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事故チュー
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しおりを挟む「……雪哉くんが?」
大学の授業が終わって家に帰ると、蒔本梓は母親から懐かしい名前を聞いた。
「そう。雪哉くん、手違いでマンションの契約が間に合わなかったんですって。だからしばらくうちに住むことになったのよ。ちょうどお姉ちゃんの部屋も余ってるしね」
雪哉は、梓の母親の姉の息子。つまり、従兄だ。
名前はもちろん憶えているけれど、もうしばらく会っていない。梓が中学生の時に六歳年上の雪哉は実家を出ていて東京に住んでいるらしく、祖母の家に帰っても会うタイミングもなく、彼の名前さえ記憶の片隅に追いやられていた。。
確か、東京で就職したと母親は言っていた気がする。
「なんで今?」
「こっちに転職ですって」
東京から愛知に転職なんて珍しいこともあるものだ。
それよりも浮かれている母のことが気になった。
「雪哉くんすっごくかっこよくなってたから楽しみだわ~」
鼻歌まで歌っている。
「会ったの?」
「そうそう。あんたが学校に行ってる時に挨拶に来たのよ」
「……ふーん……」
梓が小学生低学年の頃、祖母の家に帰るとよく一緒に遊んでもらった記憶がある。どんな顔だったかはさすがに忘れてしまったけれど、歳の近いいとこがいなかった梓は雪哉にばかりついて回っていた。彼も迷惑がることもなく相手をしてくれていた気がする。
大好きなお兄ちゃんだった。でももう記憶は薄れている。
とはいえしばらく会っていない男の人と一緒に住むなんて気を遣いそうだ、と梓は憂鬱になった。
ただでさえ憂鬱なことが数日前に起こったばかりだというのに。
数日後、予定通り雪哉の引っ越し荷物が届き、当日の夕方に雪哉も家に来た。
「……今日からお世話になります」
玄関先で雪哉はぺこりと頭を下げた。
梓は、数年振りの雪哉の姿を呆然と見つめていた。すると目が合って、雪哉の目が細まる。ドキリとして慌てて目をそらした。
「雪哉くんよろしくね! 自分の家だと思ってくつろいでいいから」
梓の母は相変わらず歓迎ムードだ。
母親が浮かれる気持ちもわからないではない。
遊んでくれる大好きなお兄ちゃんは立派な大人になっていた。身長は高くすらっとしていて、Tシャツとジーンズというシンプルな格好にも関わらず、サマになっている。シュッとした顔立ちに切れ長の目。かっこいい男の人だ。でもあまりの無表情さにうまくやっていけるか少し不安になる。
「ありがとうございます」
「お父さんは海外出張中で、私も夜勤なんかが多いからあんまり家にいないけど……食事とかの家事は梓が完璧だから!」
「ちょっとお母さん!」
完璧だなんて言われたら困る。
特別おいしい食事を作れるわけでもないし、掃除洗濯だって、普通にできる程度だ。
「というわけで今日もこれから仕事なの、手伝えなくてごめんね」
「いえ」
雪哉は表情を変えずに返事をする。
「梓ごめんね、雪哉くんのことお願いね。家のこと教えてあげて」
「えっ」
今二人にするの!?
と言いたいところだけど、今日母が夜勤だということはわかっていたことだ。にしてももう少し一緒にいてほしかった。
「じゃあいってくるからね!」
「ちょっとお~……いってらっしゃい」
慌ただしく家を出て行く母親と、取り残された二人。
「お母さんてば……えっと、どうぞ?」
梓が中へ招くと、靴を脱いで玄関に上がった雪哉はじっと梓を見つめた。
「梓?」
「……う、うん」
そういえば自分の名前は告げていなかった。
雪哉が確認するように名前を呼び、また目を細める。
「梓、大きくなったね」
「そ、そんな子どもみたいに言わないでよ。わたしもう21歳だよ」
「えっ」
雪哉は素直に目をまるくした。
けれど表情がいまいち乏しいので、驚いているのか少々わかりづらい。
「驚いた」
「雪哉くんは……」
「27」
「そっか。私からしたらだいぶ大人だもんね」
しかももう何年も会ってないし。
梓のほうこそ驚いていた。こんなにかっこいい男性が現れることを想像していなかった。
「……お部屋案内するね」
「ありがとう」
まっすぐ見つめる視線から逃げるようにして、梓は二階への階段を上がっていく。後ろから雪哉がついてくるのを確認してから、ドアを開けた。
「ここ、お姉ちゃんの部屋を雪哉くん仕様にしたってお母さんが言ってた」
「……凛ちゃんは?」
凛とは、梓の姉の名前だ。
「3年前に結婚して家を出たよ」
「そっか、結婚か」
凛は雪哉の三歳年上だ。今の雪哉と同じ歳の時に結婚していた。雪哉に結婚は、と聞こうとしたけれど、ここにいる時点で結婚していないのはわかりきったことだ。
「ここ自由に使ってだって。それで、隣が私の部屋だよ」
「……わかった」
「二階はそれくらい。荷物置いたら一階案内するね」
こくりと頷き素直についてくる雪哉。
こんなに言葉少なかったっけ、と思いながら一階のお風呂、洗面所やキッチンを案内した。特別大きな家でもないため、案内はすぐに終わった。
「これくらいかな。なにか聞きたいことはある?」
「大丈夫。梓、ありがと」
表情があまり変わらないだけに、ちょっとした微笑みを見せられると動揺してしまう。
「ゆ、雪哉くん、ハンバーグは好き?」
「好きだよ」
「よかった。お母さんが雪哉くんハンバーグ好きだから作ってあげてって言ってたんだ。今作るね」
「……悪いな」
「大丈夫、ごはんは私担当だから。雪哉くんはお部屋の片づけしなよ」
「ああ、ありがとう」
雪哉がリビングを出ると、素直に二階へ上って行く足音がした。
一人になったキッチンに立ち、ぼーっとしてしまった。
あんまり覚えていないけれど雪哉はあんな人だったっけ。梓にはもっとおしゃべりをした記憶があっただけに、少し戸惑う。
それに、大学では騒がしい男子ばかり見ているから、男性が静かだと変な気持ちになる。
口数も少ないし、余計なおしゃべりもしないし、声も無駄に大きくない。
不思議な人だけど、安心した。彼なら一緒に生活できそうだ。
梓は腕まくりをして、夕食作りに取り掛かった。
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