流浪の魔導師

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3章 裏切りのジョーカー編 第3部 傭兵の王

159. 怒り

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 バーデン侯爵の陣幕へ移動した一同。中央に置かれた軍議用の大きなテーブルにはすでに侯爵の部下である将校が数人座っている。彼らは皆一様に険しい表情で陣幕に入るジョーカー一同を睨む様に見ている。ゼルが立てたこの作戦、決して彼らは納得している訳ではないという事が良く分かる一幕ひとまくだ。そんな不信感丸出しの彼らの前を涼しい顔で通り過ぎるデーム。しかしデームは彼らの気持ちを良く理解していた。何故なぜならば他ならぬデーム自身もこの作戦には否定的な立場なのだ。ゼントスが無茶苦茶と言ったこの作戦、まさにその通りだとデームもそう思っている。無茶苦茶だと。しかし作戦は容認された。デームの心境になぞって言うのならば、さいは投げられた、といった所か。だが致し方なし、もはや引き返せない。デームは作戦に対する不満などおくび・・・にも出さず「では始めましょう」と静かに一言。軍議が始まった。

「バーデン侯爵がおりませんが、すぐに戻るので始めていて欲しいとの事です。さて、詳細を知らない方もおりますので、今作戦至った経緯をかいつまんで説明します。事の発端は我らジョーカー諜報部に舞い込んだ、リザーブル王国がアルマド侵攻を画策かくさくしているという情報です。同時にリザーブルに通じていると思われる間者かんじゃの存在が浮かび上がりました。すぐに我らジョーカー諜報部は始まりの家における内偵調査を行いましたが、怪しい人物の目星はつけられたものの残念ながら尻尾を掴むには至りませんでした。そこで諜報部は間者かんじゃを誘い出す為の作戦を提案したのです。三番隊マスター、ゼル・トレグに主力を率いてアルマドを離れ南下してもらいます。エクスウェルとの決着をつける為、という名目です。すると始まりの家がからになった事を間者がリザーブルへ伝える為に動くはず。ここで間者を押さえようという策です。その後ゼルには念の為アルマドへ戻ってもらいます。無論出陣の準備を整えているであろうリザーブルに備える為です。しかしゼルは異を唱えました。いわく、中途半端だ。やるなら徹底的に、と。その後彼は代案を提案してきました。内容は――」


 ◇◇◇


 一通りデームの説明を聞いたカディールは「なるほど……」と呟いた。

「間者をあぶり出す為の策を利用しリザーブルを完全に沈黙させようと……ゼルは南へ出立しゅったつし間者がそれをリザーブルへ報告、本来情報がリザーブルに伝わる前に間者を確保する所を、えて情報を伝えさせた後に確保。のこのこアルマドへ団体旅行にやって来たリザーブルの間抜け達を我々が迎え撃ち、その隙にジノン王国が薄くなったリザーブルの横腹を食い破ると。ふむ……これ程大規模な策とは思わなかったな、ジノンまで絡めるとは」

「はい。これはジョーカー、アルマド、ジノンの三者が連携する合同作戦です。ですが……」

「ふむ、何か問題が?」



「あるに決まっているだろうがぁ!!」



 ドン! とテーブルに拳を叩き付けながら怒鳴ったのはアルマドの将校。カディールはジロリとその将校を見る。

何故なぜ我らアルマドがおとりに使われねばならんのだ! そもそもこれだけの兵力でリザーブル軍三万を押さえられると本気で思っているのか!」

「その疑問はもっともですが、しかしこれは侯爵も……」

「当然の疑問であり当然の怒りだ!」

 将校の怒鳴り声がデームの言葉をさえぎる。

「大体何故ジノンと共闘せねばならんのだ! ジノンが方針を転換した話は聞いた。外征がいせいはしないとな。だが信用出来る訳がないだろうが! そう思わせて油断させる気である事は明白だ! 過去何度ジノンが攻めて来たと思うか! ジノンもリザーブル同様我らの敵だ! 歴史がそう訴えておるわ!」

「だから、これからは攻めて来んっちゅう話だろが。ゼルがジノンの辺境伯から直接聞いとるから……」

「そもそもがだ」

 ゼントスの話しもまたさえぎられる。別の将校が静かに、しかし怒気どきを含んだ口調で話し出す。

「この作戦、結局一番得をするのはその何とか言うジノンの貴族だ。我らが文字通り身体を張っている裏で、リザーブルの土地をかすめ取ろうというのだからな。何故我らが奴らの為に血を流さなければならないのか?」

「そうだ!! 大体何故貴様らがそこまでジノンに気を回す必要があるのか! 貴様らは我らアルマドを守る為だけに存在するのだ! アルマドの為にだけ働いておればいい! 足りない頭でこそこそと姑息こそくな事を考える必要などないわ!」

 周りをキョロキョロとうかがいながら、あわあわした様子で今までのやり取りを聞いていたライエ。しかしさすがに今の言葉にはカチンときた様だ

「ちょっと何その言い方! あたし達がどれだけ――」

 軍議は紛糾ふんきゅうした。侵攻してきたリザーブル軍をここで押さえ、その隙に後方、北ではジノン軍が出陣し守備の薄くなったリザーブルの土地を奪う。結果、リザーブルは大いに勢いを削がれる事となり今後の軍事行動にも影響を及ぼす。つまりはリザーブルを抑え込む事が出来る、という訳だ。
 だが言ってみればこの作戦、アルマドを餌にリザーブルを釣り上げるというもの。将校達の気持ちも分からなくはない。だがそもそも彼らに文句を言う筋合いがあるのだろうか。街の防衛の全てをジョーカーに丸投げしている彼らにだ。しかも作戦はすでに容認されたのだ。バーデン侯爵はこの作戦を受け入れた。だったら四の五の言わず作戦成功の為の話し合いをするべきではないのか。

「黙れ! 大体この作戦のきもが何でこの若造なのだ! こんな若造にあの大軍を押さえられるとでも言うのか!? こいつはジョーカーの者ではない、どこの誰とも分からぬ若造にどうしてアルマドの命運をたくすことが出来るのか!?」

「ふむ、確かにコウはジョーカー所属ではないが……だがこの役目、充分果たす事が出来ると思うぞ。それだけの力は持っているとゼルもそう判断して――」

 カディールが擁護ようごしてくれている。だが俺はいい。俺の事はいいんだ。彼らからすれば俺はどこの誰とも分からない若造、確かに彼らの言う通りだ。

「だとしたらゼルの目は随分な節穴だと言う事だ! 大体あの男は適当過ぎるのだ! いつまでってもエクスウェルを仕留められない、無能なのではないか!!」

 違う。確かにゼルはいい加減なおっさんだ。だが力はある。人望もある。信頼出来るおっさんだ。

「そもそも間者がいるとはどういう事か! 今までそれを野放しにしてきた貴様らの責任、どれ程重いか理解しているのか! 本気でアルマドを守る気がないのであろう! だからこんなていたらくなのだ!!」

 違う。守りのかなめである一番隊がいないこの状況でも、ジョーカーは実に良くアルマドを守っている。間者なんてどこにでも潜り込んでいるだろうし、それにジョーカーだからリザーブルの不穏ふおんな動きを察知出来たのだ。

「おい若造」

 目の前に座っているひげの将校がニヤけた顔で話し掛けてきた。

「お前アイロウを退けたと聞いたが……かすじゃないか、んん? お前ごときに出来るのなら俺にだって出来るって話だ。お前の様な若造がアイロウにかなうはずがない。もしその話が事実だとしたら、アイロウの強さなど尾ひれのたぐいの話だったという事だなぁ?」

 違う。アイロウは強かった。本当に、恐ろしく強かった。あの強さには敬意をひょうすべきだと、不覚にもそう思ってしまうくらい強かった。

「お前はあのドクトルに師事しじしていたそうだな。偉大な大魔導師の名も地に落ちた様だ。お前の様なほら吹きの若造を弟子にするなど……」

 違う。

 違う違う違う、まるで違う!

 お師匠は紛れもない大魔導師だ。誰からもおそれられ、誰からもうやまわれ、誰からも愛されている、誇るべき偉大な師だ。止めろ、これ以上口を開くな。これ以上俺の大切な者達を悪く言うな。もうこれ以上……じゃないと……

「ふん、ひょっとしたらドクトル・レイシィもアイロウと同じ様に、噂ばかりが大きくなった口ではないのか? 国の重臣に媚びでも売りまくって今の地位と名声を手に入れた、あり得る話だなぁ……んん? ひょっとしたら媚びだけじゃあなく、身体まで売ってたりしてなぁ!」



(……は?)



 何を言っている? こいつは何を言っている? 頭の中が白くなる、理解が追い付かない。



 売っている? 身体を? 



 次の瞬間、心の奥の方からドス黒いものが沸き上がる。そして身体の中をぐるぐると渦巻き始める様な感覚におちいった。

 苦い。

 苦くて黒くて重くて不快な感覚。

「バカな!? 貴様ぁ……何を言っとるかぁぁぁ!! 言っていい事と……」

 ゼントスの声だ。ゼントスにはこのひげの言葉が聞こえていた様だ。しかしその声は急に遠くなる。ゼントスの声だけではない。怒声が飛び交っていたはずの陣幕内が急に静かになったのだ。分かっている、実際に静かになった訳ではない。俺の耳が外部の音を遮断し始めたのだ。



 パン……



 そして何かが弾けた。自分の中で弾けた。とてもとても小さな破裂音。一体何の音なのか。何が弾けたのか。分からないがしかし、確実に何かが弾けた。その感触は残っている。

 そして直後、俺を支配するのは怒りの感情。



 ダーン!!



 突然の大きな音。思わずビクッと反応するライエ。何事が起きたのかと陣幕内は静まり返る。無意識だった。無意識に俺は右の拳をテーブルに思い切り叩き付けていた。テーブルはガタンと揺れビリビリと振動する。



「誰が……何を売ってると……?」



 ドン!! と衝撃を感じたデームは「グッ……」と声を漏らし思わず身をよじらせる、何かが身体に当たったのだ。途端にブワワ、と全身があわ立ち肌の表面がピリピリとしびれ出す。それは一瞬で陣幕内に広がった。空気が変わった。いや、汚染されたという方が適切か。ねっとりとまとわり付く様に全身を包み込むそれは、も言われぬ不快感を呼び起こしずっしりと重くのし掛かる。

 これは魔力だ。

 圧倒的な密度の濃縮された魔力が、勢い良く陣幕内に広がったのだ。その発生源は言わずもがな……

「コウさん、それ……以上は……」

 魔力に飲まれない様気を強く張りながらデームは言葉を絞り出した。自分以外、他人の魔力は毒だ。だが直接体内に注入するなどされない限りは、特段気にする様な事ではない。しかしそれが悪意という意思を乗せ、意図的にぶつけられる様なものならば話は別だ。そんな魔力をぶつけられ続ければ少なからず心や身体に悪影響を及ぼすだろう。

「ぐうぅ……おい、コウ……」とデーム同様苦しそうに呼び掛けるゼントス。ライエは自身の身体の周りに魔力シールドを張ろうとしたが、すっぽりと身体を覆い包むシールドの展開に手間取っている様子。傭兵達をしてこうなのだ、アルマドの将校達にあらがえる訳がない。押し潰されそうな程の魔力のあつを受けて、将校達は皆顔を歪ませ「う……うう……」とうなりながらブルブルと身体を震わせている。

「何でお前らがジョーカーに文句を言う? 何で言える? 街の防衛の全てをジョーカーに丸投げしてるお前らが、一体どの口でジョーカーの文句を言う?」

 先程まで大声で怒鳴り散らしていた将校は「っうぅ……ぐぅ……」と声を漏らしながら顔をしかめている。

「それから、お前……」

 次に目をやるのは向かいに座る髭の将校。

「誰が何を売ったって……? もう一回言ってくれよ……ほら、もう一回……ドクトル・レイシィの今の地位は身体を売って得たものだと……言えよ、もう一回だ……」

 しかし髭の将校はガタガタと震える口から「は……はひ……」と声とも息とも分からない間抜けな音をはっするばかりだ。



「早く言えぇぇぇぇぇぇぇ!!」



 ドン! バババッ! と更にもう一波いっぱ。先程よりもう一段分厚く濃縮された魔力が襲う。テーブルや陣幕の布はビリビリと小刻みに震え、その魔力に当てられた将校達は「あ……がが……うう……」とうめき声を上げながら恐怖の表情を浮かべている。しかし真っ青になった彼らの顔を見ると、これ以上はとてもじゃないが耐えられそうにないという事は容易に想像出来た。想像は出来るがしかし、デームにはそれを止める事が出来ない。もはや声を出す事も難しい状況だ。

「お前が侮辱した師……狂乱と呼ばれた大魔導師がおさめた魔法……アイロウをあと一歩まで追い詰めた凶悪な古代魔法! 何なら今この場で見せてやろうか!!」



「そこまでだぁぁぁ!!」



 フッ、と魔力のあつが緩む。瞬間、皆がふぅぅ、と息を吐いた。「ぬぅぅ……」と低く唸りながら陣幕に入ってきたのは突然の大声のぬし、バーデン侯爵だ。「何という力か……」と小さく呟いた侯爵。陣幕に入った途端、全身から汗が噴き出してきた。眉間のシワが更に深くなる。

「何事があったのかは分からんが、おおよその見当はつく。コウよ、その辺で収めてくれぃ。じゃなければ戦の前にこやつら、使い物にならなくなるわ」

 侯爵はぐったりとしている将校達を指差す。そう、そうだった。これからリザーブルと一戦交えなければならなかった。あまりの怒りにすっかりと忘れていた。

「おい髭ぇ……」と声を掛けると髭の将校はビクッと反応した。

「言葉には気を付けろ。次にまたふざけた事をかしたら…………その首、ねじ切るぞ!」

 そう思い切り脅しを掛けると俺は陣幕を出た。


 ◇◇◇


 陣幕の外。相変わらず日差しは強いが、心地好ここちよい風が吹いている為決して暑くはない。そしてその風は熱くなった身体と頭を徐々に冷やしてくれる。

 ……

 …………

 ………………

(これはちょっと……やり過ぎちゃった……かも……)

 冷静になった所にのっそりと覆い被さってきたのは自責の念。そして幼稚な自分に対する恥ずかしさだった。怒りに任せて魔力をぶつけるなんて……
 しかし同時に、この世界で生きるというのはこういう事なのかも知れないとも思う。自身のすぐ後ろに死がピッタリと張り付いて離れない世界。いや、認識出来なかっただけで元いた世界もそうだったのだ。人間、事故や病気でいつ死んだっておかしくはない。しかしこの世界に来てからは特に死というものを身近に感じる。事故や病気だけではない、実に簡単に人が殺される世界だからだ。

 我関われかんせずは通用しないと心得こころえよ。

 不意に思い出した。南で死にかけた時、夢で見た顔のない亡霊の言葉だ。俺はこの世界で生きている。つまりは当事者であり関係者だ。決して部外者などではない。そう考えると、ついさっき自分が起こした恥ずかしくなる様な幼稚な行為も、この世界と関わりを持つ、自分を主張するという点では必要な事だったのではないか。

(う~ん……分からん。切り替えよ)

 そう、もやもやと色々考えては見るが結局の所答えは分からない。だったら頭を切り替えよう。何故ならば、これから実にこの世界らしい大仕事をしなければならないからだ。

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