悠久の機甲歩兵

竹氏

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定住生活の始まり

第216話 一時的な平穏

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 湯気が漂う中、はぁ、と大きく息を吐く。
 久しぶりに浸かった朝風呂は気持ちよく、冷えた体がじわりと温もっていく感覚に、僕は静かに目を閉じた。
 エリネラ達の救難信号を受け取った日からおよそ2週間。たったそれだけの期間で、自分たちを取り巻く環境がここまで大きく変化するなど、思ってもみなかった。
 それはこの風呂場にも表れている。

「いやぁ、こいつぁビックリだぜ。流石に英雄様は金の使い道をわかってらっしゃる」

「家の中に浴場があるだけでも驚きですが、湯を満たして浸かるなど贅沢の極みですな」

 そう言いながら満足げに湯へと身を沈めるのは、ガッチリ鍛えられた裸体を晒すヘンメとセクストンである。流石に義手義足を湯につけるわけにはいかず、セスクトンが介助する形での入浴だったが、これには無駄に大きな風呂場が意外な形で役立った。

「気に入ってくれたようで何よりです」

「ったりめぇだ、ここの給湯システムは俺が作ったんだからよ!」

 カッカッカと折れた鎖骨だけ外されたダマルは自慢げに笑う。
 ただでさえ女所帯の我が家において、僕はダマルと入ることも稀であり、広すぎる風呂を独り占めしていたのだ。賑やかな入浴というのも中々に悪くない。
 ただ1人、入口で固まったまま動けない者も居たが。

「あ、あの――沐浴は普通1人でするものですよね……?」

 サフェージュは身体をタオルで隠して、困惑したように全員の顔を見まわしていた。
 その理由は先ほどカミングアウトされたダマルの中身が原因か、それともただただ恥ずかしいだけか。
 無論、そんな姿を見せれば骸骨と無頼漢は馬鹿にしたような笑い声を上げながら湯を叩くのだが。

「カーッカッカッカ! もじもじすんなよ気持ち悪ぃな! 今更女でした、とでも言う気か?」

「ククク……許してやれってダマル。そこのボーヤは俺たちの色気にやられちまってんだろ」

「へ、変な事言わないでくださいよ! ぼくはちゃんと男ですっ! それにダマルさんなんて性別わからないじゃないですか!」

 顔を真っ赤にした細身の少年は、フサフサした尻尾を大きく振って抗議を示す。
 それでもタオルを握る手には一層の力を込めるだけで、踏み出してくる勇気はないらしい。
 その姿に再び面倒くさい大人たちから遠慮のない大爆笑を浴び、挙句セクストンまでもが小さく肩を揺すったことで、少年は羞恥と怒りにプルプルと震えた。

「皆してそう年下を虐めるものじゃない。悪いね、お礼にと思ったんだが」

「あ、う……別に嫌って訳じゃないんですけど……」

 僕が男共を諫めながらサフェージュの肩を持てば、少年はすぐに怒りを霧散させたらしく、恐縮して小さくなる。
 ただでさえ彼には今回の事件において、ヘンメからのつがい羽根を届け、ジークルーンが出撃したという情報を伝えた素晴らしい功績がある。加えて、自分たちが長く家を空けている間も、律義に顔を出しては掃除やらをしていてくれたらしい。その仕事ぶりを評価し、ダマルの秘密を共有するにも至っている。

「まぁこういうのは慣れだから。ほら、そこに座ってくれ。背中を流してあげるよ」

「ええっ!? やっ、あの、キョウイチさんにそんなこと――」

「いいからいいから」

 浴槽から上がった僕は、引き摺るようにしてサフェージュを座らせ、身体をお湯で流していく。
 無論、少年は一種の荒療治ともいえる行為に対し、ガチガチに緊張していたようだが、抵抗しようとはせずその場に固まっていた。

「本当に今回のことでは助けられたんだ。感謝しているよ」

「それはその、一応にもぼくの仕事、ですから……んっ」

 戦闘を生業とするリベレイタだというのに、サフェージュの体は筋肉質とは程遠く柔らかい上、肌には傷も見られない。本当に子どものようだと思う。
 柔肌、とでも言えばいいだろうか。そんな背中を石鹸の泡で優しく擦っていけば、サフェージュはビクリと肩を揺すった。

「おっとすまん。痛かったかい?」

「ご、ごめんなさい! ちょっと、くすぐったくて」

「うーん……悪いが、少しだけ辛抱してくれ」

「えっちょっ――あひははははは!? きょ、キョウイチさん待って待って! ぼ、ぼく、背中弱いみたい――ひゃああぁん!?」

 痛いやら痒いやらなら対策も考えたが、くすぐったいと言われてはどうしようもなく、男同士なら遠慮することもないかと僕は手早く済ませる方を選んだ。すると少年は余程耐えがたかったのだろう。グネグネと身体を揺すりながら甲高い声を響かせた。

「……ダマル殿、改めて問いたいのだが……彼は本当に男なのか?」

「あー……ファティマが勘違いしてなけりゃ、だけどよ」

「初めて会った時にも思ったんだが、男娼とかすりゃ受けそうだよな」

「き、聞こえてますからね……」

 少年は笑いすぎたことで息を切らしながら、戯言を吐くオッサンズを紫色の瞳で睨みつける。その程度で歴戦の男共が揺らぐはずもなかったが。
 ただ背中を流した効果は大きかったらしく、サフェージュの方は羞恥に諦めがついた様子で、おずおずと浴槽に身体を浸けるとようやく幸せそうに息を吐いた。

「それで、英雄の旦那はこっからどうするつもりだ? あのヒスイ、だったか? あいつがありゃ帝国くらい簡単に滅ぼせそうだが」

「そうでもありませんよ。何せ僕らには安定的な補給がない」

「だよなァ……機関銃はほぼスッカラカンだし、突撃銃の弾はハイパークリフでかき集めたから余裕があるっつっても、大軍相手にばら撒いちまえばそう長くは持たねぇわ。せめて連装重砲が使えりゃよかったんだが、ありゃ甲鉄の専用品だしよォ」

 ダマルが嘆く通り、自分達が持てる火力には限界があるのだ。
 いくら強力な兵器でも補給無しで戦い続けることは難しく、ミクスチャやマキナといった古代兵器を害せる脅威も存在している。挙句その脅威に関して、帝国がどれほどの数を有しているかもわからないため、武装の強化と補給は一層急務だった。

「王国軍と連携して時間を稼ぎ、揃えられた武器を用いて敵を殲滅、というところですかね」

「随分博打的な作戦だな……いやアマミ殿の力を疑うつもりはないのだが」

「仕方ねぇだろ。帝国が抱えてるミクスチャやらマキナやらの正確な数すら、こっちはわかってねぇんだからよ」

「防ぎきれるかどうかは事前準備にかかっています。そのためには時間が必要ですが……」

 楽観するにはあまりにも余裕のない現状に、むぅと全員が渋い表情を作る。
 エルフリィナの前では、攻め込むことを前提に話を進めていたものの、まずは敵を押し返すことが最難関だった。

「まぁ悩んだって仕方ねぇわな。やるべきこたぁ見えてんだしよ」

「――だねぇ」

 即興でいい対策など思いつくはずもなく、僕は一旦考えるのをやめて身体を湯に任せる。
 急ぎやらねばならないことは遺跡の発見と調査、そしてファティマの武器調達であったが、全員の疲労は無視できない。そのため僕は、今日1日を完全休暇として当てることを決めた。


 ■


「おはよう……寝坊した」

 僕がサフェージュを連れてリビングに戻れば、シューニャが寝ぼけ眼を擦っていた。
 元々彼女も朝に強い方ではないが、先日までの疲労が強く残っていたに違いない。朝食を終えてもなお眠気が抜けないらしく、寝衣のままでファティマの胸にもたれかかっている。

「あれだけ運転を続ければ疲れもして当然だ。別に今日は何もしないから、しっかり休むといい」

「ん……ごめん」

 緩くサラサラした髪を撫でてやれば、ふぅと息を吐いて彼女はそのまま再び目を閉じていく。これには枕にされているファティマは妹を見るように苦笑する。

「シューニャ、頑張ってましたもんねー」

「ああ。本当にいい子だよ、いつも助けられている」

 ファティマを挟む形で僕がソファに腰を下ろせば、彼女はゴロゴロと咽を鳴らして肩に頬を摺り寄せてくる。それを見ていたサフェージュがポツリと漏らした。

「いいなぁ……」

 少年の羨望は、きっとファティマに甘えられる自分に対してだったのだろう。しかし自分に聞こえるくらいの声だったということは、当然彼女にも聞こえている訳で、大きな耳が僅かに彼の方へと向けられた。

「サフもしますか?」

「えっ!? しますかって、どういう――」

 突然の申し出にサフェージュは顔を赤くして慌てたが、ファティマはそれを同意と受け取ったらしい。シューニャを起こさないよう、暖炉前に敷かれたままのマットレスに寝かせると、ソファを詰めて座りなおす。
 ただ不思議なことに、彼女は僕から離れようとせず、自分を挟んだ向こう側をサフェージュに勧めていたが。

「あの……?」

「どーぞ。サフもグリグリしたかったんでしょ?」

 沈黙が下りる。
 そんなわけないだろう、と心の底から叫びたかった。何をどう間違えれば、年頃の少年が30歳手前の男に頭を擦りつけたい、などというぶっ飛んだ考えに至るのか。
 だというのに、サフェージュは暫く何か悩んだ後、言われたとおりに僕の左隣へ腰を下ろすと、軽く肩に頭を預けてきた。

「サフェージュ君、無理しなくてもいいんだぞ」

「……別に、なんとなく、です」

 尖った耳を後ろへ倒した少年は、どこか拗ねたように呟く。
 キメラリア・フーリーという種族がスキンシップを好むかどうかはよく知らないが、この様子をみるとファティマやアポロニアと似たようなものなのだろう。申し訳なくなった僕は、とりあえずやけに艶やかな銀髪をポンポンと撫でておくことにした。
 だが、これは大いなる失敗だったらしい。背後から気味の悪い笑い声が和音を奏でた。

「うへへへ、見たッスよォ? 潔癖症のフーリーがべったりなんて、珍しいこともあるッスねぇ?」

「ふふ、キョウイチは男まで虜にするのかしら?」

 忘れてはならないが、リビングはあくまで共有スペースなのだ。誰がいつ、どのタイミングで入ってきても文句は言えない。
 ギョッとして振り返ってみれば、背もたれ越しに茶色と琥珀色の瞳が、それはそれは嫌らしい雰囲気を醸し出しながら覗いていた。
 そして自分が驚いたくらいなので、サフェージュは全身の毛を逆立てて跳び上がる。それこそ天井まで届きそうなくらいの大ジャンプで。

「な、み、皆さん、いつから居たんですかぁ!?」

「さっき入ってきてましたね。サフは相変わらず鈍感です」

 どうやらファティマにはわかっていたらしい。敢えて言わなかった辺り、彼女も相当に意地が悪い。
 しかもこういう場面に限って、アポロニアはやけに活き活きとした動きを見せる物だから質が悪い。普段なら瞬発的な運動能力において、絶対敵わないであろう少年に素早く絡みつくと、わざと身体を寄せてふふんと鼻を鳴らす。

「そーんなに恥ずかしがることないッスよぉ、皆やってる事ッスから」

「や、あ、こゃぁんっ!? アポロニアさん、あ、当たってますってば!」

「んふふー、可愛い反応ッスねぇ。そう思わないッスか、ご、主、人?」

 含みのあるニンマリとした笑顔。大体アポロニアがこの顔をする時は、人をからかうこと以外考えていない。
 今回の獲物は自分ではなかったようだが、年若い少年が彼女を振り払えないのも頷けるため、とりあえず救いの手は差し伸べておくことにした。

「君ぁ僕をなんだと思ってんだい。少年をからかうのも大概にしなさい」

「満更でもなさそうだけれどね。男の子だし、当然かしら?」

 マオリィネの顎が、後ろから自分の頭にのしかかる。
 彼女の表情は見えないが、およそアポロニアと変わらない、嫌らしい顔をしていることだけは口調で分かった。

「まぁ……アポロニアが凶悪な体してることは認めるよ」

 刺激が強すぎる、とでも評するべきだろうか。ファティマやマオリィネでもスタイルはかなりいい方だと思うのだが、アポロニアの体格は特殊な性癖を目覚めさせかねない危険物である。
 ただこの手の話題は、シューニャが聞けばたちまち不機嫌になるため、寝ていてくれてよかったと言わざるを得ない。
 だからまさか、別の人物から凍てつくような声が届けられるなど、思いもよらなかったのだ。

「へー……キョーイチもおっぱいが好きなんだ」

「……いつからそこに」

 恐る恐る視線を足元に落としてみれば、りんごほっぺをこれでもかと膨らせて、空色の半眼が覗いている。

「へんたい」

「ぐふぉ――ッ!?」

 純真であるからこそ、短い言葉は対艦ミサイルの如く突き刺さる。
 自分は別に胸の大きさで女性を見ているつもりはないが、ポラリスに言われるととんでもない衝撃に頭を揺さぶられた。おかげで無用な言い訳を必死で考え始めてしまう。

「僕は、スタイルで人を見てない、よ。それにほら、ポラリスはまだ成長期――」

 ハハハ、と乾いた笑いを響かせながら青銀の髪を撫でたまでは良かったのだ。
 しかし、という言葉を使った途端、18歳になったストリの姿を思い出した。いや思い出してしまったと言うべきか。

 ――平坦、だったなぁ。

 自分は彼女に何かを期待していたわけではないし、スレンダーな体格を不満に思ったことなど欠片もなかった。しかしポラリスの将来と言われると、少し口ごもってしまう。
 それが余計な不信感を煽ったらしく、軽い頭が腹部目掛けて飛び込んできた。

「がっ!? ぽ、ポラリス……いきなり、頭突きするん、じゃ、ありません……それもみぞおちに……」

「今、とーってもしつれーなことかんがえてたでしょ?」

「君はエスパーなのか……?」

 衝撃と視線に耐えかねて、僕はポラリスを膝の上に座らせる。あとは誤魔化すように頭を撫でていたわけだが、暫く彼女は膨れっ面のままだった。
 それを見かねたアポロニアがサフェージュの代わりに隣へ腰かけ、ファティマも横からポラリスを抱きしめる。

「大丈夫ッスよ。ポーちゃんはこれからおっきくなるッスから」

「まだ小さいんですから、一杯食べて一杯寝れば大丈夫ですよ」

「んー……アポロ姉ちゃんみたいになれる?」

 ちょっと想像がつきません、と思ったものの、流石に口には出せない。下手なことを口走れば、今度は何百年も氷漬けにされかねないのだから。
 しかもアポロニアは胸の話になると、絶対強者だからか自信満々に腕を組んで見せる。

「ほほう、追いつけるもんなら追いついてみろって感じッス――ぅキャンッ!?」

「アポロのこれは凄いわよね。ジークより大きいもの」

「きゅ、急に突っつかないでほしいッス!」

 今まで味方だと思っていたマオリィネによる背後からの奇襲に、アポロニアはバッと胸を覆い隠して身体を屈ませる。その様子に遠くから眺めていたサフェージュが、何やらもじもじし始めていたが、これは若い男である以上致し方ないだろう。
 ただ、アポロニアが勢いづけば、ファティマは確実に冷や水をぶっかける。

「駄目ですよポーちゃん。あれ放っておいたら、きっとすぐ垂れてきますもん」

「たれるの?」

「ごるぁクソ猫ぉ!? 適当な事吹き込むんじゃねぇッスよ! これでも自分はちゃんと鍛えてるッス!」

「……うるさい」

 むっくりと起き上がったシューニャの姿に、全員が揃って硬直する。
 この話題はやめよう。誰もそう口にせずとも会話は途切れ、僕を囲んで皆思い思いにくつろぎ始める。
 これほどに喧しく騒がしくとも、平和な日々を続けたい。
 そのためには打ち払わねばならない脅威があり、また暫く血に塗れた戦いが日常となることだろう。
 だからこそ今だけはと、僕はソファの上で甘い平穏に身を委ねていたのだった。
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