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3. と、はぐれる

75 激動

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「俺の……中?」

 つい、呟いてしまい、慌ててそのメモをポケットにしまった。
 姉さんは、別に、俺がこの場所に来るって思ってたわけじゃないと思う。だけど、もしも、このメモを見つけられる人間がいるなら、それは俺だと、そう思っていたのだろう。当たり前だ。あんな鍵がわかる人がいるなら、俺以外ありえないし、姉さんの性格を知っていて、あの書類を隠していたと思わないのも、多分、俺だけだと思った。
 でも、それよりも――

(吸血鬼が、……二人?)

 ずっと吸血鬼はレンツェル一人だと思って、やってきたのだ。ここに来て、突然二人いると言われても、意味がわからなかった。もう一人はどうしてしまったんだろう? 死んでしまったのかな、と考えて、不老不死なんだった、と、すぐに思い直した。
 だけど、黒百合の誤算? 吸血鬼の誕生? 誕生って、どういうことだろう。
 吸血鬼は、昔からいるもので、そういうモノとして生まれてきたんだとばかり……と、考えて、あれ? と、首を傾げた。

「ん……? 待って。あれ? イーライが……さっき」

 黒百合教は、千年前から続いてるとも言われてるって言っていなかっただろうか。
 よく考えてみれば、あれはおかしかった。だって、レンツェルが黒百合様と呼ばれているのに、ネルは吸血鬼は三百年しか生きていないって言っていたのだ。どういうことだ、と考える。

(黒百合教の方が、先なんだ……)

 黒百合教が、吸血鬼を見つけた? でも、そうだとすれば姉さんは「発見」と書くはずだ。「誕生」という言葉は、何か、意図的に、黒百合教がような……そんなニュアンスを含んでいる。でも、まさか、そんなことがあるだろうか。まさか、人為的に、そんな、人を呪いで死に至らしめてしまうような存在を、人間が、作り出すことができるんだろうか。

「何のために?」

 レンツェルのことを考えてみる。レンツェルは、おかしな宗教の中で、黒百合様と呼ばれていて、多分、おそらくは、神みたいな存在なんだと思うのだ。呪いを与える人が神だなんて、随分と病んだ宗教だ。シェラント光神教のように、民を導き、慈悲を与えるような、そんな神の方が、ずっといいじゃないかと思う。
 恐怖で支配しようとしたんだろうか。それは、心の拠り所を求める人々にとって、宗教の在り方として、なんだか違うような気がした。どうせなら、ネルみたいに、治癒の力でもあればよかったのに、と考えて、まあ、与え方が体液じゃ、大変な宗教になってしまうけど、と思う。

「ん? でも待って。誤算、そっか。誤算なのか」

 呪いを与える存在を生み出そうとしたわけではない。そこに絡んでくるのが、多分、『人々の想い』。誰のことを指して言ってるのかはわからないけど、とにかく、この短い文章から考えれば、多分、吸血鬼が誤算だったんだ。
 それから、――

(呪い浄化……が、鍵で、俺の中に)

 呪いの浄化、という字面を見て、まず思い浮かんだのは、『霊送』のことだった。
 ベスィがキラキラと天に昇っていく姿は、呪われてしまった魂が、浄化されているように、見える。あれは、どういう仕組みだかはわからないけど、俺で言うところの銀弾。ネルで言うところの、あの変な剣には、それぞれ、魔術陣のような奇妙な紋章が刻印されていて、それの効力が心臓に刺さることで、発動するものなのだ。
 どういうことなんだろう、と、姉さんに縋るように、机の上に置いた、ひどいショッキングピンクの本に、目をやる。そして、思う。

(本当に、ひっどい表紙だな……)

 よくも、こんなひどい本に、大事なパスワードを託したものだ、と、我が姉ながら、感心してしまう。だけど、この色のおかげで、あの本棚の中から、迷わずこの本を手に取ったのだから、姉は正しいのだ。
 いつだって、おかしなことをしているようで、俺にとって、一番正解なことをしてくれている。だからきっと、姉が、呪い浄化の鍵が俺の中にあると言うのなら、多分表面上は、おかしなことを姉がしたはずなのだ。だけど、それは、俺にとって多分、必要な何かなのだ。どうして呪いの浄化が、俺に必要なんだろう。
 姉は研究者だ。
 ここで研究していたとするならば、隠したいものは、研究の成果だ。それを隠していたのが、このメモなんだとすれば、どう言う意味だか、研究の成果は、俺の中にあると、そういうことなはずだった。つまり、――姉さんがここでしていたのは、

(呪いの浄化の研究ってこと……)

 頭に、チェルシーさんの姿がふっと過った。
 わからない。これはただの想像でしかないけれども、もしも、姉さんが、何らかの拍子に『吸血鬼』あるいは『ベスィ』の存在に気がついたとして、姉さんなら、単独で乗り込むぐらいやりかねない。あの行動力の塊である姉さんのことだ。警察署の中ですら秘匿されている、特殊警務課の存在にも、行き着いたかもしれない。
 敵の根城のど真ん中で、姉さんはまさか、この国を救うために、ベスィの研究をしていたんだろうか。

(あれ……? でも、待って。そもそも、レンツェルは、なんで? レンツェルはどうして、姉さんやイーライみたいな研究者を、抱えてるんだ?)

 レンツェルが知りたいのは、研究して欲しいことは、何なんだろう。
 ベスィを増やす方法だろうか。
 レンツェルが持っていた書類を、少しでも見ることができればよかったと、そう思った。あれは、姉さんのことをよく知らなければ、きっとそのままレンツェルが欲しかった研究結果だと思うようなことが、書かれているに違いない。

(姉さんのねじ曲がりっぷりは、本当にすごいからなあ……)

 呪いを浄化。呪いを浄化。そもそもベスィの魂を呪ってしまう前に、吸血鬼は呪われてるんだろうか。それとも、呪いを与える存在なんだろうか。そういえば……前に、俺は、吸血鬼は孤独だなと思ったことを、思い出した。そうだ、他のベスィに関わるようになって、そんなこと考えてる場合じゃないと、思い直したけど、でも、はじめはそう……。

(愛する人に、触れることも……なんて……)

 そんな考えが頭に浮かんだ、その時だった。
 プスッと、静かな音がしたと思ったら、バァンッと、すぐ横の木の机が大きく鳴り響いた。明らかに銃弾が発射された痕に驚いて振り返れば、扉の方から大声で叫ばれた。

「レン様に愛されているだなんて、思わないで下さい」

 俺の前には、おそらく俺の銃を構えた。
 あの、肌の浅黒い、執事服の男。レンツェルと一緒にいたベスィだ、とすぐに思い至る。だが、愛されている? だなんて、とんだ勘違いだ。確かに、イーライにも、執着しているとは言われたが、今ならわかる。イーライが似てるって言ったのも、きっと姉さんのことだ。そして、レンツェルも、姉さんの研究資料が欲しかっただけのはずだ。そして、研究資料が手に入った今、俺はもう用無しと言うことだろうか。
 人間のように見える彼も、ベスィとしての何らかの技を持っているに違いなかった。銃に慣れていないのか、手元でガチャガチャと安全装置をいじりながら、その執事のベスィが言った。

「くそっ 殺し合うことができないんだ。この銃で撃たないと」

 何言っているのかはよくわからない。でも、ガチャガチャ銃をいじっているのを待っているわけには行かない。持っていたモップで思いっきり、ベスィの手を叩く。「あっ!」と声を上げながらも、ベスィはなんとか持ち堪え、銃を離さなかった。
 銃相手にモップしか持っていない情けなさを感じながらも、前に構え、じりじりと壁伝いに移動する。ちらっと背後を見てみるが、三階と言っても、この建物はやたらと天井が高いので、それ以上の高さがある。飛び降りるのは流石に無理だ。
 仕方がない。ごめん、姉さん! と、思いながら、思いっきりガラス棚にモップの柄を突っ込む。ガシャアアンと大きな音がして、ベスィの方に、ガラスの破片が散らばる。思わず、腕で顔を覆ったベスィの手を、すかさず柄ではたき落とす。
 ザザッと木の床を滑った銃を拾い、そのまま、廊下に走り出した。

「くそ! 待て。殺してやる!」

 相手はベスィだ。案の定、後ろから、無数に、鎖のようなものがぶわっと広がり、廊下を走る追いかけてきた。鎖? と、首を傾げるが、それどころではない。ベスィに攻撃されるのは、実質はじめてのことだった。でも、――幾度も霊送してきた経験から、なんだか俺の身体能力は飛躍的に伸びていて、長い廊下をネルみたいに、風のように走り抜けた。
 カシャンカシャンと鎖がぶつかる音がして、後ろをちらっと振り返れば、幾重にも絡まり合った鎖が、すごい速さで追ってきていた。だが、――ちょうど、角から、見覚えてのある長髪メガネが出てきて、思わず、腕を引っ掴んだ。

「わわわ、何やねん!」
「ちょっと、付き合って」
「ちょ、待って! なんで?! なんでなん?!」
「俺が、聞きたい」

 足をもつれさせながらも、だんだん俺に歩調を合わせてくれるイーライに、少しほっとしながらも、適当な扉を開け、その中の箪笥の影にしゃがんで隠れた。なんで自分まで……という顔で、げっそりしているイーライを見ながら、俺は現状をこそっと伝えた。

「あの執事みたいな奴に、レンツェルに愛されてると思うなって追いかけられてる。なんで?」
「……一番の盲信者やからね。熱烈やなあ」
「逃げたいんだけど、どうにかして」
「……それ、僕に言うん?」

 カシャカシャと音を立てながら、鎖の音が通り過ぎて行くのが聞こえた。ちらっと、嫌そうな顔をしているイーライを見つめて、思った。イーライは、多分、ここで百年間研究をしていて、姉さんのことも、知っているのだ。どんな関係だったのかは、知らない。でも、――あの時、「ほんま、そっくりやな」と、呟いた時のイーライは、どこか、寂しそうな、懐かしそうな、そんな、顔をしたような気がしたのだ。
 俺が、そっくりだと思った相手が姉さんで、姉さんのことを思い出して、あんな顔をする人間……いや、人間ではないけど、それでも、きっと、――断れない。

「助けてくれ」
「ほんま、そっくりやな!」

 苛立ったように、一瞬声を荒げたイーライは、眉間に深い深い皺を刻んだ。
 でも、何かを諦めるように「はー」とため息をつくと、困ったように一瞬、柔らかい笑みを浮かべたような、気がした。その優しい表情に、一瞬固まる。
 だけど、――ふわっとイーライから何かが漏れたような気がしたその瞬間、ズキッと頭が痛んだ。殴られたような痛みが、前頭部に広がり、そして、一瞬、気を失いそうになる。じっとその様子を見ていたイーライが「なるほど」と小さく呟いて、尋ねた。

「いつもは、その頭痛をどないしてんのや?」
「……ネルが、治してくれてる」

 小さくそう呟いた俺を見て、イーライは驚愕に目を見開いた。
 そして、信じられないものを見るかのように、俺のことを見て、震える声で質問を続けた。

「……自分、まさか、ネル・ハミルトンと体液を交わらせてるん?」
「え?あー……あ、まあ、その……痛くて、つい」
「信じられへん。あいつ……成功しとったのか」
「は?」

 イーライが口元に手を当て、目を瞬かせた。そして、がくっと頭を壁につけると、「天才やなー」と小さく呟いた。だけど、カシャンカシャンとまた、鎖の音が響くのが聞こえ、ビクッと緊張が走る。あれだけベスィと対峙してきたと言うのに、内臓が凍りついてしまったかのように、冷たくなった。
 どうしよう、どうしよう、という、怯えた、ただの言葉だけが空回って、窓際に寄ってしまう。開け放たれている窓の外をもう一度見てみるが、三階としてはありえないほどの高さだ。だけど、その様子を見たイーライに言われた。

「もう、逃げや。それで、墓参りしたって」
「だ、だからどうやって逃げる……って、え?」
「ここから飛び降りても死なへんで」
「は? いやいやいや、死ぬだろ。普通に!」

 だけど、その時、バンッと扉が開いて、何本もの鎖が入り込んできた。足元を捕まれそうになって、咄嗟に出窓に飛び移る。ヒュオオオオと風が勢いよく吹き抜けた。外はリージェンシーストリートに面している方ではなく、裏側の道に繋がっているようだった。

「お前ええええ」

 恨まれるようなことをした覚えはない。でも、俺はもう銃を手にしていたのだ。迷わず、執事の心臓を狙って銃を構えた。だけど、流石はレンツェルの側にいるベスィ。ガシャアアンと、太い鎖が蛇のようにうねり、銀弾ごと弾き返されてしまった。チッと舌打ちをしたその時だった。

「――――――ねえ、何の騒ぎなの。僕がそいつを殺せって命令した?」

 その声を聞き、執事のベスィが鎖ごと声の主を振り返った。そこには、影になっていてよく見えなかったがレンツェルらしき人物と、もう一人、金髪の美女が腕を組んで立っていた。浮いていた鎖がガシャガシャと音を立てながら舞い落ち、その動きで視界が遮られた瞬間、イーライが後手にドンッと俺のことを、外に突き落とした。

(…………え!!!)

 突然、ヒュンッと、体に感じる浮遊感。空中に投げ出されて、ひやっと悪寒が身体中を駆け巡った。
 自分の生命の危機だった。だけど、――だけど、――それよりも、それよりも、俺は、驚きに、目を見開いていた。鎖が床に項垂れるように落ちた後、そこにあった、レンツェルの姿は、――いつもの目隠しが、なかった。
 その顔は、はじめてみるレンツェルの顔。
 若い。自分よりは少し年上の二十代の男。白く長い髪は、風に靡いて、だけど、――。

(空色の……瞳。っていうか……顔が……)

 ここ最近、毎日ずっと見ていた顔。
 ――ネル、そのものだった。

(ど、どういうこと⁈ どういうことだ?!)

 落下しながら、自分の身を案じなくてはいけないというのに、俺は、ただ、窓枠まで駆け寄り、俺のことを上から見ているレンツェルから、目が、離せなかった。
 だけど、その時、レンツェルの顔を見ていた時、――俺の中に、突如、変な記憶が現れた。



 地下室のような、じめっとした暗闇の中、光る蒼白い剣。
 いつもの剣を持ったネルが立っていた。暗くて、表情はわからない。
 だけど、その下には、蹲ったまま、血を流して倒れる、――姉さんの姿。
 そして、悲壮感に満ちた俺の声が、呟いた。

「――どうして、どうして姉さんを……」


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