流浪の魔導師

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4章 ドワーフの兵器編 第1部 欺瞞の魔女

224. 斯くして魔女は邪悪に笑う 9

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「その騒動が起きた頃、我々第二班は王都の北二日の距離にある軍の演習場にいました。広域攻撃魔法の開発がいよいよ最終段階に入り、魔導兵団の一部隊をともなって実験及び試験に訪れていたのです。彼らに魔法を教えつつ実際に試してもらい、魔導兵達が皆問題なく使用出来れば軍として運用可能であると、そう判断出来ます。二週間程経過し一人、また一人と魔導兵達が魔法の発動に成功してゆく中、マンヴェントより早馬が訪れたのです――」

 彼らにとっては寝耳に水とも言えるミーンが引き起こしたこの騒動は、順調だった第二班に暗い影を落とす事になる。早馬からの報告を聞いた彼らの、特にベニバスの心中は如何いかばかりだったのだろうか。


 □□□


「何だこれは…………何だこれはっ!?」

 演習場に程近い小さな街の外れ。軍が保有する宿舎の一室で手渡された書簡に目を通したベニバスは思わず声を上げた。周囲にいた研究員達は何事があったのかと皆ベニバスを見る。普段より冷静で物静かな主任の大声など珍しい。皆の視線が集まる中書簡を手にしたまましばし固まったベニバスは、バッとそのその目を書簡を届けに来た伝令兵に向ける。「……事実です」と、伝令兵はそう答えた。

「バカな……一体何をしてるんだ!」

 再び声を上げたベニバスに「至急王都へお戻り下さい。手が足りません」と伝令兵が伝える。

「クッ…………分かった。実験は中止しすぐに王都へ戻る」

「は。準備もおありでしょう、明朝ここをお発ちください。陛下へもそうお伝え致します。それでは失礼致します」

 そう答えると伝令兵は敬礼し飛び出す様に部屋を出た。

(休みもせずに王都へとんぼ返りとは……)

 すでに夕刻、間もなく日が暮れる。慌てた様な伝令兵の様子から、恐らく彼は夜通し馬を駆るつもりなのだろうとベニバスはそう思った。そしてそこから王都の状況もうかがい知れる。逼迫ひっぱくしているのだ。一刻の猶予もない、そんな状況なのだろう。

「何ですか、一体?」

 研究員達がベニバスの周りへ集まる。ベニバスは書簡をパサリと机の上に放り投げ両手を腰に当てた。「ふぅぅ……」と大きなため息をくベニバスの隣で書簡を手に取った研究員の一人が「……はぁぁ!?」とその内容に驚きの声を上げる。「事実らしい……」とベニバスは書簡を手にした研究員に向け呟き、そして顔を上げ皆を見回して説明する。

「王都から早馬が来た。一班と三班が作った薬でトラブルが起きている。治験者に深刻な副作用が出ているそうだ。その件で虚偽申告をし拘束されていた局長と三班のジタインは逃亡、現在も行方不明。我々二班も事態の収束に当たるようにとのおたっしだ。よって実験は中止、明朝王都へ向け出発する。済まないが皆、帰り支度をしてくれ」

「どういう事ですか!?」
「ちょっと、それ見せてくれ!」
「局長……拘束、逃亡って……」

 研究員達は書簡を回し読みしながら皆一様に動揺した様子を見せる。「これ以上は聞かないでくれよ、私にも良く分からん……」とベニバスもなかば呆れながらさじを投げる様な言い方をしたが、次の瞬間には段々と怒りの感情が湧いてきた。

「前からそういうはあった。あったが……あの人は何をやってるんだ……!」

 ミーンに対する怒りが思わず口をいて出た。「局長の事ですか?」と研究員の一人がベニバスに尋ねる。「……そうだ」とベニバスは答えた。

「虚偽申告というのが何なのかは分からないが……だが何となく想像はつく。常識やら倫理観やら……そういう人としての大事な部分から外れた事をしたんだろう。そういう兆候ちょうこうはあったんだ、余りに情がないというか、冷酷だと思う事が……いや、違う。それは結果そう見えただけだ。良くも悪くも純粋なのか……己の興味に純粋……命すらそれに劣ると……ゆえに天才と……」

 ぶつぶつと独り言の様に自身のミーン評を語るベニバス。だがすぐにそれを否定する。

「ダメだ! それを肯定してはダメだ! 天才だから人を捨てて良いなどと……人を捨てるのが天才の条件などと! 認める訳には……!!」

 声を張り上げてハッとした。周りに部下達がいた事に気付いたのだ。「はぁぁ……」と大きく息をくと「済まない……」とベニバスは小さく呟く。単に大きな声を出した事への謝罪ではない。実験をここで中断しなければならない事、その為に付き合わせた魔導兵達に対して、ともすれば己の働きかけ次第でミーンを上手くコントロール出来たのではないかと、そんな本来しなくても良いはずの罪悪感さえ感じてしまったのだ。

「……済まない」

 ベニバスは再び謝罪した。


 □□□


 時折ときおりを開け言葉を選びながら、重く、そして実に辛そうに話すベニバス。しかしそのあとの話で、本当に大変だったのは王都へ戻ってからだったという事を知る。

「そうして急ぎマンヴェントへ戻った我々を待っていたのは、目を覆いたくなる様な変わり果てた同胞どうほう達の姿と、いつ終わるとも知れない正解のない問題への対応、そして懐疑かいぎ的で憎悪ぞうおに満ちた視線と真っ直ぐにぶつけられる怒りの感情でした」


 □□□


「また一人発症したわ。まだ軽度だし症状が出る間隔も長いけど……」

「すぐに中等度になるさ。それで地下行き……」

「やめてよ……」

「そうだ、やめてくれ……地下担当の前で……」

「あぁ、悪い。お前地下担当だったか」

「地下は地獄だぞ?」

「どこも変わらないよ。お前らのせいだ、ふざけた薬作りやがって、何で俺がこんな目に、家族に会わせろ、元の身体に戻せ……いい加減罵声を浴びせられるのにも慣れてきた。コツがあるんだ、心を殺せば良い」

「でもそれじゃあ……」

「分かってるよ。でもそうしないとこっちの精神が持たない。最近じゃ他の兵達にもこの話が広まってきてる。知ってるか? 昨日なんかリジェが第三大隊の奴に胸ぐら掴まれてな、無駄金使ってクソみたいな薬作りやがって、早く兄貴を治せ……つってな」

「兄貴?」

「兄弟が特務とくむ隊にいるんだろ。まぁこんなデカい不祥事だ、そうそう隠せるもんじゃない。早いとこどうにかしないと俺達の身の安全も――」




 魔法研究開発局、研究棟の休憩室前。その扉の横には立ち尽くすベニバスの姿があった。

「主任、何してるんです? 入らないんですか?」

 丁度そこを通り掛かったレイシィは明らかに様子のおかしいベニバスが気になり声を掛ける。ベニバスは小声で「ああ。ちょっとな……」と言うとチラリと休憩室の扉を見た。

「?」

 レイシィはそろりと扉に近付くと中の様子をうかがう様に聞き耳を立てる。そして「あぁ、なるほど……」と納得し扉から離れた。

「これは入りづらいですね」

「ああ。皆結構まいってるな……」

「無理もありませんよ。特務とくむ隊の人達のあの様子を見たら……地下はもっとひどいんですよね?」

「ああ……」

 レゾナブルの治験者である特務隊の隊員達の内、副作用の症状が軽い中毒者達は軍基地の兵舎の一つに集められ収容されている。しかし重度の中毒者であると判断された者はその兵舎から移送される。向かう先はミーンが脱走したレクリア城地下留置場。留置場は現在、レゾナブルの重度中毒者達の収容所となっていた。彼らは皆軍人。当然普段から訓練を積んでいる。そんな彼らが頻繁ひんぱんに幻覚を見て暴れる様になるのだ、その制圧には苦労するだろう。彼ら自身と周りの者の安全の為にも隔離しなければならない。

「怒号に怒声、怯える声に泣き叫ぶ声……地下はさながら精神異常者を収容する専門施設の様だ……と、駄目だな、こんな言い方は……彼らに失礼だ……」

「主任……寝てませんね? ひどい顔ですよ」

「眠れる訳がない。勿論もちろん疲れてはいるが、寝入ってもすぐに目を覚ます……」

「駄目ですよ。主任が倒れたら誰がここの指揮をるんです? でも何か……申し訳ないな……」

「申し訳ないとは……どうして君が?」

「いえ……私、薬関係は門外漢もんがいかんでして、大したお役に立てず雑用くらいしかやれる事がないので……もう少し何か出来れば、主任も少しは休めるかなと」

「雑用だって立派な仕事、誰かがやらなければならないんだ。君は充分良くやってくれている。しかし嬉しい事を言ってくれるね、酒が入ってたら泣いちゃってるよ」

「良いですね、じゃあこの騒動が終わったら皆さんで飲みに行きましょう。主任が泣いてるとこ見たい」

「そうだな……全て終わったら……」

 伏し目がちにぼそりと呟くベニバスの表情を見たレイシィは「本当に終わるのか……って、今そんな感じの事考えましたね?」と問い掛けた。ハッとしてベニバスはレイシィを見る。まるで心の中を覗き見られた様な気がした。

「終わらせるんですよ、私達が。今この国でそれが出来るのは、私達開発局の人間だけでしょ? とは言え私はまぁ、大した戦力にはなりませんが」

 ニコッと微笑みながらそう話すレイシィを見て、ベニバスはふぅっ、と強く息をく。

「そうだ……そうだな、終わらせよう」

 そう話すベニバスの表情は先程までの虚ろなものとは違っていた。目に光が、声に力が戻った。レイシィにはそう感じられた。

「やはり方針を少し変えようか……」

「方針を?」

「ああ。レゾナブルの解析にはどうしたって時間が掛かる。何しろ取っ掛かりが何もない。原材料すら分からない訳だからな。だからそちらを進めつつ副作用を抑え込む別の薬を開発する」

「なるほど。完治薬ではなくともそれで取り合えず時間は稼げますね。その間にレゾナブルの解析を……」

「そうだ。少なくとも鎮静効果だけでも見込めれば、パニック症状は抑えられるかも知れない。それだけでも彼らの負担は減るはずだ……よし!」

 そう言うとベニバスは休憩室の扉を開ける。

「済まない皆、聞いてくれ。今後の方針だが――」


 ◇◇◇


 その日ベニバスは軽度の中毒者達が収容されている兵舎にいた。すると廊下を歩くベニバスの耳に大きな叫び声が飛び込んできた。

「何だ……何だお前ら!! 来るな! やめろ来るなぁ!!」

「分かった暴れんな! 大丈夫だ! 落ち着け!」

「何だお前らぁ!! 離せ! クソ離せぇ!!」

「大丈夫だっての! 敵じゃねぇ! 仲間だ!」

 引き寄せられる様にベニバスはその声が響いてくる部屋に近付く。そして部屋の中を覗くと隊員の一人が数人の仲間達の手でベッドに押さえ付けられていた。レゾナブルの副作用、中毒症状が出ているのだ。

「おい、こいつ薬は?」

「今日はまだ飲んでないと思う。苦くて嫌だっつって……」

「子供かよ!? おい! 薬だ! リ・レゾナ飲ませるぞ、押さえててくれ!」

「おい!! やめ……ぐぅぅ! やめ……!」

「分かった分かった! 良いから飲め! ほら、飲み込め!」

 薬を飲まされた隊員はしばしの間もがく様に暴れていたが、程なくして薬が効いたのか徐々に静かになっていった。

(良かった、上手く機能している様だ……)

 ベニバスは部屋を覗き込みながら安堵の表情を浮かべる。レゾナブルの副作用である幻覚と興奮作用を抑え込む新薬リ・レゾナが完成して三週間程が経っていた。服用を始めた特務隊の隊員達は日に日に落ち着きを取り戻し始め、まとも・・・に過ごせる時間が格段に増えていた。
 だが決してリ・レゾナは万能ではない。リ・レゾナを服用しても根本的な治療にはならないのだ。この薬ははあくまでレゾナブルの副作用を抑えるだけ。服用をめれば再び悪夢にさいなまれる事になる。つまり症状を抑える為には飲み続けなければならないのだ。そして三週間経過し一つの問題点が見つかった。それはリ・レゾナは服用回数が増すごとに徐々に効果が弱くなってゆくという点だ。

「落ち着いたか。一先ひとまずは大丈夫だな」

 不意に背後で声がした。振り返るとそこには特務隊隊長のディル・ザガーが立っていた。

「ご苦労だね、主任。少し良いか?」

 ディルはそう言いながら廊下の先を指差す。「……はい」と答えるベニバス。するとディルは「悪いな、すぐに済むよ」と言って歩き出す。ベニバスは無言でそのあとを追った。


 ◇◇◇


 人目を気にする様に二人が入ったのは倉庫として使われている部屋だった。扉を閉めるとディルは壁際に積まれている木箱の一つに腰を下ろす。

「良いね、あの薬。リ・レゾナ。あれのお陰で皆の雰囲気が変わった」

「そう……ですか」

「ああ。閉塞感と言おうか……重苦しい雰囲気が薄れて、明らかに皆が明るくなった。希望が見えたんだろう」

「ありがとうございます。ですがあれは……」

「分かっている、一時的なものだ。おまけに効きが弱まるそうだな」

「ご存じでしたか……」

「ああ、小耳に挟んだ。まだ皆には言うなよ、その事実が広まれば皆がまた下を向く。今さっき言った言葉をくつがえすようであれだが、皆の精神状態はギリギリだ。そんな中症状を抑えられる薬が出来て、しかしすぐに効かなくなるとなれば……分かるだろ?」

「はい……あくまでリ・レゾナは時間稼ぎでしかありません。その間に何としても……何としても治療薬を……」

 悲痛とも思える表情を浮かべるベニバス。そしてその言葉には覚悟の程が窺えた。ディルはそんなベニバスを見て「済まない、違うんだ」と何故なぜか謝罪する。

「そうじゃないんだ主任。別に君を追い詰めようとか、そんなつもりはないんだ。ただ君に、純粋に礼を言いたかっただけだ」

「隊長……?」

「君には……君達には感謝しているんだ。我々を見捨てる事なく真っ直ぐに向き合ってくれている。そもそも君ら二班の者達はこの件とは無関係だそうじゃないか。いや、二班だけじゃない。一班と三班の研究員達も、それと知らずにレゾナブルの開発を手伝わされていた。この件で責任を負うべきは間違いなくミーン・リジベイクだ。だから君らに感謝こそすれど、恨みに思うのは筋が違う。と……頭では分かっていてもつい口をいて出てしまう者もいてな。だがそれは決して我らの本意ではないんだと、そう伝えたくて……」

「ありがとうございます。部下達にも伝えます。きっと励みになる」

「ミーンの行方はまだ?」

「はい。マベット殿下の指揮で軍が動いています。ですが未だ……協力者と見られる商人も……」

「そうか……まぁそちらは軍に任せるしかないな。見つかったら二、三発入れてやらねば気が済まん」

 そう話ながら笑うディルに、ベニバスは救われた様な心地になりつられてほおが緩んだ。しかしすぐに表情が戻る。ベニバスにはディルに確認しなければならない事があった。

「隊長、調子はどうですか?」

「ああ、問題ない」

「症状は……?」

「……出ていない」

「それは嘘だ。治験者は全員症状が出ています。しかし隊長からはいまだに症状が出たという申告がない。どうして……」

「出ていない。そういう事にしておいてくれ」

「そういう事にって……」

「俺には隊をまとめる責任がある。こんな状況なら尚更なおさらだ。そんな俺が副作用に苦しんでいるなんて……そんな姿は見せたくないし、そう思われたくもない」

「いや、だからって……」

「良いんだ。君らに迷惑は掛けない、約束する。だから……頼む」


 □□□


「父上は……本当に症状が出ていなかったのですか?」

 イベールの問いに右手をあごに当て考える様な仕草を見せるベニバス。そして静かにその問いに答える。

「先程の君からの質問……ディル隊長にも副作用が出ていたのかと、そう聞きましたね? それに対し私は、かも知れないと、そう答えた。覚えていますか?」

「はい、勿論もちろん……」

「恐らく症状は出ていました。しかしとうとう隊長からは申告がありませんでした。なので、かも知れないと、そう答えたんです」

「そんな……隠せる様なものなんですか?」

「無理ですよ、普通は。治験者は漏れなく症状が出ていましたから。しかし隊長は違った。幻覚は見ていただろうし、暴れ出したくなる衝動にも駆られたはず。しかしディル隊長は、君のお父さんはそれを必死に抑え込んだんでしょう。自身の立場を考え、自身の役割を果たす為に。並みの精神力ではありませんよ。まさに軍人としてのかがみ……いや、それを超える……凄い人です」

「…………」

 イベールの返答はなかった。父を称賛された喜び、実は苦しんでいたのだろうという事実、それでも職務を全うしようとした父の強い意志に対する誇り、その他色々な思いがイベールの頭の中に渦巻き、上手く答える事が出来なかった。

「リ・レゾナの開発によりわずかながらも時間的猶予を得た我々でしたが、しかしやはりレゾナブルの解析は一筋縄では行きませんでした。そうこうしている内に事態は最悪の方向へ進みます。センドベル王国が動いたのです」
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