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05 我慢できない密着
しおりを挟む「真広どこまでいった?」
「オレ、まだあの地下んとこ」
「えっまだステージ3かよ! 俺もう5までいってる」
「なんだよ自慢かよ」
陸は、あの日からも変わらない。部活が終わったら放送室に来て、今まで通り他愛無い話をする。真広が音声スイッチの前に座り、陸は真広の背後にある少し離れたイスに座っている。部活のことだったり今度のテストのことだったりゲームのことだったり。陸は真広がどうして落ち込んでいるのかも必要以上に聞いてきたりはしない。真広にはそれがありがたくも複雑だった。真広の抱えた想いを何も知らないで隣にいてくれる陸に罪悪感が募る。こんな奴が友達でごめん、と何度も思った。
でも友達はやめられないでいた。
「真広? どした」
「……え? あ、ああなんでもない」
真広は気がつけば、陸のことを考えるようになった。以前からよく考えてはいたが、藍香とデートをしてからは余計に。好きな人と、その他の人間との区別をよく考えるようになってしまった。どうして陸は真広にとってこんなに特別なのだろうと、深く深く考えてしまう。
藍香とデートしたあと、彼女のことが気になって2組に探しにいった。すると彼女は友人と笑い合っていてなんとなくほっとした。それからも校内で見かけることが多くなった。真広が今まで気にしていなかったせいか、やたらと見かける。だからといって話したりすることはないが、彼女を見るたびに真広の胸はぎゅっと締め付けられる。
女の子を好きになれそうにない自分への苦しさだ。
「……あの子のこと考えてるのか?」
「はぁ?」
陸の的を外れた発言に真広の間抜けな声が放送室に響く。音楽を流している状態なのでもちろん二人の会話は誰にも聞こえていない。
「だってあの日から真広、なんかぼーっとしてる」
「そんなことないから!」
嘘をついている後ろめたさから語気が荒くなる。あの日以来陸へのどうしようもない気持ちの行き場を探しているだけだ。気持ちを伝える気はないし、伝えたとしても叶うとは思わない。陸は真広のことをただの幼馴染みとしか思っていない。
「もしかして、好きになった?」
陸の問いかけにドキッとした。
「んなわけないって! さっきからしつこい」
好きな人に、女子のことを聞かれてイラ立ちが加速する。ゲームの話をしていたはずなのにいつの間にか話題が変わっていた。真広は陸から背を向けて何もすることがないのに音声スイッチを見下ろす。
放送室はシンと静まりかえり、校庭からはかすかに下校中の人の声が聞こえてくる。
気まずくなって恐る恐る陸を振り返ると、陸は真剣な表情をして真広を見ていた。じっと見つめているうちに陸の目が潤んでくる。涙が、溢れそうだ。
「お前なに泣いて……っ」
「真広ぉ」
涙声になりさすがに慌てる。どこがどう泣くタイミングがあったのかわからない。真広は咄嗟に立ち上がり、座ったまま真広を見上げる陸に近づく。涙が零れるギリギリのところで目にいっぱい溜まっている。陸の泣き顔を見ると鼓動が速まり、目をそらしたくなる。陸は基本的に他の人の前では泣かない。だからこそ真広にしか見せない顔を見ていると自分の気持ちを吐き出してしまいたくなる。
だから自分の気持ちを押し殺すためにも、毎回必死にフォローしていた。
「今なんで泣くんだよ……」
情けない声が出た。むしろ泣きたいのは真広のほうじゃないのか。普段とは違って真広を見上げる陸の視線。
「だって……真広に彼女ができたら寂しい」
初めて聞く陸の「寂しい」という言葉に一瞬ドキッとするが、陸が突然立ち上がって両手を広げ、真広にしがみついたのでそれ以上に鼓動が揺さぶられる。むしろしがみつくというよりは、抱きついている状態だった。けれど陸は真広よりも身体が大きいため、真広は陸の身体の中にすっぽりと入ってしまった。
これじゃあまるで、抱きしめられているみたいじゃないか。
「な、ななな」
身体の温度が急激に上昇し、変な汗が吹き出す。心臓はバクバクと音を立て始めて、頭の中は混乱でいっぱいだった。どうして陸にこんなことをされているのかわからないし、耳元では鼻をすする音がして、どうして泣いているかもさっぱりわからない。
「お、おい! 何してんだよ!」
陸は黙ったままだ。
真広の混乱は、次第に苛立ちに変化する。
陸に抱きしめられて、うれしいことなんてひとつもない。ただただ、悔しいだけだ。泣きたいのはこっちのほうだ。人の気なんてなにも知らないで、どういうつもりだ。友達だからって、幼馴染だからって、気軽にこんなことするんじゃない。
真広は、腹の底から声を出した。
「陸! いいかげんにしろ!」
陸の身体が揺らぎ、一度鼻をすする音が聞こえてから、のろのろと離れていく。
「あ……俺」
陸は目をまんまるくして、自分がなにをしたのかまるでわかっていないみたいだった。その表情にまた真広はカチンとした。
「ふっざけんなよ……」
「真広?」
手をぎゅっとにぎる。爪が手のひらに食い込むくらいに。
「出てけ、二度と来んな」
「なんで、そんな怒ってるんだよ」
陸の顔なんて、見ている余裕などなかった。
「いいから出てけ!」
声を荒げ、陸の身体を無理やり引っ張り、放送室から追い出した。陸が何を言っても無視をした。真広の心臓はいまだに早鐘を打ち、息が乱れる。それほどに怒りを覚えなにも考えられなくなっていた。
「真広!」
扉を閉めたあと陸の声がしたが、真広が黙っているとすぐに声がしなくなった。陸が素直でよかった。
「……オレの気も、しらないで……」
真広はぽつりとつぶやき、床にへたり込んだ。そのまま自分の身体を抱きしめるように両手で包んで、うつむく。
苦しい。
今まで陸を好きでいて、こんなに苦しくなったことなんてない。ずっと友達のまま隣で笑い合っていたらよかったと思っていたのに、本当はそんなの嘘だった。
陸に好きだと伝えたいし、好きになってもらいたい。
ただの友達のようなふれ合いじゃなく、恋という感情を持って、ふれてみたかった。
なのに現実はこうだ。
陸はひとつも意識なんてするわけがないし、気軽に抱きついたりしてくる。泣き顔を見るといつも動揺しているんだってこときっとわかっていない。
陸は、何もわかっていない。なんにも。
そりゃそうだ、真広は陸にバレないように、気持ちを押し殺してきたのだから。それが今になってつらくなるなんて、自業自得じゃないか。
でもこうするしかなかった。
「もー無理だ」
こんな汚くて邪まな感情を抱いたバチがあたったんだ。
もう陸に隣にいることができない。
真広は、久しぶりに涙を流していた。
小さい頃は枯れるほど流して、陸に慰めてもらった涙を。
放送室の中で身体をまるめて、気がついたら一時間ほどが経っていた。放送はとっくに終わりの時間だ。慌てて切り、帰り支度をした。顧問が仕事熱心じゃなくてよかったと心から思った。
重い扉を開けると、廊下の端に座っている人影が見えた。こんな時間まで何をやっているんだ、と思う前に正体に気づく。
「……あ」
「……真広、遅い」
陸はふにゃりと笑う。
目元には元気がなかった。まさか、ずっとここにいたとか……。
「お前なんでいるんだよ。出てけって言ったじゃん」
泣いた顔をちょっとでも見られたくなくて目をそらし、顔を背ける。
「出たよ、放送室からは」
「……くそ」
いまそんな冗談は聞いていられない。腹が立つだけだ。好きになった自分が悪い。そうわかってはいるのにあまりに無神経は陸に我慢ができない。
「いまお前の顔見たくねえ」
「……ごめん、でも」
「オレ、お前のことキライ……に、なりたい」
嫌いだ、とは嘘でも言えなかった。情けなくて、泣いてしまいそうだ。
「ど、どうしてだよ」
陸は明らかに困惑しながら立ち上がる。
口を開いたらきっと声が震えてしまう。そんな情けない姿なんて見られたくない。せっかく泣き虫は卒業できたんだ。それに泣いてしまったら、吐き出してしまいそうだった。陸に抱いている感情を。
陸の手が真広の肩を撫で、ドキリとした。
「さっきのことは謝る。でも、そこまで怒ることでもないだろ? ほら、俺たち幼馴染なんだし」
頭を殴られたような感覚というのはこういうことだろう。
わかっていたことのはずなのに真広はただただショックだった。たかだか抱きしめられたくらい、なんてことない。男友達ならそういうことだってある。わかっている。そんなのはわかっているんだ。だからこそ消化しきれなかったのに、陸の追い討ちに真広は今すぐ走り去りたくなった。
「…………そうだよな。オレの問題だ」
「真広?」
「悪いけど、しばらく一人にしてくれ」
肩を掴む手の力が強くなった。でも真広が歩き出すと、制止することはしなかった。それから、呼び止めることも。
静かな廊下に、真広の歩く音が聞こえる。
自分の鼓動がやけに耳障りだった。
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