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戦火
第224話 高温多湿
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ポロムルを出航してから7日目の朝。
海賊被害も軽微なリング・フラウは順調に航海を続け、いよいよ眼前に陸地を捉えた。これはシューニャが予想した最短の航程である。
彼女の計算が素晴らしいことは自他共に認めよう。ただ、想定外の事態がないとは言えない。それは夜明け前頃から襲い掛かってきていた。
『凄い湿度だな……こっちは冬じゃないみたいだ』
まるで熱帯雨林に居るかのような高温多湿。陸が近づくほどに跳ね上がる不快指数は、自分たち全員を早い時間から叩き起こしてくれた。
ユライア王国からどれほどの距離かはイマイチわからないが、あまりにも大きな気候の変化であろう。しかし、シューニャはそれを当然と涼しい顔で言い放つ。
「スィノニーム付近の特徴。年間を通して非常に暑く、雨が多いことから常に強い湿気に覆われている。ただ海上より陸の方が少し涼しい」
「そう言うこたぁ先に言っとけよ……これじゃ防寒着なんざ全部重石じゃねぇか。くそ、翡翠の生命維持装置が羨ましいぜ」
翡翠が積まれていた船倉の中でげんなりとした声を出すダマルは、鎧下の綿入りを取り払って空間ができたからか、いつも以上にガシャガシャと煩い。
無論、自分も防寒着であるシアリングジャケットはザックの奥へしまい込んだが、翡翠を纏ってしまえば服装など関係なく、誰よりも快適な環境と言えるだろう。これはあらゆる環境で戦うことを想定した上で、マキナに求められた重要な能力だった。
おかげで早くも僕は翡翠を着装し、接岸作業が終わるのを待っていたのだが、ただでさえ汗をかきにくいと言われるキメラリア達は、その短時間さえ耐えられなかったのだろう。冷たいマキナの装甲にピッタリと貼りついて離れない。
「雨期でもここまで酷くないッスよぉ……どうなってんスか」
「じとじとしてて気持ち悪いですー……」
ファティマは久しぶりにバックサイドサークルで買った革製のノースリーブとキュロットスカートの組み合わせとなり、その上から一応胸甲と小札の腰巻を装備する涼し気な恰好になっていたが、それでも暑さに耐えかねていた。
しかし、彼女はまだマシな方で、アポロニアに至ってはダスターコートやタートルネックなどとても着ていられなかったのだろう。タンクトップにハーフパンツという極限までラフな格好で、身を守る鎧は鉄片ひとつ身に着けていない。
そんなアポロニアの恰好に、マオリィネは珍しく同情的な視線を向けていた。
「はしたないって言いたいのだけれど、この暑さじゃそうも言えないわね……本当に上陸したらマシになるの?」
「ん、少しはマシ」
旅装用の部分鎧は脱いでも、ドレス姿だけは意地でも貫くつもりらしいマオリィネは、長い黒髪を汗に濡らしながらも必死で不快感に耐えている。
逆にシューニャは防寒着を脱いでポンチョを羽織るいつもの恰好ながら、気候に慣れているのか涼しげな表情をしており、それにポラリスが貼りついていた。
「ねぇー、なんでシューナ平気なのぉー……あっついよぉ」
「くっついたら余計に暑い。やるならキョウイチに」
つれない言葉でぐいぐいと押し返してくるシューニャに抵抗して、まっ白な少女はパタパタを両手を振るものの、いくら非力だと言っても年齢的な力の差は埋まらなかったのだろう。結局諦めて僕の方へ戻ってくると、両脇に貼りつくキメラリア2人の隙間へ入り込み、ごつごつした胴体ユニットに正面から張り付いた。
『ポラリス、身体の調子はどうだい?』
「キョーイチはシンパイショーすぎるよ。きのうも、きのうのきのうも平気だったのに」
『そうは言うけど……まぁ元気ならいいんだ。うん』
一晩眠って復調したポラリスは、そこから今日に至るまでずっと元気だった。それでも、大人としてはぶり返したりしないかと不安になるのだ。
ただ、本人が大丈夫と言うからには、それ以上何かを言うこともできず、僕は翡翠の中で黙り込む。すると左右から、お父さんだの、娘には甘いだのと聞こえた気がしたが、とりあえず努めて無視しておいた。
■
リンデン交易国、首都スィノニーム。
快速船リング・フラウの水夫たちに見送られた自分たち――主にポラリスだろうが――を迎えたのは、石造や煉瓦造の建物が立ち並ぶ大都会である。透明とは言い難いもののガラスが窓に多用される様は、技術力の高さと都市の豊かさを感じさせる。その上あちこちに商会が軒を連ねており、人の往来も今までに見た現代の景色で最も盛んだった。
『これは凄いな……貿易に特化した国と聞いていたが、それ以上に工業力がある』
「大したもんじゃねぇか、名前詐欺もいいとこだぜ」
そう言ってダマルが指さすのは、港の近くへ注ぐ大河である。北西の山脈から流れているというその川に沿って、造船所が立ち並んでいるらしく、一帯に様々な工房が集中していた。
現代文明において産業革命の産声が上がるとすれば、この国なのではないか。そう思ってしまうことも仕方ないだろう。感心した様子の僕やダマルに対し、マオリィネはどこか不服気だった。
「ちょ、ちょっと発展してるけど、なんだか雑多な感じじゃない? ほら、王国と違って情緒がないわ」
「しょうもないところで貴族ッスね……悔しいなら悔しいって言えばいいじゃないッスか」
「く、悔しくなんてないわよ! 食べものの豊かさだったら、ユライアの方が上なんだからね!?」
アポロニアが梅干しのような顔をするのもむべなるかな。彼女の言い方では、食糧事情以外において負けていると宣言しているようなものである。マオリィネも言ってからそれに気づいたらしく、そうじゃなくてと繰り返していたが、この辺りが彼女のポンコツさなのだろう。
しかも論を重ねる事すら、シューニャは許してくれなかった。
「そんなことはどうでもいい。今やるべきなのは、司書の谷へ向かう獣車を確保すること。時間は有限」
「ぐぎぎぎ……」
「ほら、力んでないで行くッスよ。マオリィネが何か産むつもりなら知らないッスけど」
「う、産むわけないでしょ!? 貴女、そういうことは――って、コラ、聞きなさいってばぁ!」
一度剥がれたクールの面は簡単に戻らないらしい。全員が歩き出しているのを慌てて追いかけてくると、暫くアポロニアに苦情を振りまいていた。不快指数が高い空間で、よくもまぁ叫べるものだと感心する。
海上よりマシになったとはいえ、装甲の外は相当に蒸し暑いのだろう。ファティマとポラリスは曇り空の下でげんなりしつつ、無言でシューニャの後をついて歩いていた。無論、翡翠を着装している自分も一緒なのだから、人々は進んで道を譲るなり、興味本位でついてきたりと混乱を招いたが。
そんな群衆を振り払うようにしながら、彼女が案内した先は町の出口付近。大きな獣車が前に止められた建物だった。
「司書の谷と交易をしている数少ない商会」
短く彼女はそう言うと、全員を外で待たせて1人建物の中へ入っていく。それに何の意味があったのかはわからないが、以前自分たちがアポロニアの服を探した際、色々とトラブルがあったから警戒していたのかもしれない。
しかし、シューニャを待っている短い間だけでも、環境に慣れていない面々は早くも消耗し始める。特にファティマとポラリスがげっそりしてきたため、近くの出店で売られていた果物のジュースで喉を潤すこととした。
「あまくておいしー……けど、ぬるい。ねぇ、つめたくしていい?」
一口啜ったポラリスは、そんなことを言いながら見上げてくる。
魔法の使用による体調不良から数日と経っていない状況で、いきなり白物家電的な利用をするのはいかがなものかと思ったが、ファティマはおろか、アポロニアとマオリィネからも期待の目を向けられてしまえば多勢に無勢だった。
『わかったわかった、そんな目で見ないでくれ。無理のない範囲でね』
「やった!」
嬉しそうに拳を握ったポラリスは、早速とばかりに自らのマグに魔術を行使する。ただでさえ空中に氷塊を出現させるような力であるため、ジュースを冷やすくらいはなんということもなく、むしろ制御が難しいのかダマルが飲んでいた分はシャーベットのようになっていた。
「ホントにポーちゃんは凄いですね。キンキンに冷えててとっても美味しいです」
「ぷぁぁー……生き返るッスよぉ……あっ、このクソ暑い中でお酒冷やしたら、滅茶苦茶美味しいんじゃ?」
「気持ちはわかるぜ。つっても、エールをシャーベットにされちゃたまんねぇけどな」
ファティマとアポロニアは、今までの不快感を吹き飛ばすようにジュースを流し込み、ダマルは1人兜の中からジャリジャリ音を響かせる。ポラリスは流石に一気と言う訳にはいかないのか、口から零れた果汁をマオリィネに拭かれてもごもご言っていた。
とはいえ、実際ヘッドユニットを外して飲んだジュースは、冷蔵庫に入れる以上に冷えていて美味い。それも1週間に渡る船旅で、鮮度の落ちた食品しか口にしていなかった身には、まこと格別というべき味である。
そう自分が感じるのだから、戻ってきたシューニャが膨れるのも無理はない。
「……私の分は?」
「あるから、そんなハコフグみたいにならないでくれよ。ポラリス、頼む」
「はい、シューナ」
これで準備しておかなかったら、暫く口を利いてもらえなかっただろう。小さな喉を鳴らして冷えたジュースを飲むと、彼女はふぅと小さく息を吐いて、契約書らしい紙を取り出した。
「大型の専属便をとりつけた。出費は痛いけれど、これなら何かと融通がきくし、1週間くらいは待たせておけるから、荷物の輸送には最適なはず」
「金ってのは偉大だな。そいつにゃマキナも乗せれんのか?」
「それは……キョウイチには申し訳ないけれど、正直難しいと思う」
『なに、1人だけ快適空間に居るんだ。徒歩行軍くらいなんてこともないさ』
3日の行程と聞いていたので、それくらいは問題ないとヘッドユニットを装着しなおしてもらいながら、軽く手を振って小さくなるシューニャに答える。いくら機械化された行軍が基本だったとはいえ、徒歩による長距離行動ができない歩兵など何の意味もないのだから。
「それで、すぐ出発するのかしら?」
「出発は昼頃の予定。それまでに道中必要な保存食の確保と、時間が余ればファティの武器が無いかを見ておきたい」
■
朝市はどの国に居ても賑わうらしい。食料品を買い求める人々が殺到する屋台には、王国とはまた大きく異なる環境のため、見たこともない野菜や果物が並んでいた。
ただ、そんな中に翡翠を着装した自分が入れば混乱は必死であろう。一応、下船時にはテクニカが書いた、自分が無害であることを証明する覚書を官憲へ届け出ているものの、大混乱が起これば覚書の真偽そのものを疑われかねない。
と言う訳で、僕は町の出口付近で動かないまま、彼女らの帰りを待つこととなった。ありもしないテイマー役にマオリィネを残して。
『せっかくなのに悪いね』
「別にいいわよ。物見遊山で訪れたわけじゃないのだから」
『それはまぁ、そうなんだが……』
そう簡単に訪れられるものでもないのだから、と言おうとしてやめた。彼女の言う通り、目的は帝国との戦争に勝利するためであり、旅行として訪れているわけではないのだから。
だが、僕が言葉を詰まらせると、ベンチに腰かけていたマオリィネはこちらを覗き込むようにして笑った。
「それとも、私と2人きりじゃ不満かしら?」
『まさか、そんなことはないよ』
自分がマオリィネを疎むはずもなく、彼女もきっとわかっていてそんなことを言ったのだろう。口を押えてクスクス笑うと、珍しく翡翠の腕に絡みついてきた。
「私はむしろ嬉しいくらいよ? 2人になれる時間って、相変わらずほとんどないんだもの」
『まぁ、皆同じ家で暮らしているからね。思えばマオと2人になるのも久しぶりだ』
「そうでしょ? ねぇ、せっかくだから聞いていいかしら?」
『ん? 何を?』
わざわざ前置きをしてから問われるようなことがあっただろうかと首を捻ったが、マオリィネの質問は驚くほど簡潔だった。
「キョウイチは、子どもが欲しいって思うこと、ある?」
『そ、れは……』
どうなのだろう。思えば考えたことのない話だった。
性欲は人並みにあると思っていたものの、子どもとなると全く想像がつかず、僕は翡翠で腕を組んで考える。
ポラリスやヤスミンを思えば、子どもが嫌いということはまずない。しかし、そもそもの結婚観がトラウマから成熟していないため、家庭を築くというイメージが一切湧かないのだ。
だが、答えに窮したまま長く黙っていると、マオリィネは焦れたらしくヘッドユニットに顔を寄せてきた。
「私は、欲しいと思ってるわ」
恥じらいながらも、しかしハッキリと告げられた言葉には、快適な環境が維持されているマキナの中でさえ、カッと身体が熱くなった。
しかし、自分が答えを言わない内に、マオリィネはくるりと身体を離すと、いつもと同じように凛とした表情で向き直り、長い黒髪をふわりと払ってからふふんと笑う。
「これでも貴族の娘なのだから、子作りは大事な仕事よ。そうでしょう?」
『そ、そういう意味かい……驚かさないでくれ』
「あら? 違う意味の方がよかった?」
『からかうんじゃないよ、全く』
貴族にとって跡取りが重要なのはなんとなくわかる。マオリィネもトリシュナー子爵家の一人娘である以上、その役目は非常に重いのだろう。
彼女の言葉を役目として飲み込めば、やけに高鳴った心臓はようやく少し落ち着いてくれた。
ただ、クールに背を向けたマオリィネの耳が、やけに赤く染まっていることが気になったが。
海賊被害も軽微なリング・フラウは順調に航海を続け、いよいよ眼前に陸地を捉えた。これはシューニャが予想した最短の航程である。
彼女の計算が素晴らしいことは自他共に認めよう。ただ、想定外の事態がないとは言えない。それは夜明け前頃から襲い掛かってきていた。
『凄い湿度だな……こっちは冬じゃないみたいだ』
まるで熱帯雨林に居るかのような高温多湿。陸が近づくほどに跳ね上がる不快指数は、自分たち全員を早い時間から叩き起こしてくれた。
ユライア王国からどれほどの距離かはイマイチわからないが、あまりにも大きな気候の変化であろう。しかし、シューニャはそれを当然と涼しい顔で言い放つ。
「スィノニーム付近の特徴。年間を通して非常に暑く、雨が多いことから常に強い湿気に覆われている。ただ海上より陸の方が少し涼しい」
「そう言うこたぁ先に言っとけよ……これじゃ防寒着なんざ全部重石じゃねぇか。くそ、翡翠の生命維持装置が羨ましいぜ」
翡翠が積まれていた船倉の中でげんなりとした声を出すダマルは、鎧下の綿入りを取り払って空間ができたからか、いつも以上にガシャガシャと煩い。
無論、自分も防寒着であるシアリングジャケットはザックの奥へしまい込んだが、翡翠を纏ってしまえば服装など関係なく、誰よりも快適な環境と言えるだろう。これはあらゆる環境で戦うことを想定した上で、マキナに求められた重要な能力だった。
おかげで早くも僕は翡翠を着装し、接岸作業が終わるのを待っていたのだが、ただでさえ汗をかきにくいと言われるキメラリア達は、その短時間さえ耐えられなかったのだろう。冷たいマキナの装甲にピッタリと貼りついて離れない。
「雨期でもここまで酷くないッスよぉ……どうなってんスか」
「じとじとしてて気持ち悪いですー……」
ファティマは久しぶりにバックサイドサークルで買った革製のノースリーブとキュロットスカートの組み合わせとなり、その上から一応胸甲と小札の腰巻を装備する涼し気な恰好になっていたが、それでも暑さに耐えかねていた。
しかし、彼女はまだマシな方で、アポロニアに至ってはダスターコートやタートルネックなどとても着ていられなかったのだろう。タンクトップにハーフパンツという極限までラフな格好で、身を守る鎧は鉄片ひとつ身に着けていない。
そんなアポロニアの恰好に、マオリィネは珍しく同情的な視線を向けていた。
「はしたないって言いたいのだけれど、この暑さじゃそうも言えないわね……本当に上陸したらマシになるの?」
「ん、少しはマシ」
旅装用の部分鎧は脱いでも、ドレス姿だけは意地でも貫くつもりらしいマオリィネは、長い黒髪を汗に濡らしながらも必死で不快感に耐えている。
逆にシューニャは防寒着を脱いでポンチョを羽織るいつもの恰好ながら、気候に慣れているのか涼しげな表情をしており、それにポラリスが貼りついていた。
「ねぇー、なんでシューナ平気なのぉー……あっついよぉ」
「くっついたら余計に暑い。やるならキョウイチに」
つれない言葉でぐいぐいと押し返してくるシューニャに抵抗して、まっ白な少女はパタパタを両手を振るものの、いくら非力だと言っても年齢的な力の差は埋まらなかったのだろう。結局諦めて僕の方へ戻ってくると、両脇に貼りつくキメラリア2人の隙間へ入り込み、ごつごつした胴体ユニットに正面から張り付いた。
『ポラリス、身体の調子はどうだい?』
「キョーイチはシンパイショーすぎるよ。きのうも、きのうのきのうも平気だったのに」
『そうは言うけど……まぁ元気ならいいんだ。うん』
一晩眠って復調したポラリスは、そこから今日に至るまでずっと元気だった。それでも、大人としてはぶり返したりしないかと不安になるのだ。
ただ、本人が大丈夫と言うからには、それ以上何かを言うこともできず、僕は翡翠の中で黙り込む。すると左右から、お父さんだの、娘には甘いだのと聞こえた気がしたが、とりあえず努めて無視しておいた。
■
リンデン交易国、首都スィノニーム。
快速船リング・フラウの水夫たちに見送られた自分たち――主にポラリスだろうが――を迎えたのは、石造や煉瓦造の建物が立ち並ぶ大都会である。透明とは言い難いもののガラスが窓に多用される様は、技術力の高さと都市の豊かさを感じさせる。その上あちこちに商会が軒を連ねており、人の往来も今までに見た現代の景色で最も盛んだった。
『これは凄いな……貿易に特化した国と聞いていたが、それ以上に工業力がある』
「大したもんじゃねぇか、名前詐欺もいいとこだぜ」
そう言ってダマルが指さすのは、港の近くへ注ぐ大河である。北西の山脈から流れているというその川に沿って、造船所が立ち並んでいるらしく、一帯に様々な工房が集中していた。
現代文明において産業革命の産声が上がるとすれば、この国なのではないか。そう思ってしまうことも仕方ないだろう。感心した様子の僕やダマルに対し、マオリィネはどこか不服気だった。
「ちょ、ちょっと発展してるけど、なんだか雑多な感じじゃない? ほら、王国と違って情緒がないわ」
「しょうもないところで貴族ッスね……悔しいなら悔しいって言えばいいじゃないッスか」
「く、悔しくなんてないわよ! 食べものの豊かさだったら、ユライアの方が上なんだからね!?」
アポロニアが梅干しのような顔をするのもむべなるかな。彼女の言い方では、食糧事情以外において負けていると宣言しているようなものである。マオリィネも言ってからそれに気づいたらしく、そうじゃなくてと繰り返していたが、この辺りが彼女のポンコツさなのだろう。
しかも論を重ねる事すら、シューニャは許してくれなかった。
「そんなことはどうでもいい。今やるべきなのは、司書の谷へ向かう獣車を確保すること。時間は有限」
「ぐぎぎぎ……」
「ほら、力んでないで行くッスよ。マオリィネが何か産むつもりなら知らないッスけど」
「う、産むわけないでしょ!? 貴女、そういうことは――って、コラ、聞きなさいってばぁ!」
一度剥がれたクールの面は簡単に戻らないらしい。全員が歩き出しているのを慌てて追いかけてくると、暫くアポロニアに苦情を振りまいていた。不快指数が高い空間で、よくもまぁ叫べるものだと感心する。
海上よりマシになったとはいえ、装甲の外は相当に蒸し暑いのだろう。ファティマとポラリスは曇り空の下でげんなりしつつ、無言でシューニャの後をついて歩いていた。無論、翡翠を着装している自分も一緒なのだから、人々は進んで道を譲るなり、興味本位でついてきたりと混乱を招いたが。
そんな群衆を振り払うようにしながら、彼女が案内した先は町の出口付近。大きな獣車が前に止められた建物だった。
「司書の谷と交易をしている数少ない商会」
短く彼女はそう言うと、全員を外で待たせて1人建物の中へ入っていく。それに何の意味があったのかはわからないが、以前自分たちがアポロニアの服を探した際、色々とトラブルがあったから警戒していたのかもしれない。
しかし、シューニャを待っている短い間だけでも、環境に慣れていない面々は早くも消耗し始める。特にファティマとポラリスがげっそりしてきたため、近くの出店で売られていた果物のジュースで喉を潤すこととした。
「あまくておいしー……けど、ぬるい。ねぇ、つめたくしていい?」
一口啜ったポラリスは、そんなことを言いながら見上げてくる。
魔法の使用による体調不良から数日と経っていない状況で、いきなり白物家電的な利用をするのはいかがなものかと思ったが、ファティマはおろか、アポロニアとマオリィネからも期待の目を向けられてしまえば多勢に無勢だった。
『わかったわかった、そんな目で見ないでくれ。無理のない範囲でね』
「やった!」
嬉しそうに拳を握ったポラリスは、早速とばかりに自らのマグに魔術を行使する。ただでさえ空中に氷塊を出現させるような力であるため、ジュースを冷やすくらいはなんということもなく、むしろ制御が難しいのかダマルが飲んでいた分はシャーベットのようになっていた。
「ホントにポーちゃんは凄いですね。キンキンに冷えててとっても美味しいです」
「ぷぁぁー……生き返るッスよぉ……あっ、このクソ暑い中でお酒冷やしたら、滅茶苦茶美味しいんじゃ?」
「気持ちはわかるぜ。つっても、エールをシャーベットにされちゃたまんねぇけどな」
ファティマとアポロニアは、今までの不快感を吹き飛ばすようにジュースを流し込み、ダマルは1人兜の中からジャリジャリ音を響かせる。ポラリスは流石に一気と言う訳にはいかないのか、口から零れた果汁をマオリィネに拭かれてもごもご言っていた。
とはいえ、実際ヘッドユニットを外して飲んだジュースは、冷蔵庫に入れる以上に冷えていて美味い。それも1週間に渡る船旅で、鮮度の落ちた食品しか口にしていなかった身には、まこと格別というべき味である。
そう自分が感じるのだから、戻ってきたシューニャが膨れるのも無理はない。
「……私の分は?」
「あるから、そんなハコフグみたいにならないでくれよ。ポラリス、頼む」
「はい、シューナ」
これで準備しておかなかったら、暫く口を利いてもらえなかっただろう。小さな喉を鳴らして冷えたジュースを飲むと、彼女はふぅと小さく息を吐いて、契約書らしい紙を取り出した。
「大型の専属便をとりつけた。出費は痛いけれど、これなら何かと融通がきくし、1週間くらいは待たせておけるから、荷物の輸送には最適なはず」
「金ってのは偉大だな。そいつにゃマキナも乗せれんのか?」
「それは……キョウイチには申し訳ないけれど、正直難しいと思う」
『なに、1人だけ快適空間に居るんだ。徒歩行軍くらいなんてこともないさ』
3日の行程と聞いていたので、それくらいは問題ないとヘッドユニットを装着しなおしてもらいながら、軽く手を振って小さくなるシューニャに答える。いくら機械化された行軍が基本だったとはいえ、徒歩による長距離行動ができない歩兵など何の意味もないのだから。
「それで、すぐ出発するのかしら?」
「出発は昼頃の予定。それまでに道中必要な保存食の確保と、時間が余ればファティの武器が無いかを見ておきたい」
■
朝市はどの国に居ても賑わうらしい。食料品を買い求める人々が殺到する屋台には、王国とはまた大きく異なる環境のため、見たこともない野菜や果物が並んでいた。
ただ、そんな中に翡翠を着装した自分が入れば混乱は必死であろう。一応、下船時にはテクニカが書いた、自分が無害であることを証明する覚書を官憲へ届け出ているものの、大混乱が起これば覚書の真偽そのものを疑われかねない。
と言う訳で、僕は町の出口付近で動かないまま、彼女らの帰りを待つこととなった。ありもしないテイマー役にマオリィネを残して。
『せっかくなのに悪いね』
「別にいいわよ。物見遊山で訪れたわけじゃないのだから」
『それはまぁ、そうなんだが……』
そう簡単に訪れられるものでもないのだから、と言おうとしてやめた。彼女の言う通り、目的は帝国との戦争に勝利するためであり、旅行として訪れているわけではないのだから。
だが、僕が言葉を詰まらせると、ベンチに腰かけていたマオリィネはこちらを覗き込むようにして笑った。
「それとも、私と2人きりじゃ不満かしら?」
『まさか、そんなことはないよ』
自分がマオリィネを疎むはずもなく、彼女もきっとわかっていてそんなことを言ったのだろう。口を押えてクスクス笑うと、珍しく翡翠の腕に絡みついてきた。
「私はむしろ嬉しいくらいよ? 2人になれる時間って、相変わらずほとんどないんだもの」
『まぁ、皆同じ家で暮らしているからね。思えばマオと2人になるのも久しぶりだ』
「そうでしょ? ねぇ、せっかくだから聞いていいかしら?」
『ん? 何を?』
わざわざ前置きをしてから問われるようなことがあっただろうかと首を捻ったが、マオリィネの質問は驚くほど簡潔だった。
「キョウイチは、子どもが欲しいって思うこと、ある?」
『そ、れは……』
どうなのだろう。思えば考えたことのない話だった。
性欲は人並みにあると思っていたものの、子どもとなると全く想像がつかず、僕は翡翠で腕を組んで考える。
ポラリスやヤスミンを思えば、子どもが嫌いということはまずない。しかし、そもそもの結婚観がトラウマから成熟していないため、家庭を築くというイメージが一切湧かないのだ。
だが、答えに窮したまま長く黙っていると、マオリィネは焦れたらしくヘッドユニットに顔を寄せてきた。
「私は、欲しいと思ってるわ」
恥じらいながらも、しかしハッキリと告げられた言葉には、快適な環境が維持されているマキナの中でさえ、カッと身体が熱くなった。
しかし、自分が答えを言わない内に、マオリィネはくるりと身体を離すと、いつもと同じように凛とした表情で向き直り、長い黒髪をふわりと払ってからふふんと笑う。
「これでも貴族の娘なのだから、子作りは大事な仕事よ。そうでしょう?」
『そ、そういう意味かい……驚かさないでくれ』
「あら? 違う意味の方がよかった?」
『からかうんじゃないよ、全く』
貴族にとって跡取りが重要なのはなんとなくわかる。マオリィネもトリシュナー子爵家の一人娘である以上、その役目は非常に重いのだろう。
彼女の言葉を役目として飲み込めば、やけに高鳴った心臓はようやく少し落ち着いてくれた。
ただ、クールに背を向けたマオリィネの耳が、やけに赤く染まっていることが気になったが。
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プリムローズは時に気弱な友の手を引き、時に引いたその手を勢い余ってブン回しながらも、邪悪と断じられたスキルを駆使して生き残りを図っていく。
これは、図太くて口の悪い、ちょっと(?)食いしん坊な転生令嬢が、自分なりの幸せを自分の力で掴み取るまでの物語。
こちらの作品は、2023年12月28日から、カクヨム様でも掲載を開始しました。
今後、カクヨム様掲載用にほんのちょっとだけ内容を手直しし、1話ごとの文章量を増やす事でトータルの話数を減らした改訂版を、1日に2回のペースで投稿していく予定です。多量の加筆修正はしておりませんが、もしよろしければ、カクヨム版の方もご笑覧下さい。
※作者が適当にでっち上げた、完全ご都合主義的世界です。細かいツッコミはご遠慮頂ければ幸いです。もし、目に余るような誤字脱字を発見された際には、コメント欄などで優しく教えてやって下さい。
※検討の結果、「ざまぁ要素あり」タグを追加しました。
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