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第一話 眩暈~花の陥落

#2 衆目環視のなかで

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 もう蝶子ではない。
 そこにいるのは、羞恥と不安と、そして期待に震える新人小説家、花。
 仕事も恋も人生も、何もかもがまだこれからの。

「あの、わたし……」

 Dの目が色気をしたたらせて細まった。

「羞ずかしい? でも感じてるね。かわいい」

「あ……」

 言葉が出ない。ぞくぞくぞくと這い上がる快感に全身が痺れる。

   (ああ、初心な娘の身体はこんなに敏感なんだ)
   なりきった意識の底で、冷静に観察している本物の蝶子がいる。

「とても素敵だ。だからほら、みんな君に注目してる」

 はっとして見渡すと、たしかに、あちこちのソファから花を見つめている視線があることを感じる。会員制の高級シークレットサロンとはいえ、このフロアは強い刺激を求めるゲストのためのフロアだ。ほの暗い妖しいムードのなか、トップソムリエと初心な美女のペアは、周囲の羨望と好奇の注目を集めずにはおかなかったのだ。

「あ」

 またぞわぞわと悦楽が忍び寄り、じゅんと蜜があふれる。
 顎をすうっと撫で上げられて、思わず声が出た。

「あっ」

 明らかに甘く濡れた声に、花自身がいちばん驚いた。
 ばっと口を押さえた手は、Dにやさしく、しかし強い力で外された。

「だめだよ。声を抑えちゃ。もっと聞かせて」

 ふるふると首を振る。

「じゃあ、ちょっと強引に聞かせてもらうことになるけど、それでもいい?」

 それも困る。

「力を抜いて。僕に任せて。君はただ感じていればいいから」
「でも」
「知りたいんでしょ? 色気とエロスと」

 奪われた手首の内側をぢゅうっと吸いあげる薄い唇。

「エクスタシーを」

 背骨を抜かれたように芯が抜け、Dの胸に崩れ落ちた。


 *

「あっ、あっ、あっ、あんっ」

 肩を抱かれてソファに身を沈め、もうどれだけこうして乳首を弄られているだろう。
 服の上から指先で形をなぞり、くにくにと上下左右に押し上げ押し下げ、時折くりんと摘んで、花に高い声をあげさせる。

 かりっ。

「あんっ!」

 爪でひっかかれると、目の中に星がとぶ。

 かりっ、かりっ、かりかりっ。

「あああああああああっ」

 少なからずフロアに響くほどのボリュームで嬌声をあげていることを気にする余裕は、もはやなかった。

「あ、あ、あ、あああああ……」

 脚の間が熱い。生地に染みをつくった愛液はとうにソファにも届いているだろう。

 敏感になりすぎた乳首をなおも捏ねる指。
 首筋を這う舌。耳朶を咥える唇。

「ああんっ」

 撫で下ろす手が腰にまわり、腿の上にのせられた。
 びくりと全身が跳ねる。
 大きな掌は、そのままよどみなく腿の内側に割り入ってきた。

(あ)

 頭が真っ白に固まってしまい、声が出ない。


   (男を知らない女の体はなんて脆いの。たったこれだけのことで、こんなに震えて……)
   膝の間に侵入された途端、その先を身体が察してしまうのだ。


 Dの手は、容赦なく秘所に触れてきた。

「嘘、待って」

 湿り気のある陰毛を混ぜるように撫で、脚のつけ根を指でなぞる。

「大丈夫。今日は初めてだからね。本格的なことはしないよ」

 本格的なことはしない?
 ちょっと何を言っているのかわからない。
 性に疎い女にとっては、もうすでに全てが未知の奥地だというのに。

「でも僕もソムリエとして君をきちんと気持ちよくしてあげたいから、もう少しがんばってね」

 もう十分気持ちよくなったから!と、花が思ったか、どうか。

 Ilinx(イリンクス)屈指のトップソムリエの繊細な指が、花の花弁をなぞりあげ、慎ましく隠されていた陰核を暴いた。

「ああああああああああああぁっ」

 そっと触れるだけの刺激も、今の花には雷鳴の一撃だ。

「ああぁっああぁっああぁっ、だめっだめっ、お願いそれ、あっ、らめっ……」

 今や、フロア中が固唾をのんで二人を注視していた。

 ワンピースの下の暗がりのなか、花の初々しい女芯がプロの技巧の前にどれほど為すすべもなく濡れそぼっているかは見えずとも、男の手管が容赦なく女の身体を暴き、見たこともない快楽に沈めて溺れさせていることは、手に取るようにわかる。

 乱れる肢体を惜しげもなく晒して、今まさに昇りつめてゆく美女と。
 腕の中の女を意のままに喘がせ、凄艶な笑みを浮かべる麗しい男と。

 こんなにも美しい悦楽のクライマックスがあるだろうか。

 そして見守る観客の目の前で、とうとう花にこれまで経験したこともない絶頂が訪れる。

「あああああああああああああああああああああああああああッ─────」

 長い痙攣はいつ果てるともなく続いた。
 やがてすすり泣きがふっと途絶えたと同時に、女の身体は糸の切れたマリオネットのようにほろりと崩れ落ちる。

 抱き上げて立ち去るDの姿が消えた後も、しばらくは咳払いひとつ聞こえず静まりかえっていた。


 *

「悪くなかったわよ。今日のシチュエーションとミステリープレイ」

 シャワーを浴びて着替えた蝶子がカウンターに戻ってきた時には、Dはもういつも通りのバーテンダーに戻っていた。

「ありがとうございます。蝶子さんにそう言っていただけると」
「なりきりプレイも、やればできるものね」

 Dは涼しい目線を蝶子に向けた。さっきまで溢れたおしていた凄艶な色気も、エロティックな嗜虐の表情も、すっかり影を潜めて跡形もない。
 蝶子もまた元通りの売れっ子作家の顔に戻り、ベテランの貫禄を漂わせている。

「苦手な方もおられますが、蝶子さんは創作をされますから」

 言われてみれば、架空の人物の思考や感情を想像して動きを考える小説執筆と同じこと。自分を登場人物にすればいいわけだ。

「それにしても、実際に感じ方まであんなに変わるなんてね。新しい発見だったわ」

 怖かった。羞ずかしかった。不安だった。翻弄された。怖かった。
 でも、ついぞ知らないくらい胸が高鳴りもした。

(初めてのときって、あんなだったかしら)

「それはよかったです」

 口角を小さく上げただけのDのいつもの笑みが、今夜は妙に気恥ずかしい。

「ありがとう。いいネタになりそうだわ」

 じゃあ、と立ち去る背中を、「ありがとうございました」と声が見送る。
 ひらひらと手を翻し、後ろは振り返らなかった。



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