ハシャドゥーラの蓮

noiz

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図書館や聖堂へ行ったふたりを過去にして、俺達は夜の入り口を通って都市を出た。海辺を走って来た道を帰る。エンジンと排気音に、感情の全てを散らしながら。

バイクを走らせて見慣れた通りへ入り、俺達はゴミ捨て場やドブ川の多いスラムへ帰ってきた。

しかし、微かな違和感を覚える。丘の下のマーケットに人が少ない。不自然に閑散としている。シグラと視線を交わし、同じ異変を感じている事を確認した。

 通りに見張りがいないのが決定的だった。見張りがいないのは、どこかにメンバーが集中しているからだ。俺は無視を決め込んでいたスマホの事を思い出したが、こうなればもう本部へ向かった方が話が早い。

バイクを走らせて本部へ向かったが、悪い予感がしていた。

数分走れば、その予感を現実にするように、繁華街の方が赤く燃えているのが見えた。焦げ臭さと不穏さに、神経が尖る。遠くで消防のサイレンが聞こえ始めた。

本部の前にバイクを停めたが、建物は硝子が割れ鉄格子も半壊していた。崩れた壁や銃痕に、抗争の痕跡を認める。俺達がバイクを降りようとした時、突然建物の裏からディエゴが姿を現した。

「おい、どういう事だ? なんでこんな事になった?」

銃を握るディエゴの肌や衣服は汚れて傷付いている。明らかに戦闘を終えてきたと解る様子だ。ディエゴはいつになく深刻な表情で、俺達を見つめて言った。

「xDKと抗争になった」
「被害は?」
「半分以上だ。どっちが優勢か確認できない程度に人手が足りてない」
「たった2日でどうしてこうなったんだ?」

訊きたい事は山ほどある。矢継ぎ早に問い掛けると、ディエゴは不自然なほど押し黙った後に、口を開いた。

「カミロ、シグラ。ひとつ話さなきゃならない事がある」

重い話し出しに、焦りが却って冷えていく。ディエゴは眉根を寄せて続けた。

「俺はアグーリャのやり方を気に入っちゃいない。xDKもディスペルソも同じだ。どっちもクソ野郎の組織だよ」
「ディエゴ……?」
「無くなっちまえばいいんだ。このまま全部」

自暴自棄とも取れるが、ディエゴの真意は解らない。俺とシグラは、蔓延する火事の気配とサイレンの鳴り響く中、ディエゴの次の言葉に意識を集中していた。

「お前達には話してなかったが、エリは俺の恩人だった」
「エリが?」

この状況で唐突に告げられた名前に、思考が立ち止まる。俺達とディエゴとは当時、顔見知り程度の仲だった。エリとディエゴとは現場が被っていなかったので、仕事上で関わる事はあまり無かったのだ。

「俺とエリは同時期に組織に入ったんだ。俺はエリほど仕事が出来なかったから、何度もフォローして貰ってきた。命を助けられていたようなもんだ。だが、あの時……お前がエリを助けようとして殴られてた時。俺は何も出来なかった」
「……俺だって、殴られてただけだ」

今の俺があの状況にぶち当たったら、一体どうしていただろう。同じではない。同じではないと、今は言える。今ならば。

「ジョアンには酷い事をした。この抗争で街にも俺達にも大きな被害が出てる。死んでも俺は許されないだろう」

その言葉で、俺は全てを悟った。

「お前がジョアンを嗾けた?」
「ああ。バシリオの姉が薬中だと噂を聞いていた。ジョアンにピスカを盗ませて、俺は機を狙ってた」

xDKのヘッドであるバシリオには姉が居る。それは誰でも知っているが、ジャンキーかどうかなど、聞いた事はあったかもしれないが、なんの意外性もなく覚えていない。

「ジョアンはよくハポーザで食事をしていた。あの日、奴がラリッてハポーザに向かった時、俺は奴の部屋からピスカを持ち出して、それをバシリオの姉に横流ししたんだ。ディスペルソの最新の良い薬だと言えば簡単だった。ジョアンもあの女も、薬中は同じだ。新薬に目が無い。俺はその足でアグーリャにジョアンがピスカを盗んだようだとバラし、全てをやり終えてから、お前達に合流したんだ。後は待ってるだけだった。バシリオがピスカでボロボロになった姉に気付けば、薬がどこの何かはそのうち解る。そして、事は起こったわけだ」

キースとピスカの話をした事を、俺はシグラにも伝えていた。だが俺は、ディエゴを容疑者から外していた。

あの日、ディエゴはシグラと居たのだからと。可能性が全く無いからではなく、そう思いたかったからだ。

疑おうと思えば、俺達が合流する前に出来たであろう事は解っていた。それでも俺達は、誰が怪しいという犯人探しはしなかった。可能性があるという事だけを知っていれば充分だ。

起こる事というのは、俺は避けられないと思っている。ギャングに入って俺が学んだのは、起こった時に対処する方法を出来るだけ用意しておくという事だ。

「カミロ、シグラ。俺を処刑してくれ。組織はもうどちらも存続できる状態じゃないだろう。俺の目的は果たされた」

そう言って項垂れたディエゴは、もう気力も希望もないといった様子で、死ぬ事で救われたがっているのだと解る。だが俺は、シグラのように人の願いへ寄り添ってやるような人間ではない。

「……アグーリャはもう組織を諦めたのか?」
「今は膠着状態だが、諦めなくても組織は壊滅同然だ。武器倉庫に招集が掛かってるが、逃げても今ならバレない。誰がそこへ行くかも微妙な所だろうな」
「バシリオも生きてるのか?」
「向こうも本部は壊滅だ。いつものクラブに屯してる情報が入ってる。アグーリャはやり合うつもりかもな」
「だったら何も終わってないだろう」
「どっちが生き残るかはどうもいい。俺は組織を潰したかっただけだ」
「半端なこと言ってんなよ。ディエゴ、俺はアグーリャを殺す」
「……なんだって?」

ディエゴが顔を上げて俺を見る。
黙ったままのシグラが俺をそっと見守っている事も、気配で感じていた。

「クラブへ行く。バシリオの首は俺が取る。アグーリャへの冥土の土産にしてやるよ」
「おい、無茶苦茶だ。無理に決まってるだろ」
「お前、組織を潰す為にここまでしといて、どの口が言うんだ?」
「それは、」
「俺が思ってたよりお前は骨が有ったんだな」
「カミロ、そういう問題じゃ」
「いや、話してくれて助かったよ。お前の本性を見誤ってた」
「聞けって」
「聞くのはお前だディエゴ。死ぬ気があるなら手を貸せよ。バシリオの首を取ったら俺も倉庫に行く。首を転がせば注目が集まるだろ。その隙を狙いたい。クラブへまで一緒に来いとは言わない。けど首を転がすのはお前がやれ。そんな度胸があったんなら、それくらい出来るだろ」
「お前ひとりでバシリオを殺すのか?」
「そうだ。向こうの幹部連中はどうなってる? 精鋭は生きてるのか?」

問い詰めると、ディエゴは大きな溜息を吐きながら天を仰ぎ、それから改めて俺を見た。

「詳細は俺達も把握できてないが、幹部や精鋭も、生き残りは精々半分てとこだろう。だがクラブにまだ居るような連中は奴の仲間と同じだぞ」
「だろうな。だが的確な的打ちができるのは上層部だ。ザコの相手をしなければなんとかなる」
「どうやって?」
「乗り気か? ディエゴ」
 
そう笑い掛けると、ディエゴは逡巡の末に、頷いた。

「俺だってアグーリャを始末できるなら、それに越した事はない」

生気の戻ってきたディエゴが、首を傾げて続ける。

「だが、殺した後はどうするつもりだ?」

正直言って、これは愚問だ。
ディエゴは本当に組織の壊滅しか頭になかったらしい。

「お前には悪いが、ハシャドゥーラには纏める者が必要だ。組織を無くしたら秩序が無くなる」

警察や政府など、スラムには碌に手を出さない。犯罪組織と警察はいつもギリギリの均衡を保ってきた。今も街に警官の数が少なすぎるのは、ディスペルソかxDKのどちらかが潰れるのを待っているからだ。その方が都合が良い。ひとつのスラムを纏めるのはひとつの組織で良い。揉め事が減るのは警察にとって願っても無い事だ。

「カミロ……まさか、」
「この事態を収める気があるなら、この先もお前の力を貸して欲しい」

ディエゴは押し黙って考えていた。死ぬ気で俺達を待っていたのだ。こんな選択を迫られるとは思ってなかっただろう。

「……わかった」

処刑を求めて虚ろな瞳をしていたディエゴは、漸く力強い瞳で俺を見つめ返した。

「お前がボスなら、この街もマシになるだろう」

もし俺がハシャドゥーラを仕切るなら、ディエゴの言う通りになる。これは自負ではない。俺はアグーリャやバシリオのようなやり方はしない。どんな方法を取ったとしても、少なくとも無駄な殺しはしない。それだけは確実に約束できる事だ。

「シグラ、」

これまで口を挟まなかったシグラの方を振り向くと、シグラは微かに笑って頷いた。

「俺はお前の傍にいる。なにも変わらない」

その一言で充分だった。
命すら、分け合っている感触がある。一番護りたい人を危険に曝すのは矛盾している。それでも、俺達が生き抜くというのは、おそらくこういう事だ。安全な場所に逃亡して、隠れ住むのではなく。



 ◆



ディエゴに確認すると、キースが生き残っている事は解った。俺が信頼に足ると思える男はキースだけだ。内密に話がしたい旨の連絡を入れると、暫くしてから着信が入った。

「誰もいないな?」
『大丈夫だ。シグラも無事か?』
「ああ。俺達は今ディエゴと居る」
『さっさと倉庫へ来いよ。次の手を考えてるところだ』
「悪いが俺は単身でバシリオの首を取る」
『……なに?』
「そっちへ行くのはそれが済んでからだ」
『カミロどういう事だ?』
「俺達が首をそっちへ持っていったら、俺はアグーリャを殺すつもりだ」
『突拍子もないな、ラリッてんのか?』
「キース、お前にしか伝えない」

その言葉で、キースは一瞬黙った。
それから、溜息の漏れる気配がした。殆どディエゴと同じ反応だな、と思った。

『……俺もお前を信頼してるよ。こっちの事は任せろ。どうせすぐに動くような事態にはならない。十四人しか集まってないんだ』
「好都合だな」
『どうするつもりか知らないが、無茶して死んだりするなよ』
「恩に着る」

通話を切って、側にいるシグラとディエゴと承諾の視線を交わす。
俺達は壊滅した本部で軽い打ち合わせをし、地下の隠し扉を開けて残っている武器を装備した。三人分には充分だ。

結局クラブへも同行すると決意したディエゴと連れ立ち、バイクでクラブへ向かう。
見慣れた街が見慣れない辛気臭さで静まり返っている。エンジン音がこんなに響く夜があったろうか。

母親やノエ、リアの身の事が気掛かりだった。それでも、沸き立つ想いもなければ不安もなく、何故か無事だろうという確信と、無謀なこの賭けで死ぬ気はしなかった。

理由は解らない。
人を殺しに行く時には、やけに頭が冷えている。

撃ち合いの現場へ行けば繋がれた鎖を外されたように興奮状態になり変わることが多いが、暗殺ではそうでもない。今日がどう転ぶか解らない。いつだって、一寸先の自分の事が読めないのだ。
そのくせ妙に勘だけは冴えていて、悪い予感は大抵当たるし、上手くいくと思う時にはそうなる。

成功しても失敗しても、今日、俺は死なないし、シグラを失うことも無いという確信があった。



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