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001.dat 推しまSHOW!!
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運命の出会いというものは突然やってくる。
――それは一目惚れだった。
モラトリアム期間とはよくいったもので、つまり高校卒業後に社会人になるまでの猶予期間として大学生活を送ること――良く言えば社会人への準備期間である。
なるほどつまりそれになぞらえれば、これはいわば真人間になるまでの準備期間とでも言うべきだろうか。
無限にも等しい時間の中で、特に何をするわけでもなく宛もなくネットの海をさまよっている。暇つぶしならここにいくらでもある。何なら一生をここで過ごしてもいいくらいの情報量で溢れかえっている。まぁ、そんなのは親が許さないのだが。
さながら風来坊だ。あてもなく流離うのは目的があってのことではなく、もはやそれ自体が目的となってるのだ。行き着く先で何か面白いものはないかと探し回ることが生きる目的と成り果てている。
そんな折、たまたま辿り着いたのが『ライブ配信アプリ』と呼ばれるものだった。
もはや職業としてYouTuberが成り立っているのだから今更その説明は不要であろうが、そこから派生してバーチャルYouTuber(VTuber)なるものが誕生した。生身の人間ではなく、キズナアイなどの3DCGのキャラクターを動かして動画配信する手法は一気に広まり、新たな一大市場となった。
VTuberの配信は録画編集したものを流すのではなく、客、つまり視聴者とのやり取りを流すライブ配信という手法が多く取られている。キャラクターとの対話を重視しているのだ。
しかし人気配信者なら同時接続数――つまり視聴者は何千何万人も居る。
いわば1対10000の対話だ。有象無象の中から叫んだところで、果たしてどこまで相手に届くのだろうか。
市場が生まれるとさらに新たな需要と供給が生まれる。
つまり、自分もVTuberになりたいと思う者が現れる。そしてその需要を果たすために『少人数向けのライブ配信アプリ』が誕生した。
そもそも人気者になりたいわけではなく、内々でわいわい楽しめたらそれでいいという考え方は昔からネット社会に存在している。会員制SNSや期間限定公開のようなストーリーやTwitterのフリート機能などもその需要を満たす『小さなコミュニティ』といえる。
特に3DCGならば匿名性も高く、声でさえも加工してしまえば性別や年齢はわからない。これは日本人気質に非常に合致したマーケティングだと評価できる。
ちなみにYouTuberの中でも3DCG配信者をVTuberと呼び、さらにVTuberでもライブ配信アプリによるライブ配信を主として活動する者をVライバーと呼ぶらしい。
さて、『少人数向けのライブ配信アプリ』の話に戻ろう。
少人数、つまり多くとも数十人で、中央値を取れば一人になるくらいVライバーと視聴者の距離が近いところも売りの一つだ。
昔で言うところのヌクモリティというやつだろうか。え、違う?
――そう、昔で言うところのチャットだ。チャットの進化系とも言える。
リアルタイムでリアルの人間との画面越しの対話。
目的なんて何もない。
ただ、目の前にいる相手との会話それ自体が目的。
話したいVライバーと話を聞きたい視聴者、見事に需要と供給が一致している。1ライバーに1視聴者が充てがわれているのは、まるでパートナーのようだ。コーチとトレーナー、アイドルとマネージャー、そういった形の一種。
まるで疑似恋愛のようだ。いや、むしろそれを目的としているのかもしれない。
Vライバーというものを介して、それを演じる側と演じられている偶像を好きになる側の疑似恋愛なのだ。この場合、相思相愛と言うよりは矢印はお互いにVライバーというキャラクターに向けられているのであって一方通行であるが。
その先、生身の人間に興味を抱くかどうかはまた別の話だ。
そう、別のお話。
だから今は直感で決めればいい。
何となくで思った自分の感性や感覚を信じて、これだと思う相手を見つければいいのだ。
ちなみに、そのVライバーのファンになることを『推し』というらしい。
よし、『推し』、見つけた。本当に理由は何となく。
ただ『このVライバーの推しになろう』と決めただけ。
ほら、よく言うじゃない。
人を好きになるのに理由がいるかい? って。
運命の出会いというものは突然やってくる。
――それは一目惚れだった。
――それは一目惚れだった。
モラトリアム期間とはよくいったもので、つまり高校卒業後に社会人になるまでの猶予期間として大学生活を送ること――良く言えば社会人への準備期間である。
なるほどつまりそれになぞらえれば、これはいわば真人間になるまでの準備期間とでも言うべきだろうか。
無限にも等しい時間の中で、特に何をするわけでもなく宛もなくネットの海をさまよっている。暇つぶしならここにいくらでもある。何なら一生をここで過ごしてもいいくらいの情報量で溢れかえっている。まぁ、そんなのは親が許さないのだが。
さながら風来坊だ。あてもなく流離うのは目的があってのことではなく、もはやそれ自体が目的となってるのだ。行き着く先で何か面白いものはないかと探し回ることが生きる目的と成り果てている。
そんな折、たまたま辿り着いたのが『ライブ配信アプリ』と呼ばれるものだった。
もはや職業としてYouTuberが成り立っているのだから今更その説明は不要であろうが、そこから派生してバーチャルYouTuber(VTuber)なるものが誕生した。生身の人間ではなく、キズナアイなどの3DCGのキャラクターを動かして動画配信する手法は一気に広まり、新たな一大市場となった。
VTuberの配信は録画編集したものを流すのではなく、客、つまり視聴者とのやり取りを流すライブ配信という手法が多く取られている。キャラクターとの対話を重視しているのだ。
しかし人気配信者なら同時接続数――つまり視聴者は何千何万人も居る。
いわば1対10000の対話だ。有象無象の中から叫んだところで、果たしてどこまで相手に届くのだろうか。
市場が生まれるとさらに新たな需要と供給が生まれる。
つまり、自分もVTuberになりたいと思う者が現れる。そしてその需要を果たすために『少人数向けのライブ配信アプリ』が誕生した。
そもそも人気者になりたいわけではなく、内々でわいわい楽しめたらそれでいいという考え方は昔からネット社会に存在している。会員制SNSや期間限定公開のようなストーリーやTwitterのフリート機能などもその需要を満たす『小さなコミュニティ』といえる。
特に3DCGならば匿名性も高く、声でさえも加工してしまえば性別や年齢はわからない。これは日本人気質に非常に合致したマーケティングだと評価できる。
ちなみにYouTuberの中でも3DCG配信者をVTuberと呼び、さらにVTuberでもライブ配信アプリによるライブ配信を主として活動する者をVライバーと呼ぶらしい。
さて、『少人数向けのライブ配信アプリ』の話に戻ろう。
少人数、つまり多くとも数十人で、中央値を取れば一人になるくらいVライバーと視聴者の距離が近いところも売りの一つだ。
昔で言うところのヌクモリティというやつだろうか。え、違う?
――そう、昔で言うところのチャットだ。チャットの進化系とも言える。
リアルタイムでリアルの人間との画面越しの対話。
目的なんて何もない。
ただ、目の前にいる相手との会話それ自体が目的。
話したいVライバーと話を聞きたい視聴者、見事に需要と供給が一致している。1ライバーに1視聴者が充てがわれているのは、まるでパートナーのようだ。コーチとトレーナー、アイドルとマネージャー、そういった形の一種。
まるで疑似恋愛のようだ。いや、むしろそれを目的としているのかもしれない。
Vライバーというものを介して、それを演じる側と演じられている偶像を好きになる側の疑似恋愛なのだ。この場合、相思相愛と言うよりは矢印はお互いにVライバーというキャラクターに向けられているのであって一方通行であるが。
その先、生身の人間に興味を抱くかどうかはまた別の話だ。
そう、別のお話。
だから今は直感で決めればいい。
何となくで思った自分の感性や感覚を信じて、これだと思う相手を見つければいいのだ。
ちなみに、そのVライバーのファンになることを『推し』というらしい。
よし、『推し』、見つけた。本当に理由は何となく。
ただ『このVライバーの推しになろう』と決めただけ。
ほら、よく言うじゃない。
人を好きになるのに理由がいるかい? って。
運命の出会いというものは突然やってくる。
――それは一目惚れだった。
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