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第一章 HUE

18 結婚式 ※

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「エミル様、朝ですよ。エミル様」

 僕に肩を叩かれて、ちょっと揺さぶられて、ようやくエミル様は目を覚ました。

 エミル様は、朝弱い。
 美しいまっしろな髪は乱れに乱れ、切長のしゃきっとした水色の瞳は、今は線みたいだ。そして、ぬぼーっという言葉がぴったりなほど、しばらく頭が働かないのだ。

 僕は毎朝、ヒューみたいだな、と、思っている。見た目も雰囲気も全然違うのに、なんだかいつも、ヒューを思い出してしまう。そんなことを考えていたら、ぬっと横から手が伸びてきて、腹のあたりを腕でぐいっと掴まれ、ベッドに引き寄せられた。

「へ?」
「おはようノア。昔のノアの夢を見たよ」

 寝起きの、ちょっと低めの、鼻にかかった声。
 耳元でそう囁かれ、くんくんと、耳の後ろの匂いをかがれ、僕は、びくうっと体を震わせた。
 昔とはいつのことだろう。だが、今はそんなことを考えている場合ではなかった。何故なら、エミル様の手が、僕の麻のシャツの中に潜りこんできたからだ。

「ちょっと、え、エミル様。離してください!わ、手!な、何してるんですか!」
「えっちな夢だったから」
「な、なに??なななんなんですか??」
「勃っちゃった」

 僕は絶句した。
 僕のお尻のあたりに、すごく硬いものがあたっていて、エミル様のそのキャプションから推測するに、それは、エミル様の体の一部なのだろうということが、予測できたからだった。

 だが、おかしい。
 エミル様は、『昔の僕の夢』を見たと言ったのに、それがえっちな夢であるわけがないのだ。ふうっと耳に息を吹きかけられ、ぐっと腰をあてられて、「あっ」と声を上げてしまった。そして例の如く、今日の分の、とち狂った変態魔術師の一言が発射された。

「せっかくだから、ノアの精液を採取しよう」

 勃起しているのは、僕ではない。
 だから、何がどう「せっかく」なのかは全く理解できない。が、サアアと青くなっている僕を腕で押さえつけたまま、エミル様は、反対側の手で、寝台の横に置いてあった、小さな瓶を取った。
 そして、浄化の魔法をかけ、それから、僕の知らない、なんだか難しそうな魔法をその瓶にかけ、「よし」とエミル様が言った。何が「よし」なのかは全くわからなかった。全くわからなかったが、それが僕にとって、全く「よし」な状況ではないことは、容易に予想された。

「エミル様っ 待って。本当に待ってくださいっ。今日は、け、結婚式なんですよ!」
「………そうだね。だからこそ、ノアの精液を取っておかないと」

 意味がわからない。
 誰かこの、ねじが外れまくったとんでも変態魔術師の思考をどうか説明してほしい。そうこうしている間に、エミル様の綺麗な指が、僕の下穿きをくつろげ、中に侵入してきた。

「待って」と言おうとした口を、反対側の手で塞がれ「むぐっ」という音になった。左手の指が唇を割りさいて、僕の口の中をかき回した。そして右手はすでに僕の、力ないペニスを握っていて、むにむにと動いていた。

 僕はビクビク体を震わせながら、「やめて」と声にならない声をあげながら、体を一生懸命よじる。普段から引きこもってばかりなのに、一体どこにそんな力があるのか、エミル様はびくともしない。
 口の中をかき回され、舌を挟まれ、歯列をなぞられ、僕はよだれを垂らした。

 ペニスがむくむくと、大きくなって行くのがわかる。そのうち、だんだん、体の奥に火がともり、いけない気持ちになってきた。
 たまに、じれるように、尻にこすりつけられる、熱いなにかも、僕の頭をおかしくする一因な気がする。

 よくはわからない。
 本当に、よくはわからないけれども、どうやら、エミル様は、本当に僕に欲情しているようなのだ。さっきから、耳元で、「ノア」と名前を呼ばれるたび、僕は「ノア」だったと思いながら、僕は体を震わせた。
 ようやく左手を口から出してくれて、「ぷはっ」と僕は息をした。そして、酸欠の頭で、とにかく静止を願う。

「あっ エミル様、ほんとに待って」
「んー?」

 エミル様は、いっぱいいっぱいになっている僕を、おかしそうに、くすくす笑いながら、手を止めてくれる気配はない。
 何故か僕の弱いところを知り尽くしているかのように動く、その綺麗な長い指によって、いとも簡単に僕は限界を迎えた。僕の頭はまっしろで、もう、何も考えることができなかった。ただ、わかるのは、ものすごく気持ちいいっていうことだけだった。そして、ーーー

「あっ いっちゃ、もう」
「うん、出して」
「あ、あ、だめ、も、ひゅ、うっ あああっ」
「!」

 僕は自分が何を口走ったかも知らずに、目をぎゅうっとつぶって、絶頂を迎えた。「あ、あ、」と震える声を出しながら、つぶっていた目を開き、信じられない快感に、ただ、体を痙攣させた。
 僕が目をちかちかとさせて、放心している間に、いつの間にか、僕のペニスの先っぽにあてられていた瓶の中に、僕の精子は吸いとられていて、本当に、採取されてしまったのだ。

 だんだん冷静になった僕は、一度青ざめてから、それから、まっ赤になって、怒って、エミル様がご主人様だというのにも関わらず、「エミル様のばか!」と暴言を吐いて、バンと扉を閉めて、下穿きを引き上げながら、出て行った。

 エミル様と過ごす時間の中で、僕は何度かこういう悪ふざけのような目にあった。その悪ふざけは、本当に、僕には全く理解できなかったけど、エミル様がやたら楽しそうに意地悪をするから、いつもこうして怒っても、結局、絆されてしまう。

 どすどすと歩いている僕は、エミル様がどんなことを考えているかなんて、知る由もなかった。本当に採取されてしまった精液を、一体どんな実験に使われるのかも、わからなかった。

「…今日、帰ってしまうのだろうな」

 という、エミル様の小さな呟きも、もちろん、もう扉の外にいた僕には、聞こえなかった。

 僕は、ものすごく怒っていたけれども、その怒りはだんだん治ってきていた。何故なら、きっと今日、地球に帰ることになる、と思っていたからだった。

 嬉しい気持ちも、もちろんあるのだ。
 あの手のかかる妹の無事を、確かめたいという気持ちがあるのだから。だけど、ずきずきと痛む胸を抑えながら、僕は足早に廊下を歩いた。

 気を抜くと、いろんなものが溢れてしまいそうで、早く歩けば、水っぽい目が、砂漠の乾燥した気候で、乾いてくれるんじゃないかと思った。
 ぎりぎりで持ち堪えている涙が乾いたら、僕はエミル様の式典用の衣装の手伝いに、再度、あの部屋に戻らなくてはならなかった。

 僕の部屋には、エミル様と、セバスさんと、それから、ミズキさんにあてた手紙が置いてある。
 僕がもし、いなくなったときに、きっと、セバスさんが見つけてくれると思う。

 僕の足はだんだん早くなり、気づけば邸宅の中庭にいた。
 いつだって青い、砂漠の空を見上げ、その晴々しい日に泣くわけには行かないと、ぐっとこらえた。

(エミル様……)

 この世界に来てから、四年。
 ようやく今日、ミズキさんは、国王・セドリックと結婚式を挙げるのだ。
 そう僕は、ようやく、地球へ戻ることができそうだった。


 ←↓←↑→↓←↑→↓←↑→


「……はずだったんだけどおおお?!?!」

 僕は今、砂漠のどまん中で、二百メートルはありそうな、巨大なサンドワームの目の前にいた。
 今朝、あれだけ涙をこらえていたというのに、僕の瞳からは、温泉の源泉みたいに、ぶわぶわっと涙が溢れていた。

 ミズキさんの挙式は盛大なものだった。
 当たり前だが、国王の成婚である。
 中性的な衣装に身を包んだミズキさんも、とても美しかった。まさか『砂漠のトリニティ』のエンディングである、結婚式に、まさか自分が参列させてもらえるとは思わなかった。僕は、素直に、幸せな気持ちでいっぱいでいた。

 その後、帰宅する馬車の中で、エミル様がおもむろに、「あのオアシスに行かないか」と言ってきたのだ。
 王都の近郊にある、小さなオアシスは、一年目に僕の誕生日を祝ってもらった以降、エミル様と一緒に何度か訪れたことがある。
 夜はあの星空を見ることができるが、昼間は普通に暑い。
 それでも、サンドワーム討伐のついでに寄ったりしていたのだ。普段、引きこもっているエミル様も、あのオアシスに行くと、なんだか開放的になるようで、一緒に水浴びをしたこともある。

 が、今はそれどころではない。
 巨大すぎるサンドワームに気を取られていたら、僕の背後に、アントリオンがいたらしいのだ。アントリオン、つまりは、巨大な蟻地獄で、僕はその鉢状に広がった窪みの中腹あたりまで、埋まってしまっていた。

(…まずい!)

 思いつく限りの、僕が知っている魔法を考えてみるけど、どうしたら抜け出せるのかがわからなかった。
 エミル様も、多分、僕は大丈夫だろうと思って、サンドワームの方を先に倒そうとしているようだった。何度も一緒に戦ってきたから、僕のことを心配している様子はなかった。

 アントリオンは珍しいモンスターで、僕も一度見たことがあるだけだったが、抜け出し方までは知らなかった。こうなったら、これはもう、アントリオンを倒すしかない、と思い、僕はくるりと向きを変えた。

 ちょうどそのとき、ズシーーンという大きな音が響き、立ち上るように砂埃が舞った。

 エミル様がサンドワームを倒したのだろう。とりあえず、その砂埃が収まってから動こうと思い、立ち止まっていると、砂がようやく落ち着いてきて、視界が開けた。
 そして、僕の様子を捉えたエミル様は、僕とアントリオンの近さを見て、きょとんとした顔をして、首を傾げた。

「ノア??早くを使え!食べられてしまうぞ」
「え??ってなんですか??」

 そう言った僕を見て、エミル様の目が、信じられないものでも見たかのように、驚愕に見開かれた。
 緊急事態だというのに、そんなに驚いたエミル様を見たのは、一番はじめに、奴隷市場で出会ったとき以来だな、と、僕は思った。
 そして、しばらくそのまま固まってしまったエミル様が、呟いた。

「まさか……そうか。だったのか!」

 驚愕の表情を浮かべたままだったエミル様が、ハッと我にかえり、そして、即座に僕を助けるための魔法を使った。
 エミル様の腕から、ロープのような緑色の蔦が伸ばされ、僕はその、蔦のようなものに巻きつけられ宙を舞った。螺旋を描くように放り出された僕が、ちょうど太陽の前に来たときだった。

「時間だな」

 そう、ポケットの中で、邪神が呟くのが聞こえた気がした。
 ドクッと心臓が鈍い音を立て、まるで何かで殴られたみたいに圧迫されるような痛みを感じた。

 僕は、「今?!」と、邪神にツッコミを入れる間もなく、白い光に包まれた。
「ノア!」という、どこか悲痛にも似たエミル様の声が聞こえた。
 エミル様は、本当に大変な人だったけど、本当におかしな人だったけど、それでも僕は、大好きだったな、と思った。
 僕の心臓がギュウウとしめつけられるように、痛んだ。

(ああ…もう、会うことは……)

 ヒューとヤマダくんたちとも、本当は、離れたくなかった。少しの時間離れても、またいつか会えるという希望さえあれば、と、何度だって思った。僕は、左手首の組紐をぎゅっと握りしめた。
 届くかはわからなかった。それでも、僕はエミル様に叫ばずにはいられなかった。
 僕は叫んだ。

「エミル様!僕は大丈夫です!!!手紙を書きました!僕の部屋にあ……」

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