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24 お礼のオムライス
しおりを挟む――今日の七時にカウンセリングルームに行ってもいいかな。業務時間外になるから無理だったら大丈夫。
――いいよ、あけておく。
夕方に亘に連絡をした。本来であればカウンセリングを予約するべきなのだろうけれど、さすがの人気で今日はいっぱいだった。でもどうしても、今日がよかった。また亘にはわがままを言ってしまった、と後になって反省した。
残業中の七時、里帆は休憩がてらカウンセリングルームを訪れた。入り口はいつも開いているドアが閉まっていて、「今日の受付は終了しました」と札がかかっている。一度ノックをして、大きな音を立てないようにドアを開けて中に入ると、亘は座り、書類のようなものを真剣に見ていた。仕事中だ。
「里帆、お疲れ」
「お疲れさま。お仕事中ごめんね、どうしても今日話したくて」
「いいよ。でも、俺の家でもよかったのに」
「ううん。まだ帰れそうにないから」
「どうぞ座って。それか中に入る?」
「ここで大丈夫」
ドアも閉まっているし、誰かに見られることもないだろう。里帆は亘の隣に座って、身体を亘に向けた。
「今日はお恥ずかしいところを見せてしまって……ごめんなさい」
軽く頭を下げる。
「なんで謝るんだよ。よかったな、佐々川くん? と向き合うことができて」
「うん。そうだけど……」
「うらやましいよ。里帆とそうやって対等になれるの」
「え?」
亘の声が小さくて聞き返すと、彼は「なんでもないよ」と笑った。
「あの時亘くんに会えてよかった。逃げそうになってた私がちゃんと前を向けるように背中押してくれたよ」
「そうかな。佐々川くんの必死さが伝わったから、あのままだったら里帆が後悔すると思っただけだよ」
「うん……でも、ありがとう。亘くんがいてよかった」
亘の目をじっと見つめる。本当に、亘には感謝しかなかった。彼と出会えてなかったら、もしかしたらリーダーを辞退していたかもしれない。もしくは身体を壊していたか。
「それだけ。ごめんね、業務時間外なのに」
「事務作業が残ってたから大丈夫」
「じゃあ、戻るね」
ソファから立ち上がり、亘に手を振った。もっと話がしたくて後ろ髪を引かれる思いだったけれど、仕事が残っている。大事なプロジェクトがようやく形になりそうな時だ。
「仕事がんばって」
「ありがとう。……」
里帆はドアノブに手をかけたところで、亘を振り返った。
「あの、亘くんっ」
「ん?」
「……あの、明日の夜、家に行っていいかな?」
彼を誘うのは何度目だろう。もう慣れていたはずだった。でもなぜか緊張する。
「……いいよ。なにか食べたいものある? 夕飯作るよ」
「ううん、私が作りたいな」
「え、里帆料理できたっけ」
「失礼だよ! 料理は……まあほどほどに」
「ふ、わかったよ。楽しみにしてる」
亘がくすくすと笑う。亘の料理に比べれば里帆は初心者でしかない。でも亘にお礼がしたかった。どうお礼をすればいいのかわからなくて、亘がしてくれたことを思い出して、里帆にできそうなことは料理くらいしかなかった。
「じゃあまた明日ね!」
「ん」
ドアを閉じて、エレベーターホールへ向かう。まだ胸がどきどきと鳴っていた。この鼓動の意味を信じたくなくて、里帆は胸に手を当てたまましばらく立ち尽くしていた。
「亘くんは何もしないで待っててね」
翌日、亘の家に着くなり里帆は手を洗ってエプロンをつけた。家から持ってきたものだ。しばらく使っていなかったのでしわくちゃだったものを昨日アイロンにかけた。
仕事を定時で終わらせ、亘の車でスーパーに寄り、一緒に亘の家に帰ってきた。料理を作るのなんて久しぶりなので、緊張していた。自分から提案したのに本当にお礼になるのかと少し不安だ。
「はいはい。楽しみにしてるよ」
「お風呂先に入ってきてもいいよ!」
「……なんかほんとの恋人みたいだな」
「っ!」
亘はそれだけ言い残して、バスルームへ向かい、彼がいなくなってほっとしている自分がいた。亘は器用で、料理が上手だ。だからこそ里帆は作っているところを見られたくなかった。考えたメニューはオムライス。初心者の里帆にはそれくらいしか自信を持って出せるものがない。
買ってきた材料を広げ、レシピを見ながら作り始める。材料を切るのでさえいつ振りだろう。不器用ながらも材料を切り、レシピの手順通りに進める。
「……お、いい匂い」
チキンライスをフライパンで炒めている途中で亘が戻ってきてしまった。
「っ、戻ってくるのはやいっ!」
「いいじゃん。里帆が料理作ってるの眺めさせてよ」
「だめっ、テレビでも見てて!」
ソファのほうを指差すと、亘は大人しくソファに座りテレビをつけた。がやがやとした盛り上がっている音が響く。
「あっ!」
「里帆? 大丈夫か?」
「大丈夫です!」
オムライス用の卵を割ったら、殻がたくさん入ってしまってつい声を上げていた。こんなに料理下手だったんだ、と自分に絶望しながら殻を取り除く。
いろいろと手間取ったけれど、なんとかチキンライスは完成した。スープも、盛り付けるだけのサラダもある。あとはチキンライスを包むための重要な卵だ。
味付けした卵を溶いて、フライパンに流していく。じゅわ、といい音がした。周りが固まってきたところで、チキンライスを入れる。うまく巻けるかわからなくてドキドキしてきた。
「……大丈夫か?」
「ひゃっ、亘くんテレビ見ててってば」
「いいだろ。恋人が俺のためにごはん作ってるの見たい」
うれしそうな顔をしている亘を見ると何も言えなくなっていた。恋人ごっこなのに、どうして亘がそんな顔をするのだろう。
「オムライス? おいしそう」
「ま、待って。これから大事なところだから」
卵を忘れるところだった。里帆はフライ返しを持ち、卵の上に乗せたライスを包むようにして卵を剥がしていく。けれどうまくできなくて、卵が破れてしまった。
「わ、ぐちゃってなっちゃう」
「落ち着いて。……こうして」
「……あっ」
後ろから、亘がフライ返しを持った里帆の手をとる。背中に亘の体温を感じる。
「こう、する」
卵でチキンライスを包み、亘の手に操作されながら形を整えていくと、オムライスの完成だ。
「すごい……、きれいになった! さすが亘くんだね」
惚れ惚れするほどきれいな楕円形だ。慎重にお皿にうつしてケチャップをかければ見栄えも良い。
「このやり方難しいから卵乗せるだけでよかったのに」
「だって、きれいなオムライス作りたかったの」
見とれてしまうほどだった。料理を久しぶりに作ったせいか、亘のおかげでこんなにきれいな見た目になったことに感動した。
「ありがとな里帆。じゃあ俺は里帆のオムライスの卵巻くよ」
「え、ほんと?」
「うん。ちょっと待ってな」
結局亘をキッチンに立たせてしまっていた。亘は手際よく卵をフライパンに流し、オムライスの形を作っていく。隣でじっと見ていたけれどはやすぎてよくわからない。あっという間に完成した。
「……すごい」
思わず拍手してしまうほどだ。
「よし、食べようか。腹減った」
「うんっ」
スープとサラダを並べ、真ん中にはオムライスだ。どちらも亘が形作ってくれたので、きれいな見た目になった。記念についスマホで写真を撮ってしまった。
「いただきます」
二人で手を合わせる。形は亘が作ってくれたけれど、味つけは里帆一人だ。一応味見はしたけれど、肝心な味付けが、亘に合うだろうかと不安になって亘をじっと見つめた。亘は大きめのスプーンにすくった卵とチキンライスを口に運ぶ。
「ん、うまい」
うんうんと頷く亘を見て、息をとめていたことに気がついた。
「里帆どうした?」
「ううん。よかった……」
里帆は胸に手を当ててほっと長い息を吐いた。人に食べてもらうのってこんなに緊張するものなんだ。誰かに作ったことなんてないから知らなかった。今まで普通に食事を出されてたけれど、やっぱり亘はすごい人だ。
自分でも一口食べてみると、おいしくて安心した。亘が作ってくれた時のような感動はないけれど、初心者にしてみれば十分だろう。
「でも急に作るなんて言い出して、どうしたんだ?」
「……いつも、亘くんにはお世話になってるから」
「お世話って、なにそれ」
亘は大げさだよ、と笑う。里帆にとっては大げさでもなんでもない。
再会してからお世話になりっぱなしではあるけれど、ちゃんとお礼をしなくちゃ、とはっきり思ったのは昨日だった。里帆は亘に支えられていると感じた。
「昨日のことがすごくうれしかったの」
「……佐々川くんのこと?」
「そう! 昨日午後の会議で佐々川くんと話したんだけど、息が合うようになってきたっていうか……他のメンバーの気持ちもわかったし、いい衝突だったなって思って。亘くんのおかげ」
「俺はなにもしてないよ」
「そんなことないよ。昨日も言ったけど、すごく助けられました」
「……そっか」
「でもなんか佐々川くん前より私のことからかうようになった気がする……」
里帆はぽつりと独り言のようにこぼす。亘はただ里帆を見ているだけで、何も言わなかった。
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