悠久の機甲歩兵

竹氏

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定住生活の始まり

第193話 退屈なお留守番

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 二日酔いの頭痛で唸り声を上げ続けていたアポロニアが、ようやくリビングに降りてこられたのはその日の夜である。
 彼女は先日の寒波によって、リビングに集まって眠ることを決めていた4人から、半日以上遅れて恭一とダマルの不在を聞かされた。
 その理由を問うてみればシューニャは、留守番を任された、と語り、ファティマは、家を守るのも立派な仕事だ、とどこか不機嫌に呟く。マオリィネはポラリスを撫でながら、家族にはそれぞれ役割がある、と悟ったように言うが、一方のポラリスは彼女の膝の中でぶぅと頬を膨らませていた。
 そんな彼女らの意見と、コレクタユニオンからの依頼内容を集約し、アポロニアは結論に辿り着く。

「要するに、2、3日で帰ってくるからって、ダマルさん以外全員まとめて置いて行かれたってことッスね」

 あまりに的確過ぎる指摘に、色々と理由をつけて自らを誤魔化していたポラリス以外の一同は石像のように固まった。
 言ってしまえばその通りであり、それも全員が彼の判断に対して一定以上ごねた後である。不満が大なり小なり再燃するのは仕方のないことだろう。

「キョウイチは意地が悪い。私は見たことの無い遺跡を調べたかっただけなのに」

「ねー! キョーイチは意地悪だー!」

 シューニャが腕を組んでごく僅かばかり頬を膨らませれば、ポラリスがそうだそうだと賛同を送る。
 それが駄々を捏ねているだけなのは一目瞭然であり、アポロニアは珍しいこともあるものだと思いながら苦笑を浮かべた。
 とはいえシューニャの駄々は可愛い物であろう。何せ彼女の隣でうつ伏せに寝そべったファティマは、長い尻尾を左右に大きく振りながら完全にへそを曲げていた。

「ボクだってお仕事ですもん。別におにーさんと一緒に居たいってわけじゃないですしー」

 ふんだ、と彼女は小さく鼻を鳴らす。
 そのあまりにも子供っぽい拗ね方に、マオリィネが呆れて大きなため息をついた。

「ファティマ、その言い方じゃ欲望ダダ洩れよ――まぁこれもちょうどいい機会と捉えましょう? アポロニア、珍しく酔いつぶれていたようだけれど、昨日はどうだったのかしら?」

「あ、あー……それが、その……」

 マオリィネから突如振られた質問に、アポロニアは僅かに後ずさる。
 何せ全員が興味を持っている話題であり、今まで完全にいじけていたファティマまでもが半身を起こしはじめてしまい、彼女は諦めて寝床の輪の中へと入りこんだ。
 そうなれば先日の出来事を根掘り葉掘り聞かれるのは当然であろう。
 無論それを茶化すような真似は誰もしなかったのだが、彼女の身体に起こった変調の理由を聞いた途端、全員が唖然としたのは言うまでもない。

「い、いやぁ、自分も発情の制御がまだまだだなぁ、なんて、思ったり……ッス」

 アポロニアは発情の制御にはそれなりに自信を持っていた。それは力の弱いアステリオンであることに起因する。
 しかし気を許した相手という条件を前に、普段通りの防衛策はいとも容易く突破されてしまった。それが好意からくる本能的なものだとは、彼女にわかるはずもなかったが。

「いーぬー……あれだけ自慢気に言ってたくせに、全然ダメダメじゃないですかー!」

「そんなこと言われても、無理だったんスよぉ! 猫だってあの状況なら絶対なってたッスよ!」

「ボクは毛布の中でぬくぬくしててもなりませんでしたもーん。やったことも、首をちょっと噛んでから舐めただけですし」

 実際、飲酒の有無以外ではそれなりに近い状況であったため、これは自分の勝ちだろうとファティマは自慢げに胸を逸らす。
 しかし彼女の言葉に、シューニャは大きく目を見開いた。

「えっ……そ、それってまさか、猫の誘惑?」

 僅かに上ずった声に、周囲は何のことだと疑問符を浮かべる。
 質問をした張本人はしまったという具合にすぐ口を押さえたが、一度伝わってしまった言葉を戻す方法はなく、その博識にファティマが感嘆の息を吐いた。

「はー……シューニャはホントに色んな事知ってますよね。どこから仕入れてくるんですか」

「流石ブレインワーカー、と言ったところかしら。それで、どういう意味があるの?」

 マオリィネの言葉は純粋な感心であっただろう。だからこそ、シューニャは反応に困って俯いた。
 とはいえ、ここでファティマがその内容を説明してくれれば、まだいくらかマシだったに違いない。
 しかし、現実とは斯くも非情なものであった。

「ボクも詳しい意味は知らないです。奴隷の頃に一緒だったケットから、大好きな相手ができたらやるものだー、って教えられただけなんで」

 発情についてすら理解していなかったファティマである。そんな彼女が詳細など知るはずもなく、むしろ名前や方法を知っていただけで奇跡なのだ。
 となれば、全員の視線が自然とシューニャに集まるのは当然の結果だった。

「え、あ……その……」

 彼女は珍しくうろたえた。
 それは言いにくい内容だったからなのだが、真面目なシューニャは情報を歪曲して伝えることを良しとせず、羞恥に頬を染めながら詳細を口にした。

「け、ケット特有の、男女の営みを誘う行為だと、文献で……」

 言葉が徐々に尻すぼみになり、最後は蚊の鳴くような声だった。
 この回答を聞いた当事者たるファティマは、シューニャ以上に真っ赤になって全身の毛を逆立てる。また質問をしたマオリィネは申し訳なさそうに額を押さえ、アポロニアは微妙な笑いを浮かべてシューニャの肩を叩いた。

「ま、まぁ興味津々なお年頃ッスもんね。健康な証拠ッスよ、うん」

「そ、それは誤解! 別に知識欲以外の理由は――!」

「必死にならなくてもいいわ。わかっているから」

「むぐ……」

 必死で取り繕おうとしたシューニャを、マオリィネは酷く穏やかな顔で宥める。
 しかしその温かい目線は、誰でも興味があって当たり前だというものであり、純粋な知識収集の賜物であると主張するシューニャとしては、到底納得のいくものではなかった。
 それでもこの場で反論したところで受け入れて貰えないことが明らかだったため、シューニャは熱くなった頬を手で扇ぎながら、必死で思考を切り替える。
 一方、疑問が解決に至ったマオリィネは、僅かに肩を竦めつつ話題を元の路線へと戻した。

「ホント、キメラリアはすることが大胆ね……けれど、キョウイチの心境変化は悪いものじゃなさそうで、少し安心したわ」

「ん、重婚を考え始めているというのは、今までにない大きな進歩だと思う」

 マオリィネは恭一の態度を軽く分析して小さく微笑み、思考を入れ替えたシューニャもまたそれに同調する。
 ただ、アポロニアはそれに対して甘いと目を細めて笑った。

「でも、こっからは個人戦ッスよ。まだ全員が受け入れてもらえるって決まった訳じゃないッスからね」

 一瞬で部屋の中に緊張感が走る。
 確かに恭一は重婚を仄めかす発言をしてはいるが、そもそも全員に対して抱く感情は悪いものではない、という以外は未知数なのだ。それこそ、誰か1人と婚姻を結ぶ可能性や、はたまた別の女になびく可能性も、安易に捨てきることはできない。
 それは互いに足を引っ張りあえばいいという話ではないにせよ、しかし今までの安穏とした協力関係の維持も難しい状況であった。
 しかも彼女らは皆、程度の差こそあれ欲望に忠実なタイプである。

「いーですねぇ。ボク、絶対負けませんから」

「ここまで来て退けるわけないでしょ? これでも一応、勅命も受けているのだしね」

「言うじゃないッスか。自分も今更遠慮する気なんて、これっぽっちもないッスよ」

「……負けない」

 互いに顔を見合わせれば、誰からともなくフフフと不気味な笑い声が零れる。
 彼女らの仲は決して悪くない。それどころか、恭一の言葉どおり家族としての信頼関係すら築けているほどだ。
 だが、この問題に関しては、その枠から外れているとカウントされることが明確になった。
 周囲が不敵な表情を浮かべる一方、それを不思議そうな顔で見回している者も居たが。

「ねぇジューコンってなーに?」

 ポラリスは宣戦布告紛いの発言が飛び交う中で、ひたすら重婚という言葉の意味を考え続けていたのだった。


 ■


 目の前を青白いスパークが迸る。
 甲鉄はまるで死を拒む人間のように僅かに藻掻き、しかし僅かな後に全身を弛緩させて停止した。
 ヒィンというエーテル機関が非常停止する甲高い音を聞きながら、僕は自身の戦いのスイッチを緩める。
 それがいけなかったのか、緊張感の抜けた体は途端に鼻の違和感を訴えた。

『ふ、ふぇっくしょい!』

『おいおい、相手の首に剣ぶっさしたままでくしゃみする奴があるかよ』

『いやすまない……なんだろう、急に寒気が?』

 マキナの中は生命維持装置が働いているため、外気温をそれなりにシャットアウトしてくれる。それもパイロットスーツという高性能な衣服を身に着けた上からであれば、酷寒地でもなければ寒さはほとんど感じなくなって然るべきなのだが。
 不思議なこともある物だと首を傾げながら、僕はハーモニックブレードを甲鉄から引き抜こうと力を込める。
 が、ここでくしゃみの弊害が現れた。

『えっ』

 パァンと鳴り響いた派手な音。目の前を飛んでいく幾ばくかの破片。
 今まで抵抗があったはずの左腕は急激に軽くなり、僕は慌ててたたらを踏んだ。否、翡翠のオートバランサーが支えてくれなければ転倒していただろう。
 甲鉄の首からは今まで前腕に接続されていたはずの刀身が生え、それを眺めて一瞬の静寂が流れた。
 頭の中で武装に関連する注意事項が流れていく。ハーモニックブレードは振動することで切断力を発揮するため、相手に突き刺さって抜けなくなった場合は、と。
 しばらく自分の左前腕部と甲鉄とを見比べ、僕はハハハと乾いた笑い声を出した。
 それを遮ったのは予想外にも無線機越しではなく、背後から響いた低い声だったが。

「オイコラ、何笑ってやがる」

 ビクリと肩が震える。
 おそるおそる振り返ってみれば、外だというのに珍しく兜を外したダマルが、恐ろしい髑髏の暗い眼孔をこちらに向けていた。

『あー……アクシデント、かな』

「馬ッ鹿野郎ォ、ヒューマンエラーだ! お前はあれか!? 毎度毎度俺の仕事増やすのが趣味なのか!?」

『い、いや、そういうつもりはないんだが――すまん』

「ったく、すまんじゃねぇよ。いっつもいっつもどっかしらぶっ壊しやがって。予備がここにありゃいいが、なかったらテクニカに寄り道決定だぜ畜生め」

 はぁと骸骨はへし折れたハーモニックブレードの根元を見て、ガックリと肩を落とした。
 黒鋼以降に装備された物は共通品なので予備には困らないが、それでも余分な手間であることに変わりはなく、ダマルはもっと機体を大事にしろと呟いて瓦礫を蹴っ飛ばす。

「とりあえず使えそうなもん探すぞ。このままオケラで帰ったんじゃ、銀貨200枚でも割に合わねぇ」

『そんなにかい?』

「そんなにだっつーの。そんな予備武装でも、現代じゃ再現できねぇハイテク装備なんだからな」

 予備武装とは言いつつも、昔から僕は何かとこれを愛用している。非常に取り回しがしやすく、装甲にでも当てられれば多少なりとも損傷を与えられる優良な装備なのだ。
 とはいえ、そのおかげで扱いが荒かったことは否めないが。
 おかげでひらひらとガントレットを振りながら、玉匣へ戻っていく骸骨の背を見て、悪い癖だと僕は1人頭を掻いていた。
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