203 / 330
定住生活の始まり
第203話 正体不明の敵(前編)
しおりを挟む
走る走る走る。
茜さす空の下、獣車は地面の凹凸に跳ねながら、牧草地帯を駆けていく。
牽引するアンヴは口から泡を吐き、それでもとセクストンは手綱を必死で振って頑張れと声をかける。荷台では振動の中、義足で上手くバランスを取ってヘンメが立ち上がり、背後から迫るそいつらにクロスボウを構えた。
「クソッタレ、嗅ぎつけるのが早すぎるぜ!」
無頼漢は毒づきながらボルトを放てば、次の瞬間にはドンという鈍い音と共に、追手の腹部にそれが突き立っている。義手で支えているというのに、なんとも見事な腕前だとあたしは感心していた。
彼が用いるクランクとギアで弦を巻き上げる方式のクロスボウは、連射こそ苦手とするものの、その威力は1撃で板金鎧さえ貫通してしまう程の強力なものだ。
にもかかわらず、その直撃を受けた追跡者はよろめいて立ち止まっただけで、またすぐに追撃を開始してくる。それこそ全身を覆う布の下に、何か恐るべき技術の鎧を着こんでいるならわからなくもないが、それにしてはボルトが深々と刺さりすぎていた。
「ほんっと、しぶといよね」
「人間だったら、もっと早く半数近くは殺せてるぞ。だってのにこいつら……どんな身体してやがんだかな!」
重そうにヘンメはクランクを巻き上げると、また新たにボルトを装填して狙いをつける。
だが次の1射は獣車が大きく跳ねたことで外れてしまった。
「ゴルァ、アホストン! ガタガタ揺らすんじゃねぇ!」
「無茶言わんでください! もうアンヴだって限界なんですからね!?」
「そこをなんとかすんのが御者の役割だろうが! エリ、ボルト!」
無茶苦茶な言いようなのは自分が馬鹿でもよくわかる。セクストンは泡を吹く軍獣をそれでもなんとか扱っており、そもそも獣車が揺れるのは大概地面が原因なのだから、ヘンメの言葉はただの八つ当たりに過ぎない。
しかしどれだけ射ても1人すら倒れないのでは、無頼漢がイライラするのも頷ける。あたしが同じ立場なら、既にクロスボウそのものを投げつけていたかもしれないくらいだ。
そして腹を立てているヘンメには非常に言いにくいことが、あたしの目の前には広がっていた。
「それがさー」
「何だよ早くしろ!」
「――空っぽなんだなぁ」
クロスボウを巻き上げようとした姿勢のまま、ヘンメは苦笑するあたしの方を振り返る。それに向かって空になった木箱を振って見せれば、無頼漢はふぅと深く息を吸い込んで天を仰ぎ見た。
「……エリ、なんか武器になりそうなもん残ってたか?」
「手持ちの武器以外ないねー。ヘンメの酒瓶ぶつければ?」
「あんな奴らにくれてやんのは勿体ねえだろうが」
「だよねぇ」
あたしが空になった木箱を敵に投げつければ、それを追手は体当たりで砕いて僅かも速度を緩めない。なんならそれに続けてヘンメがクロスボウも投げたが、こちらは当たりもしなかった。
少しでも軽くするため、最早荷車の上には何も残っていない。それこそあたしが寝かされていた藁まで全部捨ててしまっており、残されているのは身に着けている僅かな装備と人間だけ。
「どーしよっかセクストン。もうそろそろ諦めて戦う?」
「将軍が万全なら、それも考えますけどね……! ハァッ!」
セクストンが奥歯を噛み締めて言う通り、自分の身体は未だに戦いには耐えられない。
それこそ指先に火を灯すくらいはできるかもしれないが、未だに魔法を撃とうとするだけで激しい頭痛に襲われるうえ、さっき軽く木箱を投げただけで足元が覚束ないのだ。剣を振って化物とやりあうなど、到底不可能だった。
御者台の騎士補はそれでもと頑張っていた。僅かな時間でも走り続けられるように、連続する丘をできるだけ登らぬように裾を駆け、少しでも目につくようにと開けた場所を選んで走らせる。
だがどれほど努力を重ねたとて、またいかほど頑丈な軍獣であったとしても、獣車を牽いて永遠に全力で走りつづけることなどできはしない。
「いかんっ!?」
だから丘の脇でセクストンが手綱を打った時、ついに地を駆ける4つの足はもつれて地面を転がり、繋がれていた獣車も同じように横転すると、自分たちも草原へ放り出された。
「あぐ……ッ!?」
咄嗟に受け身はとったものの、全力で走っていた軍獣から落とされたのだから、一瞬息ができなくなる。
しかし痛みの中でも自分の意識はハッキリしていて、派手に咳き込みながらでも足に力を籠める。
――こんなところで死んでやるもんか。そんなのは面白くないじゃない。
歯を食いしばってよろめくように立ち上がりはしたものの、魔術を行使しすぎて癒えぬ身体は全く力が入らない。何なら地面に打ち付けられた衝撃でか、迫ってくる敵の輪郭さえ二重三重に見えるほどだ。
それでもとあたしが剣に手をかけようとすれば、濁った男の叫び声が木霊する。
「ぐ……セクストン! エリ抱えて走れ!」
「言われんでもそうしますよ!」
自分にはそれに抵抗する力もなかった。
ただされるがままセクストンに担ぎ上げられると、揺れる視界の中で丘を駆けあがっていく。その中ではヘンメが後退しながら、化物と刃を交える距離まで近づいていた。
「ねぇ、ヘンメ死んじゃうよ?」
「――兵士は皆、己の役割を全うします。国のため、将のため、家族のために」
「セクストン?」
「ヘンメ殿の犠牲があってもなお、自分には将軍を守り通すことができんかもしれません。ですが、1歩でも遠く、一瞬でも長く、貴女を生かすことが私の役割なれば!」
騎士補は雄たけびを上げながら力の限り走る。後ろで旅路を共にしてきた無頼漢が殺されようかというのに、振り返る事すらせずに。
それはあたしが戦場で薙ぎ払った、幾百人もの弱い者たちと同じ。決して敵わないと、どう足掻いても死から逃れられぬとわかっていながら、それでも抗うことを止めない者達。
――守るって、難しいなぁ。
自分は帝国最強の将軍だというのに、今できることは彼らの運命が安らかなることを祈る事だけ。なんともままならない話だと呆れてしまう。
だからだろうか、誰が死んでも感じなかった寂しさのようなものが込み上げて、不意に涙が零れたのは。
「悔しいよねぇ……こんなのってさ」
荷物のように運ばれるだけの自分が嫌だ。剣ならあるのに戦えない自分が嫌だ。
だから一層、セクストンさえ生きていればと思ってしまった。自分を捨てて走れば、あるいは助かるのではと。
だがそっと自らの剣に手をかけようとした時である。突然セクストンが立ち止まったのは。
「駄目だよセクストン、走らなきゃ――?」
後ろ向きに担ぎ上げられているため、首を捻ったところで前の様子なんてほとんどわからない。ただでさえ視界もぼやけている中である。いよいよセクストンがついに諦めてしまったのかとも思った。
だが彼の声に悲壮感はない。それどころか、救いを見つけたかのように響いた。
「……自分たちは、まだ助かるのかもしれません」
何が、と聞くより早く、セクストンは力強く足を踏み出していく。それも大きく手を振りながら。
自分のぼやける視界では、まだヘンメもなんとか戦っていた。これも運がいいのか悪いのか、ヘンメの相手をする者はほとんど居らず、大半がセクストンと自分を追いかけてきていたと言ったほうがいい。
足の速さなら追手の方が圧倒的。特にその先頭を駆けていた者は、最早自分たちを間合いに捉える寸前だった。
だというのに、目の前でまさかそれが弾け飛ぶなど、一体誰が想像できるだろうか。
■
初弾命中。
整備を終えたマキナ用機関銃の単射精度は800年前と変わらず見事な物で、セクストンを追っていた1匹の頭を綺麗に吹き飛ばした。
『シューニャ、急いで3人を回収してくれ! 敵は僕が引きつける!』
『ん!』
手を振りながらエリネラを担いで駆けてくるセクストンに向かい、玉匣は土埃とエーテル機関の排煙を上げながら猛然と突き進む。一方の僕は追手の全身布包み共を目指して突撃した。
『アポロは停車次第エリとセクストンさんを保護! ファティはヘンメさんの安全を確保するんだ!』
『了解ッス!』
『わかりました』
僕はヘッドユニットの中で声を張りながら、向かってくる敵に対してレティクルを合わせトリガを引いた。すると機関銃は得意のフルオート射撃に機嫌よく乾いた断続音を響かせ、マズルブレーキから閃光を瞬かせたかと思えば、鎧さえ着ていない敵の身体を軽々と弾き飛ばしていく。
敵がもしも普通の兵士だったら、どれほど訓練された者であったとしても見知らぬ飛び道具に怯んだことだろう。にもかかわらず、連中は一切の恐れなく、金属製らしい棍棒片手に弾雨の中を突き進み迫ってくる。その歪な走り方と薄すぎる死への恐怖心は、最早生物とすら思えなかった。
――まるでミクスチャ、か。
横合いから奇声を上げて飛び掛かってくる敵を躱し、サブアームに装備した突撃銃を浴びせれば、四肢がバラバラに砕けて体液を飛び散らせる。昔は豆鉄砲と揶揄された突撃銃でさえ有効となれば、身体の堅牢さはミクスチャに遠く及ばないらしい。
ならばわざわざ機関銃弾を無駄にする必要もないと判断し、僕は両手を突撃銃に持ち替えて接近戦に移行する。
1匹払い、2匹撃ち、屍をこしらえながら丘陵を下り、ヘンメと絡んでいた1匹を蹴散らしてまだ進む。突如目の前で敵が弾けた無頼漢は、返り血を浴びてひっくり返っていたが。
『副長と将軍を保護したッスよ!』
後ろから湧いてくるおかわりに弾幕を浴びせていれば、アポロニアから収容完了の報告が飛んでくる。彼女にとって2人は元上司だからか、セクストンとエリネラのことをわざわざ役職名で呼んだため、僕は苦笑交じりに指示を返す。
『了解。茶でも準備できればいいんだが』
『そんな高級品積んでないッス』
『なら仕方ないな。2人を休ませたら、機関銃座についてファティの援護を。シューニャ、ヘンメさんの方に向かってくれ』
『了解ッスよー』
『わかった』
地面に散らばった薬莢を踏んで肩越しに振り返れば、玉匣は慣れない2人を気遣ってか、ゆっくりと進路を変えて丘を下ってくるのが見える。その前では地面にへたり込んで何か笑っているヘンメに、ファティマが何かを会話をしているようだったが、間もなく荷物のように引き摺られて玉匣へ連行されていった。
要救助者の回収が終わったなら、後は残存部隊を蹴散らすだけの簡単な仕事だ。ギリギリのタイミングだったため、事態が順調に進んで僕はホッと胸を撫でおろす。
『キョウイチ、後ろから新手が来てる。気をつけて』
『ああ、こっちでも確認した。あまり僕から離れないようにしてくれ』
数を減らしていたレーダー上の光点に、比較的大きな反応が4つほど現れる。
敵がいくら化物の一団だったとはいえミクスチャほどの脅威ではなく、古代兵器であるマキナの相手にはならない。むしろ感情を持った兵士でないぶん、戦いやすい相手に感じられたほどだ。
だが地形の向こうから現れた敵増援は、周囲で奇声を上げる雑魚とは明らかに異質な存在だった。
『……こいつはまた、デカいのを連れてきたなぁ』
そいつは象のような太い脚で地面を鳴らし、ファティマの斧剣さえ小さく見えるようなハンマーを携え、キメラリア・キムンのマッファイすら子どもに見えるほどの巨体を、板金鎧で覆い尽くした化物である。
これでスリットが刻まれた兜から粘液のようなものが漏れ出ていなければ、試作型の第一世代型マキナとでも言われた方が納得できたことだろう。3メートル以上はあろうかというそいつは、機械ではないことを裏付けるように雄たけびを上げると、ハンマーを地面に叩きつけてこちらを威嚇した。
『喧しいものだ。悪いがそういうのは僕の趣味じゃなくてね』
両手に構える突撃銃でデカブツ4匹に狙いをつければ、敵も大小構わずこちらへ向かって走り出す。
棍棒を手に殴りかかってくる小柄な方の敵を、ジャンプブースターの推力で機体を回転させながら銃撃を加えて薙ぎ払い、弾幕を抜けてきた奴を銃床で殴りつけて振り払う。
小柄な方は動きこそ早いが力はそれほどでもなく、金属製の棍棒程度では翡翠の装甲に傷もつけられていない。だが生命力は驚異的であり、人間の頭をスイカのように叩き潰せるマキナの蹴りを受けてなお、体液を流しながら起き上がってくる。ならばとハーモニックブレードで真っ二つにしてみたが、それでも上半身だけで蠢いたりするものだから、驚愕を通り越して呆れてしまう。
『ミミズもびっくりの生命力とでも言うかな。エリが苦戦するわけだ』
僕が軽く毒づいていれば、接近してきたデカブツは唸りを上げて巨大なハンマーを振り下ろしてくる。それを半歩退いて躱せば、地面から大量の土塊が巻き上がる。
とはいえ、地響き程度で怯みはしない。目鼻先まで近付いたデカブツにトリガを引けば、体躯に似合わず機敏な回避運動を取って見せる。無論、躱しきれるはずもなく、数発が鎧に着弾して体液を飛び散らせたが、その程度では止まらない。
頭か脊髄か、それとも身体を肉塊にされるまで動き続ける敵。弓や槍で武装しただけの現代人にとって、十分すぎるほどの脅威であろう。
『機敏かつ剛力、本気でマキナのようだが――』
ジャンプブースターを使って敵の間合いから離れ、再び武装を突撃銃からマキナ用機関銃へ切り替えながら着地する。
敵は飛び道具を持たず、そして弾丸を躱すほどの機敏さも持っていない。
『さよならだ』
腰だめに構えた機関銃のトリガを引けば、翡翠は全身のアクチュエータを使って暴れようとする銃身をしっかり保持して見せた。
掃射時間、およそ3秒。
唸りを上げる銃身を右から左へ振れば、帯のようにして飛ぶ高速徹甲弾が土煙を立てながら丘の裾を舐めていく。それは小型の敵を軽々しく吹き飛ばし、回避を試みたデカブツ達をもひき肉に変えた。
風に硝煙と土煙が流された時、数にして10体近く残っていたはずの敵で立っていられたものはなく、ただ物言わぬ屍がそこかしこに転がるだけ。
『敵残存戦力なし……掃討終了』
「やースゴイスゴイ、ビックリした」
だから僕は自分の作戦終了報告に、無線以外から返事をされるとは思わなかったのだ。
茜さす空の下、獣車は地面の凹凸に跳ねながら、牧草地帯を駆けていく。
牽引するアンヴは口から泡を吐き、それでもとセクストンは手綱を必死で振って頑張れと声をかける。荷台では振動の中、義足で上手くバランスを取ってヘンメが立ち上がり、背後から迫るそいつらにクロスボウを構えた。
「クソッタレ、嗅ぎつけるのが早すぎるぜ!」
無頼漢は毒づきながらボルトを放てば、次の瞬間にはドンという鈍い音と共に、追手の腹部にそれが突き立っている。義手で支えているというのに、なんとも見事な腕前だとあたしは感心していた。
彼が用いるクランクとギアで弦を巻き上げる方式のクロスボウは、連射こそ苦手とするものの、その威力は1撃で板金鎧さえ貫通してしまう程の強力なものだ。
にもかかわらず、その直撃を受けた追跡者はよろめいて立ち止まっただけで、またすぐに追撃を開始してくる。それこそ全身を覆う布の下に、何か恐るべき技術の鎧を着こんでいるならわからなくもないが、それにしてはボルトが深々と刺さりすぎていた。
「ほんっと、しぶといよね」
「人間だったら、もっと早く半数近くは殺せてるぞ。だってのにこいつら……どんな身体してやがんだかな!」
重そうにヘンメはクランクを巻き上げると、また新たにボルトを装填して狙いをつける。
だが次の1射は獣車が大きく跳ねたことで外れてしまった。
「ゴルァ、アホストン! ガタガタ揺らすんじゃねぇ!」
「無茶言わんでください! もうアンヴだって限界なんですからね!?」
「そこをなんとかすんのが御者の役割だろうが! エリ、ボルト!」
無茶苦茶な言いようなのは自分が馬鹿でもよくわかる。セクストンは泡を吹く軍獣をそれでもなんとか扱っており、そもそも獣車が揺れるのは大概地面が原因なのだから、ヘンメの言葉はただの八つ当たりに過ぎない。
しかしどれだけ射ても1人すら倒れないのでは、無頼漢がイライラするのも頷ける。あたしが同じ立場なら、既にクロスボウそのものを投げつけていたかもしれないくらいだ。
そして腹を立てているヘンメには非常に言いにくいことが、あたしの目の前には広がっていた。
「それがさー」
「何だよ早くしろ!」
「――空っぽなんだなぁ」
クロスボウを巻き上げようとした姿勢のまま、ヘンメは苦笑するあたしの方を振り返る。それに向かって空になった木箱を振って見せれば、無頼漢はふぅと深く息を吸い込んで天を仰ぎ見た。
「……エリ、なんか武器になりそうなもん残ってたか?」
「手持ちの武器以外ないねー。ヘンメの酒瓶ぶつければ?」
「あんな奴らにくれてやんのは勿体ねえだろうが」
「だよねぇ」
あたしが空になった木箱を敵に投げつければ、それを追手は体当たりで砕いて僅かも速度を緩めない。なんならそれに続けてヘンメがクロスボウも投げたが、こちらは当たりもしなかった。
少しでも軽くするため、最早荷車の上には何も残っていない。それこそあたしが寝かされていた藁まで全部捨ててしまっており、残されているのは身に着けている僅かな装備と人間だけ。
「どーしよっかセクストン。もうそろそろ諦めて戦う?」
「将軍が万全なら、それも考えますけどね……! ハァッ!」
セクストンが奥歯を噛み締めて言う通り、自分の身体は未だに戦いには耐えられない。
それこそ指先に火を灯すくらいはできるかもしれないが、未だに魔法を撃とうとするだけで激しい頭痛に襲われるうえ、さっき軽く木箱を投げただけで足元が覚束ないのだ。剣を振って化物とやりあうなど、到底不可能だった。
御者台の騎士補はそれでもと頑張っていた。僅かな時間でも走り続けられるように、連続する丘をできるだけ登らぬように裾を駆け、少しでも目につくようにと開けた場所を選んで走らせる。
だがどれほど努力を重ねたとて、またいかほど頑丈な軍獣であったとしても、獣車を牽いて永遠に全力で走りつづけることなどできはしない。
「いかんっ!?」
だから丘の脇でセクストンが手綱を打った時、ついに地を駆ける4つの足はもつれて地面を転がり、繋がれていた獣車も同じように横転すると、自分たちも草原へ放り出された。
「あぐ……ッ!?」
咄嗟に受け身はとったものの、全力で走っていた軍獣から落とされたのだから、一瞬息ができなくなる。
しかし痛みの中でも自分の意識はハッキリしていて、派手に咳き込みながらでも足に力を籠める。
――こんなところで死んでやるもんか。そんなのは面白くないじゃない。
歯を食いしばってよろめくように立ち上がりはしたものの、魔術を行使しすぎて癒えぬ身体は全く力が入らない。何なら地面に打ち付けられた衝撃でか、迫ってくる敵の輪郭さえ二重三重に見えるほどだ。
それでもとあたしが剣に手をかけようとすれば、濁った男の叫び声が木霊する。
「ぐ……セクストン! エリ抱えて走れ!」
「言われんでもそうしますよ!」
自分にはそれに抵抗する力もなかった。
ただされるがままセクストンに担ぎ上げられると、揺れる視界の中で丘を駆けあがっていく。その中ではヘンメが後退しながら、化物と刃を交える距離まで近づいていた。
「ねぇ、ヘンメ死んじゃうよ?」
「――兵士は皆、己の役割を全うします。国のため、将のため、家族のために」
「セクストン?」
「ヘンメ殿の犠牲があってもなお、自分には将軍を守り通すことができんかもしれません。ですが、1歩でも遠く、一瞬でも長く、貴女を生かすことが私の役割なれば!」
騎士補は雄たけびを上げながら力の限り走る。後ろで旅路を共にしてきた無頼漢が殺されようかというのに、振り返る事すらせずに。
それはあたしが戦場で薙ぎ払った、幾百人もの弱い者たちと同じ。決して敵わないと、どう足掻いても死から逃れられぬとわかっていながら、それでも抗うことを止めない者達。
――守るって、難しいなぁ。
自分は帝国最強の将軍だというのに、今できることは彼らの運命が安らかなることを祈る事だけ。なんともままならない話だと呆れてしまう。
だからだろうか、誰が死んでも感じなかった寂しさのようなものが込み上げて、不意に涙が零れたのは。
「悔しいよねぇ……こんなのってさ」
荷物のように運ばれるだけの自分が嫌だ。剣ならあるのに戦えない自分が嫌だ。
だから一層、セクストンさえ生きていればと思ってしまった。自分を捨てて走れば、あるいは助かるのではと。
だがそっと自らの剣に手をかけようとした時である。突然セクストンが立ち止まったのは。
「駄目だよセクストン、走らなきゃ――?」
後ろ向きに担ぎ上げられているため、首を捻ったところで前の様子なんてほとんどわからない。ただでさえ視界もぼやけている中である。いよいよセクストンがついに諦めてしまったのかとも思った。
だが彼の声に悲壮感はない。それどころか、救いを見つけたかのように響いた。
「……自分たちは、まだ助かるのかもしれません」
何が、と聞くより早く、セクストンは力強く足を踏み出していく。それも大きく手を振りながら。
自分のぼやける視界では、まだヘンメもなんとか戦っていた。これも運がいいのか悪いのか、ヘンメの相手をする者はほとんど居らず、大半がセクストンと自分を追いかけてきていたと言ったほうがいい。
足の速さなら追手の方が圧倒的。特にその先頭を駆けていた者は、最早自分たちを間合いに捉える寸前だった。
だというのに、目の前でまさかそれが弾け飛ぶなど、一体誰が想像できるだろうか。
■
初弾命中。
整備を終えたマキナ用機関銃の単射精度は800年前と変わらず見事な物で、セクストンを追っていた1匹の頭を綺麗に吹き飛ばした。
『シューニャ、急いで3人を回収してくれ! 敵は僕が引きつける!』
『ん!』
手を振りながらエリネラを担いで駆けてくるセクストンに向かい、玉匣は土埃とエーテル機関の排煙を上げながら猛然と突き進む。一方の僕は追手の全身布包み共を目指して突撃した。
『アポロは停車次第エリとセクストンさんを保護! ファティはヘンメさんの安全を確保するんだ!』
『了解ッス!』
『わかりました』
僕はヘッドユニットの中で声を張りながら、向かってくる敵に対してレティクルを合わせトリガを引いた。すると機関銃は得意のフルオート射撃に機嫌よく乾いた断続音を響かせ、マズルブレーキから閃光を瞬かせたかと思えば、鎧さえ着ていない敵の身体を軽々と弾き飛ばしていく。
敵がもしも普通の兵士だったら、どれほど訓練された者であったとしても見知らぬ飛び道具に怯んだことだろう。にもかかわらず、連中は一切の恐れなく、金属製らしい棍棒片手に弾雨の中を突き進み迫ってくる。その歪な走り方と薄すぎる死への恐怖心は、最早生物とすら思えなかった。
――まるでミクスチャ、か。
横合いから奇声を上げて飛び掛かってくる敵を躱し、サブアームに装備した突撃銃を浴びせれば、四肢がバラバラに砕けて体液を飛び散らせる。昔は豆鉄砲と揶揄された突撃銃でさえ有効となれば、身体の堅牢さはミクスチャに遠く及ばないらしい。
ならばわざわざ機関銃弾を無駄にする必要もないと判断し、僕は両手を突撃銃に持ち替えて接近戦に移行する。
1匹払い、2匹撃ち、屍をこしらえながら丘陵を下り、ヘンメと絡んでいた1匹を蹴散らしてまだ進む。突如目の前で敵が弾けた無頼漢は、返り血を浴びてひっくり返っていたが。
『副長と将軍を保護したッスよ!』
後ろから湧いてくるおかわりに弾幕を浴びせていれば、アポロニアから収容完了の報告が飛んでくる。彼女にとって2人は元上司だからか、セクストンとエリネラのことをわざわざ役職名で呼んだため、僕は苦笑交じりに指示を返す。
『了解。茶でも準備できればいいんだが』
『そんな高級品積んでないッス』
『なら仕方ないな。2人を休ませたら、機関銃座についてファティの援護を。シューニャ、ヘンメさんの方に向かってくれ』
『了解ッスよー』
『わかった』
地面に散らばった薬莢を踏んで肩越しに振り返れば、玉匣は慣れない2人を気遣ってか、ゆっくりと進路を変えて丘を下ってくるのが見える。その前では地面にへたり込んで何か笑っているヘンメに、ファティマが何かを会話をしているようだったが、間もなく荷物のように引き摺られて玉匣へ連行されていった。
要救助者の回収が終わったなら、後は残存部隊を蹴散らすだけの簡単な仕事だ。ギリギリのタイミングだったため、事態が順調に進んで僕はホッと胸を撫でおろす。
『キョウイチ、後ろから新手が来てる。気をつけて』
『ああ、こっちでも確認した。あまり僕から離れないようにしてくれ』
数を減らしていたレーダー上の光点に、比較的大きな反応が4つほど現れる。
敵がいくら化物の一団だったとはいえミクスチャほどの脅威ではなく、古代兵器であるマキナの相手にはならない。むしろ感情を持った兵士でないぶん、戦いやすい相手に感じられたほどだ。
だが地形の向こうから現れた敵増援は、周囲で奇声を上げる雑魚とは明らかに異質な存在だった。
『……こいつはまた、デカいのを連れてきたなぁ』
そいつは象のような太い脚で地面を鳴らし、ファティマの斧剣さえ小さく見えるようなハンマーを携え、キメラリア・キムンのマッファイすら子どもに見えるほどの巨体を、板金鎧で覆い尽くした化物である。
これでスリットが刻まれた兜から粘液のようなものが漏れ出ていなければ、試作型の第一世代型マキナとでも言われた方が納得できたことだろう。3メートル以上はあろうかというそいつは、機械ではないことを裏付けるように雄たけびを上げると、ハンマーを地面に叩きつけてこちらを威嚇した。
『喧しいものだ。悪いがそういうのは僕の趣味じゃなくてね』
両手に構える突撃銃でデカブツ4匹に狙いをつければ、敵も大小構わずこちらへ向かって走り出す。
棍棒を手に殴りかかってくる小柄な方の敵を、ジャンプブースターの推力で機体を回転させながら銃撃を加えて薙ぎ払い、弾幕を抜けてきた奴を銃床で殴りつけて振り払う。
小柄な方は動きこそ早いが力はそれほどでもなく、金属製の棍棒程度では翡翠の装甲に傷もつけられていない。だが生命力は驚異的であり、人間の頭をスイカのように叩き潰せるマキナの蹴りを受けてなお、体液を流しながら起き上がってくる。ならばとハーモニックブレードで真っ二つにしてみたが、それでも上半身だけで蠢いたりするものだから、驚愕を通り越して呆れてしまう。
『ミミズもびっくりの生命力とでも言うかな。エリが苦戦するわけだ』
僕が軽く毒づいていれば、接近してきたデカブツは唸りを上げて巨大なハンマーを振り下ろしてくる。それを半歩退いて躱せば、地面から大量の土塊が巻き上がる。
とはいえ、地響き程度で怯みはしない。目鼻先まで近付いたデカブツにトリガを引けば、体躯に似合わず機敏な回避運動を取って見せる。無論、躱しきれるはずもなく、数発が鎧に着弾して体液を飛び散らせたが、その程度では止まらない。
頭か脊髄か、それとも身体を肉塊にされるまで動き続ける敵。弓や槍で武装しただけの現代人にとって、十分すぎるほどの脅威であろう。
『機敏かつ剛力、本気でマキナのようだが――』
ジャンプブースターを使って敵の間合いから離れ、再び武装を突撃銃からマキナ用機関銃へ切り替えながら着地する。
敵は飛び道具を持たず、そして弾丸を躱すほどの機敏さも持っていない。
『さよならだ』
腰だめに構えた機関銃のトリガを引けば、翡翠は全身のアクチュエータを使って暴れようとする銃身をしっかり保持して見せた。
掃射時間、およそ3秒。
唸りを上げる銃身を右から左へ振れば、帯のようにして飛ぶ高速徹甲弾が土煙を立てながら丘の裾を舐めていく。それは小型の敵を軽々しく吹き飛ばし、回避を試みたデカブツ達をもひき肉に変えた。
風に硝煙と土煙が流された時、数にして10体近く残っていたはずの敵で立っていられたものはなく、ただ物言わぬ屍がそこかしこに転がるだけ。
『敵残存戦力なし……掃討終了』
「やースゴイスゴイ、ビックリした」
だから僕は自分の作戦終了報告に、無線以外から返事をされるとは思わなかったのだ。
10
お気に入りに追加
46
あなたにおすすめの小説
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
アイテムボックスだけで異世界生活
shinko
ファンタジー
いきなり異世界で目覚めた主人公、起きるとなぜか記憶が無い。
あるのはアイテムボックスだけ……。
なぜ、俺はここにいるのか。そして俺は誰なのか。
説明してくれる神も、女神もできてやしない。
よくあるファンタジーの世界の中で、
生きていくため、努力していく。
そしてついに気がつく主人公。
アイテムボックスってすごいんじゃね?
お気楽に読めるハッピーファンタジーです。
よろしくお願いします。
分析スキルで美少女たちの恥ずかしい秘密が見えちゃう異世界生活
SenY
ファンタジー
"分析"スキルを持って異世界に転生した主人公は、相手の力量を正確に見極めて勝てる相手にだけ確実に勝つスタイルで短期間に一財を為すことに成功する。
クエスト報酬で豪邸を手に入れたはいいものの一人で暮らすには広すぎると悩んでいた主人公。そんな彼が友人の勧めで奴隷市場を訪れ、記憶喪失の美少女奴隷ルナを購入したことから、物語は動き始める。
これまで危ない敵から逃げたり弱そうな敵をボコるのにばかり"分析"を活用していた主人公が、そのスキルを美少女の恥ずかしい秘密を覗くことにも使い始めるちょっとエッチなハーレム系ラブコメ。
英雄召喚〜帝国貴族の異世界統一戦記〜
駄作ハル
ファンタジー
異世界の大貴族レオ=ウィルフリードとして転生した平凡サラリーマン。
しかし、待っていたのは平和な日常などではなかった。急速な領土拡大を目論む帝国の貴族としての日々は、戦いの連続であった───
そんなレオに与えられたスキル『英雄召喚』。それは現世で英雄と呼ばれる人々を呼び出す能力。『鬼の副長』土方歳三、『臥龍』所轄孔明、『空の魔王』ハンス=ウルリッヒ・ルーデル、『革命の申し子』ナポレオン・ボナパルト、『万能人』レオナルド・ダ・ヴィンチ。
前世からの知識と英雄たちの逸話にまつわる能力を使い、大切な人を守るべく争いにまみれた異世界に平和をもたらす為の戦いが幕を開ける!
完結まで毎日投稿!
札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
生まれついての勝負師。
あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。
科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!
異世界楽々通販サバイバル
shinko
ファンタジー
最近ハマりだしたソロキャンプ。
近くの山にあるキャンプ場で泊っていたはずの伊田和司 51歳はテントから出た瞬間にとてつもない違和感を感じた。
そう、見上げた空には大きく輝く2つの月。
そして山に居たはずの自分の前に広がっているのはなぜか海。
しばらくボーゼンとしていた和司だったが、軽くストレッチした後にこうつぶやいた。
「ついに俺の番が来たか、ステータスオープン!」
蒼海の碧血録
三笠 陣
歴史・時代
一九四二年六月、ミッドウェー海戦において日本海軍は赤城、加賀、蒼龍を失うという大敗を喫した。
そして、その二ヶ月後の八月、アメリカ軍海兵隊が南太平洋ガダルカナル島へと上陸し、日米の新たな死闘の幕が切って落とされた。
熾烈なるガダルカナル攻防戦に、ついに日本海軍はある決断を下す。
戦艦大和。
日本海軍最強の戦艦が今、ガダルカナルへと向けて出撃する。
だが、対するアメリカ海軍もまたガダルカナルの日本軍飛行場を破壊すべく、最新鋭戦艦を出撃させていた。
ここに、ついに日米最強戦艦同士による砲撃戦の火蓋が切られることとなる。
(本作は「小説家になろう」様にて連載中の「蒼海決戦」シリーズを加筆修正したものです。予め、ご承知おき下さい。)
※表紙画像は、筆者が呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)にて撮影したものです。
異世界大日本帝国
暇人先生
ファンタジー
1959年1939年から始まった第二次世界大戦に勝利し大日本帝国は今ではナチス並ぶ超大国になりアジア、南アメリカ、北アメリカ大陸、ユーラシア大陸のほとんどを占領している、しかも技術も最先端で1948年には帝国主義を改めて国民が生活しやすいように民主化している、ある日、日本海の中心に巨大な霧が発生した、漁船や客船などが行方不明になった、そして霧の中は……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる