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帝都のパスカエル グライアンの焦燥

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 パスカエルは秘匿された研究室で思考の海に沈んでいた。目をつぶりながら考えているのは、自分の研究と理玖についてだ。

(まさか王女が連れて帰ってくるとは……。だがそれならそれで構わない。不可解な点もあるからねぇ、リクくんの真意も確かめたい)

 ヴィオルガが帰国して一週間が経過していた。理玖がヴィオルガと共に入国したと聞いた時は先手を打たれたと考えていた。だが一週間経った今、ヴィオルガと理玖には何の動きもなかった。

(私を糾弾し、何かあった時の切り札にリク君の力を使ってくるかと思ったが。豚とは違い、そこまで短絡的ではなかったか。いや、しかし。何故リク君は自分の力を示さない?)

 パスカエルにとって不可解な事。それは帝国における理玖の立場だった。

 ヴィオルガはあくまで、皇国で雇った術士に勝る護衛だと言い張っており、理玖自身術が使える事を伏せている。今のところ、王女が皇国から連れて来た珍しい皇国人という印象だ。ヴィオルガの人脈形成以外に使われていない。

(伏せておきたい理由がある? だが少なくとも、リク君の狙いに私は入っているはず。……まぁいい。元々私はあまり表には出ないタイプだからね。このまま研究を続ければいい)

 向こうが血眼になってパスカエルを探している様子もない以上、そもそも会う機会も巡ってこないだろう。そうパスカエルは考えていた。

 だがそれならそれで、理玖が実際どれほどの術士なのか、気になってしまう。研究者としての悪い部分が顔をのぞかせていた。

(……いくつか手を打ってみるか? ふむ……)

 動かせそうな手駒はいくらでもある。そこまで考えて、パスカエルに別の思考が過ぎった。

「そうか……。そもそも相手は貴族ですらない。やりようはいくらでもあるではないか……!」

 いくら理玖が帝都に滞在しているとはいえ、力を見せない以上、所詮は王女のお付き。これまではもしかしたらの可能性も考え慎重な姿勢をとっていたが、ここで自分の優位性に気付く。そうなると理玖の事を別の目線で見る事もできる。

「うふふ……ふふふふ……。無能力者がいかにして力を得たのか……その血にはどの様な力が刻まれているのか……。そうだ、新たな研究対象がこれほど近くにいるのだ……」

 動き方次第では、理玖と共にヴィオルガの血肉もまだ狙えるかもしれない。そう考え、思考を整理する。そのタイミングで自分に声をかけている存在に気付いた。

「……生。先生」
「ああ、すまないね。考え事をしていたよ」
「いえ。いつもの事ですので。……グライアン王子からお会いしたいと連絡がきておりますが」
「ああ……」

 これまで自分の研究のため、グライアンとは協力関係を築いてきた。今では研究内容まで知られているので、面倒でもパスカエルとしても無視はしにくい。以前グライアンから言われた通り、ある意味で一蓮托生の間柄となっていた。

「適当に返事しておこう。それより、これを」

 そう言ってパスカエルは、木箱に入った数十本の杭を見せる。

「これを東大陸の霊影会に送っておいてほしい」
「これは……全て完成品ではありませんか。よろしいのですか?」
「ああ。データは十分だからねぇ。それに今は服薬タイプの完成に集中したいんだ」

 そう言うとパスカエルは、研究室の中心にある台座に置かれた赤い杭に視線を移した。偶然の産物でできたものだが、その有用性はレイハルトが示してくれた。

「うふふ……。ああ、そうだ……レイハルトですらドラゴンと化したのだ。くく……自分の閃きがおそろしくなるね。いずれ私の手で……選ばれし者達を次のステージへと導く……! だがそれにこれは不要だね。これは私の目指す理想とはベクトルが異なる。これも霊影会に送っておいてくれ」




 
 第一王子のグライアンは人生で最も焦っていた。その原因は帰国したヴィオルガと、近くに迫った誕生祭だ。

(くそ……くそくそくそくそ! このままでは……あいつが、テオラールが次期皇帝に決まってしまう! ふざけるな! あいつではだめだ、父上も何故それが分からん!? それにヴィオルガだ! あいつ、俺がパスカエルと結託して、皇国で亡き者にしようとした事に気付いているはずだ! 父上にも好き勝手話したはず……!)

 パスカエルに相談したい事も多いのに、当のパスカエルとは面会ができていない。このまま時を費やす事に、グライアンは不安を募らせていた。

 だがグライアンも帝国の王族。焦っていても仕事はある。今日も上級貴族の会合に呼ばれており、既に待たせてある状態だった。さすがにそろそろ行かなくてはと水を飲み、グライアンは部屋を後にする。

「お待たせして申し訳ない、ヘルムアン殿」
「おお、グライアン様」

 ルブレフト・ヘルムアン。上級貴族の一人であり、自身も有能な魔術師である。誕生祭も近いという事もあり、グライアンはこうした国内貴族との会合が増えていた。

 もうすぐ領地を持つ貴族も帝都に来るため、さらに忙しくなるだろう。ある程度話がまとまったところで、ルブレフトは少し声のトーンを落とす。

「殿下。部屋に入ってこられた時から思っていたのですが。少しお疲れではありませんかな?」
「おお……。実は最近、少々立て込んでおりましてな。顔に出ていたとは、いやお恥ずかしい」
「恥ずかしがる必要はありませんぞ。殿下には王族としての気苦労もあるでしょう。……実は私も最近、気苦労が多いのですよ」
「ヘルムアン殿ほどの方がですか……?」

 どこかに話を誘導しようとしている。そう感じつつもグライアンはルブレフトの誘いを受ける。

「ええ。誰が……とは申しませんが。最近、宮中で聖騎士を取り立てようという話がでておりましてな」
「ああ……」

 そういう事か、とグライアンは納得した。皇国から戻って以来、ヴィオルガは聖騎士団をより強固に組織化していこうという動きを見せていた。

 グライアン自身は、レイハルトに裏切られておきながら酔狂な事だ、と感じていたが、当の魔術師からすればそう見過ごす事ができるものではないらしい。確かに見方によっては、王族が聖騎士を取り立てようという風にも見える。

「何でも王女殿下が皇国で聖騎士に謀反を起こされた際、それに立ち向かったのもまた聖騎士だったらしいのです。ああ、殿下は既にご存じの話でしたな」
「え、ええ」

 聞いていないぞ、とグライアンは唸った。ヴィオルガとは口を聞いていないし、パスカエルとも会っていないのだ。

 ヴィオルガが皇国で具体的にどのようにして窮地を脱したのかは、漏れ聞く限りでしか知らない。

「聖騎士め、その時に自分たちの方が魔術師よりも有能であると、王女殿下に恩を売ったのでしょう。自分たちの不始末を自分たちで片付けただけなのに、忌々しい事です」
「心配せずとも、魔術師が聖騎士より優秀なのは周知の事実。妹の気まぐれ、飽きれば終わりですよ」
「そうだと良いのですが。どうも王女殿下は皇国で悪い影響を受けて帰ってきたのではないか、と心配しているのですよ」
「悪い影響、ですか」
「ええ。殿下もご存じでしょう。王女殿下が皇国より連れ帰った平民を」

 その話はかなり広まっていたので、グライアンも知っていた。皇国から連れてきた無名の剣士。だが術の使えない身でありながら、その実力は並の術士を上回るという触れ込みだ。

「そもそも王族の警護に平民を付けるなど、前代未聞です。いつまで王女殿下の気まぐれに付き合わされるのかと話している者は多いと聞きます」

 グライアンもルブレフトも、まさか平民の護衛がヴィオルガの言う通りの実力を持っているとは考えていない。

 そもそも魔力を持つ貴族に、正面きって勝てる平民など存在しないのだ。王族の戯れというには、少々行き過ぎている様にも思えた。だがグライアンとしては、ヴィオルガの印象が悪くなる分には構わない。

「それも合わせて、妹の気まぐれでしょう。昔からああいう突拍子のない事をしますからな」
「しかしいつまでも異国の平民如きに、王宮暮らしをさせる必要もありますまい。これはパスカエル様も話していた事なのですよ」
「……! パスカエル殿も!?」

 言われてグライアンは、目の前の男が西国魔術協会の所属であった事を思い出す。

「ええ。先日、お目にかかる機会がございましてな。王女殿下の話題になった時に少々……」
「そうですか……」

 グライアンは胸中で、自分には面会の時間を作らないのに、何をしているのかと毒づく。パスカエルには今後の事について、話し合いたい事が山ほどあるのだ。

 だがここでグライアンにある考えが浮かぶ。それはパスカエルは現在、何か事情があってグライアンには会えないが、この男を使って自分にメッセージを送ってきたのではないか、という事だ。

「……パスカエル殿は他に何か言っておりましたか?」

 グライアンの問いにルブレフトは薄く笑う。

「皇国の平民が、本当に王女殿下の言う通りの実力者であれば文句はないのだが、と話されておりましたな。しかし私たち、凡百の者では王族であるヴィオルガ様の話す事を疑う事ができません」

 何が凡百のだ、とグライアンは思った。上級貴族や広大な領地を治める大領主で、本気で王族に対して忠義厚い者など限られている。多くは持ちつ持たれつ、互いに益のある形で協力し合っている様なものだ。

 要するに同じ王族である自分に、皇国の護衛を試せと言っているのだとグライアンは理解した。それがルブレフトの意思なのか、パスカエルの意思なのかは分からないが。

(大衆の前で皇国の平民を降し、ヴィオルガに恥をかかせる。それを皮切りに聖騎士の台頭に楔を打つ。そんなところか。くだらん……が)

 もし自分が動いた場合のメリットを考える。ルブレフトの言い方では、今のヴィオルガのやり方に不満を覚えている上級貴族は多いのだろうと思える。そしてその中にはパスカエルも入っている。

 ここであえて思惑に乗ってやる事で、多くの魔術師や上級貴族を味方につけられる可能性があるのではないか。

(それにある程度、第一王子は御しやすいと思わせておいた方が、次期皇帝に推したいと思う者も増えるだろう。少なくとも何を考えているのかよく分からんテオラールや、魔術師として有能過ぎるヴィオルガよりは良いはずだ)

 こうして上級貴族や各派閥の意向をくみ取れるバランス感覚を持つ自分は、やはり次代の帝国を引っ張っていくのに相応しいとグライアンは考えていた。

「そうですね。妹が皆を不安にさせている事、兄として申し訳なく思います」
「いえいえ、そんな。そのようなつもりはございませんよ」
「ヘルムアン殿達の申される事ももっともでしょう。分かりました、一度妹には私の方から話しておきます」
「おお……! 感謝いたしますぞ、グライアン殿下」

さりげなくヘルムアン殿「達」と言い、自分の事を周囲に喧伝しておけと匂わせる。グライアンは、こんなやり取りが誕生祭まで続くと思うと、今から肩が凝りそうだった。

(理由は分からないが、こいつかパスカエルは皇国の平民を排除したいようだ。もしかしたらそれが俺を、次期皇帝に推すのに必要な事なのかもしれん。その可能性がある限り、やらない訳にはいかないか。まぁ平民の一人や二人、どうという事もあるまい)

 グライアンは、パスカエルは自分を皇帝にするための策を進めているのだと考えている。今回の事もそのための布石として、この男を使って伝えてきた可能性があると思っていた。

 何せ自分が皇帝となれば、パスカエルは今より研究がやりやすくなるのだ。自分とパスカエルの利益は決して競合しないだろう。

(さて……。そうと決まれば、早速何人か動かしておくか……)

 事が成った暁にはパスカエルにも会えるだろうと信じて、グライアンは動き始める。
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