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2. と、暮らす
63 『ネル』※
しおりを挟む「………………え、今?」
ぱちっと目を覚ませば、驚いた顔のネルにそう言われて、ん?! と、俺も固まった。
見覚えのない薄暗い部屋。少し、官能的な香りがしている気がする。間接照明もどことなく色っぽい影を作り、夜に揺らめいていた。
なぜか、ネルの着ているシャツは、はだけていて、白っぽい肌が見えていた。明らかに、組み敷かれてた状況で、ちらっと俺の体を見て、ギクッと体が強張った。
俺が着ていたシャツは、前が全開になっていて、それから、元気いっぱいにそそり立っている自身のペニスが視界に入って、一瞬で泣きそうになった。まさか、また夢か、と一縷の望みを託してみるが、気まずそうな雰囲気のネルが「あー……」と言いながら、視線を泳がせた。
これは確実に『ネル』ではない。普通のネルだった。
「な、な、なに?!」
「いや、えーと……今、入れる、とこ?」
「………………」
ちーんという残念な音が頭の中で鳴り響く。どうして、とかなんで、とか、色んな疑問が頭の中を駆け巡る。でも、今、自分の尻に、まさに当たっているふにっとしたものが、一体なんなのかってことに思い至り、ぶわっと顔に熱が集まる。
(治療……治療して、くれてる……だけだ)
別にネルには何ら他意はないのだ。どういう状況なのかはよくわからないけど、多分こうしないといけないような状況で、それは『効率がいい』と言っていたのだと思い出す。それに、間違ってしまったとはいえ、自分で言ったことなのだ。次からこうしてもいいと、言ったのは、自分だった。でも、――確認。確認は必須だった。
俺はちょっと涙目のまま、尋ねた。
「キスじゃ……だめ、だったのか?」
「……うん、今ちょっと……あっ」
「え?」
急に慌てたような顔になったネルが、俺の両手首を押さえ、ベッドに縫いつけた。ネルが焦ったような顔をしたことも、何故こんな風に拘束されているのかもわからず、疑問符を頭の上にたくさん浮かべながら、そもそもここは一体どこなんだ……?と首を傾げる。頭の上で、両手を一纏めにされながら、片眉をあげて、ネルの反応を待つ。
「ごめん。今、手は……ちょっと……押さえさせて」
「は???」
一体、俺の手に何があると言うのだろう。頭の上を覗こうとしたら、「あっ」と言ったネルに、そのまま、焦ったように唇を塞がれた。思わず「ん!」と声を上げる。でも、目の前にあるネルの顔が、うーん……と、なんだか考えるような顔をしていることに気づく。眉間に皺を寄せたまま、一度目を瞑ったネルが、目を開けた時、そこには、いつものにやにやしてるネルの顔があった。
(……どういうことだ??)
何か葛藤していたのに、気持ちをリセットして、いつものネルに戻ったような感覚に、また新たな疑問が湧いて出た。でも、れっと口の中をかき回されて、ネルの唾液が絡まったら、体は、その甘さにすぐに反応した。
なんで、ネルの体液がこんなに美味しいのかは、よくわからない。治癒の能力があるから、体が自然に求めてるんだろうか。ネルの舌の生々しい感覚と一緒に、官能が呼び覚まされていく。
「っはあ」
息を継ぐ間に、熱い息が漏れる。ぷつっと自分のペニスから溢れた透明な液をネルに掬われ、それを後孔に塗りつけられた。その、ここに入れようとしてますよ、と、予告されるような動きに、ドキッと心臓が跳ねた。そして、指が離れ、代わりに当てられたものの熱さに、ひくんっと震えた。ちゅ、と、なんだか、キスでもするように当てられて、恥ずかしくて、死にそうだった。
だけど、手首を押さえつけられていて、否が応にも、顔を隠すことができずに悶える。にやにやと、いつも通りの顔をしたネルに、問われた。
「欲しい?」
「べ、別に!」
欲しいわけではない。正直、怖くもある。キスで済むなら、キスにして欲しい。でも、さっき、それではダメだって言われた。それでもしかし、欲しいわけでは、ない。だけど、――。
「そ? じゃあいらない?」
そう尋ねながら、ネルがちゅぷっと先端を挿し入れて、びくうっと体が震える。
え? え? と、動揺している間に、入り口のところを、撫でるみたいに、ゆるゆると押しつけられ、中を押し広げられる感覚に、その、想像していた以上の圧迫感と、質量に、驚く。
恥ずかしくて、嫌で、恥ずかしくて、身を捩るけど、強く押さえつけられた両手首は、びくともしなかった。
押し入っては、ちゅぷっと抜かれ、押し入っては、抜かれ、繰り返されている間に、どんどん、変な感覚が沸き起こって行く。俺の体は歓喜して、ぷるぷる揺れていたペニスからまた、つぷっと透明な液が漏れた。
ネルのペニスが、浅いところをゆっくりと進み、ある一点を掠めた時に、突然、すごい快感が体を駆け抜けた。ビクッと体が跳ねる。「ふあっ」と甘い声を上げてしまう。ぐりぐりとそこを潰すように刺激されて、「あ、あ、あ」と、断続的な声が漏れる。
そして、意地悪そうに目を細めたネルに言われた。
「やめとこっか」
「っっ」
そのにやにやしたネルが、全部わかっててやってるんだ……と思って、悔しくて、悔しくて、でも、あまりの気持ちよさに、眉がしゅんと下がってしまう。その間もぐりっぐりっと押しつけられて、内壁がきゅうきゅう締まっているのがわかる。
(やだ……やめないで。もっと、もっと、そこ……)
でも。
「抜いちゃうね」
「……あ……だ、だめ」
「え? どうして。別に、欲しく、……ないんだよね?」
くそう……と、思って、ぎゅっと目を瞑った。本当に、一体、なんでこんなに気持ちいいのかはわからない。でも目の前の男が、俺に嫌がらせをしたいのだということだけは、ひしひしと伝わってくる。治療をしてくれようとしているのは、わかる。でも、その対価として、俺が恥ずかしいことを口にして、恥ずかしがることを望んでいるのだ。そうやって、遊んで、楽しんでいるに違いないのだ。
(夢の中の『ネル』は、あんなに、優しいのに……)
そんなことを考えて、ハッとする。まさか、俺は、この現実の嫌がらせに対する鬱憤を夢の中で昇華させようとしているのでは、あるまいな……と、思い至って、また、おえっという不快感を思い出した。もしもそうなんだとすれば、俺はとんだ、夢見る乙女だ。
よくわからないが、ネルはどうやら俺に嫌われるような態度をわざと取っているのだ。それで、こうして俺が嫌がって、恥ずかしがりながら、恥ずかしくて死にそうになりながら、悔しそうにお願いしてしまえば、思う壺なのだ。
ならば、――と、思う。
そうだと言うのなら、と、俺は覚悟を決めた。意味はわからないが、どうやら嫌な顔をされたいらしいネルに、すべき事は、きっと逆なはずだった。
そして、夢の中の『俺』を思い出して、できるだけ、ネルのことを好きみたいな顔で、言うことにした。
恥ずかしい!それこそ死にそうなほど恥ずかしい、――が!これは実験である。本当は顔を隠したいから、首でも引き寄せながら言いたいところだが、あいにく、理由はわからないが、手は頭の上で縫いつけられているのだ。こんな態勢で、何が実験だ……と、思わなくもなかったが、勢いのまま、口にした。
「ネル……そんな意地悪すんなよ」
「え?」
「…………悲しくなる」
困ったような顔でそう言ってみたら、ネルの空色の瞳が、驚愕に見開かれた。
もしも『俺』であったら、もっと挑発的なことを言うのかもしれない。けど、なんとなく、本当に何となく、これは姉の恋愛小説の知識を総動員して、回らない頭で考えた結果、こんな台詞が絞り出された。
あまりの恥ずかしさに葛藤した後、ぷいっと横を向きながら、唇を突き出したような形のまま、固まった。もう、正直、何がなんだかわからなかった。
ネルが、一体どんな顔をしてるのかはわからない。でも、――。
「あっ え?! あっ!」
浅いところで止まっていたネルのペニスが突然、律動をはじめて、思わず声を上げる。混乱する頭で、ちらっとネルの顔を覗いてみるが、俯いたまま、無言で、一心不乱に腰を振っていて、俺は、だんだんと、押し寄せる快感の波に呑まれていった。
ギシッギシッとベッドが軋む音だけがする。
さっきからしている官能的な匂いが、やけに気になり出して、くらくらした。
別に、反応が欲しかったわけでもないから、いいのだ。これでいいのだけど、どういうことなんだろう、と思う。成功なのか失敗なのか、というか何が成功なのか、よく、わからなかった。
ただわかること、それは、――。
(どうしよう……すごい、気持ちいい……)
内側から溢れる、信じられないほどの快感だけだった。
自分の体が、ネルのペニスに吸いつくように、きゅうきゅうと締めつけてるのがわかる。どこを、どんな風に擦られても、ただ、ただ気持ちよくて、頭がおかしくなる。溶けてしまいそうな快感の中、俺は、夢の中の『俺』の快感を思い出してしまい、どこからどこまで、現実だったのか、その境がよくわからなくなってしまった。
ネルのことが愛しかったのか、『ネル』のことが愛しかったのか、俺はなんだったのか、また、よくわからなくなってきた。ただ、目の前の、俯いている男の名を、呼んだ。
「あっネル……」
「っっ」
ネルの体がビクッと跳ね、なんだか、心なしか、俺の手を押さえているネルの指先が、こまめに震えているような、そんな気がした。さっきから繋がっているのに、気持ちいいところばかりを擦られているのに、その機械的な腰の振り方に、少しだけ、違和感を感じた。腰の振り方に違和感って……意識があるうちに、こんなことになってるのは初めてなのに、なんだそれ……とも思う。でも、なんだか、俯いているネルが、もしかして泣いてるんじゃないかって、なんだかそんな気がして、快感に溺れそうな頭で、もう一度呼ぶ。
「っあ……ね、ネル?」
長めの前髪の間から、ちらっと空色が覗く。ネルは、別に泣いてはいなかった。でも、無表情のまま、じっと探るように、見つめられて、ドキッとする。そして、思った。
(あ……これ、なんか……はじめて会った時の『ネル』……みたいだ)
全てを諦めてしまったみたいな、それを悲しむっていう感情すらも忘れてしまったみたいな、ネルみたいだった。そして、思う。ああ、確かに、『俺』が言った通りだ。こんな顔、してたら、――
「――溶けちゃうよ。影に」
「!」
驚いた顔で固まったネルが、訝しむように俺の顔を見た。でも、すぐに、近づいてきたネルに、唇を奪われた。
それはすごく早い動きだったから、定かではないけど、なんだか、ネルの顔が、泣きそうに歪んでいたような気がして、本当に意味がわからないと思った。
「んっ」
意地悪だったり、心配したり、優しくしたり、嫌がらせしたり、暗い顔したと思ったら、なんだか泣きそうで、嫌で、嫌いで、大嫌いなはずなのに、――
(なんでこんなに……気になるんだろう)
れろっと熱い舌が、俺の舌の裏を舐めた。ゆっくりと、絡められ、きゅっとネルのペニスを締め上げてしまう。手は、未だに、一纏めにされてて。でも、もう片方の手も伸びてきて、両手を繋ぐみたいに掴まれ、その指先を、ぎゅっと握りしめられた。
ネルの舌が、上に、下に、優しく動く。お互いの口から漏れた、熱い継ぐ息すらも、交じり合う。ねっとりと舐め上げられて、体の全部で、ネルと繋がってる気になった。
思わず、つい、口にしてしまう。
「きもち……」
「…………うん」
その、小さな呟きに。まるで、愛し合ってるみたいな、『俺』みたいな、気持ちが高まって、ぶわっと切ない気持ちが溢れた。このまま、身を委ねたい。だって俺は、好きな人と、繋がってるだけだって、そんな、気がした。
頭がじんと痺れる。思考がとけていく。
まるで、俺のことを、愛しく思っているような、そんな空色の瞳と、視線が交差した。
(……ああ、……好きだ……俺、ネルのこと。なんで、そう思うんだろ)
見つめられたまま、ちゅ、ちゅ、と、優しく啄まれる。
これが『俺』の思考なのか、俺の思考なのか、よくわからなくなっていた。でも多分、後で冷静になれば、これは『俺』の気持ちであって、俺の気持ちでは、ないって気がつくはずだった。
嫌いなのになあと、思う。夢のせいで、俺の頭がおかしくなっているとしか思えなかった。だけど、もっとおかしなことが一つあるのだ。
(なんでネルまで……そんな、顔。してるんだろう……)
(ネルは……『ネル』じゃ、ないはずなのに……)
俺は、おかしくなった頭で、一つ、賭けをしてみたのだ。
きっと、普段ならだめだと思う。だけど、もしかして、今なら、――。
「ネル…………好きだよ」
ネルの瞳が何度目かわからない、驚愕に見開かれた。でも、その眉は、すぐにきゅうっと下がり、ネルはむっと唇を噛みしめた。それから、泣きそうな顔で、ネルが苦しそうに呟いた。
「僕も、…………ソーマ」
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