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06.彼の体温(終)

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「……ふ、ぅ……ううぅ」
「……っ、え、は? なんで泣いてんの」
 三ツ橋くんの動きが止まる。私は涙を我慢することができずに、両手で顔を覆っていた。
 途中で泣いてしまうなんて、遊ぶ覚悟がまったくできていない。
「だって、こんなの、やだ」
「っ」
 彼の表情は涙で見えない。どうして今こんなことを言ってしまうんだろう。我慢してきたものが、流れ出てしまった。
「好きでもないのにこんな、こと」
「…………ごめん」
 低い声が響いた。
 深刻さが滲む声に、重苦しい空気が流れる。
「ひどいよ」
「……ごめん」
「……謝らないでよ……」
 謝られると、むなしくなる。謝られると、冗談だと、この行為は遊びなのだと認めているようなものだ。胸の痛みが増していく。涙が溢れてとまらない。
「……ごめん。でもオレ、お前のこと好きだから」
 三ツ橋くんの指先が私の目尻にふれた。一緒に涙をとめようとしてくれていることで、また涙が溢れる。さっき謝ったくせに、どうして今さらそんなフォローを。
「冗談は聞き飽きたよ」
「冗談じゃないって」
「嘘」
 首を振った。今までさんざん冗談って言ってたくせに。もうわかってるから、泣いている自分が悪いのだから、放っておいてほしい。やさしい手なんか差し伸べなくてもいい。
「お前が冗談って言うから、冗談にするしかなかったんだよ」
 ぽつりと、独り言のようにつぶやいた。
 彼の手は私の頬を撫で、瞼にキスを落とした。それだけで私の涙は止まってしまった。
「本気で好きだよ。ずっと、入社した時からずっとだぞ? オレよく我慢したよほんと」
 自嘲気味に笑う顔が、なんだか泣きそうだった。涙の薄い膜の向こうにいる彼をまじまじと見つめる。目が合うと表情を緩めて、控えめに額にキスをされた。
「お前の気持ち確かめないでこんなことしちまったけどさ、お前が部長に片思いしてるってわかってても諦められなかったし、抱きしめると耳まで真っ赤にするし、我慢しろってほうが無理だ」
「私が……部長に……?」
 ようやくまともな言葉が出た。でも途切れ途切れだ。
「好きじゃないって否定したってバレバレなんだよバカ」
 三ツ橋くんは何を言っているんだろう。だから部長のことは尊敬しているだけだって何度も言っているのに。
 彼は、そんなに気にしていたのだろうか。
 私が部長のことを好きかもしれないって? そんなこと、気にする必要なんてないのに。
「本当は、キスした時も部屋に来てくれた時も、流されてんだろうなって思ってたけどさ。それならそれでいいやって、お前が誰を好きでも、抱けたらしあわせだって思ってた……けど」
 やっぱちょっときついな。
 小さく震えた声で彼は言った。
 泣きそうになったけれど、ぐっとこらえた。私にはちゃんと伝えなければいけない言葉があるのだ。
「三ツ橋くんこそ、バカだよ」
「……」
「部長のこと、好きじゃないよ、本当に」
「……ほんと?」
 頬を包んでまっすぐに見つめられる。涙が徐々に乾いて、三ツ橋くんの表情がよく見えるようになった。頬が赤くなっている。不安そうな顔。はっきりわかる。
「だって、奥さんいる人なんか好きになれない」
「それ、結婚してなかったら可能性あったってこと?」
「……」
 言われてしまうと考えるところはある。だってあんなに素敵な人だ。家族がいなかったらもしかしたら惹かれていたかもしれない、なんて考えてみるくらいは悪いことではないだろう。
「黙るなバカ」
「ふ」
 三ツ橋くんの必死さが見えて、つい口元を緩めてしまった。だって、なんだか子供みたいだった。体温が高いところも、好きだって冗談みたいに言うのも、子供みたい。
「おい、なに笑ってんの」
 一度緩んだくちびるはなかなか元に戻らない。
「部長に会う前から好きだったもん。無理だよ」
「……え」
 彼は口を開き、目をまるくする。
 その顔、写真に撮りたい。
「ずっと三ツ橋くんが好きだったよ」
 ようやく言えた。
「私だって、ずっと、だよ」
 言葉にしてしまえば、かんたんなものだ。むしろ、言葉に出来たことでもっと好きになっている気がする。彼が好きだと言ってくれたから私も素直に伝えることができたのだろうけど、この際許してほしい。
 好きだからずっと臆病になっていた。
 きっとそれは三ツ橋くんも同じだ。臆病になって、冗談めかして好きだと言っていた。さすがにその想いを感じ取れるほど私はできていない。
「オレ、も」
 ぎゅっと抱きしめられて、くちびるが重なった。
 落ち着いていた熱はまた熱さを取り戻していく。
「んっやだ……大きく……」
 突然、身体の内側に埋まったままだった彼の熱の質量が増えた。
「……っ……お前はオレを煽る天才だよバカ」
 苦笑して彼は腰を引いた。すぐに律動を繰り返す。今の今まで泣いて、話をしていたのが嘘のようだった。いやむしろ、想いを伝え合ったことでタガが外れたとでも言おうか。
 彼の激しさが増していた。私も、苦しい想いを忘れて快感に身を任せた。すると驚くほど気持ちがよくて、気が遠くなりそうだった。
 大きな手のひらは私の胸を包み込み、鎖骨にキスをする。やがて胸の先端をくちびるで挟み吸われると、腰が浮いた。刺激に身体が収縮して、彼の熱を締め付けた。三ツ橋くんも苦しげに息を吐く。
 目をひらくと三ツ橋くんがいる。
 眩しいものを見るような視線で、私を射抜く。
「ね、もっかい言って」
「んっ、な、に」
 腰を揺らしながら彼は言う。甘えるように、少しだけ、命令みたいに。
「好きだって、言って」
 語尾は息遺いで消えていった。
 私は、汗だくになっている三ツ橋くんの身体に手を伸ばす。首に手を回して抱きしめるようにした。
「好き、好き……だよ」
 言えなかった言葉を、我慢していた言葉を、今までの分と一緒に想いを込めて、何度も何度も言葉にした。うわごとのように繰り返す。苦しげな表情の中で三ツ橋くんはうれしそうに顔をほころばせた。
「キス、して」
 愛おしくなって懇願した。彼はあっさりと答えてくれる。
 大好きな人とのキスを、苦しいものじゃなくてひたすら甘いものに変えるために何度も何度も舌を絡ませて濃厚なキスをした。
「やば、もう……」
「私、も」
 切羽詰った息遣いは言葉をなくした。
「んぅ――ッ」
 最後には、深いくちづけをしたまま、爆ぜていた。



「もう……最悪……」
 三ツ橋くんのベッドにもぐりこむ。彼の顔を見ることができない。
「恥ずかしすぎる……」
 成り行きというか流れるままにこうなってしまったけれど、冷静になると相当恥ずかしいことをしたし、恥ずかしいことを言ってしまった。お酒のせいにしてしまいたい。大して飲んでいないし意識も記億もちゃんとあったけれど。
「ねえねえ」
「な、に」
 つんつん、ともぐりこんでいる私の頭をつっつく。ちょこっと顔を出すと、とんでもなく甘ったるい顔で笑う三ツ橋くんがいた。
「恥ずかしがってるお前見てたらまたムラムラしてきた」
「バカ!」
 もう一度もぐりこんだ。
 もういやだ。もう、このまま顔を隠したままどこかに飛んで行ってしまいたい。
「……寒くない? 大丈夫か?」
 唐突にやさしい声か落ちてくる。私がもぐっている理由をそれだと思った――わけではないだろうけど、意外な言葉だった。
「ん、大丈夫……三ッ橋くん、やさしいね」
「そりゃあね」
 だから出てこいよーと呼ばれる。私はやはり顔を出すことができなかった。寒くなんてない。むしろ暑いくらいだ。まだ、身体を重ねた熱が残っている。
「明日からもさ、寒くなったら言って。オレがあっためるから」
「三ッ橋くんが冷房を消せばいいだけでしょ」
 忘れていたけど、明日も会社なのだ。考えたくない。寒いフロアと、暑い彼。私はどっちにも悩まされてしまう。
「だめ。寒がってる深雪が可愛いから」
「っ、な、まえ」
 不意打ちに、顔が熱くなる。これ以上私に熱を与えないでほしい。
「恋人になった記念に呼んでみた」
「……………バカ」
「ほら、手」
「ん」
 手を伸ばされて、その手を取る。やっぱり彼の体温はあたたかく、心地いい。このまま眠ってしまえばいい夢を見られそうだ。
「好きだよ」
 手の甲にキスをされた。
「冗談?」
 わざと冗談めかして言う。またふてくされるんだろうなと考えて心の中で笑った。
「……本気だよ」
 返ってきたものは、真剣な表情と、低い声。
 胸がぎゅっと掴まれるように痛くなった。

 私はどちらにしても、彼に胸を傷つけられ続けるのだ。
 良い意味でも、悪い意味でも、あたたかい温度と引き換えに。


 終
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