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1. と、出会う

04 甘さと苦さと

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「………ねえ、もう少し、かわいげとかないわけ?」

 メアリルボーンのカフェだった。こうして先ほどから、俺たちは、心地のいい秋の晴天の下、オープンテラスのテーブルを挟んで睨み合っている。
 肘をつき、片眉をあげ、心底嫌そうな顔をしたネルが、そう、吐き捨てるように言った。
 かわいげだなんて、言われても困る。はじめから喧嘩腰なのはそっちじゃないか、と思いながら、きっと、俺も、ぶすっとした顔をしているんだろうな、と思う。

 とりあえず業務の説明をしてこい、というスパロウさん、───改め、スパロウ課長の命令により、ネルは、とにかくリズヴェールの街を案内しながら、特殊警務官がどんなことを通常してるのかということ、今追ってる事件のことを大まかに説明してくれていた。
 業務内容は、大まかに言えば、内勤と外回り。俺が想像しうる警務官の仕事、そのままだった。事件があれば、調査しに行くと、事件が終われば報告書を提出する。事件がないときは、巡回班の警邏とは被らないように、見回り。

(ほんとに…刑事みたいだな…ほんとに、俺が?)

 そんなことを考えていると、ネルが目の前で、顔の半分ほどもありそうな大きなカップを掲げ、ごくごくと飲み干した。
 その姿を見て、思わず、うっと顔をしかめてしまった。

「ホットチョコレートってだけで、相当甘いのに、ホイップクリームにチョコチップ、チョコレートソース乗せって正気か?」
「そっちこそ、エスプレッソに砂糖入れないとか、正気?」

 ネルの持っているカップに、波々注がれたホットチョコレートの、その香りだけでも、頭がおかしくなりそうだった。ネルは相当甘党なようなのだ。そして、そのトッピングを見る限りは、おそらく、チョコレートが好きなのだろう。
 しばらく二人で睨み合っていたが、埒が明かずに、とにかく、今追っている事件の話に戻ることになった。

「今はこの連続殺人事件だよ。通常、シェラント警察に回ってきた案件の中で、した案件は、特殊警務課サーカスに回ってくる」
「人間離れ…」
「そう。別にその内容に、一貫性はないけど、今回は、簡単に言うなら、死体の損壊が激しすぎって感じかな」
「それは通常の猟奇事件と何が違うんだ?」

 死体の損壊が激しい、と言うのは、おそらくその字面の通りなんだろうが、それが、人間がやったものではない、と、感じるレベルというのは、どれくらいのレベルなんだろうと不思議に思った。人間相手でも、おかしなことをする奴はいるはずで、首を傾げる。
 俺がそう言うと、ネルは一瞬、きょとんとして、それから、妙に低い声で、こちらの様子を伺うように言った。

「違うから、うちに回ってくるんだよ」

 そう言って、ネルはトレンチコートのポケットから、数枚の写真を取り出した。
 こうして一介の警務官が、未だ高価な写真を、何枚も、さっと出してくるあたりに、シェラント警察の底知れなさを感じた。───のも、束の間。テーブルに無造作にポンと置かれたその写真を見て、俺は、飲みかけていたエスプレッソを、ぶっと吹き出しそうになった。

(人間離れって……これ…)

 その写真の中には、幾人もの男性が、奇妙なポーズのまま、固まっている姿が写し出されていた。それは一見、石膏像か、あるいは、洋服店のマネキンのようにも見える。これが『殺人事件』の現場写真だと言うのなら、この写し出されたものは、人間の死体なのだ。それは、明らかに異常だった。
 震える手で、その写真にそっと触れると、ネルが説明しはじめた。

「今のところ、被害者は二十代から三十代の男性。みんなこんな風にされて発見されてる」
「おい…悪霊ベスィっていうのは、魔術のような力を使うのか」
「『魔術』だなんて古風な言い方するね。まあ、魔導技術は今は、魔導具を作る技師しか使わないからね。免許も取らないといけないし。だから、ソーマは見慣れてないかもしれないけど、ベスィの使う能力は、それとは全然違うよ。見てわからない?」

 俺は、最近、リズヴェールに出てきたばかりだったのだ。
 田舎の方では、普通にみんな「魔術」と言っていたような気がしたが、大都市では「魔導技術」と言うのか、と知る。見てわからないか、と、また高圧的に言われて、なんだか自分が田舎者だってことを指摘されたような気になって、カッと顔に熱が集まった。
 でも、ネルにそう言われて、確かに、と思う。いくら魔術、───魔導技術を使ったとして、一体どんなことをすれば、人間がこんな状態になって発見されるのか、見当もつかなかった。

「その、これは……一体…」
「うん。強いて言うのなら、霊力って言うのかな。魂の力みたいなもんだよ。みんな悶絶しながら息絶えてる。そのまま、固められちゃったんだろうね」

 なんでもないことのようにそう言うネルは、きっと、もう何件もこんな凄惨な現場を見てきたんだろう。オープンテラスの中でも、壁よりの、一番端の席に座っていたが、俺は、一瞬怯みながらも、それでも、周りの客や店員に見られてはまずいと思い、テーブルの上にばら撒かれた写真をそっとかき集めた。
 その様子を見たネルの雰囲気が、一瞬だけ、ふわっと和らいだような気がして、ちらっと顔を向けた。でも、それはただの間違いで、そこには、相変わらずにやにやした顔のネルがいて、言われた。

「怖いの?ソーマは、怖がりだよね」
「………は?」

 なぜか断定するように言われて、流石にイラッとした。
 俺は確かに、姉を亡くして以来、随分と人を避けて生きてきた。でも、気味悪がられることはあったが、こんなにも、あからさまに敵意のようなものを向けられたことはなく、正直、戸惑っている部分もあるのだ。でも、言われのない難癖をつけられて、ふつふつと怒りが沸いてくる。

「そもそも、女帝陛下エンプレス直属の警務課だとか言いながら、こんな素性も確認せずに、すぐに勤務させられるなんて、怪しすぎるだろ」
「素性はもう、確認したよ。ソーマ・オルディスでしょ。それで、あいつらが視える」
「それだけかよ」
「それが、大事なんだよ」

 そんなに、視える人間は少ないのだろうか…と、考えて、確かに、俺が生きてきて、未だかつて、ネル一人しか、あの【オカシナモノ】───ベスィ、が視える人間に出会ったことがないのだから、そうか、と納得した。でもそれだけで、女帝陛下は安易に銀時計を渡すものなのだろうか。シェラント警察署の、あの敷居の高そうな、面構えを思い出し、眉間に皺が寄る。

(ほんとかよ……)

 内心疑いながらも、手にした写真に、人に見えないように目を通す。
 その石膏像のようになってしまった男たちは、だけど、決して、美術館で見るそれらのように、裸体を晒しているわけではないのだ。それぞれが、それぞれの場所で、きちんと服を着ている。
 例えば、街角らしきところで固まってしまった彼は、トレンチコートを着ているし、どこかの貴族の屋敷のような、煌びやかな豪邸で固まってしまった彼は、正装をきちんと着こなしているように見えた。レストランのような場所にいる人は、コートを脱ぎ、爽やかな装いで。そう言ったものを、数枚見て、ふと、思った、───。

「ベスィは、なんだか、憧れの強い女なんだな…」

 その呟きを聞いたネルは、ものすごく驚いたような顔で、俺のことを振り返った。それから、その華やかな顔についた、空色の瞳をパチパチと瞬かせながら、尋ねた。

「なんでそう思ったの?」

 男ばかりが被害者だから、というのもある。だけど、それよりも。

「えっと…デート、してるみたいだから?」
「──────は?」
「だってほら。街角、レストラン、舞踏会、これとか、ピクニック? 美術館、図書館も」

 写真を一枚一枚指さす俺を見ながら、ネルは徐々に、眉間に皺を寄せ、それから、すごく険しい顔になっていった。俺はそれがどうしてなのか、よくわからずに、その様子を、じっと見つめていた。
 ネルはしばらく黙っていて、もしかして、俺ってちょっと推理とかできちゃったんじゃない?とか、少し、思い始めた頃だった。全く反対のことを、ネルは口にした。

「ソーマ。これから一緒に行動しなくちゃならないから、一応言っておくけど。───ベスィに感情とか、ないからね」
「え?」

  その言葉が頭に届いてから、数秒、ぽかんと固まってしまった。どうしてだろう。この写真は、こんなにも、感情に溢れているような気がするのに。ネルは今まで見た中で、一番怖い雰囲気の顔で、吐き捨てるように言った。

「あるのは、人間に対する破壊衝動だけだよ」
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