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第一章 HUE

58 <ユクレシアの記憶10>

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「えー………どっち。これ、どっちが正解」

 僕は一人、頭を抱えていた。部屋のすみっこにある椅子の上で、先ほどから、体育座りをしているわけだけど、なんら、解決方法も正解も、浮かぶ気配はない。

(な、な、なんで僕はこんな、初夜の前みたいなすごい緊張感で、ヒューが風呂から出てくるのを待ってるんだ……)

 そんなことを考えながら、ただただ、昼間のヒューの言葉を繰り返し、繰り返し、反芻している。窓際に置いた鞄の中から、普段は何にもないかのように気配を消している邪神が、ひょこっと学生鞄から顔を出した。

「あっはっはっはっは。別れるとわかってて、抱かれるか悩んでいるのか。帰りたいのか、帰りたくないのか、この葛藤の味よ。家族か想い人か。くっくっく」
「………」
「ほら、相談くらい聞いてやろうか。恋愛の酸いも甘いも知り尽くした、この経験深き男である我輩が、話くらい聞いてやらなくもないぞ」

 僕は、邪神とは名ばかりの、面白二等身猫に、相談などしたくなかった。
 そもそも、邪神に恋愛の相談をしなくてはいけないなど、相手を呪い殺したいほど愛してしまったときの一点張りだ。僕にそんな「君を殺して僕も死ぬ」的なおかしな属性はない。それともこれから呪い殺したいほど愛してしまうフラグなのか。そうなのか。

(そんなわけねー…)

 僕は、いくら自分が悩んでいようとも、邪神に相談することはなかった。が、だというのに、ペラペラと邪神はしゃべり出した。

「肉欲は、恐ろしいぞ。一度知ると、なし崩しだ」

 僕が聞きたくなくても、目の前で話している猫の話は、どうしても聞こえてしまう。僕は、ごくっと喉を鳴らした。少しだけ、想像してしまったのだ。というか、僕はもう、挿入以外のことを、何気に、全てされてしまっているんじゃないか、と思うのだ。
 あの、昼間の姿からは、想像もつかないような甘い視線で絡め取られ、口の中を舐めまわされ、体中に唇を落とされて、性器をしごかれて。後は、もう、ーーー、と考えて、挿入の前に、もう一つだけ、されてないことがあることに、気がついた。
 そして、その瞬時に、あの、僕が常々、王子様みたいだ、と思っている、きれいな顔のヒューが、その唇で、とあるところを、愛してくれてる想像をしてしまった。

(あっあっわああああ……ぼ、僕はなんてことを……!)

 僕はまっ赤になって、体育座りしている膝に顔を埋めた。そして、いてもたってもいられなくなって、バタバタと足を動かした。

(だ、だめ。無理。無理すぎる。そんな、そんなことできない…)

 バタバタしている僕を見て、邪神すらも、若干、呆れた様子で、無言になった。キス一つで、勃起してしまう僕である。これ以上のことに耐えられるわけはなかった。でも、問題は耐えられるかどうか、ではないのだ。
 風呂から上がったヒューはきっと、僕に尋ねるだろう。どうするのかを。僕が耐えられるか、耐えられないか、ではなくて、僕がどうしたいのか、なのだ。

(僕は、ーーー…)

「だがな、肉欲は人間の本能でもある。恋しい相手と繋がる性交は、お前の想像を絶するぞ。あの魔術師は器用そうだしな」
「………」

 もう、どうでもいいよ、と内心思った。邪神は、面白がって、僕の決意をかき混ぜたいだけなのだ。ヒューが器用なことなんて、もう知ってる。経験はおそらくないくせに、あんなにも、僕は翻弄されて、大変なことになってしまうのだ。きっと、きっとヒューは、優しくしてくれるだろうな、と思う。が、そこまで考えて、また、なんてことを考えてるんだ僕は、と、恥ずかしくて悶え死にそうになった。

(うおおお……)

 そして邪神は言った。

「助言をしてやろう。どうせ悩んだって、結果は決まってるんだから、無駄だぞ。それに、その方が、後々面白いことになりそうだからな」

 ただの、邪神の希望だった。全然、経験深き男の助言じゃなかった。
 それだけ言って、邪神は僕の学生鞄に戻り、その丸い手で、じじじと自分でジッパーを閉めた。
 しかしながら、一体どこまで、なんでも、お見通しなのか。全くもって、忌々しい。僕は再び心の中で呟いた。

(……邪神め!)

 そして、浴室の扉が開く音がして、僕はもう、膝から顔をあげることができなかった。


 ←↓←↑→↓←↑→↓←↑→


「こんな隅で、何やってんだよ」

 ため息まじりに、ヒューの声が聞こえた。何をしているのかって、僕にもよくわからなかった。とにかく、何かから逃げ出したくて、逃げ出しくて、すみっこで縮こまってみたけれども、何かから逃げ出せた気はしなかった。そもそも、何から逃げているのかすらも、よくわからなかった。
 僕は、とにかく、もうどうしていいか分からなくて、ただ、心臓はばくんばくんと音を立てていて、それでも、膝の上から顔をあげることができずにいた。
 ヒューが言った。

「静かだな」
「………」
「ほぼ、誰もいない夜の街っていうのは、すこし怖いな」

 僕は、相変わらず、膝から顔をあげることはできなかったけど、珍しく、ヒューが感情のことを話したから、僕はぽそりと言葉を返した。

「……ヒューも、怖いこと、あるんだ」

 ドーナツ以外で。
 ぎゅっと足の指を丸め、背中も丸め、僕は自分の限界まで、小さくなろうと、してるみたいだった。ヒューが僕の目の前に立っているのがわかる。でも、僕は椅子の上で体育座りをしているから、僕の頭からは、ヒューのお腹の辺りしか見えなくて、ヒューがどんな顔をしているのかは、わからなかった。

「あるよ」

 ヒューがそう言うのが聞こえた。
 ヒューは、何故かドーナツが怖いとかいう、本当に変な人だ。でも、怖い『こと』は、あんまりなさそうだな、と思っていたのだ。意外な答えに、「え?」と、思わず、顔をあげてしまった。そうしたら、屈んだヒューの顔が、目の前にあって、大好きな人の顔が、視界いっぱいに広がって、ドキッと心臓が跳ねた。
 そのまま、ヒューがちょっと恥ずかしそうに、言った。

「今夜、断られたら、どうしよう、とか」
「!」

 不貞腐れたみたいな顔。ちょっと、頬が赤い。
 僕は、きっと、顔はまっ赤になってしまっているだろう。眉毛はきっと、下がりきっているだろう。僕は、僕は、目の前の、僕の目の前にいるヒューのことが、大好きで、大好きで、大好きだった。

(………あ、あ、そんな顔されたら。だめだ……)

 ヒューの顔が、屈んだまま、近づいてきて、ちゅ、と唇で音がした。大好きな人が、目の前で、恥ずかしそうな顔をしていて。こんな優しいキスをされて。ぶわっと胸のあたりで、どうしようもない気持ちが広がる。
 僕はもう、抗えなかった。

 膝を抱えていた手を動かし、震える指先を、目の前のきれいな男に、伸ばす。ヒューの首に両手をまわし、ゆっくりと、ちゅ、と頬に唇を落とした。すこし、怖くて、まつ毛が震える。ゆっくり、こそっと、ヒューを見たら、ちょっと伏目がちにじっと見てるヒューの目と、目があった。そして、尋ねられた。

「いいの?」

 ちょっと、ヒューも緊張してる気がした。
 僕は、こくん、と、うなづいた。恥ずかしくなって、まっ赤になって、顔を横に逸らしてみたけど、この距離だと、それすらも丸見えなはずだった。僕はもう、涙目だった。ヒューの首に回した手がピクッと震える。
 そして、膝裏をそのまますくい取られた。

「ひゅ、ひゅう?!」

 そのまま、横抱きにして、大きなベッドまで運ばれてしまった。とす、と柔らかい音がして、僕は、もう、ベッドの上だった。身長だって、そこまで差があるわけではないのに、ひょいっと持ち上げられて、びっくりしたけど、すごい力だねとか、伝えたかったけど、僕の頭は、もう、これからの起きること、の、ことを考えるのに、いっぱいいっぱいで。それすらも、そんな言葉すらも、もう出てこなかった。
 ちゅ、と唇を落とされる。
 胸がきゅうっと絞られたみたいな感覚。
 ちゅ、ちゅ、と、色んな角度から、唇を啄まれ、次第に、僕の唇は開き、すこしずつ、濡れた音が響いていく。呼吸ごと、ヒューの唇にのまれてく。弱いところを、器用な舌先にいじられて、「ん」と、鼻にかかった声がもれた。

(好き…好き、ヒュー…)

  大好きな人の、優しい顔が、視界いっぱいに広がる。その優しい顔を見て、幸せで、幸せで、すごく幸せなのに、不安になる。

(でも、本当に…本当に、大丈夫?)

(僕は、いなくなってしまうのに…こんなの…)

(ヒューは…本当に、大丈夫かな……)

 僕がじっと見つめているのがわかったのか、ヒューはちらっと僕のことを見て、「はあ」と、いつものように嫌そうにため息をついた。そして言った。

「そんな顔すんな。お前が考えてることくらいわかる」
「ひゅう……」
「いつもみたいに、ぼけっと夢、見とけよ。いいんだ。お前は、好きな男に抱いてもらうだけだ」

 好きな人に抱いてもらう。それは、その通りだった。でも僕の不安は、僕のことではないのだ。僕は、ヒューのことが好きで、ヒューと別れて辛いのは僕で、それで、それでも、そう、それでも、僕は、好きな男に抱いてもらいたい、だけなのだ。さっきから、僕が気にしているのは、ヒューのことなのだ。
 僕のこと、好きじゃないって言ってたけど、流石に、好きじゃない人を、しかも男を、わざわざ抱くんだろうか。もし、もしも、ヒューが、僕のことを好きだったら、これは、やっぱりよくないことのような気がする。
 僕が黙っていると、ヒューが言った。

「どの道、魔王を倒せなかったら、この世界は終わりだ。どうせなら、最後にいい思いしときたいだろ」
「そんな、大丈夫だよ。ちゃんと、魔王は倒せるよ」

 ちゃんとシルヴァンエンドをクリアした僕が言うんだ。
 ヒューたちは、ゲームの中よりも、ずっとずっと強い。それに、僕は魔王の倒し方だって、ちゃんとわかっているのだ。絶対に、絶対にヒューたちのことを、この世界を、終わりにさせたりなんか、しない。
 僕が大丈夫だ、と、考えこんでいると、パサッと音がした。

「ノア」

 ヒューに呼ばれて、顔をあげた。
 僕の目の前には、半裸の、ヒューがいて、僕はびっくりしてしまった。目の前にあらわになった、ヒューの体に、僕は、ごくっと喉を鳴らしてしまった。多分、僕の顔は、まっ赤なはずだった。

(何、魔術師って、あんなに体鍛えてるもの?!)

 引き締まったヒューの体を、舐めるように見ていたら、すぐに限界を超えた。思わず、両手でバッと顔を隠した。それでも、見るのをやめられなくて、指の間からちらちら見てたら、ヒューが怪訝そうな顔をして、首を傾げた。
 僕は小さくつぶやいた。

「どうしよう…」
「え?」
「ヒューがかっこ良すぎる。何それ。何その体。かっこ良すぎて、直視できない!きれいが過ぎる!」

 一瞬、呆れたような顔をしたヒューは、僕の着ていたシャツの前を広げると、そのまま、ぺたりと、僕の体の上に、乗り上げた。直接触れる、肌の温かさに、その、なめらかな感触に、僕は、ビクゥッと体を震わせた。両手を絡められ、首筋に、ヒューの唇が落とされた。

「ふ、あ」

 ちゅ、ちゅ、と音を立てながら、優しいヒューの唇が、肌を降りていって、僕の口から、熱い息が漏れた。ベッドに縫いつけられた手は、ぎゅっと愛おしげに、指を絡められ、それだけで、僕はなんだか、泣き出してしまいそうだった。

(気持ちいい…裸で触れ合うのって、気持ちいいんだ…)

 思わず、ヒューの唇に、ヒューの体温に、うっとりと身を委ねた。触れたところから、ヒューの優しさが伝わってくるみたいで、ちょっと、気恥ずかしい。しばらく、僕の肌を這っていたヒューの唇が、僕の手を持ち上げて、その指先に触れた。
 唇は、だんだん下がって、手のひらに、ちゅ、と口づけられた。

「ほら、言えよ。本当はどうしたいのか」
「ひゅう…」
「いいんだよ。先のことは、後で考えよう。ノア。今、どうしたいかでいいだろ」

 ヒューの舌が、れ、と、僕の手のひらを舐め、ぞくぞくっと快感が走った。

(あ…あ…だめ……だめだ…)

 じっと見つめられ、どうすんだよ、と、視線で問いかけられる。僕は、まっかになっていて、眉毛を下げて、ふるふると、震えていた。どう考えたって、僕は、どうしたって、僕は、目の前のヒューの、もう、ヒューのものになってしまいたかった。僕の口から、はあっと漏れた熱い息は、期待にみちていた。
 ヒューは僕の思考でも読んだかのように、言った。

「この世界にいる間は、俺のものにしていい?」

 はじめて見る、ヒューの、切なそうな顔。
 僕は、はっと息をのんだ。
 ちょっと不安そうに寄せられた眉も、その瞳に浮かぶ情欲の色も、すこし赤くなってる頬も。
 手のひらに触れる唇も、その唇から吐き出される息も、全部。


(………すき…)


 ただ、好きだった。

 僕は、こくん、と、うなづいた。
 存在するどの世界にいても、ずっと、ずっとヒューのものでいたいよ、っていう気持ちは、気がつかなったことにした。それから、言った。


「ヒューのにして」


 ちょっとだけ、泣きそうだった。でも、それが僕の、すべてだった。
 ヒューは、目だけをゆるめて、すこし、恥ずかしそうに笑った。
 きれいな手が、僕の体を這って、薄い唇が、熱い舌が、僕の下へと降りて行った。あのきれいな唇が、僕の体を這ってるんだと思うと、やらしい気持ちでいっぱいで、僕は熱に浮かされたみたいに、ただ、「あっ」とか「んっ」とか、甘い声を漏らした。
 ーーーーーー、が。ちらっと下見た僕は、ピタッと動きを止めた。
 このきれいな顔のついたヒューから、想像もつかなかったものの存在を確認して、僕は一瞬で、涙目になった。

 わかっている。僕だって相当な数のBL漫画を読んできた人間だ。

 どうやら、は、色々あって、どうにか、入るらしい、という、人体の不思議は知っている。羽里が持っている漫画には、ペットボトル、だなんて表現されているのもあったはずだ。それに挑戦する果敢な受けが、たくさんいることも知っている。

 もう一度、ちらっと見てみた。

 流石に、ペットボトル、だなんていうことはない。でも、なんていうか、圧はすごい。存在感がすごい。ヒューのだと思えば、愛おしいとも思える。あんなに、あんなになるくらい、興奮してくれてるのかと思うと、きゅん、と心臓も高鳴る。でも、それでも、ーーー僕は思った。

「は、入るわけない」
「………入るから」
「そんな、性的なことなんて、全く興味なさそうな顔して。ヒューにそんな…そんなものが…」
「………そりゃついてんだろ。入れんだから」
「も、もっと!なんか!優しい言い方を!!」

 僕がガタガタ震えているのを見て、ヒューは、虚ろな目で僕を見て、「ハア」と、嫌そ~~~に、ため息をついた。そして、尋ねた。

「じゃあ、なんて言ったらいいんだよ」

 僕は、自分の脳内BLインデックスをめくり、どう言われたら、あのそそり立つ凶器に、立ち向かうことができるかと考えてみた。わかっている。抱いてくれと自分で頼んでおいて、ここで尻ごみするのは、自分勝手が過ぎた。そして、なんというか、面倒臭い女、みたいな、あんまり良くない反応な気もする。
 でも、怖かった。僕は、どうしようもないビビりだった。

「『大丈夫』とか『優しくする』とか『お前じゃなかったら、こんな風にならない』とか、なんでもいいから、優しいこと言って」

 涙目だった。
 というかもう、何言ってんだかよくわかんなかった。後で考え直してみたら、噴火してしまうほど恥ずかしいことを言っているかもしれないが、今の僕には、とにかく、気持ちを落ち着かせることが最優先事項であった。
 ヒューは、ちょっと困ったように笑って、それから、僕の耳元に口を寄せた。そして、優しく、優しく、甘く、甘い声で、言った。

「ノアじゃなかったら、こんな風にならないよ」

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