悠久の機甲歩兵

竹氏

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テクニカとの邂逅

第120話 強硬説得作戦

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 パチンと、どこかで薪が爆ぜた気がした。
 重い意識とぼやけた視界に顔を上げれば、目の前には焚火があり、周囲は闇に包まれている。少なくとも夢ではないらしい。

「う、ん……ここは?」

「お、目が覚めたかい?」

 ふと視界の片隅に見知った男の顔が入り込んだ。
 自分と同じ黒い髪をしたキメラリア好きな優男。徐々に輪郭が正常になってくる視界の中で、彼は薄く笑っている。

「アマミ……? 私、何が――え?」

 私は眼を擦ろうとしたものの、自分の腕は何かに引っ掛かって動かない。
 慌てて振り返った先、見えたのは建物の柱に回された腕。それが動かないとなれば、縛られていることは容易に想像がついた。

「無礼に関しては、少し我慢を。何せ貴女は、

 僅かに低い彼の言葉に、自分が意識を失った際の状況が思い出される。おかげで背中を冷や汗が伝ったが、貴族の意地として私は不敵な笑みを浮かべてみせた。

「気絶してる女性を縛るなんて、いい趣味してるわね。それも悪魔との契約かしら?」

「ばっか言え、俺ぁそういうプレイに興味はねぇっつの」

 アマミの後ろから歩み出てきた存在に、喉から出かかる悲鳴を必死に堪えた。
 目もないのに視線を感じ、舌もないのに声が聞こえて、肉がなくとも自由自在に動き回る骸骨。
 しかし、そんな私の言葉を並んで現れたシューニャが否定する。

「ダマルは悪魔じゃない。食い、眠り、動き回り、考える骨」

「……それ、十分悪魔だと思うけど」

「悪魔とは人の命を啜って生きる存在を指す言葉。ダマルはそうじゃない」

「言い切るわね……心を奪われていたりする?」

 シューニャは理知的な女性である。だが、この手の人外は知識を授けるとも語られるため、信じたくはないが、彼女が取り込まれている可能性は高かった。

「カッカッカ! んなことできるなら、キメラリアの差別だってなくしてやるよ」

「悪魔の力なんて借りるものですか! その対価がどうなるかは、神話に語られているじゃない!」

「神話って……随分ファンタジーな話ですね……」

「ま、俺自身も自分が何者かはわかってねぇんだ。800年前は人間だった記憶もあるが、それがどうやったこんな真っ白になるやらなぁ?」

 呆れたように肩を竦めるアマミとダマル。
 そんな馬鹿にしたような態度が気に食わず、私はたかが骸骨風情にと奥歯を軋ませて立ち向かった。

「何よ……! それが本当の姿なら、人間だなんて笑わせてくれるじゃない。誇りあるトリシュナーの娘に正体を見せたこと、炎にくべられてから後悔するといいわ!」

 炎は全てを浄化する。そう説いたのはどこの神だっただろう。
 少なくとも私は信仰心という物が薄い方である。だが、人智を超えた存在を滅するには、また人智を超えた力を頼るべきなのは道理だと叫べば、小さくシューニャがため息をつく。

「なら仕方ない……ダマルについての理解と黙秘を得るまで、私たちは貴女を責めることにする」

「シューニャ! 正気に戻り――って、ちょっと!? 何する気!?」

 彼女は唐突に炎に掛けられていた鍋から木椀に中身を掬うと、それを私の前に差し出してきた。
 ゴロゴロと野菜が入っているそれは、やけにいい匂いをさせるシチューである。しかし、悪魔が居る以上それがただの食事とは思えない。毒か呪いか、私は嫌々と首を振って抵抗したものの、対するシューニャは努めて冷静だった。

「これは熱々のシチュー。大丈夫、切ったアカボは火傷はしないくらいの温度」

 信じられない彼女の言葉に、私はポカンとしてしまう。後になって思えば、確かに毒でも呪いでも無かったのだが、これはそれ以上に差し迫った恐怖だった。

「ちょ、湯気すごいじゃない!? これ絶対火傷す――あっつぅぅぅぅい!?」

「結構シューニャもえげつないですよね」

「自分の作った料理が拷問道具にされるとは思わなかったッス」

 遠目に見守っていたキメラリア2人が、うわぁと声を上げるのも無理はない。
 実際に食べさせられた私は、熱々の野菜相手にハフハフと行儀の悪い声をあげる。アツアツの食品が苦手な舌が、これほど恨めしいと思ったことはなかった。
 それが黙々と口に運ばれること暫く。なんとか火傷は負わないまま、椀が空になったころ、シューニャは短く問うてくる。

「参った?」

「だ……誰がこの程度で参るもんですか……! 私の意志を舐めないでほしいわね」

 空腹からもう少し食べたいと思ったことは、流石に口にしなかった。
 何せ、悪魔は今も焚火の炎を背にして、弄ぶようにこちらを眺めているのだから。

「頑ななのはよくない。思考は常に柔軟であるべき」

「そういう話じゃないでしょ!? さぁ、諦めて開放しなさい」

 一番頑なそうな彼女にそんなことを言われるとは思わなかったが、相手が骸骨である以上、抵抗以外の選択肢はない。
 するとシューニャはまるで、ここでやめておけばいいのに、と言いたげに小さくため息をつくと、静かに立ち上がった。

「アポロニア、代わって」

「正直貴族様相手に、っていうのはヤバい気がするッスけど、これもタマクシゲのためなんで――お覚悟を」

 にじり寄ってくる小柄なアステリオンに、私は先ほどまで以上に強い視線をぶつける。
 キメラリアの中でも戦いに向かない種族だ。両手両足を縛られていても、頭突きで反撃でもすれば勝てるのではないかとさえ思ってしまう。

「へぇ……非力な貴女に何ができるって――うひぃっ!?」

 その油断が命とりだった。
 素早くアポロニアは私の足を掻い潜ると、腹部に抱き着く形で両手を腋にさしこんできた。

「アッハハハハハハハハ!? ちょっ、くすぐるのはダメ!?」

「うりうり、笑い死ぬ前に降参してほしいッスよぉ!」

「だっ、誰が、あっ、コラ、足の裏は本気でダメだって―――にゃわぁはひゃひゃひゃひゃ!?」

 成人して久しい自分が、それも貴族の一人娘である自分が、まさかくすぐられるなど思いもよらなかった。そんな遊びをしたのは、ジークルーンと草原で転げていたような幼い頃だったと思う。
 器用にブーツを脱がされ、足の裏を這いまわってくる指に、笑いすぎて喉と胸が痛くなってきた頃。ようやくアポロニアはその手を止めて立ち上がった。

「耐えるッスねぇ」

「はーっ……はーっ……これで、終わり、かしら?」

「うーん……できれば使いたくなかったッスけど、ご主人」

 その言葉に疲れているはずの体がビクリと反応する。
 今までの2人と違って、アマミは男性だ。おかげで私は良からぬ想像が頭をよぎる。
 私は今まで、父親とガーラット以外の男性に触れられた覚えが無い。そんな一切合切を吹き飛ばし、いきなり辱めを受けるかもしれないと思うと、恐怖と羞恥に身体が震えた。

「失礼かとは思いますが、少しだけ勘弁を」


「ちょ、ちょっとアマミ! まさか、乙女の柔肌に触れるつもり!? そんな不埒な事――ぎぃっ!?」

 ただ、自分に訪れたのは、想像と異なる激痛だったが。
 足の裏に走ったのは、針を刺さされたかのような激痛であり、思わず縛られていながら身体が跳ねた。

「騎乗っていうのもやっぱり結構疲れるのか。あぁファティ、体押さえといてくれ」

「はぁい」

 ケット特有の凄まじい力に押さえ込まれれば、縛られている以上に一切身動きが取れなくなる。それはつまりアマミの手から逃れる手段が失われたことを意味し、間もなく私は闇夜に絶叫を響かせた。

「いったあぁあああああい!? あ゛っ、ぐぅっ!? やめ、許してアマミ!! 足が、足が壊れちゃうからぁ!!」

「マッサージで壊れた人は見たことないなぁ」

 ハハハと柔らかく笑うこの男こそ、真の悪魔なのではないかと思えてくる。
 繰り返される鈍痛と激痛を前に、身悶えることさえ許されない私は、叫ぶことしかできない。ただ不思議なことに、その痛みはやがて急激に引いていった。

「これでもダメか?」

「途中から蕩けてましたもんね」

「……はぁ、な、なにこれぇ……なんだか気持ちいい――じゃないわ!」

 驚くほどに楽になった身体に、自然とノリツッコミが出た。
 これで意志を砕かれては元も子もないため、私は理性を総動員して否定を口から吐き出せば、アマミは困ったように後ろ頭を掻いた。

「うーん……ここまでで諦めてもらえない場合、身の安全は保障できないんだが、それでも?」

「へ?」

 金属の音を立ててそれは歩み寄ってくる。
 忘れてはならない悪魔そのものは、風に舞い上がる火の粉を前に悠然とこちらを見下ろしていた。

「いよいよ真打って訳だ。あぁ流石に殺しゃあしねぇから安心してくれよ。最悪はハッピーな頭になって、快楽に身を委ねてもらうだけだ。まぁまずは優しいのから行ってやるよ」

「ほ……本気で悪魔の言いそうなことじゃない。どうするつもり?」

「なぁに簡単だ。こいつを見な」

 必死で恐怖を取り繕う私に対し、ダマルはあざ笑うかのようにカタカタと顎を鳴らすと、謎の薄い板をポーチから取り出した。
 それは鏡なのか、自分の顔が映り込んでいるだけ。しかし、骸骨の説明を聞いてみれば、とんでもない道具だった。

「このカメラ機能を使う。あぁ、カメラってのは――時間を切り取る太古の機械、って感じでな」

 聞き覚えのない音が響いたかと思えば、ダマルは板をぐるりと反転させてこちらへ向けてくる。そこには如何な絵画よりも精巧で、完全に時間を止められた自分の顔があり、私は自分が固まったのではないかと不安になったほどだ。

「いい反応だ。それにこいつは紙に写せちまうんだが……これでお前の裸でも撮って王国中にばら撒いたら、どうなるかはわかるよな?」

「て、手口がリベンジポルノのそれじゃないか……屑野郎にも程があるよ」

 実に楽しそうに語る骨と、腐った魚を見るような眼のアマミ。
 しかし言われている身からすれば、その状況が想像できてしまって一気に青ざめた。

「そ、そんなことすればどうなるかわかってるの!? 私はこれでも貴族よ!」

「貴族だから意味があるんだろうがよ。泥啜って生きてるような奴から肉まんみてぇな金持ちまで、あらゆる男にお前は身体を見られるが――どうする?」

 カカカといかにも悪そうに笑うダマルに、私は言葉を失った。
 貴族とは驚くほどに面子で生きる存在だ。そのあられもない姿が国中に広められたなどということになれば、私のプライドはおろか、家名も地に落ちるのは間違いない。
 それでも、潔白な貴族でありつづけるためには悪魔と契約するわけにもいかず、どうしようもなくなった私は、目からは大粒の涙が独りでに零れ落ちた。
 ただ不思議なことに、そんな自分を見て慌てたのは原因たるダマルである。

「お、おいおい! 泣くなって!」

「そりゃ誰でも泣くと思うッス」

 わたわたとする骸骨に対して、一斉に女性陣から非難の目が向けられる。
 しかし、私が涙をこぼすばかりで何も言えなくなっていると、やがてアマミが眼前に座り込んだ。

「マオリィネさん、ダマルは悪魔ではなく僕の相棒で家族です。800年前、あれは確かに僕と同じ軍に属したなんですよ」

「どうしてそれを信じられるっていうの!? もしアイツが悪魔だったら、私はフリードリヒと同じになってしまうのよ!?」

 感情のままに叫ぶ私に対し、アマミは努めて冷静だった。
 ぐっと両手を地に着くと、見たことのない形で頭を下げる。

「伏して頼みます。僕は貴女を泣かせたいわけじゃない、ただ信じて欲しいだけだ」

「そんな、こと……簡単に言わないでよ」

 彼らは共に戦った戦友だ。だからこそ信じられるなら信じたかった。あるいは自分が庶民なら、悪魔であろうが気にしなかっただろう。
 けれど、生まれながら自分を締め付ける貴族という立場に、それは許されない。だから私には、友が悪魔の枷から解き放たれると信じて首を振る。

「そうか……なら、話はここまでだ。アポロ、縄を」

「へ? い、いいんッスか?」

 低い声で静寂を断ち切り、ゆっくり立ち上がったアマミは、呆然とするアポロニアにナイフを手渡して踵を返した。

「もう彼女と話すことはない。ダマルが悪魔だと吹聴することも最早止めないし、この場で斬りかかるならばそれも好きにすればいいことだ。その結果、自分達と国が敵対しても……僕は家族を守るために戦うだけだから」

 ハッキリとした決別の意志に、今までにない焦燥感が込み上げてくる。
 アマミは優しく穏やかで、自分たちと共闘した時と同じように、話をすればわかってくれる相手だと思っていた。だが、そこに立っている青年の背中は、氷のように冷たく感じられる。
 だから私は、咄嗟に声を出さずにいられなかったのだろう。

「ま、待って! それは駄目よ!」

「駄目、とは? ユライア王国が家族に害を成そうというなら、国を焦土にするまで僕は戦う。それだけのことですから、もう貴女には関係の無いことですよ」

「関係ない……って、そんなこと」

「僕は選択肢を提示し、貴女はそれを拒絶した。ただそれだけだ。全員乗車、もうここに用事はない」

 自分を縛っていた縄が切られたにもかかわらず、私は立ち上がることもできず、地面にへたり込んでいた。
 王国と彼らが戦えば、あるいは本当に国が焦土になるかもしれない。それを選んだのが自分だと言われ、今になって恐怖が込み上げてくる。

「ま、待って……待ってよ」

 縋る私の腕を一瞥することもなく、アマミはウォーワゴンの中へ消えていく。
 自分の手が空を切り、その向こうにはいくつもの残念そうな顔が、こちらを振り返っていた。

「王国に同情はする。でも、キョウイチに戦争を選ばせた貴女に、これ以上語る口を持たない」

「お世話になった分、残念ですけど」

「別に憎い訳じゃ無いんスよ。だから、もう会わないよう祈ってるッス」

 壁を感じる言葉に、私は一切の声を失った。
 彼女らはたとえ悪魔に騙されていようとも、皆アマミを信じるという意思で、行動を共にしている。だから私は、彼女らを止められない。
 そして最後に、骸骨はタマクシゲの入口へ立ち、ゆっくりとこちらへ振り返った。

「悪いな。今回のは俺のドジが原因だから、1つ教えといてやる。俺たちの武器は、ユライアシティの城壁だろうが王国軍の精鋭だろうが、まとめて全部吹っ飛ばしちまうぞ」

「っ!!」

「恭一は800年前、共和国軍でさえ恐れたバケモンだ。ただアンタには縁がある。今のうちに国離れて逃げるか、全部黙ってるってんなら、命狙ったりはしねぇよ」

 わからない。
 悪魔とは対価なく何かを与える存在ではないはずだ。
 なのにダマルは平然と、そして驚くほどに残念そうに呟き、ポーチから取り出した煙草を火をつけないまま咥えて、はぁとため息をついた。
 それはまるで、人間のように。

「……どうして、そんなことを」

「こんな骸骨でも、俺ぁ相棒の言うように、心は人間のつもりなんだ。だからこそ、アンタに死んでほしいとは思っちゃいねぇのさ」

「貴方――本気でそんなことを」

 信じられるはずもない。だが、信じてみたいと思う自分が居た。
 貴族の娘は己を殺し、家のために他家との婚姻を結ぶ道具となる。それが嫌ならば騎士となって国のために戦う。その他の道をこの枷は許さない。

「じゃあ、達者でな」

 だが、振り返りゆく呪われた騎士の背を見た時、私は飛び出していた。

「待って……待ちなさいダマル! アマミ・キョウイチ!」

 叫びすぎて焼けるような咽で出せる、最も大きな声だったと思う。
 笑う膝に喝を入れ、震える身体を必死で抑え込んで、私はタマクシゲの入口に立った。

「まだ、何か?」

 アマミの声は相変わらず低く冷たいものだったが、一度立ち上がった以上、戦場と同じで逃げることは許されない。いや、自分は逃げたくなかったのだ。
 だからこそ、大きな深呼吸を1つしたあと、私はハッキリと告げる。

「……信じるわ。ダマルが、悪魔じゃないってこと」

 僅かばかりの静寂。
 それを終わらせたのは、ダマルの笑うカタカタという小さな音だった。

「唐突だな、ぇえ? そりゃどんな心境の変化だ?」

「正直言って割り切れたわけじゃないわ。けれど……貴族としてじゃなく、私自身として、貴方たちと喧嘩別れはしたくなかった。それだけよ」

 それは嘘偽りない、ありのままの自分が出せた言葉。
 貴族だ騎士だという身分を取り払えば、自分は彼らのことを気に入っていたのだろう。だからこそ、いつも通りの振りをして長い黒髪を払ってみせれば、大きなため息が聞こえてきた。

「はぁ……ほんと手間がかかる。アポロ、悪いけど夕食の準備を再開してくれるかい?」

 彼の声にはさっきまでのような冷たさはない。
 ただただ疲れたと言いたげに、それでもどこか優しさを感じてホッとした。おかげで軽口もいつも通りに回ってくれる。

「なによ、人を面倒くさい女みたいに言わないで頂戴」

「今の僕には、十分面倒くさい女なんだけど」

「これぐらいの反応は普通でしょ! 大体、悪魔じゃないって言っても、あれのやろうとしたことは本気で悪魔的なんだから!」

 腰に手を当てて骨を指させば、再び女性3人の鋭い視線がダマルへ集中する。
 途端にやべぇと言って骸骨は逃げ出したが、どうやら発言だけで有罪判決を受けたらしく、シューニャの指揮の下でファティマが飛び掛かっていった。
 あっという間に骨の部品が宙を舞い、再びダマルは死を連想させるアートのようになっている。

「それに関しては同意するよ」

 その様子を見ながら、アマミはハハハと乾いた笑いを口にした。
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