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第一話 眩暈~花の陥落
#1 初めてのハプニングバー
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ここは、会員制高級ハプニングバー Ilinx(イリンクス)。
大人のエロスとエクスタシーを愛する紳士淑女が集う、禁断の社交場。
今夜も、一夜限りの悦楽を求めるゲストが、秘密の扉を開けてやってくる。
*
「蝶子さん、今日はどうします?」
L字のカウンターの右端。定位置についた蝶子に、カウンターの内側から低い声が問うた。
「実はノープランなの。脱稿したばかりで」
「次の構想は?」
蝶子はその道では知られた売れっ子官能小説家だ。作品のための取材がきっかけでこのシークレットサロンに通いだしてもうしばらくになる。
「まだ何も。そのための刺激にもなればいいかな、今日は。何か提案して?」
「わかりました」
グラスが差し出され、琥珀の酒のなかで氷がからんと澄んだ音を立てた。
オーセンティックバーのカウンターに立ってもパーフェクトな立ち居振る舞いだ。
「では、そうですね。今日のあなたは、初めてこの店に連れてこられた駆け出しの作家。文章に色気がないと言われて、エロスを知りに来た。そう、名前は、花。──というのはどうです?」
「それであなたに仕込まれるわけね。いいわよ、D」
この店のスタッフは皆アルファベット一文字のニックネームで呼ばれる。
「それで、どうなるの?」
「この先はミステリープレイでいきませんか」
ハプニングバーといっても、会員制高級シークレットサロンである。ゲストが不快な気持ちになることは一瞬たりともないよう、すみずみまで行き届いたサービスが提供されている。
ゲストは、ゲストどうしで楽しむこともできれば、プレジャーソムリエ、略してソムリエと呼ばれるプレイアテンダントをその日のパートナーとすることもできる。無論、変更も追加も可能だ。
「ミステリープレイ? それは初めて聞いたわ」
バーテンダーでありソムリエでもあるDは、芸術的なまでの仕草で首を傾け、小さな微笑を浮かべた。
「教えて。どんなことをするの?」
「その名の通りですよ」
シチュエーションを設定したら、あとはエスコートするソムリエに一任する。どのフロアで、何をするか、されるか。
「文字通りのハプニングを楽しませてさしあげます。たっぷりとね」
「いいわ。じゃあそれでやってみましょう」
*
二人のすがたが蘭の間にあらわれると、気づいた者からざわめきが広がっていった。
トップソムリエであるDがゲストをエスコートしてフロアに出ることなど、めったにない。まして、ディープなプレイの許されたラウンジフロア蘭の間である。
「ああ、お相手はレディ・バタフライか」
「なるほど、それで」
「今日のレディはひときわ扇情的だね」
「同じ女から見てもたまらないわ」
静かな驚きは、すぐに羨望と憧憬に変わる。蝶子もまたこのIlinx(イリンクス)では少なからず知られた謎の美女だったのである。
だが、蝶子は今日は「花」である。
Dは蝶子をソファに座らせると、向かい合わせに身体を沈めた。
「どうだい? 気分は?」
「さすがに恥ずかしいかしら、少しだけど」
「花」
咎める口調の低い声。
「違うだろう? 初めてこの店に放り込まれた新人作家がそんなことを言う? そんな格好をさせられて、担当者にも放り出されて、こんな大勢の人目のあるところで、これからこの見知らぬ男に何をされるのかもわからないんだよ?」
ふいに伸ばされたDの手が、蝶子の顎をとらえた。
「花」
もう一度やりなおし、というように、節ばった長い指が蝶子の輪郭をぞわりとなぞった。
「どうだい? 気分は?」
蝶子は目を閉じ、想像する。
私は初めてこの店に連れてこられた新人作家。文章に色気がないのがコンプレックス。それはきっと、私が色気からほど遠いから。性や快楽をあまり知らないか、苦手意識があるのかも。もしかして花は処女かしら。あるいは、気持ちいいセックスをしたことがない。逆に、すごく好きで、そのことに罪悪感を持っている? いいえ、それなら文章には出るはずよ。初心で、きっとルックスも地味。おしゃれやお化粧がわからなくて。でも本当はすぐれた資質をもっているのよ。エロティックな身体。感じやすくて、繊細。ただ、気づいてないだけ。開花していないだけ。そう、私は花。──もうひとつの人格が、すうっと蝶子に重なった。
そんな初心な女が、こんなところに初めて連れてこられて、なのに連れてきた担当者はどこかに行ってしまい、店のルールだからと、身につけていた一切を着替えさせられた。選択の余地もなく与えられたのは、びっくりするほどなめらかなニットのワンピース。ハイネックの上品なデザインで、身に着けるだけで肌でわかるほどの上質さだ。ただし、花がいま身にまとっているのは、正真正銘そのワンピース一枚だけ。下着も何も許されなかった。前身頃の中央を一直線に走る前開きのジッパーをもし引き下げられでもしたら、一糸まとわぬ姿が衆目にさらされてしまうだろう。そうでなくとも、ぴったりと身体に沿うタイトなワンピースは、花の美しいボディラインを見事に浮かび上がらせている。そして、重力をものともしない豊かな胸の双丘は、花の困惑をよそにしなやかなニット生地をぐいと押し上げ、小さな乳首がくっきり尖って存在を主張していた。
ロッカーに荷物をすべて預け、身ひとつでこのフロアに連れてこられた。店内を歩く間にも、守る下着のない脚の間は、確実に湿り気を増していく。ソファに座らされて、きっとニットに染みができているはず。こんな大勢の人目のあるところで、どうしよう。
羞ずかしい。こわい。これからどうなるの? 何をされるの? 私どうなっちゃうの?
そんなキャラクターが、パチンと音を立てて、はまった。
次ページへ続く
大人のエロスとエクスタシーを愛する紳士淑女が集う、禁断の社交場。
今夜も、一夜限りの悦楽を求めるゲストが、秘密の扉を開けてやってくる。
*
「蝶子さん、今日はどうします?」
L字のカウンターの右端。定位置についた蝶子に、カウンターの内側から低い声が問うた。
「実はノープランなの。脱稿したばかりで」
「次の構想は?」
蝶子はその道では知られた売れっ子官能小説家だ。作品のための取材がきっかけでこのシークレットサロンに通いだしてもうしばらくになる。
「まだ何も。そのための刺激にもなればいいかな、今日は。何か提案して?」
「わかりました」
グラスが差し出され、琥珀の酒のなかで氷がからんと澄んだ音を立てた。
オーセンティックバーのカウンターに立ってもパーフェクトな立ち居振る舞いだ。
「では、そうですね。今日のあなたは、初めてこの店に連れてこられた駆け出しの作家。文章に色気がないと言われて、エロスを知りに来た。そう、名前は、花。──というのはどうです?」
「それであなたに仕込まれるわけね。いいわよ、D」
この店のスタッフは皆アルファベット一文字のニックネームで呼ばれる。
「それで、どうなるの?」
「この先はミステリープレイでいきませんか」
ハプニングバーといっても、会員制高級シークレットサロンである。ゲストが不快な気持ちになることは一瞬たりともないよう、すみずみまで行き届いたサービスが提供されている。
ゲストは、ゲストどうしで楽しむこともできれば、プレジャーソムリエ、略してソムリエと呼ばれるプレイアテンダントをその日のパートナーとすることもできる。無論、変更も追加も可能だ。
「ミステリープレイ? それは初めて聞いたわ」
バーテンダーでありソムリエでもあるDは、芸術的なまでの仕草で首を傾け、小さな微笑を浮かべた。
「教えて。どんなことをするの?」
「その名の通りですよ」
シチュエーションを設定したら、あとはエスコートするソムリエに一任する。どのフロアで、何をするか、されるか。
「文字通りのハプニングを楽しませてさしあげます。たっぷりとね」
「いいわ。じゃあそれでやってみましょう」
*
二人のすがたが蘭の間にあらわれると、気づいた者からざわめきが広がっていった。
トップソムリエであるDがゲストをエスコートしてフロアに出ることなど、めったにない。まして、ディープなプレイの許されたラウンジフロア蘭の間である。
「ああ、お相手はレディ・バタフライか」
「なるほど、それで」
「今日のレディはひときわ扇情的だね」
「同じ女から見てもたまらないわ」
静かな驚きは、すぐに羨望と憧憬に変わる。蝶子もまたこのIlinx(イリンクス)では少なからず知られた謎の美女だったのである。
だが、蝶子は今日は「花」である。
Dは蝶子をソファに座らせると、向かい合わせに身体を沈めた。
「どうだい? 気分は?」
「さすがに恥ずかしいかしら、少しだけど」
「花」
咎める口調の低い声。
「違うだろう? 初めてこの店に放り込まれた新人作家がそんなことを言う? そんな格好をさせられて、担当者にも放り出されて、こんな大勢の人目のあるところで、これからこの見知らぬ男に何をされるのかもわからないんだよ?」
ふいに伸ばされたDの手が、蝶子の顎をとらえた。
「花」
もう一度やりなおし、というように、節ばった長い指が蝶子の輪郭をぞわりとなぞった。
「どうだい? 気分は?」
蝶子は目を閉じ、想像する。
私は初めてこの店に連れてこられた新人作家。文章に色気がないのがコンプレックス。それはきっと、私が色気からほど遠いから。性や快楽をあまり知らないか、苦手意識があるのかも。もしかして花は処女かしら。あるいは、気持ちいいセックスをしたことがない。逆に、すごく好きで、そのことに罪悪感を持っている? いいえ、それなら文章には出るはずよ。初心で、きっとルックスも地味。おしゃれやお化粧がわからなくて。でも本当はすぐれた資質をもっているのよ。エロティックな身体。感じやすくて、繊細。ただ、気づいてないだけ。開花していないだけ。そう、私は花。──もうひとつの人格が、すうっと蝶子に重なった。
そんな初心な女が、こんなところに初めて連れてこられて、なのに連れてきた担当者はどこかに行ってしまい、店のルールだからと、身につけていた一切を着替えさせられた。選択の余地もなく与えられたのは、びっくりするほどなめらかなニットのワンピース。ハイネックの上品なデザインで、身に着けるだけで肌でわかるほどの上質さだ。ただし、花がいま身にまとっているのは、正真正銘そのワンピース一枚だけ。下着も何も許されなかった。前身頃の中央を一直線に走る前開きのジッパーをもし引き下げられでもしたら、一糸まとわぬ姿が衆目にさらされてしまうだろう。そうでなくとも、ぴったりと身体に沿うタイトなワンピースは、花の美しいボディラインを見事に浮かび上がらせている。そして、重力をものともしない豊かな胸の双丘は、花の困惑をよそにしなやかなニット生地をぐいと押し上げ、小さな乳首がくっきり尖って存在を主張していた。
ロッカーに荷物をすべて預け、身ひとつでこのフロアに連れてこられた。店内を歩く間にも、守る下着のない脚の間は、確実に湿り気を増していく。ソファに座らされて、きっとニットに染みができているはず。こんな大勢の人目のあるところで、どうしよう。
羞ずかしい。こわい。これからどうなるの? 何をされるの? 私どうなっちゃうの?
そんなキャラクターが、パチンと音を立てて、はまった。
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