悠久の機甲歩兵

竹氏

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ユライア王国と記憶の欠片

第63話 現代インフラの洗礼

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 背の高い針葉樹が林立する森の入口で玉匣は停車した。
 長い年月を経て形成されたであろう森林は鬱蒼として地面に影を落とし、人間や家畜が歩いたことによって踏み固められた獣道を街道と称するも、それは多少放置すればすぐに自然に呑まれてしまう程度の物に見える。

「いや……こりゃ流石に無理じゃねぇか?」

 ダマルが尻込みするのも無理はない。多少想像してはいたが現代の交通インフラのレベルは想像を絶するほど劣悪で、その中でも森を突っ切る道などがそうそう整備されているはずもないのだ。
 軍事や交易に重要な街道であれば簡易的とはいえ舗装されているかもしれない。しかしどうにも森を抜ける道にそこまでの価値がなかったのか、あるいは整備にかかる手間暇が割に合わないのか、目の前に広がっている道は非常に細いものだった。

「これが最短」

 しかしシューニャはそう言って譲らない。
 それも実現不能であれば彼女が頑なに主張するはずもないので、シューニャが今まで目にしてきた玉匣の走破性であれば突破できると判断したのだろう。
 その想定に骨と僕はいやいやと首を振った。

「車幅的にギリギリだ。道からはみ出して走ることになるし、踏み固められていない路肩は軟弱な地盤だろう」

「速度も出せねぇし見通しも悪い、迂回した方が無難だな」

 車両における森林での行動の難しさを理解している古代人2人――片方は骨だが――は顔を見合わせてうんうんと頷く。急を要する奇襲作戦などでは森林地突破もあり得るが、特に急くような事態でもない中で車両にとって最も苦手な道を選ぶのは得策とは言えないのだ。
 しかしシューニャは迂回はお勧めしないと告げる。

「北に迂回すれば巨大渓谷、大地の裂け目を越えるルート。タマクシゲでは吊り橋を渡ることも難しいし、大地の裂け目を迂回するにはグラデーションゾーンまで戻ることになる」

「じゃあ南は?」

「急峻な山岳地帯。タマクシゲではとても通れない」

「はぁー、結構な要害じゃねぇか。敵を阻むのは尤もだが、王国軍は大軍を前線に送るのも一苦労だな」

 インフラ軽視だとダマルは呆れたようにため息をつく。
 とはいえ、それはあくまで古代の基準で見た場合であろう。おかげでシューニャは何を言っているのかと首を傾げた。

「人間だけなら大地の裂け目の吊り橋を渡れる。だからこそ、この道は重要度が低い」

「物流もそっちが主なのかい?」

「ほとんどはそう。それ以外なら舟運を利用しているとも聞く」

 西方地域の農産品などはグラスヒル北部の山の地下から溢れ出る河川を利用し、王都ユライアシティ近郊まで船が結んでいるからだと彼女は言った。
 これに骸骨はだったらと食いつく。

「その川ってのはどこにあるんだ? 川の近くなら平地が広がってるだろ」

「大地の裂け目の底を流れている。その周りは巨岩の転がる河原だけれど、今は増水しているだろうから谷底全体が水で満たされているはず。だから昨日もグラスヒルの酒場に人が多かった」

 グラスヒルからユライアシティ近郊までの水運を生業とする連中が、先日の酒場には大勢混ざっていたとシューニャは告げる。本来は穏やかな大河らしいが、増水した状態では船など出せなくなったのが理由だろう。
 代案を求めた結果、完全に逃げ道を塞がれたダマルは、もう嫌だと両手を挙げて叫んだ。

「このチビ助、もうちょっと工夫とか抜け道とかねぇのか!」

「あるなら言っている。あとチビ助は余計」

 少女は涼しい顔で無理な物は無理だと言い放つ。暴言に関しては小さく手を挙げたため、シューニャの背後で護衛の猛獣がギラリと瞳を光らせた。
 ここで再びダマルを骨格模型にされては進行に支障が出るため、僕は戦闘用ヘルメットを被った頭蓋骨に拳をぶつけ、ファティマをどうどうと宥めにかかる。

「ダマル、前進だ。シューニャがこう言うからには、他に道はない」

「後退して大回りしねぇのぉ? いくら遠いったって1週間も変わらねえだろ?」

「2か月くらい期間が延びることは覚悟した方がいい。北へ迂回しても森林や山岳を越える必要はどこかで生じる。大地の裂け目にかかる吊り橋を渡れれば広い街道に出られるけれど、太いロープと木製の踏み板で作られた橋をタマクシゲで通るのは自殺」

 その大地の裂け目とやらがどれくらいの谷なのかはわからないが、御大層な名前がついている以上相当深いことは想像に難くない。その上に架橋したのは、それこそインフラ整備として素晴らしいことだろう。
 ただし、それはあくまで人や獣に対して十分という話になる。
 割れる踏み板、下は激流、よくて数十メートルを真っ逆さま。運よく命が助かったとしても玉匣は大破を免れず、交通の要衝であろう橋を破壊したことで王国から反感を買うのは避けられない。
 往生際が悪かったダマルもその様子を想像してしまったらしい。顔色なんて存在しない骸骨が青ざめたように見えたかと思えば、無言のままアクセルを踏み込んだ。
 ゆっくりと木々の間へ車体を滑り込ませ、湿気を多分に含んだ柔らかい地面を固めながら進んでいく。森が浅い場所だからか木漏れ日が装甲に迷彩のような柄を作り出した。
 履帯が石や腐った倒木を踏みつぶし越えていけば、車体は大きく右に左に揺さぶられる。乗り心地から考えても今までに走ったどの場所よりも路面が悪い。
 それが心配になったのか、アポロニアが背後からモニターを覗き込んだ。

「あのぉ、タマクシゲの強度ってどれくらいあるんスか? 矢とか槍とかは弾くのはわかるッスけど、もしこれ岩とか木とかにぶつかったら壊れたりしません?」

「そりゃ岩が降ってきたり木が倒れてきたらたまらないが、まぁそこまで心配することもないよ」

 如何に装甲で覆われた玉匣とはいえ、支えきれない大質量には潰される。
 とはいえ暴風や地滑りのような災害や、あるいは人為的に行わなければ早々生木が倒れてくるようなことはないだろう。
 加えて岩が落下してくるような斜面や起伏もないため、僕が心配のし過ぎだと笑えば彼女はふぅと肩を竦めて、

「それもそうッスね」

 と納得してくれた。
 しかし逆に疑問が生じる者も居る。

「じゃあダマルさんはなんで、駄々こねてたんですか?」

 ファティマはシューニャの後ろから顔を覗かせ、大きく首を傾けた。
 無論ダマルとて駄々をこねていたわけではないが、危険性がないのであれば先ほどまでの問答は無駄な時間だったと思ってしまうのも不思議ではない。

「まぁ、それは車両特有の色んな危険と言うか――」

 例えばこれ、と僕が示すよりも早く、車内に何か削るような甲高い音が響き渡る。
 前触れなく訪れた異音にシューニャは硬直し、耳のいいキメラリア2人は咄嗟に獣耳を押さえてしゃがみ込むも、すぐにその音は掻き消えた。

「い、今のは何ッスか?」

「なんで、しょーね?」

 尻尾を股の間から自分の足に絡ませて怯えるアポロニアと、飄々とした表情を崩さないまま尻尾が倍近くの太さに膨れ上がったファティマ。ちなみにシューニャは無表情の仮面をつけてこそいたが、その頬に流れる冷や汗は隠せなかったらしい。
 大体の理由はわかるが、とりあえず説明を求めようと運転席を覗き込む。

「ダマル?」

「こすっちゃったゼ」

 いけねぇいけねぇと自分の頭に拳をぶつける骨。シューニャの教習教官にあるまじき失態である。
 しかし、モニターを見れば一目瞭然だ。さっきまでは幅に僅かな余裕があった道の左右から、徐々に木々が迫ってきているのだから。

「道幅に関する標識がねぇんだもん」

「だろうねぇ」

 乗用車じゃなくてよかったとダマルは笑う。
 それこそ玉匣が一般的なマイカーであれば、見るも無残なガリ傷に涙させられたに違いない。
 装甲車の外装は木々が擦ったくらいでどうにかなる物ではない。しかし状況を理解できないらしい現代人3人は、硬直したまま揃ってこちらを凝視していた。
 無駄に音だけはしっかり響いたものだから、擦ったとはなんだと聞きたいのだろう。
 彼女らも既に玉匣に乗って長くなりつつあり、一般人と比べれば800年前の技術に対する知見も広がってはいるが、それでも予期せぬ事態に対応できるほど柔軟ではなかった。

「大丈夫、木と車体が擦れただけだよ」

「それは……タマクシゲに問題はない?」

「ああ」

 一応群体ミクスチャの体当たりにも耐えていたはずだが、そのことは完全に失念しているらしい。
 シューニャが大きく息を吐いて緊張を解けば、アポロニアはよかったぁと壁にもたれかかり、ファティマは体ごとシューニャにもたれかかって顎を頭の上に置いた。

「ファティ、重い」

「ボクはそんなに太ってないですー」

 ぐりぐりと頬でシューニャの頭を擦るファティマ。あー、とか、うー、と声にならない抗議の声が上がるが、安堵を求める猫はそれを努めて無視していた。
 ここからしばらくは特に問題も起こらず、まれに狭すぎる木と木の間に耳の痛い音を響かせながら玉匣は進み、ダマルもようやく暗い森の中での運転に慣れてきていた。
 しかし問題や事故とは、慣れや慢心の上に発生するのが常であろう。

「ダマル、すごく、揺れてる」

 路面状況が悪化したのか、森が深まるごとに車体の揺れは大きくなった。
 車内に置かれた物や吊り下げ式の寝台が揺れて、ガチャガチャと音を立てる。
 僕は砲手席に座って周囲を警戒していたため尻が痛い以外には特に問題がなく、シューニャは運転席横の補助席に身体を固定して耐えていた。唯一ファティマだけは平然と立っていたが、これは優れたバランス感覚によるもので普通とは言えない。
 そんな中、最大の被害者はアポロニアだった。

「ぎぼちわるいッス……」

 いつもはシューニャが利用している寝台に横たわった状態で、車体の揺れに合わせて揺れながら青い顔をして額を押える姿は悲惨としか言いようがない。
 それを横からファティマがつつくものだから彼女の環境は劣悪だった。

「犬は弱っちいですね」

「な、なんとでも言うがいいッス……頭痛い、目がまわって……うぷ」

 反論する気力すらない上、こみ上げてくる酸っぱい何かを口を押えて飲み下し、またしばらくグルグルと視界が回る。つい先日二日酔いで同じような経験をした僕としてはあまりに同情できすぎて、これは一度停車を指示した方がいいだろうと砲手席で無線のスイッチを入れた。

「うおっ!?」

「にゃっ!?」

 しかし彼女の窮状を伝えるより先に、激しい衝撃音と共に車体が大きく左へ旋回し揺さぶられて停車した。
 ファティマの悲鳴も聞こえたが、下からなんですかぁと苦情が聞こえてきたため、どうやら怪我などはしていないらしい。
 しかし安心すると同時に嫌な予感が背筋を駆けのぼってくる。

「あー……ダマル? まさかと思うんだが」

 砲手席から出て運転席を覗き込めば、最大の被害者になることが予想される骨が髑髏を抱えていた。
 ここまで条件が揃えば間違いないと僕もため息をつく。

「キョウイチ? なにが起こったの?」

 状況報告を求めるシューニャに対し、僕は力ない笑顔を向ける。ダマルも同時にカカカと小さく笑いながら頭を上げた。

「多分だけど」

「履帯が切れたなァ」

「リタイ?」

 がっくりと肩を落とす僕とダマルに対し、シューニャは首を左に倒した。
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