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2. と、暮らす
44 冴え渡る仮説
しおりを挟む「なあ。さっきのって、何?このクマってなんかあんの?」
「何でもないって。課長が関わった案件の引き継ぎかもしれないっていうだけ」
「………いや、嘘つくなよ」
「しつこい」
写真を見せながらそう尋ね、ネルの答えをを聞き、いや、流石にその嘘は苦しいだろ、と、俺は白い目になった。
シェラント警察署を出て、ネルと一緒に事件があった噴水の広場まで歩いているところだった。歩きながら、先ほどのクマの写真を、何度も何度も確認してみたけれども、結局、大きなクマのぬいぐるみだということ以外、特に気になったことがなかった。
強いて言うなら、それが白クマで、水色と赤のチェック柄のリボンをつけていた、ということくらいだ。珍しいチェック柄ではあるが、そんなリボンをつけているクマのぬいぐるみは、このシェラント女帝国には、星の数ほど溢れているのだ。幼い頃、性別問わず、皆、親から買い与えられるっていうのが、慣習なのだ。
内心、苛立ちながらも、仕方がないので、その、課長が関わった、というヒントから掘り下げるしかないな、と思って、重い口を開く。
「課長はどうして、その案件から降りたんだ?」
「んー?忙しいから」
「……じゃあ、まだわからないって言ってたのは?」
「あー、まあ、吸血鬼が関わってるかどうか、とかでしょ。ソーマが気にすることはないよ」
面倒せー、というような態度を全く隠すことのないネルの言葉を聞いて、俺はついにむっと口を噤んで、無言になる。
どうしてネルは、曲がりなりにも相棒であるはずの俺に、そうやって情報を隠すんだろう。まるで俺なんて、足手まといだから、首を突っ込むなと、ずっと言われているようだった。というか、現に言われた。
そして、ふつふつと今朝の怒りが込み上げる。
ネルが一体どういうつもりで、あんな嫌がらせに及んだのかはわからない。普通、嫌なら関わらないものだと、俺は思うのだ。だと言うのに、本当は関わらなくてはいけないところでは、情報を開示をせずに、嘘でひた隠し。
むむむっと眉間に皺を寄せて、考えてた。いや。実は、今朝、あんなことがあってから、ずっと、考えていた。流石にネルの行動はおかしくないか?と、思うのだ。だって、そもそも嫌いな相手である。嫌いな相手に、まあ良かれと思って、親切心で、渋々キ…治療行為を行ったとして、そうだとして、その嫌いな相手に「下手くそ」と、言われたら、俺は、もうやらない。
喩え、自分が下手くそと言われた腹いせに、練習してやろうという気になったとしても、その嫌いな相手とはやらない。
(普通そうだろ…!嫌いな奴とキスしたい奴いる?!)
だから、きっと、ネルには何かの、何かの利益があるに違いないのだ。嫌いな相手にキスをすることで、得られる何かの利益が!そして、俺は一つの可能性に気がついていた。朝から色々考えたが、これなんじゃないかと、思っている一つの仮説があった。
だとすれば、もしかすると、こうして嫌がらせを続けられている俺にも、起死回生、一発逆転のチャンスがあるような、そんな気がしている。じっとネルの背中を見て、今に見てろ、と思う。
少し離れたところをイライラしながら歩き続けていると、しばらくして、目的地であるシャーロット噴水広場の方から、楽しそうな音が聞こえてきた。ずっと下を見て歩いていたが、ふと、顔をあげれば、大きな石造の柱が見えてきた。
歴史あるこの噴水広場には、シャーロット帝時代の海戦での勝利の記念に、噴水の後ろに大きな柱が立ててあるのだ。
その柱を囲むように、天幕が並び、楽しげなアコーディオンの音。だんだん近づけば、ピエロのような大道芸人たちがちらちらと見えてきた。そして、大きな、カルーセルが回っている。ああ、と小さく声を漏らした。
「……移動遊園地してんのか」
写真だけではわからなかったが、確かに、よく見て見れば、噴水の向こう側に小さくカルーセルの天幕が見えた。魔導具で出来ているわけではない、人力の物のようで、大きなピエロたちが数人で、一生懸命滑車を回していた。
美術館や劇場が近くにあるこの広場は、普段から日中賑わっているが、今日はまた一段と賑やかで、小さな子供たちがはしゃぐ、楽しそうな声が響く。その様子を見て、少しだけ、苛立ちが和らいだ。
移動遊園地の最中、噴水の横に大きなクマが現れても、人はそこまで気にしないだろうなとも思った。きっと子供たちは喜んだんじゃないか、とすら思った。
(一体、今回はどんなベスィだって言うんだろう…)
これまでに出会ったベスィを全部足しても、まだ八人である。その中でも、実際に被害者を見たのは二人だけ。その様子から想像しようと言うのは、無理な話だった。でも、こんなところで、こんな楽しげな人たちがたくさんいる場所で、そんなことをするのだから、ひねくれた人なのかなと、少し思った。
(まさか、本当に移動遊園地を楽しみたかった…みたいなことじゃないと思うし)
姉と昔、こんなような催しにも来たことがあったなと思い出した。
その頃はまだ、両親も姉さんも生きてて、俺もはしゃいで、走り回っていたような気がする。人混みに塗れそうな俺を見て、姉さんが慌てて、手を繋いでくれた。姉さんは俺よりも七つも上だったから、いつもずっと大人に見えてた。そんなことを考えて、ぼうっとしていると、ネルが言った。そして、突然、現実に戻される。
「とにかく、余計なことは考えないでいいから。聞き込みは、ソーマには無理だし、いつもみたいに、後ろに隠れてて」
「………」
別に、怒ってるわけじゃ、ないし?と、頭の中で無理やりそう思いながら、ぎりぎりと痛む胃を感じながらさっきまで考えていたことを思い出す。何か言わなくちゃと思うのに、それを言おうとすると、全身が拒否してるようで鳥肌が立った。それは言えそうになかったから、仕方なく、すうっと息を飲み、そして、はあ、と吐いて。自分より少し目線が上のネルの瞳をじっと見た。
「……え、何?そんな見ないでくれる」
ネルが、怪訝そうに俺のことを見た。
だけど、そんなことには構わずに、できるだけ、できるだけ姉さんとか、よくわかんないけど、子供とか、温かな存在を思い出しながら、理想の鍵に、出会えた時みたいな、幸せな瞬間を思い出しながら、ネルに向かって、───にこっと微笑んだ。
多分、これは、俺の記憶の中では、ネルに対しての、はじめての笑顔なはずだ。
「!?」
ものすごく驚いた顔をして固まったネルを見て、その頬に、ぶわっと朱に染まるのを見て、俺は、自分の仮説が正しいことを、確信した。だけど、自分でもやってて少し恥ずかしくなってしまい、ドンッとネルの胸に手をついて、吐き捨てるように言った。
そもそも、無理だと言われて、負けず嫌いの俺が黙ってそうですかと言うわけはないのだ。
「もーいい!お前は噴水より向こう!俺はこっち!お互いに聞き込みして、十三時にあのベンチ!じゃあな!」
「えっ ちょ、ちょっとソーマ」
慌てて呼び止める声が聞こえた。でもそんなことは、もう知らない。ズンズンと人混みの中に歩みを進める。
俺の仮説は正しいはずだ。幼い頃から、散々そう言われてきたのだ。俺は、俺の顔は、七つ年上の姉さんにそっくりなのだ。美人だと言われていた姉さんに、似てると言われるのはうれしかったが、歳をとるに連れ、線の細さや、女顔を指摘されているような気もした。
だから、わかる。こういう雰囲気が好みっていう、男がたくさんいることも。ネルが俺の……ペニス……を触ることができたことから考えれば、バイなのかもしれないけど。それでも、とにかく、――
(あいつ……俺の顔が、好きなんだ)
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