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02 カウンセラーは幼馴染み

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 カウンセリングルームは、自社ビルの十五階にある。
 里帆が普段働いているのは十階で、上の階にはほとんど用事がないので前を通ることもなく存在をすっかり忘れていた。

 オフィスフロアの中に入っていくと「カウンセリングルーム」というプレートが貼ってある。ドアは開かれていて、受付のような場所には誰もいない。受付に立てかけられている小さいホワイトボードに「カウンセリング中のため、ソファに座ってお待ちください」という文字があった。

 里帆は大人しくソファに座って待つことにした。室内には静かな音楽と川のせせらぎ音が流れていて、緊張していた心が落ち着いてくる。ソファもふわふわで気持ちがよくてなんだか眠くなってくる。里帆は最近夜がうまく眠れなかった。これもこの悩みのせいだろうということはわかっていた。

「お待たせしました」
 うとうとしかけていたところに、奥のドアが開かれて慌てて立ち上がる。

「あ、はいっ!」
「えーっと、次の方のお名前は――」

 カウンセラーの男性は、受付にあるパソコンを確認していた。奥の部屋から誰も出てこないので、鉢合わせにならないよう出口が分かれているのかもしれない。配慮がしっかりしている。

「あの、四宮里帆です」
 パソコンから目を離した背の高い彼は里帆に視線を向けた。里帆も、彼を見上げる。

「……里帆?」
「え?」

 呼び捨てにされて里帆は一瞬怪訝な顔をした。けれどどこかで見たことのあるような彼の顔をまじまじと見ていると――。


「もしかして……わたるくん?」
「そう。びっくりした、久しぶりだな」
 驚いた顔から一気に表情を崩す。その笑顔は、はっきりと昔の彼を思い出させた。

 彼――桐ケ谷きりがや亘は、里帆の幼なじみだ。

「大人っぽくて一瞬わからなかったよ」
「里帆もな」
「社会人になってから会ってないもんね」

 四歳年上の亘は先に社会人になり、忙しさからか連絡が取れなくなっていた。もともと隣に住んでいた彼は社会人になってすぐに一人暮らしを始めて出て行ってしまっているので偶然会うこともない。なのにこんな場所で再会するなんて。

 驚きすぎてぼーっと亘を見上げてしまう。
 もともと身長の高い彼だったけれど、前よりも身体つきがしっかりしていて男性らしさを感じる。黒くてさらりとした髪は昔と変わらず、笑った顔は優しく、そのままでほっとした。

「……亘くんがカウンセラーなんだ」
「ああそうだカウンセリングだったな。とりあえず入って」
「う、うん」

 奥の部屋へ通されると、そこは白を基調にした清潔感のある部屋だった。大きめの窓は景色がよく、光が差し込んでいる。真ん中にテーブルがあり、それを挟むように大きめのソファが二つある。

「ハーブティー大丈夫か?」
「うん、好き」
 部屋の中にドリンクサーバーがあり、亘が飲み物を用意してテーブルの上に置いてくれた。

「……元気だったか?」
 淹れてくれたハーブティーに口をつけると、正面のソファに座った亘のやさしい声が聞こえた。

「うん。亘くんは?」
「俺も元気だったよ。昔から泣き虫の里帆のこと、気になってたけど」
「やめてよ」

 二人で笑い合う。亘は年上だからか、昔から里帆のことを気にかけてくれていて、いいお兄さん的存在だったし、里帆も優しい彼のことが大好きだった。

「でも亘くんがカウンセラーになってるなんて知らなかったよ」

 実家に帰った時はよく亘のことが話題にあがるけれど、どこで働いているかは誰も知らずに昔話をするばかりだったので、気になっていた。亘の母親に聞けばすぐわかることなのだろう。でもそこまで深く聞くのも悪いかと思ってためらっていた。

「うん、大学の時にこの道に進みたいなって思ったんだ」

 そういえば、亘が大学で何を学んでいるのかも知らなかった。当時高校生だった里帆の勉強をよく見てくれていたのに、どうして気づかなかったんだろう。

「カウンセリングは、この会社でだけ?」
「いや、臨床心理士の資格持ってるから、いろんなとこでやってるよ」
「……すごいねえ……」

 臨床心理士という資格についてよくわからないけれど、ひとつの場所ではなくいろいろなところで仕事をしている亘のことは純粋にすごいと思う。会社という場所が主体ではなく自分が主体だということだ。仕事に振り回されている里帆とは違う。

「里帆の仕事もすごいと思うよ。まさかこんな有名な会社に就職してるとは思わなかった。がんばったんだな」
 亘の変わらない柔らかい笑顔にほっとする。

 里帆は今の会社に憧れていて、幸いにも入社できた。大好きな商品に囲まれながらする仕事は大変だけど毎日が充実していた――はずなのに、今はただ暗い気持ちにしかならない。
 なんとかして、克服したい。

「世間話はそれくらいにして、ここに来たんだからちゃんと話聞くよ」
「あ、そうだった」

 昔話が楽しくて、半分忘れていた。どうせならこのままずっと話をしていたい気持ちもあるが彼にとっては仕事なのでそうはいかないんだろう。亘は、両手を開きハッとして顔を上げ、「ちょっとごめん」と一度部屋を出て、すぐに戻ってきた。

「アンケートを書いてもらわなくちゃいけないんだった。ごめん、ご記入をお願いします」
「はい」

 手渡されたバインダーに挟まった紙は、病院の初診の時によく見るアンケートだ。名前や部署、それから相談内容について。相談内容の欄にはまず選択項目があり、「雇用について」「人間関係」「ハラスメント」「その他」があった。里帆の悩みはどこに該当するのだろうと考えながら、「その他」にチェックを入れた。けれどその他の場合は内容を書かなければいけない。その先が書けなかった。「処女なのにラブグッズ開発なんて無理です」と叫びたいのに伝えられない。とりあえず他の項目は埋めたけれど、相談内容の詳細だけが空欄のままだ。

 里帆が悩んでいると、亘が「あ」と言って時計を見た。
「悪い、時間なくなっちゃったな」

 里帆も時計を確認すると、あと五分で三十分が経過してしまうところだった。スケジュールを見る限り彼の一日は多忙なので、延長するというわけにもいかない。空欄のままのアンケートを渡してソファから立ち上がった。

「ううん、久しぶりに亘くんと会えてうれしかったよ。アンケートは途中なんだけど、また来るね」
「また俺のいる時に一時間の予約を入れてくれると助かる。あーそうだ、今日夜予定あいてたら飯どう? 金曜だし、ゆっくり話したい」
「行きたい!」
 仕事のことなど忘れて反射的に答えていた。

「でも残業になったりするかも」
「いいよ。どうせ俺は今日七時までだし、待ってる」
 里帆の定時は六時だ。残業をするとしても一時間で帰れるだろう。それならちょうどいい。

「その時に話せるようだったら軽く話してよ」
「うん、ありがとう」
「じゃあ、仕事がんばって」
「亘くんもね」

 手を振って、カウンセリングルームを出た。やっぱり出口は違うところにあり、受付を通ることなくエレベータールームへとたどり着いた。
 里帆は思わぬ再会に心を躍らせていたが、自分のデスクに戻るとすぐに悩みの種を目の前にして長い長いため息を吐いた。

 その日はとりあえず新プロジェクトに関する資料作成と会議設定をして、午後を乗り切った。アイディアを出そうにもデスクの上にあるラブグッズを見るだけでもそわそわとしてしまうのに、自分に考えられるのだろうか。

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