユライア王国とて余裕のある食料資源によって、領地の広さに対して大きな軍隊は持っている。その精強さは今まで、寡兵でありながら帝国軍を跳ね返してきた。
 だが、今回は違う。
 城塞都市に立てこもる王国軍兵力は、各地からかき集められた部隊と、農民町民が義勇兵として参加することで万を超えていた。
 それでもなお、帝国軍の何分の1なのかわからない。
 しかし、それほど圧倒的でありながら、帝国軍は周囲を取り囲むだけで一気に攻め寄せてこようとはせず、わざわざ使者を寄越して降伏勧告を突きつけてきた。それが王国を見下す余裕の現れであることは、言うまでもないだろう。
 この圧倒的な現状を前に、王国軍全体へ動揺が広がる中、最高司令官として城壁上に立つガーラットはカイゼル髭を撫でながら、フン、と鼻を鳴らした。

「盗人国家風情が無傷で王都を渡せとはな。神国を破った事で随分勢いづいたものである」

「いやぁ実に然り。連中がミクスチャを使役しているとはいえ、随分と舐められたものですな」

 老将が冷たい視線を投げる一方、その隣で同じ血が流れているとは思えない筋骨隆々の男、エデュアルトは太い腕を組んでガッハッハと笑う。
 ただし、その瞳には敵を前に煌々と炎が燃えており、将と言う手綱が無ければ今すぐにでも敵集団に飛び込んでいきかねない様子だった。

「だが……救いようのない連中の間抜けさ加減が、我らに時間を与えたことも確かであるな」

「ほぉ! マオリィネのことがありながら、その相手を父上が頼るとは! これは空が割れても不思議ではありませんぞ!」

 ニィと口の端を上げて笑ったガーラットに対し、エデュアルトは心底意外そうに声を上げる。
 今回の作戦が英雄アマミに依存しているのは最早疑いようもない。それでも老将の性格をよく知るエデュアルトは、マオリィネの想い人を認めるようなことを口にするとは思わなかったのだ。
 ただ、あまりにも直接的にそれを指摘されたせいか、ガーラットは不敵な笑みをきれいサッパリかき消すと、これ以上ないほど苦々しげに表情を歪めた。

「勘違いするなエデュアルト。吾輩は奴を認めてなどおらんぞ。ただ、今は歴史に類を見ない国難であるが故、そこに私情を持ち込めんだけだ」

「いい加減お認めになったらよいではありませんか。しっかり負けたのですから」

「ぐ……戦の前に余計なことを申すでない。気が散ってならんわ」

 白銀の鎧をガチャリと鳴らし、老将は無理矢理会話を切り捨てて眼下の敵を睥睨する。
 そんなガーラットの下へ、緩く歩み寄る騎士の姿があった。

「ガーラット殿」

 小太りの身体に丸い顔。細い髭を生やした特徴的な中年貴族、マーシャル・ホンフレイは恭しくその場で頭を下げる。

「この度は、未来永劫償いきれぬ大失態を犯したこの身に、誉のもとに死ぬる場を与えてくださったこと、心より感謝いたす」

 国境防衛の任を受け、司令官として前線に立っていたホンフレイは、大敗を重ねたことにより多くの貴族から激しい糾弾に晒された。所領の没収に爵位の剥奪、中には斬首刑を求める声もあった程である。
 それに対してホンフレイは、難民の多くを避難させられたことのみを誇りながら、他の責任は一切自分にあるとも叫び、全てを受け入れる姿勢を取っていた。
 ただ、貴族たちの声があまりにも無責任なものだったことで、エルフィリナ女王は互いの言い分を認めようとせず、新しい敵を知る者として再び彼に部隊の指揮を任せたのである。
 だからこそ、ガーラットはホンフレイに向き直ると、小さく首を横に振った。

「お主の功績は陛下がお認めになっておるのだ。阿呆なことを申すでない」

「勿体なきお言葉……しかし、私はオブシディアン・ナイトを失った挙句、帝国の侵攻を許し、あまつさえ我らが大橋までを落とした大罪人であります」

「そう卑屈になるなよマーシャル。貴様は化物を連れた連中の歩みを見事遅れさせ、臣民の命を救ったではないか」

 古い友人の腹の底から出るような低く冷静な声に、エデュアルトはわざとおどけたように笑う。
 それを偏屈者と称されるホンフレイは、ぐぅと詰まったような唸り声をあげこそしたが、硬い表情だけは崩さなかった。

「……私にはそれしかできなんだのだ。お前なら、もっとうまくやっただろう」

「俺でも同じことしかできんかったさ。ならばこそ、この現状はどう足掻いても揺るがんよ」

 王国側には絶対的な数を埋められる作戦も、ミクスチャを撃滅する力もない。
 唯一作戦らしい作戦は時間を稼ぐこと。そのために突っぱねる前提の降伏勧告に、協議するのでしばし待たれよ、などと頭を下げてまで時間を稼いでいる。
 だが、いくら余裕を見せつける帝国軍とて、明日の朝まで悠長に待とうとはせず、日没を刻限として侵攻開始をチラつかせていた。
 茜に染まる空を前に、ガーラットはいよいよと覚悟を決めて息を吐く。

「今の我らには誰かの責を問う時間など残されてはおらん。それでも呵責に悩むと言うなら、北門を最後まで守り抜き、己が責を挽回して見せよ」

「我が身命を賭して、必ず」

「では、俺もそろそろ南へ戻るとしましょう。あまり遅いとまたプランシェ副官の小言が止まらなくなる」

 ホンフレイは深々と一礼すると踵を返して駆け出し、それに続いてエデュアルトも数人の兵士に声をかけつつ城壁の上を大股に歩いていく。
 それらを見送ることもなく、ガーラットは静かに自らのカイゼル髭を小さく撫でた。

「……もしも、もしも我らが敗れた時は、戻ってくるでないぞ」

 誰にも聞こえない声は夕風に消えていく。
 それは王国の栄華を覆い尽くそうとするかのようにも見えた。


 ■


「その様子だと、最後まで命令は変わらなかったと見ていいね? キメラリア君」

 帝国軍陣地において各軍団長が集められた最終会議の席。大部隊の最高指揮官であるウェッブ・ジョイ将軍は、いつも眠たげに見える眼を更に細めて小さく息を吐く。
 対するキメラリア君こと毛深い女サンタフェは、小さいながら上等なスクロールを広げ、緩く肩を竦めて見せるだけだった。

「今までと変わんないよ。切札として温存せよ、ってだけ」

「ふぅむ……兵を使い潰したくはないのだが、そう仰られるなら是非もない。事前の予定通り、制限のないイソ・マン失敗作を正面に押し出し、部隊の消耗を最低限に抑えるよう各軍団長は努力してくれたまえ」

 現場のことがわかっていないとでも言いたげに、ウェッブは小さく肩を竦めながら居並ぶ3人の軍団長に苦笑を投げかける。
 その内2人は同調した様子で頷いていたが、ただ1人、巌の様にむっつりと黙り込んでいる男も居た。

「ロンゲン軍団長、これも陛下からのお達しなのだ。我らは忠誠を誓う身、精一杯戦うだけだろう?」

「……は、仰せのままに」

 宥めるようなウェッブの口調に、第三軍団を指揮するロンゲンは静かに応じる。
 だが、その内心に渦巻くのは将軍の言葉とは全く関係のない疑問であり、特に何も気にせず踵を返したウェッブの背中を睨みながら、自然と拳を握りこんでいた。

 ――アレはなんなのだ。最強の獣とは言うが、まこと化物ではないか。

 静かに目だけを動かして周囲の様子を伺っても、他の軍団長や上級指揮官たちは気にした素振りすら見せない。
 最強の獣やイソ・マンについては、皇帝ウォデアス・カサドールが生み出した帝国を象徴する力だと言う話が軍の中で伝えられており、ロンゲンとて作戦の準備段階時点では既に存在を把握していた。
 だが、実際にそれらが部隊に合流したのはグラスヒルにあるフォート・ペナダレン攻略作戦の直前であり、その姿と戦い方に彼は大きな疑問を覚えたのである。
 勝つためなら手段を選ばないのが戦争であることは重々承知。だが、矢も槍も効かぬ肉を持った生物など、ロンゲンは1つしか知らない。

「いや、そんなことを人間ができるはずがない」

「へぇ? ロンゲン軍団長、面白いこと言うね」

「ぬ……?」

 薄く開いた口から零れた独り言に、まさか返事があるとは思わなかった彼は、ゆっくりと顔を声の主に向ける。

「面白いとはなんだキムン」

 女子供が見たら泣き叫ぶこと請け合いの強面と、地響きがするような低い声。だが、相対する毛深い女性は興味深そうな笑みを浮かべるばかりで、怖がった様子など微塵もない。
 それどころか、むしろウェッブと話をしていたときより親し気に口を開く程だった。

「くふふ、旦那みたいなのは帝国軍に珍しいよね。作戦前でごめんだけど、歩きながらでいいからちょっとだけお話しない?」

「キメラリアである自覚がないのか、貴様は」

「キムンにあるのは強いか弱いか。それ以外は大した問題じゃないし、旦那からは同じ臭いがするけどねぇ?」

 これがただのキメラリアなら、声をかけてきた時点で覚悟はできてるんだろうなと凄んで終わりだっただろう。何せロンゲンは庶民出身とはいえ、軍団の指揮を任された特別な人間である。
 だが、庶民から力で成り上がりを見せたロンゲンだからこそ、サンタフェの言葉には妙な説得力を感じてしまい、僅かに言葉を詰まらせた。

「……軍団指揮に戻る。それまでなら、好きにしろ」

「くふふ、好きにするよぉ」

 できるだけ威厳を込めて、自分から認めたわけではないとお題目をつけ、ロンゲンはゆらりと天幕を出る。
 するとサンタフェは実に嬉しそうにその後を追い、意外なほどに近い距離で彼の隣を歩く。

「ねぇ、旦那は軍団長なわけでしょ? なんで皇帝陛下から預けられたものを不思議に思ってんの?」

「不思議になど思っておらん。陛下のお力は絶対だ」

「わっかりやすい嘘だなぁ。不器用だって言われない?」

「貴様、俺を煽るためについてきたのか?」

 大柄なロンゲンが歩幅を広げても、キムンであるサンタフェもまた女性とは思えぬほどの体躯であるため、身体を離すことは叶わない。
 おかげで2人は次第に歩みが早くなる。そんな巨体2人が、それも1人は巌のような顔で夕陽を浴びながら突っ込んでくるのだから、忙しそうに歩き回っている兵士たちには怯えて道を開けることしかできなかった。

「ごめんごめん、そーいうつもりじゃなくってね。ただ、他のみんながなーんにも不思議に思わない中で、旦那だけが気にしてるみたいだったからさ」

「……だとしたら、なんだというのだ」

 ふと、重々しい鋼の軍靴がガチャリと音をたて、その動きを止める。
 適当なことを言えば殺す。ロンゲンの細い目は如実にそう語り、息が詰まるような圧迫感を滲ませながらサンタフェを睨んだ。
 だが、彼女は怯むどころか立ち止まってくれたことが嬉しいとでも言いたげに、身体をくるくると回しながらロンゲンの進路を塞ぐように前へ出ると、スタイルのいい身体を前かがみにして上目遣いにくふふと笑う。

「旦那の想像通り、あれはミクスチャだよ」

 見透かしたような一言に、薄い汗が背中を伝い、太い首が小さくごくりと鳴った。
 無言の見つめ合い。そこだけ時間が切り取られたかのような静寂はどれほど続いただろう。
 やがてロンゲンはふぅと大きく息を吐きながら、肩の力を抜いて僅かに視線を持ち上げた。

「――問題にならんな」

「へぇ? 人種の、いや全部の生物を憎む化物なのに、気にしないんだ」

「俺は軍人だ。命令があれば、それに従って戦うことしかせん。全ては国の安寧のため、陛下と民のためにだ」

 これだけは揺るがん、と巨漢はグラディウスの柄頭に掌を置く。
 エリネラに認められて軍団長という立場にまで上り詰めはしたが、彼の根底は何処まで行っても庶民である。だからこそ、彼は戦争の勝利によって国が豊かになることを望んだ。
 敵が居なくなれば、徴兵されていた者たちが町村に戻る。働く者が増えれば荒地を開墾することもでき、敵からの戦利品も加えて飢えに苦しむ必要もなくなるはず。
 それは彼が幼いころから望み続けた夢であり、この強面に兵たちが心酔する理由でもあった。
 あまりに純朴な言葉に、サンタフェは一瞬目を大きく見開いて驚いていたが、しかしやがてポリポリと後ろ頭を掻くと、全てを見透かしていたような今までとは違い、無邪気な笑顔を小さく零した。

「堅ッ苦しい考えだけど、オレはそういうのも嫌いじゃないよ」

「貴様の好き嫌いなんぞ知らん」

「まぁまぁそんなこと言わないで、よかったら今度、お酒でも付き合ってよ。あ、手合わせでもいいよ大歓迎!」

 丸い尾と耳はほとんど動かない。だが、ポンポンと肩を叩いてくるのはまるで子どものようであり、ロンゲンは余計に混乱していく。

「……なんなんだ貴様は」

「くふふ、オレに興味持ってくれたんだ。それはすっごい嬉しいんだけど、こう見えてオレはいい子だから、今は退屈な御勤めに戻るとするよぉ」

 だが、彼の問いかけにサンタフェは答えることなく、軽いステップを踏んで今まで離れていく。今まであれほど距離が動かなかったのが嘘かのように。

「そんじゃ、また会おうね旦那ぁ」

 夕陽に照らされる歯を覗かせた笑顔は、一切の冗談を含まない。心の底から再会を望んでいるということは、心の機微に疎いロンゲンにも察せられた。
 おかげで、勅命の伝令という大任さえ受け持つ謎多きキムンの存在が、より一層分からなくなっていったのだが。

「お疲れ様です軍団長。作戦開始は――どうかなさいましたか?」

 ふと、聞こえた声にロンゲンがハッとすれば、中年小男が普段と変わらぬ様子でヒョコヒョコと歩み寄ってきていた。
 だからだろうか。口をついて内心の疑問が零れ落ちたのは。

「なぁゲーブル、キムンとは面倒くさい奴が多い種族だったか?」

「……と、言われましても、何のお話ですか」

「いや、何でもない。それより、少し気になる情報を手に入れた」

 首を傾げるゲーブルに対し、ロンゲンは緩く首を振って話を切り替える。
 戦闘が目前に迫っている以上、彼らが集中すべきは担当する東門の攻略だけ。
 ただそこに、僅かばかりノイズが走っただけに過ぎないのだから。
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