上 下
21 / 41
05 彼の裏側

再来

しおりを挟む
 家の近くに着くと、マンションの前をうろうろしている猫背の男が視界に入り、足を止めた。
「……あ」
「どうした?」
「……また、あの人が」

 今日は厄日だろうか。バイト先でも嫌な目に遭ったのに家に帰ってきても嫌な目に遭いたくない。でも虎将がいてよかった。彼がいるなら義父は前と同じように逃げるに決まっている。

「あいつこの前の……。春子の義父だよな」

 春子は黙ったままうなずいた。
 義父は春子たちに見られていることに気づくと、虎将の顔を見てくるりと背を向けた。先日のようにまた逃げる気だ。話をしないならそれはそれでいいと春子は思ったが虎将がそれを許さず、義父を追いかけてすぐに肩を掴み引き留めていた。春子も遅れて虎将に追いつく。

「おい逃げるな! あんた、何しに来た」
「……っ、ま、またお前か」
「春子とその母親を裏切った義理の父親が今さら何の用だ?」
 最初は虎将に怯えていた義父も、顔つきが変わっていく。
「……こんなマンションに住んでるならさぞ金を持ってるんだろうと思ってな」
「あんた、金に困ってるのか?」

 虎将に助けてもらえるとでも思ったのか、義父は二度三度とうなずく。義理の娘どころかその隣にいる見知らぬ人にまでお金を借りようとするその精神には飽きれる。

「それなら良い金貸しを教えてやるよ。ヒガシキャッシュサービス」
「……っ」
 義父の顔色が変わる。

「覚えがあるよな? お前が残した借金だ。今も春子は返済に追われてるんだよ。そんな春子にさらに金をせびろうと思うのか? むしろお前が春子に返すべきだろう」

 義父や母が作った借金はどういう経緯で膨れ上がったものか、春子には詳細不明だ。けれど、どんな理由があっても他に女を作って母を裏切った男であることに変わりはない。

「……お、お前には関係ないっ、春子はおれの娘だぞ!」
 義父はか細い声で声を上げる。身体を振り回し虎将の手を振りほどこうとするが、虎将は冷静に義父を睨んだままだ。
「俺は春子の婚約者だ」
 義父は信じられない顔で虎将を見て、それから春子に視線を向ける。春子は否定も肯定もせず、義父をまっすぐ見ていた。

「ストーカーで警察に行くか? それともヒガシキャッシュサービスに連れてってやろうか」
「や、やめてくれ」
 義父は大人しくなり、震える声で訴える。
「今後春子と話す時は俺を通せ。もう二度と顔を見せるな」

 虎将の鋭い視線に義父は黙ったまま何回かうなずくことしかできない。それを確認すると、虎将はようやく義父の手を解放する。義父はふらふらとしながら後ずさり、くるりとこちらに背を向けるととぼとぼと去っていく。

「……虎将さん、ありがとうございます」
「いや。春子に確認せず追い返してよかったか?」
「もちろんです。もう二度と会いたくありません」
「ああ。あれだけ言えばもう大丈夫だろうな。でも念のため、一人の時にあいつを見かけたら俺にすぐ連絡してくれ」

 今日は長い一日だった。
 バイト前もバイト中も、バイト終わりでもトラブルがあり、疲労困憊だ。
 虎将はファミレスで夕飯を済ませていたのに小春が夕飯の支度をしていると一緒に食べると言って、二人で一緒にパスタを食べた。金曜日の夜なので、焦ってベッドに入らなくていい。
 ゆっくりお風呂に入って考え事をしていた。この前、虎将と一緒にお風呂に入ったことを思い出していた。あの時も義父と会って、虎将が助けてくれた日だった。男性と一緒にお風呂に入ったことすら初めてだったのに、あんなことを――。

 思い出すだけでドキドキしてくる。逆上せそうになってお風呂から上がる。赤くなっている自分の顔、それから身体をまじまじと観察する。虎将を誘惑できるような身体ではない。節約ごはんのせいで不健康に痩せていた身体はようやく肉をつけ始めているけれど、女性的な魅力があるかは春子にはわからない。
 頭の中にふと琴の顔が思い浮かび、首を振る。彼女のようなスタイルの良さだったら虎将を誘惑できるのかな、と考えてしまった。
 今度こそちゃんと虎将にお礼をしたい。――それだけではなく、春子自身が虎将を求めていた。

 火照った身体のままベッドに戻り、虎将の隣にもぐり込む。するとすぐに彼は春子の身体を引き寄せた。
「なあ春子。夜のバイトは辞めてくれないか? 一日に渡す金額を増やしてもいい」
 今のままでも十分助かっている。これ以上贅沢をするわけにはいかない。だからこそ仕事もバイトも続けたかった。

「……でも……婚約者のフリが終わったあとのことを考えたらなかなか辞められなくて」
「それなら俺と本当に結婚すればいいだろう」
「……え?」
 驚いて虎将を見上げる。

「……いや、夜のバイトが心配なんだ。今日みたいに俺が毎回助けてやれるわけじゃない」

 さっきのセリフが冗談だとしても、虎将の神妙な顔に心が動かされる。助けてもらっている身なので我儘は言えない。でもこの先のお金のことが心配だ。迷うけれど、虎将の目を見ていたら気持ちが定まった。

「……わかりました、辞めます。でも、金額は増やさなくて大丈夫です。今でも十分もらってるんですから」
「ありがとな」

 虎将が安心したように笑い、春子の額にキスをした。
 そのまま唇にもキスをするかなと予想していたけれど、おとずれることはなく虎将は「おやすみ」と目を閉じた。
 いつものように虎将に腕枕されているが、それだけでは物足りなく、春子からぎゅっと虎将を抱きしめる。

「……ん、春子、どうした?」
「今日は二回も助けられちゃいましたね」
「気にするな」
 今日の出来事を思い返すほど、虎将への愛おしさが溢れてとまらなかった。
「……お礼、したいです」
「いいよ。当然のことをしたまでだ」
 今日に限って謙虚な虎将。春子はもどかしくなる。いつもだったら彼から求めてくる流れなのに。春子はこくりと息を飲む。
「じゃあいいです。……勝手にお礼しますから」
「ん?」
 春子は虎将の唇に自分の唇を重ねた。それだけで彼は表情を固める。

「……春子、どうした?」

 明らかに戸惑っている姿が少し可愛い。いつもとは逆の状態に春子は妙な高揚感に包まれていた。
 春子は起き上がり、布団をはいだ。ドキドキとうるさく鼓動が鳴らしながら虎将の下腹部をそっと撫でる。

「お、おい、春子」
 めずらしく虎将の戸惑う声が響く。
「……お礼ですからっ! 上手にできなかったらごめんなさい」

 前にできなかったことを、してあげたい。春子は恐る恐る、虎将の寝間着にしているスウェットの穿き口に手をかける。そっと下ろすと、彼の黒いボクサーパンツが目に入る。

「……春子、本気か?」
「当たり前です」
「急にどうしたんだ?」
 動揺したままの虎将は上半身を持ち上げ、春子を凝視している。

「……虎将さんにお礼がしたいんです」
「……それだけ?」
 春子は黙り込む。

 お礼がしたいという気持ちの裏側で他の感情があることを、彼は見抜いている。でも春子にはまだ言葉にする勇気が出ない。だからこそ『お礼』という理由をつけているのに。

「俺はうれしいけど無理はするなよ?」

 こくりとうなずくと、虎将は自らスウェットを脱いでくれる。膨らみかけているボクサーパンツにそっと手を置いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

もつれた心、ほどいてあげる~カリスマ美容師御曹司の甘美な溺愛レッスン~

泉南佳那
恋愛
 イケメンカリスマ美容師と内気で地味な書店員との、甘々溺愛ストーリーです!  どうぞお楽しみいただけますように。 〈あらすじ〉  加藤優紀は、現在、25歳の書店員。  東京の中心部ながら、昭和味たっぷりの裏町に位置する「高木書店」という名の本屋を、祖母とふたりで切り盛りしている。  彼女が高木書店で働きはじめたのは、3年ほど前から。  短大卒業後、不動産会社で営業事務をしていたが、同期の、親会社の重役令嬢からいじめに近い嫌がらせを受け、逃げるように会社を辞めた過去があった。  そのことは優紀の心に小さいながらも深い傷をつけた。  人付き合いを恐れるようになった優紀は、それ以来、つぶれかけの本屋で人の目につかない質素な生活に安んじていた。  一方、高木書店の目と鼻の先に、優紀の兄の幼なじみで、大企業の社長令息にしてカリスマ美容師の香坂玲伊が〈リインカネーション〉という総合ビューティーサロンを経営していた。  玲伊は優紀より4歳年上の29歳。  優紀も、兄とともに玲伊と一緒に遊んだ幼なじみであった。  店が近いこともあり、玲伊はしょっちゅう、優紀の本屋に顔を出していた。    子供のころから、かっこよくて優しかった玲伊は、優紀の初恋の人。  その気持ちは今もまったく変わっていなかったが、しがない書店員の自分が、カリスマ美容師にして御曹司の彼に釣り合うはずがないと、その恋心に蓋をしていた。  そんなある日、優紀は玲伊に「自分の店に来て」言われる。  優紀が〈リインカネーション〉を訪れると、人気のファッション誌『KALEN』の編集者が待っていた。  そして「シンデレラ・プロジェクト」のモデルをしてほしいと依頼される。 「シンデレラ・プロジェクト」とは、玲伊の店の1周年記念の企画で、〈リインカネーション〉のすべての施設を使い、2~3カ月でモデルの女性を美しく変身させ、それを雑誌の連載記事として掲載するというもの。  優紀は固辞したが、玲伊の熱心な誘いに負け、最終的に引き受けることとなる。  はじめての経験に戸惑いながらも、超一流の施術に心が満たされていく優紀。  そして、玲伊への恋心はいっそう募ってゆく。  玲伊はとても優しいが、それは親友の妹だから。  そんな切ない気持ちを抱えていた。  プロジェクトがはじまり、ひと月が過ぎた。  書店の仕事と〈リインカネーション〉の施術という二重生活に慣れてきた矢先、大問題が発生する。  突然、編集部に上層部から横やりが入り、優紀は「シンデレラ・プロジェクト」のモデルを下ろされることになった。  残念に思いながらも、やはり夢でしかなかったのだとあきらめる優紀だったが、そんなとき、玲伊から呼び出しを受けて……

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

若社長な旦那様は欲望に正直~新妻が可愛すぎて仕事が手につかない~

雪宮凛
恋愛
「来週からしばらく、在宅ワークをすることになった」 夕食時、突如告げられた夫の言葉に驚く静香。だけど、大好きな旦那様のために、少しでも良い仕事環境を整えようと奮闘する。 そんな健気な妻の姿を目の当たりにした夫の至は、仕事中にも関わらずムラムラしてしまい――。 全3話 ※タグにご注意ください/ムーンライトノベルズより転載

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

そこは優しい悪魔の腕の中

真木
恋愛
極道の義兄に引き取られ、守られて育った遥花。檻のような愛情に囲まれていても、彼女は恋をしてしまった。悪いひとたちだけの、恋物語。

処理中です...