悠久の機甲歩兵

竹氏

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テクニカとの邂逅

第133話 闇に走る赤光

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 何処の国でもどんな町でも、変わらない光景というのは存在する。
 特にアウトローな空間はそれが顕著だ。国家を代表するはずの都市、王都ユライアシティにも迷宮帝都クロウドンにも貧民街があり、そういう場所で起こる事態に関して国法はほとんど干渉しない。
 勿論、平民街の人々から多数の陳情が寄せられるような事件がおこったり、あるいは貴族以上の天上人たちの気が向けば、何かしらのが行われることもあるが、世界の闇を払うことなどできはしない。
 そもそも権力闘争に明け暮れながら肥え太る人間が居る以上、代わって飢える人間は絶対に居なくならないものだ。なんなら貧民などマシな方で、それ以下の奴隷という存在を作り出してまで自らの富を求めている。
 王国では王族貴族以外に法的な身分制度は存在しない。だからと言って貧民街の人間や奴隷が平民街で暮らせるようになるのは難しく、現実には大きな壁が存在している。
 それは町の中に隔たりがないポロムルでも同じであり、貧困層が集中的に暮らす場所は、名前を付けて区切られずとも自然に出来上がっていた。
 彼女はその場所に漂う独特の空気に、1人眉を顰める。

「どこにでもしみったれた場所はあるよねー、何が楽しいんだか」

 夜中に宿をこっそり抜け出した彼女は、フードの奥から赤目を覗かせて周囲を観察しながら街路を歩いていく。
 道行く人々はやや煤けた旅装に対して、僅かに一瞥することはあっても興味を示すことはない。流れ者が現れることなど日常茶飯事であり、それが傍目から見れば子供であれば自分たちと同じような境遇に陥った哀れな犠牲者の1人としか見えないのだから。
 自分には誰も手を差し伸べてくれなかった。結果、我が身の力だけで今もなんとか生きている。だからお前も死にたくなければ自分の力でなんとかしろ。空気のように扱う人々の心中はそんなところだろう。
 中には憐憫《れんびん》の混ざった視線を向ける者も居なくはないが、その稀有な者とて何ができるわけではなく、強いて言えば幼い流れ者の前途に幸あれと祈るくらいだろう。

 ――祈って何が変わるって言うんだろう。

 彼女は信仰が腹の足しにならないことを知っていたし、そうでなければカラーフラ教を信じる連中を焼き払ったりはしなかった。必要な時には何の役にも立たない癖に、常日頃は喜捨だの布施だの要求してくる神に祈るなど反吐が出る。
 僅かに足を早めて街路を進めば、狭い場所に家々を押し込んだ地域であるため、直ぐに中心地であろう広場に出た。
 広場の中央では驚くほど慎ましやかな火が焚かれ、貧民街においても雨風を凌ぐ場所すら持てない浮浪者たちが、寒い夜を乗り切ろうと集まって眠っていた。これまたどこでも見かける光景であり、やはりそのほとんどはキメラリアである。
 確かにキメラリアは人間と比べて特化した身体能力を持っている。力の弱いアステリオンやファアルであっても、聴覚や嗅覚は人間の比ではない。
 だが、それらをキメラリア同士で比較した場合、彼らは特別優れているという程ではないのだ。しかも文明という集団性を持つがためにキメラリアを見下す立場にある人間は、何よりも労働力として優れていることを望む。しかも目に見える形でだ。
 人間が2人で運ぶ荷物を1人で運べればいい。3人の物を1人でならばなおいい。そんな具合である。
 キメラリアで家を持てる者は肉体労働に従事することができ、人間以上に働ける者たちだ。力の強いケットやキムン、持久力のあるカラやシシなどは比較的容易く仕事にありつける。
 逆に構造上体の弱いクシュや、力のないアステリオンにはこれが中々難しい。ファアルに至ってはそもそも毛嫌いされている場合も多く最悪と言えた。
 そのため、野ざらしで眠る宿無したちの多くはキメラリアの中でも力が弱いか、あるいは肉体労働に向かない連中である。必死で寒さを耐え凌ぎ、なんとか明日も明後日も腹に物を入れるために眠っていた。
 弱いなりに生きる彼らを、少女は特に関心なく眺める。哀れんだところでどうにもならないのだから、無関心で居てやることは彼女なりの慈悲だったのかもしれない。
 だが、貧民街において弱いというのは途轍もないハンディキャップともなる。特に力がある連中が虫の居所が悪い時は、より弱者を求める傾向にあるのだから。

「邪魔だクソガキ!」

「あぐっ!?」

 派手な衝撃音と共に地面に転がったのは、襤褸を纏って眠っていたクシュの少女だった。薄汚れていてもわかる緑色の羽根が周囲に散らばっていく。
 炎から僅かに離れた位置で静かにしていたようだが、何かがイラついた様子のシシの気に障ったらしい。問答すら聞こえない内に蹴飛ばされたのである。
 キメラリア・シシは慎重かつ冷静な者が多い種族だが、何処にでもらしくない奴は居るものだ。その上貧民街に居る中では体格が良く、派手な音に苦情面を晒して身体を起こした周囲の連中も、原因がそいつだとわかると途端に距離を取っていった。

「汚ぇクシュのガキが。目障りなんだよ!」

 ギリリと牙を鳴らすシシがしたのは、明らかにただの八つ当たりだ。
 それもわざわざひ弱そうなクシュの子供を狙うあたり、このシシとて弱者なのだろうと彼女は鼻を鳴らす。

「ゲホッ……カハッ……ご、ごめんなさい、ごめんなさい」

 クシュの少女は派手にむせ返りながらも、直ぐに謝罪の言葉を繰り返した。
 栄養失調で木の枝のようにやせ細った身体は、元々から体構造が脆い種族と言う部分を差し引いても、頑強なシシに敵うはずがない。むしろさっきの一撃で、全身骨折したとしてもおかしくないくらいである。
 眼に涙を溜めながら必死で許しを乞う彼女の様子が気に入らないのか、高い声でごめんなさいと言い続けるクシュの前に猪は仁王立ちになる。

「イライラさせやがって、そのキィキィうるせぇ咽を踏みつぶしてやる」

「やめて、許して、お願いします……どうか、どうか」

 別にこのシシが偉い訳ではない。ただ貧民街の中における上下が、単純な力の強弱だけで十分というだけだ。たとえそれが、ただの因縁と八つ当たりであったとしても。
 クシュの胸元に足を乗せたシシは、しばらく少女を睥睨していた。しかし少女の方はその重さだけで十分苦しいのか、必死で藻掻いて泡を吹く。

「フン、お前娼婦だな? どうしても許して欲しいなら、俺の相手をしてもらおうか」

「なん、でも、しますから……命だけは」

 絶対に無理だと誰もが思ったことだろう。
 クシュの少女は栄養状態の劣悪さからか、その身体は枝のように細い。ただでさえ種族的に大柄なシシとの同衾など、とても耐えられるようには見えなかった。
 ただ、踏みつぶすだけでは面白くないから、あるいは腹の虫が治まらないからという身勝手な理由で、彼女は最悪の死を迎えることになるだろう。周囲に居た同じ境遇の者達は、彼女の悲惨な運命に心を痛めたかもしれないが、それを止めに入ろうという者は誰も居なかった。
 それも当たり前か。広場に眠っていた者のほとんどは彼女と同じように力のない種族であり、僅かなケットやカラも栄養不良の状態である以上、あのシシに敵うはずもない。そして何より境遇が同じである以外、特に接点のない子供1人を救うのに、我が身に火の粉を浴びようとは思わなかったのだ。

「いいだろう、精々楽しませろよ? じゃねぇとその枯れ枝みてぇな身体をバラバラにしちまうぞ」

「はぁ……はぁ……っ、はい……わかり、ました」

 ようやくどけられた足に縋るようにして少女は頷く。
 後はただただその男について行き、結果はどうあれ死という結末を迎えるに違いない。
 胸糞悪い光景を見たと彼女は軽く舌打ちをし、その場を離れることにした。
 彼女としても別にクシュの少女が生きていようが死んでいようが関係のない話だから。それに目立つ行動をすれば、あの何事にも細かい上に頭の固い男に小言を重ねられるのは間違いないのだ。
 神に祈ってやろうとは思わないが、せめて楽に死ねたらいいね、と喉の奥で呟き彼女は踵を返す。

「あん? なんだぁこりゃ?」

 だが、直後にシシが出した妙な声に、彼女はちらと振り返った。
 蹴飛ばされた際に少女の懐から転がり出たのだろう。炎に照らされたその手には、数枚の銅貨が握られている。
 クシュの少女は地面に散らばったうちの1枚を必死で掻き抱いていたが、残りはシシが拾い集めて掌の上で遊ばせている。別にそれだけならば気にするようなことではないのだが、シシはブシュウと鼻から息を吐いてほくそ笑んだ。

「帝国製の銅貨だと? そんなナリして随分珍しいもん持ってやがるな」

「ッ!!」

 彼女の反応は早かった。それこそ周囲で見ていた者たちは、まるで風が通り過ぎただけのように思えただろう。
 今まで遠くから眺めていたはずの野次馬一号が、突然至近距離に現れたことでシシは一瞬身体を引いた。
 しかし、彼女は最早シシなどどうでもよく、むしろクシュの方に視線を投げている。

「ねぇ! その銅貨について、ちょーっとお話聞かせてくんない?」

「あ……貴女、は?」

 フードの奥から覗く赤い目に、クシュの少女は怯えたままで返事をする。
 だが、その目が無邪気に笑っているのを見たことで、彼女の体は僅かに弛緩した。

「見てわかんない? どっからどー見ても旅人でしょ? そんでそんで、人を探してんだけどね!」

「は、へ? な、何を言って……」

 捲し立てるように用件を言えばキョトンとするクシュの少女。
 この人は何なのだろうと、彼女が不思議に思うのは当たり前だ。今しがた彼女の置かれている状況を見ていなかった訳ではないだろうに、わざわざ割って入ってくるなど信じられないのだから。
 無論、それに怒り狂う人物が居ることも。

「オイ、なんだテメェは! ぶっ殺されてぇのか!?」

 一応手に持っていた銅貨はポケットに突っ込むくらいの冷静さは持っていたようだが、それでも邪魔されて気分がいい訳もない。
 荒々しく怒気の籠った息を吐きながら、派手に指を鳴らした。
 一方、赤目の彼女はその一切が聞こえないかの如く鮮やかに無視を決め込む。

「やぁー、これが追いかけても追いかけても逃げちゃう相手でさ。困ってんだよー。帝国銅貨なんてこの辺じゃ珍しいでしょ? そいつも帝国から来てるはずだし、もしかしてーと思ったわけさ! こう、黒髪の――」

 呆気にとられるクシュの少女相手に、赤目の彼女は驚くほど饒舌に喋り続けた。無論、背後から迫っているシシのことなど、最早空気同然である。
 それは男にとって完全な宣戦布告だった。あまりの怒りから額に血管を浮かばせ、その太い腕を振り上げる。

「無視してんじゃねぇぞコラぁ!」

 誰もが小柄な少女など一撃で潰されてしまうと思った。
 目の前に居たクシュの少女さえ、一瞬後に訪れるであろうスプラッタな光景を想像して目を瞑る。
 直後、キメラリアの力に耐えられず骨が砕け、肉が飛び散らせる音が聞こえるはず。彼女はそんな恐怖に打ち震えていた。
 だが、いつまでたってもそんな音は聞こえて来ず、状況が掴めない彼女が恐る恐る目を開ければ、そこには驚きの光景が広がっていた。

「え……っ!?」

 丸太のような腕を少女は1歩も退かないまま、細い片手で受け止めている。あまりにも常軌を逸した光景に、今まで威圧的だったシシさえもが驚愕に口を開いたままになっていた。
 直後、今まで完全に無視していた赤目の彼女から、空気が揺らぐほどの殺気が放たれる。

「お前、うるさい」

 彼女が小さく呟いた途端、受け止められたシシの腕を炎が這いあがった。

「な、ななな、なんだこりゃあ!?」

 突如起こった不可思議な現象に、シシは後ずさりしながら炎を払いのけようと必死で毛皮叩くものの、それはまるで意思を持つように身体を包み込んでいく。
 誰か助けてくれという悲鳴もあったが、周囲の者達はただただ驚愕の表情でそれを眺めるばかりで手を差し伸べようとはしない。逆に、唯一動いたのは赤目の少女だった。

「はいはい……我儘な奴だ――なぁッ!」

 その言葉が混乱するシシに聞こえていたかどうかはわからないが、次の瞬間その巨体は宙を舞っていた。
 僅かに遅れて凄まじい衝撃音が木霊する。巨大な金槌で岩を叩いたような鈍い音。
 少女から放たれた正拳突きが倍近くあろうかというシシを、軒を連ねる民家の壁へと叩きつけたのだ。
 その凄まじい衝撃に体は鎮火していたものの、彼は生死不明の状態で壁に貼り付けられ、口から血の泡を垂れ流して意識を失っていた。

「火も邪魔者も消えたし、これで良し! さ、ちょっと付き合ってよ」

「え、あ、あの……はい」

 ついさっき恐るべきパワーで拳を振るっていた手で、彼女はクシュの手を引いた。
 もちろんクシュの少女には恐れも怯えもあったが、絶対に勝てないと思った巨漢をも軽々しく打ち倒す相手に抗せるはずもなく、その上ニコニコと笑う彼女に毒気を抜かれてしまい、引き摺られるようにして広場から連れ出された。
 足早に街路を駆けていく中で、彼女は気さくに問いかけてくる。

「あたしはっての、君は?」

「く、クリンです……あの、どこに向かって……」

「まぁ安心してついてきてよ。夜中に女2人で立ち話ってのもアレだし、ね?」

「は、はぁ」

 自然とクリンは1枚だけになった帝国銅貨を握りしめる。
 エリと名乗った女性にあるのは善意か悪意か。そのいずれにせよ、クリンには従う以外の選択肢を持ちえない。
 それでもどうか悪い話でないことを祈ってやまなかった。ただ縋れる神すらないクシュの少女が祈った先は、今までに客をとれたことのない自分の声に立ち止まってくれた黒髪の男の姿だったのだが。
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