93 / 114
第二章 NOAH
32 ヒュー・レファイエットの記憶 06
しおりを挟む「これにする」
目の前で、ぽかんとしている檻の中のノアにそう告げ、さっさと会計を済ませた。
同僚に無理やり連れてこられた奴隷市場で、ノアを見つけた時は、一瞬、固まってしまった。自分の年齢が、寿命に近い年齢だったこともあるし、前回の世界での苦しみを思い出したからだった。
モフーン王国での人生に終わりを迎え、次は、ユクレシアの魔術レベルと大差ない、砂漠の国へと転生した。
俺は、段々と、疲れはじめていた。やはり前の世界での別れは、じわじわと精神を蝕み、俺のことを疲弊させていった。そのせいで「氷の魔術師」だの、心が凍ってるだの、周りに言われたが、もう、正直どうでもよかった。
それに、この世界では、なかなかノアが転移して来ないから、もしかしたら来ないのではないかとも、もしも寿命近くにノアが転移してきてしまったら、どうしよう、とも、恐れる日々を過ごしていた。
そのせいもあって、一瞬、檻の中のノアを見て、身構えてしまった。
(でも、当たり前だ。放っておける訳なんてない…)
前回の別れを思い、あまり、ノアの近くに寄りすぎないように、生活することになった。主人と奴隷という距離感に救われていた。話し方も、距離のある話し方が定着していたのがよかった。ノアが楽しそうに過ごしているのがわかる距離。でも、近づいて傷つけることのない距離。どうせ、この世界でも別れはやってくるのだ。
前回みたいに、毎日が楽しすぎると、俺はまた不安で潰れてしまいそうになる。それに、ノアのことをまた傷つけてしまうくらいなら、人嫌いの、冷たい人間だと、思われたままでいればよかった。
だから、このまま、この関係性が続けばいいだろう、と思っていた。
だけど、変な夢を見て、なんとなく唆されてしまった。夢で会ったノアは、かわいくて、エミル・カシアフの姿でも、「ヒュー」と呼んで、笑いかけてくれた。夢は本当に都合がいいのだ。夢の中だというのに、ドーナツを用意しろだの、無視するなだの、文句を言ってきたのが、なんだか本物のノアにそう言われているようで、なんだか少し、ほっとしてしまった。
だが、本当に、掃除しながら眠っているノアを見つけた時は、驚いた。
まさか、掃除しながら眠ることができる人間がいるだなんて、思わなかったからだ。そして、もしそんな人間がいるとしたら、それはノアなような気もした。
ただ、ノアをお茶に誘いながら、俺は、自分が何を言いたいのか、よくわからなくなっていた。この世界でも、仲良くなりすぎれば、ノアのことを、きっとまた傷つけてしまうだろう。自分が辛いからと言って、ノアを傷つけてしまったことを思うと、二重に苦しくて、自分でお茶に誘っておきながら、どこかでもう、関わりたくないとばかり、願ってしまっていた。
だけど、自分ではどうしても踏ん切りがつかなくて、本当はずっと一緒にいたいという気持ちがどうしても抑えきれなくて、ノア本人に「諦めなよ」とでも、言って欲しくて、つい自分の話をしてしまった。でも、───
「その気持ちは、そのままにして、それはそれで大切にしてあげたらどうですか?」
悲しいことがあれば、思い出す度に悲しくなるけど、それでも、楽しかった思い出まで、全部なかったことにすることはない。
そんなことを言われ、「ああ」と、安堵のため息が漏れた。心の奥底まで、じわりとノアの言葉が、その優しさが、染み込んで行くような気がした。
(そうだ。どうして俺は、〇か百かみたいなことばかり、考えてしまっていたんだろう…)
どんなに辛い時があったとして、ノアと過ごした時間は、紛れもなく、大切な思い出だった。「諦めろ」と言われたところで、俺がノアのことを好きで、一緒に過ごした時間は、なくなるものではないのだ。
抱きしめたかった。好きで、仕方がなかった。もう、何にもなくてもいい。ただ、ノアの側にいたかった。
だけど、───俺がしばらく、その言葉を噛みしめ、ノアへの気持ちを、再認識している間、ノアは、ずっと、夢でも言っていた、水色のドーナツをじいっと見つめていることに気づいた。
俺がノアのことを見ているとも気づかずに、もう、頭の中はドーナツでいっぱいなのだろう。それを見ながら、思った。
(俺はあんなに苦しんだのに、ほんと…元気そうだな…)
つい、じとっと恨みがましい目で見てしまう。
よく考えてみれば、ユノの俺と、泣きながら別れた後だというのに、そんなことすっかり忘れてしまったかのようだったことを思い出した。俺が必死で距離を取ろうとしているというのに、反応もしないようにしている俺に、毎日にこにこと、元気に距離をつめてきた様子を思う。
にこにこしているノアがかわいくて、仕方がないのと同時に、こうして、話しかけてみたノアは、本当に、なんだか本当にいつも通りのノアで、八つ当たりなのは分かっていたが、ほんの少しだけ、苛立ちが、募った。
別に泣き暮れていてほしいだなんて、思っていたわけではないのだ。でも、目の前でドーナツのことばっかり気にしているノアを見ていると、───。
(ほんと…ドーナツがあれば、幸せか。ノアは)
ノアが元気な方がいいに決まっているのに、ユノだった俺との別れなんて、すっかり忘れてしまったかのような様子に、なんだか不貞腐れてしまった。そして、少しくらい、ノアが怖い目に遭えばいいのに、みたいな、ひねくれた考えが頭をよぎった。
そこからは、カラバトリ近郊にサンドワームが大量にいるのをいいことに、意地悪なことばかりして、過ごしてしまった。でも、涙目で、必死に縋りついてくるノアが、かわいくて、なんだか癖になってしまった。いじめているのは俺なのに、この世界の中で、俺だけが頼られてる、みたいな安心感があった。泣き疲れて俺の腕の中で眠ってしまうノアを見て、もっとかわいくて、仕方なかった。
そして、泣きながら眠っているノアの涙を拭いながら、ようやく、ハッと冷静になり、思うのだ。
(あれ…なんか、歪んで、きてるな……)
それでも、結局、砂漠は砂漠でそれなりに楽しい生活を送ったのだ。
ユノの時よりは、距離感が掴めてきたのかもしれない。他の世界では類を見ないほど、ノアは涙を浮かべてばかりだったけど、時の塔で、見せたいと思っていた、砂漠の夜空も一緒に見ることができた。
そうやって過ごしていれば、やっぱり、認めざるをえなかった。いや、そんなこと、わかっていたが。どんな距離感でも、どんな関係でも、俺は、ただ単純に、───ノアのことを愛していた。
辛い思いをしても、どんなに時間がかかっても、この世界では距離があったとしても、どうしても、どうしても、手に入れたかった。
「ノア。私はやっぱり、ノアに会えてよかった」
一・二年目は、いつまたノアが突然いなくなるかと、怯えながら過ごした。
ノアは今回も、一緒に転移してきたあの神子の『結末』の日に、帰ってしまうという予測をしていた。
だが、あのヘラヘラした国王と、あの神子が、くっつくんだか、くっつかないんだか、よくわからない関係を続けていたせいで、俺はずっと苛立ちながら、その結果を待つことになった。流石のノアも、三年目・四年目は、「いい加減くっつけよ」みたいな目で、神子のことを見ていたような気がした。
俺は、三年目に入ったあたりで、あれだけ苦しんだことも忘れ、こんなに長くノアがいるんだったら、さっさと関係を築いて、丸め込んでしまえばよかったと、後悔しはじめていた。だけど、その頃には、もうすっかりノアは、俺に怯えていたし、主従の距離感も確立されていた。今更「好きだ」と言ったところで、無理だろうな、という感じがしたのもある。後、流石に、もう終わるだろうと思っていたのもある。それで、そのまま意地悪を続ける日々を送ってしまった。
それでも流石に四年目は、本当に後悔の日々だった。
←↓←↑→↓←↑→↓←↑→
「え??ルクスってなんですか??」
そう、ノアが叫んだ時、俺の中にあった違和感が、全て明確な線で繋がった。どうして、フィリーニ・クレーティの時、あんなに頑なに関わりたくないと言っていたのか、「毎回好きな人ができてしまう」という発言も、どうして、この世界では、関わりたくないと言わずに、ユノとの別れの後だというのに、やたら俺に話しかけて、明るく楽しそうにしていたのかも。
そして、ノアが身につけていたアクセサリーにも、合点が入った。
(順番が…!違うのか!!)
そう思った瞬間に、ノアは白い光に包まれて、チキューへと帰って行った。
身構えていたのもある。今回は距離があったのもある。そして、自分の寿命が近かったこともある。そのおかげか、ユノの時ほど、別れは衝撃的というわけではなかった。だけど、それよりも、驚愕すべき事実に気がついた。
確かに、順番が俺の時系列と同じだという道理はなかった。
あのノアは、この国で俺があげた、組紐を、他の世界でもしていたのだから、まだ、モフーン王国にも、ヴェネティアスにも、行っていないノアのはずだった。
自分の、致命的な間違いに気がつく中、ふと、思った。
(チキューへの帰還…)
ノアがいなくなる様子を見ながら、あの白い光は、一体どういう仕組みで発動しているんだろうかと、しばらく空を見上げていた。魔法陣ではない。何か強大な力によって、転移を良しとしているのだ。
ノアは制約がある魔法だと言っていた。
制約がある魔法というのは、ごくごく普通のことだった。魔法陣に『限定』があるように、魔法は『制約』によって強まるものが多々ある。だからそれ自体は、不思議なことではないのだ。だが、何かが引っかかる。
(なんだろう…)
チキューには魔術の類はないと、ノアは言っていたのに、明らかに魔法を駆使した方法で、転移しているように見える。また、妹が関わっているんだろうか、と、思い、ラウマに揺られながら、首を傾げる。
ノア自身に、そんなに高度なことができない以上、誰かがノアを転移させているのだ。でも、ノアは、チキューでは全然友達がいないと言っていたはずだ。
あるとすれば、家族。
(まさか、妹が??)
いや、でも、妹だってそんな力があるのなら、とっくに自分で異世界転移をして、冒険をはじめているだろう。ノアの話を聞く限り、異世界への憧れがすごい様子だったから。
順番、順番、と考えながら、じゃあ、今別れたばかりのノアは、次、どの世界に行くんだろうか、と考えて、ハッと気がついた。
(そういえば、ノアは外見が……)
この四年間で、ノアは流石に、少し大人っぽくなっていた。
正直、色気が増して、艶っぽくなっていて、本人は全く気がついてなかったが、周りからの視線も色を含むものに変わっていった。元から、ノアの顔は、中性的ではあるが、整っていて、綺麗なのだ。少年…は言い過ぎかもしれないが、まだ学生、という雰囲気から、青年へと変わっていく姿は、硝子細工のように繊細な、美しい何かに生まれ変わるようで、見ていて、こっちが不安になるほどだった。
他の世界でのノアは、数ヶ月であったり、長くても一年だったから、そこまで気にならなかったが、順番が逆だと言うのなら、それはおかしかった。俺は、四年間で大人っぽくなった、今別れたばかりのノアに、俺は他の世界で、会ってないのだ。ノアがルクスを知らなかった以上、最低でも、モフーン王国では、あの大人っぽくなったノアでないとおかしかった。
どういうことだ、と、首を捻る。
(チキュー自体が、そう言った異常事態を修正する能力があるんだろうか…)
そして、再度思う。ノアの転移を可能なものにしている、制約があって、強大な力を持つ、何か、───。
そう考えて、一つ思い当たる存在があったが、そんなことは、流石にありえないか…と、考え直した。そもそも、魔術の類がないチキューに、そんなものが存在するはずはないか、と、思ったのだ。
24
お気に入りに追加
1,003
あなたにおすすめの小説
虐げられ聖女(男)なので辺境に逃げたら溺愛系イケメン辺境伯が待ち構えていました【本編完結】(異世界恋愛オメガバース)
美咲アリス
BL
虐待を受けていたオメガ聖女のアレクシアは必死で辺境の地に逃げた。そこで出会ったのは逞しくてイケメンのアルファ辺境伯。「身バレしたら大変だ」と思ったアレクシアは芝居小屋で見た『悪役令息キャラ』の真似をしてみるが、どうやらそれが辺境伯の心を掴んでしまったようで、ものすごい溺愛がスタートしてしまう。けれども実は、辺境伯にはある考えがあるらしくて⋯⋯? オメガ聖女とアルファ辺境伯のキュンキュン異世界恋愛です、よろしくお願いします^_^ 本編完結しました、特別編を連載中です!
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします。……やっぱり狙われちゃう感じ?
み馬
BL
※ 完結しました。お読みくださった方々、誠にありがとうございました!
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、とある加護を受けた8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 独自設定、造語、下ネタあり。出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。
★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!
たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった!
せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。
失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。
「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」
アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。
でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。
ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!?
完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ!
※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※
pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。
https://www.pixiv.net/artworks/105819552
【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」
洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。
子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。
人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。
「僕ね、セティのこと大好きだよ」
【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印)
【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ
【完結】2021/9/13
※2020/11/01 エブリスタ BLカテゴリー6位
※2021/09/09 エブリスタ、BLカテゴリー2位
ヒロイン不在の異世界ハーレム
藤雪たすく
BL
男にからまれていた女の子を助けに入っただけなのに……手違いで異世界へ飛ばされてしまった。
神様からの謝罪のスキルは別の勇者へ授けた後の残り物。
飛ばされたのは神がいなくなった混沌の世界。
ハーレムもチート無双も期待薄な世界で俺は幸せを掴めるのか?
普通の学生だった僕に男しかいない世界は無理です。帰らせて。
かーにゅ
BL
「君は死にました」
「…はい?」
「死にました。テンプレのトラックばーんで死にました」
「…てんぷれ」
「てことで転生させます」
「どこも『てことで』じゃないと思います。…誰ですか」
BLは軽い…と思います。というかあんまりわかんないので年齢制限のどこまで攻めるか…。
婚約破棄したら隊長(♂)に愛をささやかれました
ヒンメル
BL
フロナディア王国デルヴィーニュ公爵家嫡男ライオネル・デルヴィーニュ。
愛しの恋人(♀)と婚約するため、親に決められた婚約を破棄しようとしたら、荒くれ者の集まる北の砦へ一年間行かされることに……。そこで人生を変える出会いが訪れる。
*****************
「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく(https://www.alphapolis.co.jp/novel/221439569/703283996)」の番外編です。ライオネルと北の砦の隊長の後日談ですが、BL色が強くなる予定のため独立させてます。単体でも分かるように書いたつもりですが、本編を読んでいただいた方がわかりやすいと思います。
※「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく」の他の番外編よりBL色が強い話になりました(特に第八話)ので、苦手な方は回避してください。
※完結済にした後も読んでいただいてありがとうございます。
評価やブックマーク登録をして頂けて嬉しいです。
※小説家になろう様でも公開中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる