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7 すれ違う想い
しおりを挟む司は相変わらず忙しい。真子も忙しく、残業の日々が続いていた。前と状況は同じだというのに、しばらく司と会っていなかった。会話もしていない。たまにメッセージのやりとりはするけれど、それだけだ。会おうという話にもならない。
あの日からだ。
真子が司を拒否したあの日から。真子は自分が悪かったんだろうということは自覚していた。告白を受け入れておいて、身体を重ねておいて、いまさら嫌がるなんてどうかしている。自分でもそう思う。
司とキスをすることや身体を重ねることは嫌ではない。むしろ、好きで、気持ちがいいとさえ思っている。けれど行為中の目だけは、自我を忘れてしまいそうで怖い。
だからつい逃げてしまっている。
心だって惹かれているのに、そのことがあって立ち往生していた。
「ついにプロジェクト最終段階だって」
「……へえ」
「なにその返事。興味ないの?」
加奈が興奮気味に教えてくれたことは、司の情報だった。
「君島くん、前よりしゃべるようになったって、リーダーシップっていうほどじゃないけどちゃんと仕切ってるらしいよ」
「……どこ情報?」
「あっちのチームメンバー情報」
「……そう……」
初めて聞く情報だ。社交性の高い加奈と違って真子は自分の仕事で手一杯なので会議以外であまり他チームと話す機会もない。にしても、彼の情報をこうやって加奈から聞くのはやっぱり複雑だった。
「どうしたの?」
「なんでもない」
「それでさ、大ニュース」
「まだなにかあるの?」
加奈は楽しそうだが、真子は気が気ではなかった。
「チーム移動するかもって」
「えっ」
思わず大きな声が出てしまった。
「あれ、それも知らないの? じゃあまだ確定じゃないのかもね。新しく企画チーム立てて、そこのリーダーになるかもしれないんだって。今のままじゃもったいないっていうことみたいだよ」
そんな話にまでなっているなんて知らなかった。確かに司はサポートとしてはもったいないくらいに仕事ができる。自分から提案していくところは上司の評価が高いのもわかっていた。でもまだ一緒のチームで仕事ができると、漠然と思っていただけにショックだった。
「あ、やっぱ凹むよね。あんな有能な子うちのチームにも欲しいもん」
「そう、だね」
まだ噂程度かもしれない。一緒に仕事しなくなっても、一応彼女だし、別に会えなくなるわけではない。なのにどうしてこんなに胸騒ぎがするのだろう。
真子はスカートをぎゅっと掴んだ。
――君島くん、会いたいな。
――すみません忙しくて。
――土日はだめなんだよね。金曜の夜も無理そう?
――はい、すみません。
――わかった、また次の機会にね。仕事がんばって。
メッセージ画面を閉じてため息をひとつ。あっさりとしたメッセージのやりとり。最近はずっとこうだ。もしかして避けられてる? 淡白な人だから普通なのかもしれない。でも、案外情熱的な人だと知っているのでもやもやが溜まっていく。社内でも会うことがほとんどないし、食堂でも会わなくなってしまったし、そろそろ限界だった。
あの日の弁解もしたい。
でも、するタイミングがない。
噂を聞いた数日後、部長から会議を設定された。めずらしいメンバーに目を疑う。チームメンバーのミーティングでも、部門の会議でもない。各チームから二名ずつ選ばれた、謎の会議だった。真子も、司も選ばれていた。どうしてこのメンバーなのか。もしかして司の噂に関係があるのだろうか、と不安になる。
会議へ向かうと、みんなも真子と同じ気持ちなのかそわそわしていた。十五人しか入らない会議室のおかげでぎゅうぎゅうで、久しぶりに司の顔をじっくり見ることができた。じっと見ていると、ふいに目が合ってすぐにそらされてしまった。
告白されたのは真子のほうなのに、立場が逆転してしまったようで胸が苦しくなった。
「お疲れ。忙しいのに悪いな」
部長が話し始めると、全員が黙り静かになる。
「すでに話を聞いている者もいると思うが、正式に決定したのでチーム代表者を集めさせてもらった。この度、一部チーム編成を行うことになった」
司のことだ、と思い彼を見るけれど、もう目は合わない。
「第一チームから杉田、第二チームから岡部と高杉、第三チームから君島を抜いて新たに第四チームを作る。時期は三か月後の五月。各自引継ぎを進めてくれ。不明点があるものは私まで。以上だ」
ほんの十分ほどの時間だった。
部長の簡潔な報告が終わるとみんなガタガタと席を立ち、会議室を出ていく。みんなわかっていたことなんだろう。真子も聞いてはいたけれどこんなにすぐ正式な報告があるとは思っていなかった。みんなから遅れ会議室を出ると、司の後ろ姿が見えた。
「君島くんっ」
思わず声をかけると少し時間をおいてから司が振り返る。
「……お疲れ様です」
「うちから君島くんが抜けちゃうのは残念だけど、新しいチームでもがんばってね」
「……ありがとうございます。しばらくご迷惑をおかけします」
頭を下げる司に、真子は手を振った。
「そんな、大丈夫だよ」
本当は一緒に仕事をできなくて寂しいという気持ちと、仕事のできる彼がいなくなるときつい、という気持ちもあったが上司命令なのだから仕方ない。それに、司の成長のためだ。真子がどうこう言うことじゃない。
黙り込む司に、真子はまわりを確認する。他のメンバーはすでに先を行っているけれど、念のため小声にした。
「えっと、あれからあんまり話できなかったから、落ち着いたらでいいから、ご飯行かない?」
「無理しなくていいです」
「え」
「俺、無理やり付き合わせてたみたいで、すみませんでした」
「無理やり? そんなことないよ」
告白を受けたのは勢いだったにしても惹かれているのは事実だ。嫌々つき合っていたわけではない。やっぱり彼は、あの時のことを誤解しているみたいだ。司はこれ以上話すことはないというように背を向け、歩き出した。
真子の話はまだ終わっていない。
司の背を追いかける。
「ちょっと待ってよ!」
呼んでも振り返らない司はエレベーターに乗り込んでしまう。会議室のある二十階から降りてオフィスは十階。どうせ戻る場所は同じだ。拒否されているのかもしれないけれど、真子もエレベーターに乗り込む。
中には誰も乗っていなくて、二人きりのまま扉が閉まった。
「君島くんっ」
名前を呼んでも振り返らない。エレベーターのボタンの前でじっとしているだけだ。話を聞いてくれない態度にさすがに焦れた。
「この……こっち見てよ!」
「うわっ」
腕を強く引っ張り、強引に振り向かせる。司の驚く声を無視して、背伸びをした。
「ん」
真子へ傾いた司のくちびるへ、キスをした。勢いだけのものだったのでくちびるの位置が少しずれてしまって失敗した。
「……っ、糸井さん」
目を丸くした司と間近で見つめ合う。
「やっとこっち見た」
「……糸井さんが見るなって言ったんじゃないですか」
めずらしく慌てている。
「ごめん、でもさすがに寂しいよ」
「……っ!」
司の手が真子の後ろ頭を引き寄せる。ぶつかるようにくちびるが重なった。
「んんぅ」
すぐにねじ込まれた舌に、呼吸が苦しくなる。がっちりと頭と頬を固定されて、口の中を司の舌が這いまわる。こんなつもりはなかったのに、激しいキスに足と腰に力が入らなくなり、司へとしなだれかかる。それでも彼はキスをやめなかった。
舌の根を吸い、水音を立てる。口の端から唾液がこぼれ、ツウと司の舌が這う。ぞくぞくとして、スーツにしがみついた。
唇が離れても、真子はしばらく司に身をゆだねていた。落ち着いてきた頃ようやく正気に戻る。
ここは社内のエレベーターだ。誰も乗ってこなかったからいいものの、監視カメラはついているのでなにかのきっかけで誰かに見られてしまうかもしれないのに。
「なにするのっ」
「そっちこそ。あんな嫌がったくせに」
「……う。ごめんなさい」
キスをしたのは真子が先だということに気づき、うなだれる。それに、最初に拒否をしたのは真子のほうだ。自分を棚に上げてばかりで、なにをやっているんだろう。
「謝るってことはやっぱり」
「違うの! お願い。話す時間ちょうだい」
「……今日お願いします」
忙しいんじゃないの? と聞く隙間がないほど彼の目は真剣だった。
「わかった。あとでお店連絡するから」
「俺の家で」
「え?」
「では、失礼します」
「え、あっちょっと!」
エレベーターを降りて、先に行ってしまう。真子も慌てて降りようとするけれど、目の前で扉が閉まってしまう。慌てて階数ボタンを押して、二階下で降りた。
激しいキスに、まだ激しく胸が鳴り、しばらく止みそうになかった。
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