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第二章 NOAH
31 ヒュー・レファイエットの記憶 05
しおりを挟む「ぎゃああああああああああ」
黒猫の被り物をしたノアを、追いかけているところだった。
久々に会えたというのに、俺は、前の世界でのイライラを引きずってしまって、どうもノアにその苛立ちをぶつけたくて仕方なかった。
ノアが悪いわけでもないことは、分かってる。ただ、意地になってただけだった。
おそらくは、あの被り物の下で、まっ青になって逃げ回るノアを見ながら、思ってることはただの煩悩だった。
(黒猫…かわいい…まずい。すごく、いい匂いがする)
獣人として、敏感になった嗅覚は、今までの何千倍もの勢いで、ノアの匂いを甘いもののように認識していた。
次の転生先であったモフーン王国では、使える魔法の制限がひどかった。またしても、六、七歳で、記憶を取り戻した俺は、そのあまりにお粗末な魔法のレベルに、渋々騎士を目指すことに決めた。
ノアが騎士に憧れているようなことを言っていたこともある。
それに、魔法がないところで魔法ばかりを研究していると、きっと、やきもきして、不安になるだろうと思い、珍しくも、体を動かす方を選んだ。今までも、ある程度は体を作っていたが、この世界では、本格的に鍛えることになった。
身長も、今までよりも高く、抱きしめればノアの体がすっぽり収まってしまうかもしれないな、と思っていた。
でも、この世界では、自分の容姿が違うことも、不安だった。ノアに会って、好きになってもらえなかったら、ノアが俺の顔だけを好きだったらどうしよう、と、落ち着かない毎日を過ごした。
「行ってらっしゃい。ユノさん」
そう言われて、どうしたって、嬉しさが溢れ、尻尾が揺れてしまう。
俺に怯えて、一緒に住みたくなさそうだったノアにも、自分が追いかけ回したせいだとは分かっていたのに、はじめは、ちょっとイラついていた。でも、そんな気持ちは、すぐにどこかへ行ってしまった。
一緒にいられることが嬉しくて、一緒に朝飯を食べて、一緒に夕飯を食べて、ずっとノアが同じ家にいてくれるのだ。俺ばっかりが浮かれてるのが悔しくて、意地を張って、しばらく冷たく当たってしまったが、当たり前だが、一緒に時間を共にしているうちに、俺の荒んだ心は、だんだん癒されていった。
元より、ユクレシアでも、ノアが近くにいれば、胸に安堵が広がり、俺は暗い思考に取りつかれることもなかったのだ。一緒にいないと、不安で仕方ないが、側にいてくれるなら、俺は、───。
ノアと、小さな家で一緒に過ごしていれば、当たり前だが、想像してしまった。
(もし、家族になれたら、こんな風に…ずっと…)
今までは、魔法でどうにかなっていた家事も、この世界では難しかった。空気中の魔素がおそらく薄いのだ。俺は少しずつ、その魔素を特殊な方法で抽出し、いざと言う時は、使おうと思っていた。
ノアはかいがいしく、家をきれいに保ってくれたし、料理もしてくれて、「いってらっしゃい」と送り出されて、「おかえり」と迎えてくれる生活は、正直、夢みたいだった。この世界は平和で、色んな美しい場所があったから、ノアは、連れていく度に、すごくうれしそうに笑ってくれた。その笑顔を見るだけで、顔がゆるんでしまった。
ユクレシアの天幕をうっかり出してしまい、その内装を瞬時に変えるために、貯めていた魔素を使い切ってしまった時は、本当に、焦った。魔法が使えない世界ほど、俺に向いてない場所はないな、と、改めて思った。
(地球でも、魔法が使えるといいんだが…)
ノアが、俺を召喚した魔法陣を、発動することができたんだから、ある程度の魔素は空気中に含まれているのだろうとは、予測している。
ユノである、俺の顔も、そこそこ整っているとは思うのだが、はじめ、ノアは、ヒューの顔の時ほど反応しなくて、がっかり半分と、ほっとしたのも半分。だけど、一緒に過ごしているうちに、ノアは徐々に、困惑していくように見えた。それを見ていると、ああ、俺の内面を、好きでいてくれてるんだ、と感じられて、手はほぼ出せなかったけど、それでも、嬉しかった。
楽しくて、楽しくて、嬉しくて、こんな毎日がずっと続いて欲しいと、願ってしまった。
でも、それが、間違いだった。
リビィに、ノアが後三ヶ月しかいないと聞いた時、心臓をぐちゃぐちゃに引き裂かれたかのような、衝撃が走った。分かっていた。分かっていたのに、と胸に手をやりながら、思った。
(いなくなってしまうのか……)
希望を持って研究に打ち込んでいた、ユクレシアの最期とは違った。
ヴェネティアスでは、毎日ノアのことを考えて、いつか、また、と、手の届かない物に手を伸ばし続けるような、そんな感覚のまま、あの世界の最期を迎えた。きっと会える、と信じたくても、きっとチキューに届くと信じたくても、ノアが、それまでに、他の人間を好きになってしまうのが怖くて、恐ろしかった。
この世界には、俺が打ち込める異世界転移の情報も大してなく、これから先、ノアがいなくなってしまったら、俺は一体、何をして、自分を保っていけるのか、全く想像もつかなかった。
ノアは、意地を張っていた俺のことを、見捨てることもなく、楽しそうに過ごしてくれていた。やっと安心できた矢先のことだった。この手にした、理想の生活を手放し、また、何年も何年も、不安に苛まる生活になるんだろうか、と、その恐ろしさに、生まれてはじめて、思考が停止した。
ノアを苦しめることだけはしまいと、ずっとずっと、我慢していたのに、気がつけば、あれだけ、言わないようにしようとしていたことを口走ってしまった。
「好きなんだ、ノア。お前のことが、ずっと、ずっと好きなんだ」
そう伝えた瞬間、俺の中で、ずっと我慢していた何かの線が切れたように、そう、多分、欲望のタガが外れてしまったのだ。
もうノアのことを監禁してしまおうと思った。もう、帰れなくしてしまえば、こんな苦しい想いをしなくて済むのに、と、恐ろしさのあまり、俺の頭の中は自分のことでいっぱいだった。
でも、額を弾かれて、ハッとした。
鎖をつけられても、ノアは相変わらず、にこっと笑って、許してくれた。こんな恐ろしい目に遭いそうだというのに、どうして笑ってくれるのかと、どうしてこんな俺を許してくれるのかと、いつもみたいに思った。もしも「どうして怒らないんだ」と、ユクレシアの時のように尋ねれば、きっと「だって怒ってないから」と言って、ドーナツを食べ出すのだろう。
そのノアの笑顔を見て、もう泣きそうだった。
こうやって、いつだって、ノアは、俺がどんなことをしても、許してくれる。どんなことをしても、俺だから、という理由で、そのままを受け止めてくれる。ユクレシアの時から、変わらない、ノアだった。
そして、そのノアを、ノアたらしめているのは、ノアが愛している家族なのだ。
ぐっと奥歯を噛みしめる。
(離れたくない。ずっと一緒にいたい。でも、───……)
俺は、ノアがいないとだめなんだと、思い知らされた。
俺は、ノアが近くにいてくれないと、今までみたいに、自分を保てなくなっていることに気がついた。ユクレシアでは、魔術の技術で保っていた体裁が、ノアに出会うことで、魔術ができなくても好きでいてくれる存在に会うことで崩壊してしまっていたのだ。俺はおそらく、ノアに許されたいんだと思う。もっと強い人間であれば、と、もっと自分に自信がある、明るい人間であれば、と何度も思った。でも、家族につき離された過去は、しつこく俺に付き纏い、中々それを許してくれない。
ノアがいれば大丈夫なのに、と思ってしまう。一緒にいれば、自信も増えていくような気がするのだ。純粋に、愛する人を守れる力がある自分を、好きになれそうな、そんな気にもなる。
でも違うのだ。きっとノアは、───
(ノアは、別の誰かでも、きっと…)
俺だけが、ノアでないとだめなのだ。
どんなに俺が、がんばって手を伸ばしても、ノアが俺の手を取ってくれる、という自信がなかった。守りたい、慈しみたい、そういう優しい気持ちも、ある。でも、それはノアが横にいてくれるから、そう思えるだけだった。
段々と自分の中の黒い気持ちは広がって、ノアがいなくなってしまったら、もう、なんだか元に戻れないような、そんな予感がしていた。
ただ、くっついていたくて、離れたくなくて、ノアのことを抱きしめては、でも、うまく言葉が出てこなかった。もっと楽しく過ごしたいのに、寂しさが勝ってしまう。そんな人間、一緒にいても、きっと嫌だろうな、と思って、余計に悲しくなった。
そうして、別れの時は、来てしまった。
「行かないで、お願い。ノア。俺のこと、置いてかないで」
口から出てきたのは、もう、体裁もなりふりも何もかもを捨て去った後の、ただの願望だった。今までは、ノアの幸せを優先させることができたのに、もうそんな余裕もないことに、驚きを隠せなかった。
色んなことが、怖くて、怖くて、仕方がなかった。
目の前の温もりを、再び感じることができるまでに、一体また、何年の時間を経ないといけないのかと、涙が溢れた。
(辛い…苦しい……もう、──…)
俺は、ノアがいなくなったソファで、ただ、ずっと丸まっていた。どれだけの時間、そうしていたのかはわからない。目の前には、なんの気配もなく、甘い香りもしなければ、慰めてくれる優しい言葉もなかった。
一年間、一緒に過ごした部屋には、もう、俺しかいなかった。
もう、いつの間にか、外は暗くなっていた。
(俺は、───…もう、だめかもしれない)
ただ、ズバアアアンと大きな音がして、そんなものどうでもいいと一瞬思ったのだ。それでも、なんだか、見た方がいいような、そんな気がして、ふと外に出てみたのだ。夜空に広がっていたのは、──…
「ヒューだいすき……」
ふっと笑いが漏れた。
こんなバカなことをするのは、きっと、ノアみたいな奴なんだろうな、と思った。どこのヒューという名前の人に向けて、誰が打ち上げたのかは知らないが、ほんの少しだけ、気が紛れたのを感じた。
悲しくて、悲しくて、もう、諦めてしまいたかった。でも、こんなにへこたれてばかりいたら、またノアに「根暗」と言われてしまうな、と思って、少しだけ、気合を入れた。
花火の文字が、消えるまで、ずっと、夜空を眺めていた。
家の中に入り、雪原で撮ったノアの映像水晶を、しばらく見つめていた。雪の中で見る大好きな人の笑顔は、いつもよりも、もっときれいに見えて、胸が締めつけられた。その笑顔を見て、恥ずかしくも、涙ぐみながら、唇を噛みしめる。
自分に言い聞かせるように、何度も思った。
(あと少し。あと少しだから……)
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