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04 嫉妬とはじめて

ライバル

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 虎将の婚約者のフリをし始めてからちょうど一週間が経過した。
月曜日からは昼の仕事も始まり、朝から夜まで働く日々で虎将と話す時間もそれほどない。虎将には毎晩のように動揺させられていたが、ここ最近は抱きしめられながら眠るくらいで平穏――のはずだった。
 春子にとっては、日に日に虎将との密着状態に意識するようになっていた。身体が大きくて安心する、だなんてもう思えない。
 いつキスをするのか、いつ虎将の大きな手が自分の素肌を撫でるのか、妄想してしまっては頭の中から打ち消して無理やり眠りにつく。
 仕事に支障がでない程度の睡眠不足だが、意識しすぎている自分が嫌だった。

 定時の五時半になると春子は仕事を片づけ始める。同僚から見れば信じられないような光景だろう。
「あれ、園田さん今日も定時?」
「はい。今日の仕事はすべて終わらせましたので」
「さすが~。お疲れさま」
「お疲れさまです。お先に失礼します」

 お金に余裕ができてきたおかげで、人の仕事までも抱え込み無理に残業をすることもなくなった。目下の楽しみは、夕飯で虎将をどう喜ばせるかだ。ただ虎将は特に何が食べたいとか言う人ではないので、彼の反応を見て探っていくしかない。今のところ、一番喜んでくれたのはトンカツだった。今日は酢豚を作ってみようと考えている。
 こうして借金に追われない普通の生活をしていると、昔一瞬だけ憧れていた夢を思い出す。でもすぐに現実を思い出して、春子は知らない振りをする。
 会社を出て電車内でスマホを見ると、虎将からメッセージが届いていた。

――仕事が終わったら連絡くれ。

 会社を出てから数十分経ってしまい、確認するのが遅れてしまった。何かあったのかと、最寄り駅で電車を降りてからすぐに電話をかけた。

「もしもし、虎将さん?」
『春子か、悪い。仕事は終わったのか?』
「はい。さっき会社出たところです」
『今日夜のバイトは?』
「今日はないですけど……何かありましたか?」

 虎将の声には焦りが混ざっている。普通の電話ではないことはすぐにわかった。それに、電話の向こうからは聞き慣れない音楽が聞こえてくる。

『それならよかった。今から指定するバーに来てくれないか』
「バー、ですか?」

 二人で外食するなんて初めてのことで、戸惑っていた。虎将はやたらと春子の料理を食べたがったのでいつも家で食べるばかりだったのに。

『ああ。俺の婚約者として来てほしい』
 その一言で、彼が春子を誘う意図がわかった。きっと春子を誰かに紹介する気なんだろう。
「……わかりました。何か気を付けたほうがいいことはありますか?」
『いや、特にない。いつも通りでいい。店の場所はあとで連絡する』

 最近は気を抜いていたが、春子には虎将の婚約者という役目がある。久しぶりにその役目を果たす時が来たらしい。
 電話を切るとまず駅ビルのレストルームに向かった。
 誰に会うかはわからないけれど念のため身だしなみを整える。家と会社の往復だし節約生活をしていたのでいつもの黒スーツだが、地味なだけで清潔感はあると思っている。彼の婚約者がこれでいいのかはわからないが、せめてパンツスーツではなくスカートを着ていてよかったと安堵する。
 メイク直しをしていたら虎将からメッセージが入る。お店のURLだった。チェックを終えるとすぐに店に向かう。

 指定された店は近いけれどやけにわかりづらく、路地裏の奥へと入っていく。薄暗くなり慣れない道に怖くなってきた頃、店の看板を見つけた。バーなんて人生初だ。今から誰に会うのかわからないことにも緊張するのに、バーに入ることだけで緊張は倍増している。
 木の重い扉を開け、地下へ続く階段を降りていく。店員に虎将の名前を告げると奥へと案内された。店内も薄暗く、人の顔がはっきりは見えない。奥へと続く通路の両端には中の人は見えないように扉がついていて、半個室になっていた。バーには来たことがないけれど、イメージとしてはめずらしい仕切りになっている。一番奥の半個室に案内され扉を開けた。

「春子」
「……虎将さんっ」

 春子は虎将の顔を見てあからさまにほっとする。薄暗い空間と慣れない店にやっぱり緊張感があった。
 テーブルは四人席で、すべて埋まっている。手前の虎将の隣は空いていて、そこに座った。正面には男性、そして虎将の正面には若い女性が座っている。

「迎えに行けなくて悪い。こいつらが離してくれなくて」
「人聞きが悪いぞ。ごめんね急に来てもらっちゃって」
 物腰が柔らかい男性が笑う。
「は、初めまして、園田春子です」
「どうも。東雲薫しののめかおるです」

 こげ茶色の髪はオールバックに固めている。でもどことなくある優しい雰囲気が虎将に比べると怖さはなく、女性慣れをしていてモテそうだ。だとしても着崩したスーツの雰囲気と顔つきから、虎将と似た空気感もありヤクザなのだとわかる。

「あ、東雲さんって……」
 聞き覚えがある。確か虎将の一番仲が良い人。それからヒガシキャッシュサービスの――。
「うちの金貸しが悪かったね」

 東雲組はヒガシキャッシュサービスの管理を行っているらしいので、組長である彼が実質経営者のようなものらしい。彼は申し訳なさそうに頭を下げた。

「いいえ! こちらこそサービスしていただいて……ありがとうございます」
「闇金にお礼言う人なんて初めて見た~」
 虎将の正面に座っている若い女性は高い声を上げて笑った。どこかバカにしているような、嫌な感じがした。
「こら、お前も挨拶しろ」
 薫が隣に座る彼女を小突く。

「二度目まして。虎将くんと結婚する予定だった東雲ことでーす」
「琴、失礼だぞ。ごめんね、こいつ俺の妹なんだ」
「……初めまして」

 彼女があの見合いの場にいた女性。明らかに春子に敵意がある。お見合い相手が虎将をどう思っているかわからなかったけれど、今本人を目の前にすると彼女はお見合いを望んでいたのだと嫌でも伝わってくる。

「だって~。虎将くんに恋人がいるなんて知らなかったんだもん」
「紹介したらうるさいだろお前ら」
「にしても俺にも言わないなんて水臭いぞ。だから見合いの場を作ってやったのに」
 虎将はバツの悪そうな顔をしている。春子も笑って誤魔化すことしかできない。
「というわけで、春子ちゃんのことが知りたくてさ、虎将に呼んでもらったんだ」
「おい、春子を名前で呼んでいいとは言ってないぞ」
「お、独占欲強い系か? 心が狭いぞ」
「……ぐ……」
 虎将が言い負かされるのは新鮮だ。先ほどから見たことのない顔をしている。

「それにしても、虎将くんはこういうタイプが好きだったんだねえ」
 琴のじろじろと不躾な視線を感じる。

 彼女は春子よりも明らかに若く、肌がきれいで、しかも自分に似合うメイクや服が何かをわかっている。きっと春子が真似をしたらただ派手になってしまうようなメイクも、華やかな琴がすると魅力が引き立っている。スタイルも良く可愛らしい女性。普通の男性だったら彼女のような人と結婚できるなら喜ぶのだろうけれど、虎将は違うみたいだったらしい。

「こらジロジロ見るな。春子、何飲む?」

 虎将にメニューを手渡され、開くと、バーというだけあってお酒の種類が豊富だった。その代わりに食事メニューは簡単なおつまみと軽食がいくつかのみ。居酒屋風の仕切りではあるけれどしっかりバーみたいだ。お酒の得意ではない春子はソフトドリンクを頼みたいところだけど、テーブルの上を見るとみんなビールを飲んでいた。ビールは苦手だが空気を読んで合わせることにした。今は虎将の婚約者として好印象を残していく必要がある。

「じゃあ、ビールにします」
「春子も飲むんだな。わかった」
 虎将はすぐに店員を呼び注文してくれる。するとすかさず薫が口を挟んだ。
「なんだ、虎将は尽くすタイプか?」
「うるせえ」
 虎将が不愉快そうに顔を歪めるが、言い合いを始める前に春子のビールが運ばれてきた。
「じゃあ乾杯」
 薫の温度でグラスを合わせる。苦いビールを一口二口飲んで、テーブルに置く。テーブルの上にはオリーブやチーズのおつまみが並んでいる。

「……で、君たちはいつ結婚すんの?」
 突然の質問に、ビールを飲んでいたら噴き出しているところだった。虎将も同じようで強く咳払いを二度した。
「……日程はまだ決まってない」
「そんなんでいいのか? 春子ちゃん何歳?」
「二十八です」
「じゃあ適齢じゃん。虎将、はやくしてやらないと」
 結婚なんて自分には無縁だと生きてきたので適齢とさえも考えたことがないまま、この歳になっていた。

「えっあたしの二歳上? もっと上かと思った~」
「琴、失礼だろ」
「そう? 大人っぽいって意味だけど。そう解釈するお兄ちゃんこそ失礼なんじゃない?」
「……まったく口が達者だな。ごめんね、春子ちゃん」

 薫も飽きれ顔だ。春子は首を振った。どうやらとてつもなく嫌われているみたいだが存在を無視するわけにもいかないので春子は逆に彼女と話をしてみようと考えた。

「琴さんは、お仕事は何をしてるんですか?」
「キャバ嬢だよ~」
 琴が躊躇なく答え、春子は納得していた。彼女のような華やかな女性なら、キャバクラにいてもおかしくはなさそうだ。むしろ似合っている。

「そう。虎将の組の管理下の店で働かせてもらってるんだ」
「ちょっとお兄ちゃん、言い方悪い! それじゃあコネ入店みたいじゃん」
「間違ってはないだろ」
「でも琴さん明るいし向いてそうですね」
 それは嘘でもお世辞でもない感想だったのだが、琴にじろりと睨まれる。
「……いい人ぶっても私は二人を応援したりしないからね」
「琴、いい加減にしろ」
 虎将の鋭い声が響く。琴に厳しい視線を向けている。琴は虎将を見て眉を下げる。
「……虎将くん、ひどいよ」
「俺の婚約者のことを悪く言うなら怒って当然だろ」
「……ごめんってばぁ」

 琴が春子ではなく虎将に向かって上目遣いで首を傾げる。春子に対する態度が違うのは当然だが、声の高さまでも違う。

「まあまあ二人とも。……それにしても次の若頭は誰になるんだろうな」

 薫が強引に話を変えてくれる。何を言っても彼女には良い印象は持たれなさそうなので、琴に関しては話しかけられない限り黙っているしかないみたいだ。

「ああ……回復の兆しはないのか」
「そうみたいだね」

 虎将と薫は同時にため息を吐く。二人とも仕事の話となると表情が切り替わり、絵になる雰囲気を持っていた。重そうな話題に訊ねていいか、むしろ聞いていいのかと迷っていると虎将が春子のほうを向く。

「俺たちの親団体、神代会の若頭が倒れたんだ」
「……それって、大変なことじゃ」
「ああ。それで次の若頭は誰になるかで幹部がピリついてるらしい」
 虎将たちの表情からしても深刻な事態らしい。
「虎将が推薦されるんじゃないか?」
 薫がテーブルに肘をつき、虎将を見て口角を上げる。

「普通は神代会若頭補佐が優先だろう」
「だろうね。でも会長は誰を選ぶかはわからない。虎将も気に入られてるだろう? 若頭候補に狙われないように気をつけろよ」
「まさか。俺みたいな下っ端になんか興味ないだろ」

 確か虎将は神代会の中でも五番目あたりの組だと言っていた。その組長なのにそれでも下っ端扱いなら神代会はどれだけ大きい組織なのか。

「虎将、甘いよ。みんながお前みたいなヤクザじゃないんだって」
「……なんだよそれ」

 虎将と薫の会話は仕事仲間というよりも友人という感じだ。友人と話をしている虎将は新鮮でずっと見ていたくなる。最近出会った春子と話す感じとは、当然ながら少し違う。

「もー仕事の話はいいじゃん。退屈~」
「はいはい、わかったよ」
 琴をなだめる薫の図はすでに見慣れてきた。
「私お手洗いいってきます」
 虎将にこっそりと伝えて席を立つ。

 店内の構造がよくわからず店員が案内してくれた。入り組んだ場所にトイレがあったが、中は広くて豪華だった。いったいどういうお店なのかといまだに不思議だ。

 帰りも店員に案内され戻ってくると、春子が座っていた場所に琴が座っていた。
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