悠久の機甲歩兵

竹氏

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ユライア王国と記憶の欠片

第109話 袋小路へようこそ

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 フリードリヒはキャンドルランプに照らされる街路を、酒場に屯するか遊郭街に消えていく者たちに肩をぶつけながら、町の中心へ向かって息を切らして駆け抜けた。
 広い平野に築かれた王都の中央といえば宮殿であり、コレクタユニオン支配人とはいえど、貴族位を持たない彼がここに入ることはできない。しかしその手前の貴族街は、大きな権力をもつフリードリヒが入ることを拒まなかった。
 門の前についた彼は汗を拭って無理矢理涼しい表情を作ると、何事もなかったかのように衛兵の間を抜けていく。ここに立つ以上、兵士たちが支配人を知らぬはずもなく、彼らは一瞥しただけで制止することもない。
 ただそんなフリードリヒを、建物の影から監視する者があった。

「当たりね……ジークはクローゼに報告して頂戴」

「う、うん」

 マオリィネの指示によってジークルーンはパタパタと駆けだしていく。
 すると間もなく彼女と交代で、頭上から隣に人影が飛び降りてきた。

「ご苦労様、ファティマ」

「欠伸が出そうなくらい退屈でしたよ。あんなおっちょこちょい、わざわざ追いかけなくてもよかったんじゃないですか?」

 自慢の機動力で屋根の上を伝ってフリードリヒを逃がさないよう追跡していたファティマは、あまりにも警戒感の無い男の逃走劇には不完全燃焼だったらしく、大きく尻尾を振りながらマオリィネに眠たげな半眼を向ける。

「そんな不満げに言わないの。むしろ、ここからが本番なんだから」
 
「……まぁ、それもそーですね」

 2人は目標が適度に離れたタイミングで、建物の影を出て彼の後を追って門を潜る。
 無論、衛兵はキメラリアを通すわけにはいかないため槍を構えかけたが、マオリィネがひらりと手を振って見せればすぐに一礼して姿勢を正す。
 その様子にファティマは目を大きく見開いて、おー、と感動したような声を出していた。

「ホントに何も言われないとは思わなかったです。マオリィネは本当に御貴族様なんだって初めて実感できました」

「……今はそれどころじゃないけど、後で色々言いたいことがあるわ」

「眠くならないお話なら聞きます――よっと」

 建物の影から影へ。反射と擦れる音を嫌って鎧すら着ていない2人は、他の貴族からもできるだけ目につかないように気をつけながら、足早に進むフリードリヒを追跡する。
 すると彼はやがて、大きな前庭を持つ屋敷の前で立ち止まると、周囲に人目がないことを確認してから静かに門を潜って、塀の中へと消えていった。
 その姿をしっかりと目に焼き付けたマオリィネは、目標達成と小さく舌なめずりをして、琥珀色の瞳を細める。

「ふぅん? あの子爵ってことは、まぁ大体予想通りかしら」

「んー……わかるだけで用心棒は外に3人……ってところでしょうか。多分人間です」

「問題にならないわ。近くの屋根から合図できる?」

「怒られそうですけど、まぁ仕方ないですよね」

 ファティマは存在を見咎められないよう警戒しつつ、明かりの点いていない家を選択すると、軽い身のこなしで屋根の上へと跳んでみせた。
 そこから貴族街を覆う内壁までが一目に見通せることを確認し、ファティマは自らのポーチから慣れない手つきで小さな黒い円柱を取り出す。
 それはマオリィネが作戦を伝えた際、よくわかる合図灯としてダマルが彼女に預けた受け取ったペンライトである。

「えーっと……お尻を軽く押して放す――細い方がお尻でしたね」

 骸骨に教えられた通りに尾部のスイッチを軽く押し込めば、ランタンなどではとても出せない明るさの白い光が、北へ向かって瞬いた。
 訪れる夜の静寂に、ファティマは大きな耳を立てて音を聞く。すると間もなく、遠くから石畳を叩く沢山の足音が聞こえ始め、彼女は静かにマオリィネのもとへと飛び降りた。

「来てる?」

「はい。重い足音なので、兵士で間違いないと思います」

「流石にケットの耳は凄いわね」

 マオリィネが小声でファティマを褒めていれば、彼女の耳にも小さく足音が聞こえ始める。所詮、貴族街は平民街に比べて狭いため、到着など本気であっという間のことだった。
 50名ほどの私兵を従えて現れたのは、大柄な体躯に煌びやかな板金鎧を纏う筋骨隆々の将、エデュアルト・チェサピークその人である。あまりにも隠れる気のないその見た目に、隣で珍しく武装したクローゼはため息をついていた。

「おお、マオリィネ! 作戦は順調のようだな! ケットも伝令ご苦労である!」

「兄上、少々声を落としてください。一応、隠密作戦なんですから」

「なぁに、俺が呼ばれた以上、ここから先は戦場よ。戦にあって我らがすべきことは声を生むことに他ならん」

 エデュアルトが背中から幅広な両手剣を引き抜けば、兵たちも各々剣を抜き放って円盾を構える。一糸乱れぬその様子は決戦さながらに堂々としたもので、マオリィネはクスクスと苦笑を漏らした。

「相変わらずねエデュアルト。貴方に頼んで正解だったわ」

「弟は頭はいいが荒事には向かんし、父上はお前のこととなれば貴族街を焼き払ってしまいかねんからなっ!」

「私は文官ですので、剣よりペンで戦うことを望みたいのですが――この際そうも言えませんね」

 呆れかえるクローゼに対し、エデュアルトは剣を肩に担いで喧しく笑う。
 兄弟という割にはあまりにも正反対な2人である。しかし、瞳の奥で燃える闘志は、王国にその将ありと謳われたガーラットの息子であることを、ありありと示していた。

「さぁて、それなら連中を法の下へ引きずり出してやらねばなるまい。ケットの娘、お前も続くがいい! 武功をくれてやる!」

「お仕事ですから、ちゃんとやりますよ」

 まさに武将という雰囲気のエデュアルトを前に、細いファティマが誰の武器より巨大な斧剣をぶぅんと振って見せれば、兵たちからおおっという歓声が上がる。
 キメラリアの地位向上はチェサピーク伯爵家の悲願であり、何よりガーラットの目指す未来だ。ここに集った兵たちが彼女の放つ武勇に感心するのは当然でもあった。
 それを見てエデュアルトは満足気に頷くと、自ら剣を掲げて子爵邸宅へと向けた。

「これより悪を誅する! 皆のもの、我に続けぇい!」

 建物の影よりエデュアルトを先頭に、チェサピーク家私兵隊が邸宅へと殺到する。
 何やら辻に大勢の人間が集まっていたことで、子爵家の護衛たちも警戒はしていたようだが、まさか口上もなしに押し寄せてくるとは思わなかったのだろう。なんとか押しとどめようと武器を抜きはしたが、それも目を輝かせて突っ込んでくる武将の姿には竦み上がった。

「え、エデュアルト様!? これはどういうつもりです!?」

「木端共が! 踏みつぶされたくなければ道を開けよ! 肉団子――もとい、ポトマック子爵には、コレクタユニオンとの癒着に関する疑いがかけられている!」

 ただでさえ精強と呼ばれるチェサピーク私兵隊を背に、猛将と名高いエデュアルトが獅子の如く咆えるのである。護衛たちの士気などあったものではなく、次々と捕縛され無力化されていく。
 あっという間に追い詰められた彼らは、それでも玄関の前に集うと、槍を前に突き出して牽制する。その理由は、後ろで声を張り上げる執事の姿によるものだろう。

「これは明確な犯罪行為ですぞエデュアルト殿! 貴族街でこのような狼藉を――」

「使用人風情が俺に口を利くことを許した覚えはなぁい!!」

 エデュアルトの空気が振るえるような大音声に、槍を構えた兵士が尻込みする。中年程の執事も腰の剣を抜いてはいたが、その程度でエデュアルトが止まるはずもない。たった一振り、両手剣が横一文字に走っただけで、槍衾の穂先がばらばらと地面に落ちていく。
 瞬く間に武器を失って尻もちをついた護衛たちを、エデュアルトは路傍の小石を蹴飛ばすかのように押しのけ、剣を震わせる執事の首を掴み上げた。

「一度しか言わんぞ、今すぐ扉を開けさせろ」

「うぐぐ……貴族の秩序を乱す貴様らなんぞに、誰が従うもの――ガホぁっ!?」

 敵わぬと分かっていながら抵抗の姿勢を崩さなかったのは、無謀ながら見事な忠義とでも言うべきだろう。無論、エデュアルトに二言などあるはずもなく、細い身体は地面へと叩きつけられる。余程凄まじい衝撃だったのか、執事はたった一撃で泡を吹いて痙攣していた。

「破城槌だ! 扉を吹き飛ばすぞ」

 分厚い扉を前に、エデュアルトは剣を掲げて私兵隊に対応指示を飛ばす。
 だが兵士たちが動き出すより先に、彼の後ろで細い影が揺らめいた。

「邪魔です。どいてください」

「なにを――げぇっ!?」

 失礼な物言いに彼は眉を顰めて振り返ったが、まさかそこに巨大な斧剣が振り上げられているとは思わなかったのだろう。濁った蛙のような声を出すと、周囲で硬直していた兵士たちを抱えて、玄関前から脇へと飛び退いた。

「とぉっ」

 ファティマのぼんやりした声とは対照的に、斧剣は唸りを上げて玄関扉に叩きつけられる。その衝撃に負けて重厚な扉は半ばまで砕け、閂鎹《かんぬきかすがい》が弾け飛んだ。
 最後に彼女が斧剣を引き抜こうと扉を蹴っ飛ばしたことで、玄関は容易く口を開く。それと同時にマオリィネを除く全員も、あんぐりと口を開けていたが。

「なんですか? 皆してそんな面白い顔されても困ります」

 ファティマは思ったままを口にする。それは相手がたとえ貴族や王族、なんなら神であっても変わらないだろう。
 その姿にエデュアルトは徐々に顔を楽し気に歪めると、やがて大笑いしてみせた。

「ガァッハッハッハッハ! 気に入ったぞ小娘! 英雄の身内でなければ雇いたいくらいだ!」

「遠慮しときます。ボクの雇い主はおにーさんだけですから」

「ふはっ、ケットだというのに見事な忠勇であるな。よぉし、二番隊はクローゼに、一番隊は俺に続け! 鼠を捕らえるぞ!」

 破壊された扉からエデュアルトは半数の兵士を引き連れて屋敷へ飛び込み、クローゼは残りと共に裏口を固めに走り出す。
 だがファティマはそのどちらにも続こうとせず、その場で小さくため息をつくと後ろを振り返った。

「あら、行かないの?」

「お手伝いなら十分しましたし、から」

「――なんだ、もうわかってたのね」

 ファティマが斧剣を背中に結いなおしたのを見て、マオリィネは困ったように笑う。
 彼女の鋭敏な耳は戦いの最中でも、屋内での話し声が聞こえていたのだろう。やる気を失ったようにだらりと尻尾を垂らし、大きな欠伸を1つしてから無線のスイッチを押した。

「北から逃げますよ。追いかけるの面倒くさいんで、後はお願いします」


 ■


 フリードリヒは必死で走っていた。
 いくら強権を誇るチェサピーク家とはいえ、まさか貴族街を襲撃してくるなど思いつくはずもない。おかげでポトマック子爵に事情説明もできないうちから、戦闘の音を聞いて逃げ出したのである。
 しかし、裏庭から脱出したまではよかったものの、間もなくチェサピーク私兵隊に発見され、執拗な追撃を受ける羽目になった。

「何故だ何故だ何故だ! たかが組織コレクタ1つが動いただけで、チェサピークが武力介入してくるなど……!」

 悪態をつきながらあちこちを転がるように逃げ回った彼は、平民街の路地に隠れることでなんとか私兵隊の追跡を振り切ることに成功した。
 しかし、彼の置かれた状況は最悪と言っていい。何せポトマック子爵はキメラリア奴隷化推進派の中心人物であり、捕縛によってコレクタユニオンとの癒着していた証拠書類が見つかれば、フリードリヒを守る貴族の盾は完全に消滅する。それどころか貴族なら自らの立場を守るために、カニバルに関する情報を持ち出して一切の責任をコレクタユニオンになすりつけてくる可能性もあった。
 せめて蛇行剣がなかったなら、タグリードをカニバルとする証拠がないため、知らぬ存ぜぬを貫くこともできただろう。だからこそフリードリヒは、彼女を従わせるために親の形見である蛇行剣を返したことを酷く後悔していた。

「逃げるしか、ないか……くそっ!」

 王国に居れば極刑は避けられない以上、彼は一刻も早く王都から逃げなければならなかった。できるだけ人通りの少ない細い路地を選びながら、最も近い北門を目指して走り続ける。
 既に閉門している時間だからか、私兵隊は脱出されるなど考えなかったのだろう。門を警戒しているのは王国軍の衛兵隊だけで、運よく自分の息がかかった部下だった。

「支配人……? こんな時間にどうされたんです?」

「説明している余裕はない。なんとか外へ出られないか?」

「そ、それは無理ですよ。あの閂を私だけで抜けませんし、門を開ければ確実に気付かれ――」

「緊急事態なんだ! どんな方法でもいい!」

 無茶な注文に兵士は困惑したが、切迫した様子のフリードリヒに気圧されて、仕方なく警戒塔の上に彼を招き入れた。

「ここなら他の警戒塔からは死角なので、下っている姿は見えないはずですが……時間外の門抜けは犯罪なんですから、誰かが気づいたときには自分も捕縛に向かいますからね」

「あぁ、感謝するぞ」

 座して死を待つくらいならと、フリードリヒはロープと革手袋を手渡してくれた兵士に礼を言い、それを伝って城壁を伝って下り始める。
 無論、懸垂下降の経験などフリードリヒにはない。しかし命がけという状況からか、彼は皮手袋をボロボロにしながらもロープにしがみ付き、なんとか地面まで辿り着くと、すぐに街道脇の農地へと身を隠した。
 市壁さえ突破してしまえば、穀倉地帯の中から人間1人を見つけ出すことは難しい。しかもチェサピーク私兵隊とはいえ夜に門は開けられないため、追手がつくのはどれだけ早くとも明朝となる。
 今のうちに距離を稼がねばと、フリードリヒは息を切らして生い茂るコゾの中を必死で駆けた。しかし、王都から離れていけば恨み節しか吐き出さなかった頭は次第に冷えたのだろう。ふと、夕方頃の会話が思い出された。

「そうだ……! 外には処理班が居たはず……幸い金はあるし、奴らに護衛させれば東の小国群まで逃げられ――うぉっ!?」

 彼は自らの閃きに手ごたえを覚えて不敵な笑みを浮かべたが、直後に何かに足を取られて見事に畑の中を転がった。
 恨みを籠めて茂みに目を凝らせば、掻き分けられたコゾのなか、月明かりに照らされてその輪郭がボンヤリと浮かび上がる。
 だが、その正体を知るべきではなかったかもしれない。

「し、死体!? なんでこんなところに……ひっ!?」
 
 彼は驚いて後ずさる。するとぬめったが手に染み付き、逆の手には固くなった肉の質感が伝わってきた。
 闇に慣れた目には見えてしまう。雑木林に面したその畑に、何人もの亡骸が転がっている様が。
 しかも打ち捨てられたそれらが着こむ黒いマントを、フリードリヒはよく見知っていた。

「まさか、こいつら処理班――!?」

 パシッという耳慣れない音が聞こえた気がしたのは、その直後である。
 突然身体に走った違和感にゆっくりと視線を落とせば、何故か丸い穴がブレーに穿たれており、白いそれは瞬く間に赤黒く染まっていく。

「ぎ、がぁぁぁぁぁ!? 痛い、痛いぃ!!」

 焼き鏝《コテ》を押し付けられたかのような激痛に、堪らずフリードリヒは地面を転がった。
 何が起こったのかはわからないが、自身が狙われている事だけは分かる。フリードリヒは痛みに短く息をしながら、地面を這いずって逃げようと試みた。その最中、近くの地面で何度か土が跳ねたが、恐慌状態の彼は気づかなかったことだろう。

「こんな、こんなところで……死んでたま――!」

 言葉は最後まで出なかった。
 力なく地面に伏せった彼の首には暗い穴が穿たれており、そこからどろりと血が流れ出て地面を染めていく。
 フリードリヒが屍の仲間入りをしてから間もなく、風もないのに雑木林の枝が揺れていたが、それに気づく者は誰も居なかった。
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