上 下
46 / 114
第一章 HUE

45 ドーナツ論

しおりを挟む
 

「どどどどどどーしよ。ノアさん。最近、近くのカフェがドーナツ売り出したみたいなんですよ」

 主人公が働いているカフェは、まだ二週間目だというのに、どうやら軌道に乗ったようで、随分と客足が伸びているらしい。そして最近、ドーナツも売り出したんだとか。うちも、もっと色んなケーキとか売り出した方がいいんじゃないか、と、先ほどから、ジョナサンさんと一緒に、トゥリモは頭を抱えているのだ。

 確かに、主人公のカフェは、ゲーム内でも、初期の段階で、ドーナツを売り出していたように思う。異世界の技術を使って、まずは「ふわとろパンケーキ」のような、スフレパンケーキからはじまって、パフェやケーキなど、地球では当たり前のスイーツを販売して、その珍しさに、カフェは大繁盛するのだ。
 どうやら、今回転移したあの女性も、うまくやっているようだった。
 見たかんじ大学生くらいだったように思うけど、料理が得意だったのかもしれないなあ、なんて、僕はぼんやりと考えていた。

 が、一応、そのライバル店にあたる、このドーナツ屋『ジョナサンズドーナツ』の二人は、真っ青になって、頭を抱えているのである。二人は「他のケーキも売り出すべきか」などと話し合っているのだ。

 僕は考えてみた。

 僕がこの店で働くようになってから、お客さんの数に、ほぼ変化はない。おそらく、二人は、実際に売れた数を、あんまり確認していないのではないかと思う。
 それに、当たり前のことだが、日本なんて、もっとたくさんの店がひしめいている中で、例えばだけど、ドーナツだけとって考えてみても、大手、インスタ映え系、昔ながらの手作りほっこり系、健康を意識した系など、様々なニーズに合わせて、細分化されているものである。
 その上で、ケーキ業界、焼き菓子業界、パイ、シュークリーム、などなど、更なる幾多の種類のスイーツ店が競合する中、それでもドーナツ屋は潰れない。なぜなら、ドーナツとショートケーキは違うからだ。当たり前だが、ドーナツとシュークリームも違う。
 僕のように、ドーナツドーナツと狂ったように食べている人間は、早々いないにしても、僕は知っていた。

 人間には、ドーナツを食べたい日があるのだ。

 そして、あのドーナツ屋のショーケースを見たときの、あのテンション。それは、みんなが知っているだろう。あの、「えーどれにしよう!2個までならいいかな…いや、3個」と、迷いながら、きらきらした目でショーケースを見つめ、「これにしよう」と、今日、食べたいドーナツを見つけて、店員さんに「これください」と言う瞬間。
 友達の誕生日や差し入れの際、低価格、かつ、美味しく、見栄えのするドーナツを、ダース買いにする時にだけ許される、爆買いの楽しみ。
 あの僕に食べられるために、かわいく並んでくれているドーナツのまるっとした姿。それを思い出すだけで、幸せな気持ちになる。
 だから僕は知っていた。

「絶対、大丈夫」
「「え?」」
「いいですか。下手に、他のケーキやら何やらに、絶対に手を出してはいけません」

 ドーナツ好きの、ドーナツ好きによる、ドーナツ屋のための、僕のドーナツ談義が、今、はじまろうとしていた。エミル様に、恋愛論を語らなくてはいけなかった時とは違う。僕は、自信を持って、胸を張って、ドーナツについて語ることができる。

「よく聞いてください。ドーナツの需要は、ケーキとは違います。低価格、かつ、美味しく、見栄えもするスイーツです。高級感や満足感、ゆっくりと食べる贅沢、を楽しむケーキとは需要が違うんです。そして、ジョナサンさんのドーナツは、このドーナツ好きの僕が、この僕が、太鼓判を押すほど、魔法のように美味しいドーナツです。この薄く、均一につけられたグレーズは、もはや芸術品です。だと言うのにもかかわらず、さらに、色をつけた種類を販売するなど、見た目にも楽しい作りになっていて、こだわっています。このグレーズの薄さは、口にした時位はパリッとした食感を一瞬与えると言うのに、ほろりと口の中で、雪がほどけるように溶けだし、その甘さが絶妙です。そして、そのグレーズと一緒に、口の中に広がる、もっちりとしたドーナツ本体の生地がすごいです。パサパサしていても、油っぽくても、テンションの下がるドーナツ本体ですが、ジョナサンさんのドーナツは、しっとり、もっちり、それでいて、じゅわっとほんのり滲み出た油が、口の中に広がるのです。しかも、その油へのこだわりを僕は感じます。安い油ではなく、最高級の低温で圧搾したバージンムーンナッツオイルを使っているので、健康のことも考えられており、多く含まれる中鎖脂肪酸はドーナツという一見ジャンクなスイーツにも関わらず、消化を助けるために一躍買っています。そして、さらに、チョコレートドーナツをとっても素晴らしいです。チョコレートの種類も上につけるトッピングですらも、見るものを惑わせ、何個でも買ってしまえと思わせるほどの魅力を持っています。まずは、ここまでが、ジョナサンズドーナツの魅力です」

「「………」」

「そして、ここから先は、ジョナサンさんが、他のスイーツを手広くやろうとした際の、恐ろしさについて語ります。まず、ドーナツ屋の素晴らしいところは、小麦粉と油、そして砂糖、というこの低コストな主要三つの材料だけで、これだけのありとあらゆる種類のドーナツを作ることができることです。使う材料はそれだけだというのに、これだけのバリエーションを作れるスイーツは、他に、僕が思いつく限りでは、カップケーキくらいかと思います。なので、あえて敵がいるとすれば、ドーナツの敵はカップケーキだけです。カフェではありません。ジョナサンさんが、もしも、他の、ショートケーキやモンブランなど、なんでもいいですけど、ケーキを作り出したとして、それは、ジョナサンさんのドーナツ制作にかける時間を減らし、クオリティを下げ、なおかつ、ストレスを与えるでしょう。そして、クオリティの低下と並んで、一番の恐ろしい問題は、どの飲食店もが頭を悩ませる『在庫管理』です。適正在庫の見極めまでは、在庫の予測精度が整うまでは、おそらく半年ほどの期間を有するでしょう。いつもとは違う食材の買い出し、量の見極め、それから、在庫・廃棄食材の処分方法、今までぶち当たることのなかった、未知なる問題が多発し、その都度、ジョナサンさんたちは頭を抱えることになります。そして、その間の赤字経営は覚悟しておいた方がいいですよ。というか、正直、そのカフェの方こそ、手広くやりすぎて首を絞めてしまわないように、気をつけた方がいいくらいです。そもそも、先ほども言いましたが、ドーナツ屋とカフェは違います。通常の飲食店のように、余った材料を次の日にも回せるわけではありません。ケーキなど、足が早いものは、その日中に処分となるでしょう。この店は、僕が入ってからの経営を見る限り、ほぼ、毎日完売に近い状態になっていて、ジョナサンさんの予測精度はかなり高いとみて間違いありません。たまに、売り切れになってしまう日は、機会損失とも捉えられなくはありませんが、それはスイーツ店に限り、「特別感」や「限定感」のようなものを演出するため、損失したと考えられる機会は、次の日へ機会が先延ばしになっている、というプラスに考えても問題ないと思います。以上の理由で、この店が心配することは何もありません。そして、もし心配なことがあるようでしたら、ドーナツにアイシングでメッセージや名前を書くサービスを提案します。誕生日に、子供や友達の名前入りのドーナツが欲しい人は山ほどいると思います。わかりましたか?」

「「………はい」」

 僕は満足した。
 若干、ジョナサンさんとトゥリモが引いているような気もしたが、それは仕方がなかった。僕のドーナツに対する愛情は、一入。ここだけは譲れない。
 このほぼ完璧とも言える、僕の理想のドーナツ屋の片隅に、ショートケーキが並んだ際には、僕は絶望するだろう。
 そして、そのとき、後ろから涼やかな声が聞こえた。

「フィリーニ・クレーティ御用達、も、つけとく?」
「え!いいんすか?!有名人のお墨付きはありがたいですけど、クレーティさん、ドーナツ好きなんですか?ファンからの差し入れとか、ドーナツだらけになっちゃいますよ」

(うわ、ファンからの差し入れとかあるんだ。アイドルだなあ…)

 今のを聞かれてたのか、という恥ずかしさと、フィリが今日も迎えに来てくれたという恥ずかしさと、手伝ってくれようとしているのかなという恥ずかしさで、僕は、恥ずかしさの三重苦の中にいた。が、更なる苦行が僕へとのしかかってきた。顎を指先で掬われたかと思ったら、目の前に、首を傾けたフィリの顔があって、流し目で言われた。

「ノアが、全部食べてくれるなら、いいよ」
「!!!!!」
「うわあ、ノアさんやばい…まっ赤ですよ…」
「だ、だめ。だめだからな。トゥリモ。フィリがドーナツ好きじゃないんだから、だめだよ。詐称だからな!それ」
「あー……そっすね。それはダメですね。そんなに食べたら、ノアさんきっと、ドーナツみたいにまんまるになっちゃいますしね」

 後ろから、ぼんやり眺めていたジョナサンさんが、「え、何ー?ノアくんって、フィリーニ・クレーティと付き合ってんの~?」と、呑気なことを言っていて、フィリが迷いなく即答で「はい」と答えているのが、聞こえたような気がしたけど、僕はもう何も聞こえなかったことにした。
 エプロンをそっとおいて、いつものように、フィリが僕にひとつドーナツを買ってくれて、僕はまたきゅんきゅんしてしまって、それどころではなかった。

(誰か、だれか、僕の心臓をどうにかして……)

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺

福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。 目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。 でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい… ……あれ…? …やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ… 前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。 1万2000字前後です。 攻めのキャラがブレるし若干変態です。 無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形) おまけ完結済み

俺は成人してるんだが!?~長命種たちが赤子扱いしてくるが本当に勘弁してほしい~

アイミノ
BL
ブラック企業に務める社畜である鹿野は、ある日突然異世界転移してしまう。転移した先は森のなか、食べる物もなく空腹で途方に暮れているところをエルフの青年に助けられる。 これは長命種ばかりの異世界で、主人公が行く先々「まだ赤子じゃないか!」と言われるのがお決まりになる、少し変わった異世界物語です。 ※BLですがR指定のエッチなシーンはありません、ただ主人公が過剰なくらい可愛がられ、尚且つ主人公や他の登場人物にもカップリングが含まれるため、念の為R15としました。 初投稿ですので至らぬ点が多かったら申し訳ないです。 投稿頻度は亀並です。

魔王討伐後に勇者の子を身篭ったので、逃げたけど結局勇者に捕まった。

柴傘
BL
勇者パーティーに属していた魔術師が勇者との子を身篭ったので逃走を図り失敗に終わるお話。 頭よわよわハッピーエンド、執着溺愛勇者×気弱臆病魔術師。 誰もが妊娠できる世界、勇者パーティーは皆仲良し。 さくっと読める短編です。

運悪く放課後に屯してる不良たちと一緒に転移に巻き込まれた俺、到底馴染めそうにないのでソロで無双する事に決めました。~なのに何故かついて来る…

こまの ととと
BL
『申し訳ございませんが、皆様には今からこちらへと来て頂きます。強制となってしまった事、改めて非礼申し上げます』  ある日、教室中に響いた声だ。  ……この言い方には語弊があった。  正確には、頭の中に響いた声だ。何故なら、耳から聞こえて来た感覚は無く、直接頭を揺らされたという感覚に襲われたからだ。  テレパシーというものが実際にあったなら、確かにこういうものなのかも知れない。  問題はいくつかあるが、最大の問題は……俺はただその教室近くの廊下を歩いていただけという事だ。 *当作品はカクヨム様でも掲載しております。

転生したらいつの間にかフェンリルになってた〜しかも美醜逆転だったみたいだけど俺には全く関係ない〜

春色悠
BL
 俺、人間だった筈だけなんだけどなぁ………。ルイスは自分の腹に顔を埋めて眠る主を見ながら考える。ルイスの種族は今、フェンリルであった。  人間として転生したはずが、いつの間にかフェンリルになってしまったルイス。  その後なんやかんやで、ラインハルトと呼ばれる人間に拾われ、暮らしていくうちにフェンリルも悪くないなと思い始めた。  そんな時、この世界の価値観と自分の価値観がズレている事に気づく。  最終的に人間に戻ります。同性婚や男性妊娠も出来る世界ですが、基本的にR展開は無い予定です。  美醜逆転+髪の毛と瞳の色で美醜が決まる世界です。

風紀“副”委員長はギリギリモブです

柚実
BL
名家の子息ばかりが集まる全寮制の男子校、鳳凰学園。 俺、佐倉伊織はその学園で風紀“副”委員長をしている。 そう、“副”だ。あくまでも“副”。 だから、ここが王道学園だろうがなんだろうが俺はモブでしかない────はずなのに! BL王道学園に入ってしまった男子高校生がモブであろうとしているのに、主要キャラ達から逃げられない話。

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

乙女ゲームのモブに転生したようですが、何故かBLの世界になってます~逆ハーなんて狙ってないのに攻略対象達が僕を溺愛してきます

syouki
BL
学校の階段から落ちていく瞬間、走馬灯のように僕の知らない記憶が流れ込んできた。そして、ここが乙女ゲーム「ハイスクールメモリー~あなたと過ごすスクールライフ」通称「ハイメモ」の世界だということに気が付いた。前世の僕は、色々なゲームの攻略を紹介する会社に勤めていてこの「ハイメモ」を攻略中だったが、帰宅途中で事故に遇い、はやりの異世界転生をしてしまったようだ。と言っても、僕は攻略対象でもなければ、対象者とは何の接点も無い一般人。いわゆるモブキャラだ。なので、ヒロインと攻略対象の恋愛を見届けようとしていたのだが、何故か攻略対象が僕に絡んでくる。待って!ここって乙女ゲームの世界ですよね??? ※設定はゆるゆるです。 ※主人公は流されやすいです。 ※R15は念のため ※不定期更新です。 ※BL小説大賞エントリーしてます。よろしくお願いしますm(_ _)m

処理中です...