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Alcatraz 02
しおりを挟む「なに見てるんだ」
朝方ようやく浅い眠りにつけたかと思うと、そう時間の経たないうちになにか気配を感じてセレッソは眼を開けた。霞む視界に居たのは、きのう相部屋となったあの男だった。ラガルトはセレッソのベッドに座り、行儀悪く組んだ脚の上で頬杖をついてこちらを見つめていた。
「いや、本当にアンタって綺麗な顔だなと思って」
「……気色悪い」
「うわー率直」
何をされるか、もしくはもうされてはいないか、昨夜の一件で警戒するセレッソをよそに、ラガルトはあっさりそこをどいて自分のベッドに座った。
ラガルトは煙草を取り出して吸いながら、ぼんやりと部屋の隅を眺めるに落ち着いた。セレッソも特にすることも話すこともなかったので、目は覚めたがベッドで天井を見つめていた。
やがて監内にアナウンスが流れた。女性の合成音声だ。
『皆さんおはようございます。本日も張り切って更生労働に励み、適度な運動を心がけましょう。良い一日を!』
およそ監獄に似つかわしくないアナウンスが衛生的に鳴り響くと、どこか囚人達の生活の息吹を感じた。ここでは外の景色は通路すら見れない幽閉された独房だが、壁越しに起き出した囚人達の気配が伝わってくるのだろう。
『1678番!』
突然監視窓が開くとそこから眼が覗き、外からマイクを通したような声がした。
『本日からのお前の仕事だが』
「あぁー、彼はいい」
看守の言葉を遮り、ラガルトが口を挟んだ。
「コイツは俺の仕事を手伝うからここでいい。PCだけ持ってこい。いいな?」
『……許可する。持ってこさせよう』
沈黙の中に、言葉に出さない感情が多分にありそうだったが、看守は承諾すると去っていった。
この監獄の中でも囚人や看守の格があるのだろうということを改めて認識したセレッソは、ラガルトに向き直った。
「どういうことだ?」
「ここではそれぞれに役割がある。怪我人や病人が居るってのもあるけど、仕事はできる奴ができる事をやるようになってるんだ。力仕事から芸術家まで様々さ」
「それでなんで俺がお前の仕事を手伝うんだ」
「俺がそうしたいから」
ラガルトは当たり前の事のようにそう言い切った。セレッソは遠慮のない横暴さに物が言えす、小さく溜息を漏らした。しかし盾突いても良い事は無いだろう。セレッソは無駄な言葉は挟まずに続けた。
「で、なんだよ。その仕事って」
「ネットパトロールさ。べつにアンタは何もしなくていい、俺の横でディスプレイだけ眺めてればそれっぽく見えるからな。まあ何なら教えるけど」
「ネットパトロール、」
「ああ。そのままの意味だ。ネット上で犯罪者を取り締まるだけだ。サイバーテロの処理とか、闇サイトのデータバンクへのハッキングとか。犯罪者が犯罪者を取り締まるなんて皮肉なもんだよな。いちばん効率的ではあるけど」
説明を聞いていると、先刻の看守とは違うさらに格下の雑用らしき男がタブレットPCを持ってきた。
ラガルトは奥の壁に面したデスクにそれを置き、元々あった一台と並べた。置いてあった椅子に座ると、目でセレッソを呼ぶ。
セレッソがディスプレイを見るために近くに寄ると、座っていたラガルトは立っていたセレッソの腰を抱えてひっぱった。
「…!?」
セレッソは膝から崩れてラガルトの膝の上に座らされる形になり、すぐに立とうとしたが、腕を回されていて動けない。ラガルトは機嫌良く笑った。
「いいもの見せてやるよ」
体勢に対する発言は一切無く、ラガルトはセレッソを抱えたままPCを操作した。黒いウィンドウがいくつか開き、そこに文字列を打ち込んでいく。
すると、突然大きなポップアップに見取り図が表示された。
「…これは…」
「そう。アルカトラズだ」
表示されたのはまさにこの監獄で、囚人番号付の独房や看守室、食堂や管理事務所など、全てが表示されている。
「こんなのアクセスできるもんなのか?」
「それなりのハッカースキルがあれば。こんなの見たって別に脱走できる経路なんて無いってことがわかるだけだし、そんなに管理は厳しくないよ。アクセスがバレたところで問いただされることもないだろうさ」
「そういうもんか…」
「けど、ざっと頭に入れといたほうがいい。何かと便利だからな」
「なんに使えるんだよ」
「さあな。使うか使わないかはそいつ次第だ」
ラガルトがそんなことを言うので、セレッソは要領を得なかったが一応暗記を試みた。詳細を見れば、確かに脱出経路は無さそうだと理解できる。この監獄しかない小さな星を出るには、ポッドから脱出するよりないのだから。そこまで辿り着けても、管理室からの操作は必須だ。セキュリティの解除も容易では無いだろう。
「…もういいから降ろせ」
「やだね。アンタ抱き心地良いし」
「いいわけないだろ」
特に小柄でもなければ女のように柔らかな肉付きも無い締まった身体だ。しかしラガルトはまるで子供のようにセレッソを抱き締めて笑った。昏く歪んだ眼をしているくせに、妙に純粋そうにも見える不思議な男だった。
「楽しそうだな」
「楽しいよ。俺、アンタみたいな奴と一緒にいたかったんだ」
「一日しか経ってないのに、なんでそんなことわかるんだ。顔がお前の好みってだけだろ」
「わかるよ。そいつの雰囲気で、大体どういう人間かっていうのは」
どういう人間だと察したのか聞こうとして、バカらしくなってやめた。大体こうしていると害は無さそうだが、相部屋になる人間を悉く殺していたという男に害のないはずはない。この手の人間はいきなり人格が変わるのも珍しくない。イカれた奴にまともな返答は期待すべきではないと、セレッソは諦めた。
「ねぇ、俺たいていの情報は漁れるよ。映像でもいい。なんか、アンタの見たいものはないの?」
「見たいもの…?」
「映画でも景色でも、昔住んでた場所でも、看守の個人情報でも、なんでも」
「…そんなものない」
セレッソが呟くように答えると、ラガルトは眼を細めた。沈黙する唇に代わって瞳はなにか思案しているようだったが、やはり何も言わずにキーボードを離れた指先でセレッソの髪を弄った。深紅の髪が、さらりと手から溢れる。
「アンタさ、バカで無防備なだけの男じゃないよね」
「…なに?」
「俺がこんなことしててもろくに抵抗しないなんてさ…男としては、ちょっとどうなの?」
「…バカにしてるのか?」
セレッソが不快気に腕を解こうとしたが、ラガルトは力を込めて離さなかった。
「そうじゃない。セレッソ、あんたは諦めてるんだ。ずっとそうしてきたんだろう?…もしかして…」
ラガルトは酷薄な笑みを浮かべ、耳元へ囁いた。
「ここへ来たのも本当はただの冤罪だったりして…?」
「…ッ…離せ」
セレッソは今度こそ力を込めて立ち上がり、ラガルトを振りほどいた。ここから立ち去りたいとセレッソの背が訴えるが、行ける場所は無い。自身を落ち着かせるようにベッドに座り、部屋の隅を眺めた。
ラガルトは面白そうな顔をしていたが、やがて立ち上がると、独房の扉を開けた。それに訝しげな視線を投げかけたセレッソに、ラガルトは手を伸ばしそのまま腕を掴む。
「日中、監内は労働中とフリータイムだけ解放されてる。限られた範囲の鍵は開いてるんだ。外へ行こう」
「労働してなくていいのか」
「見つかったら注意は受けるな。まあでも、どうせ出来高制みたいなもんだ。成果があればいい」
「まだなにもしてないだろ」
「真面目だなぁ。戻ったらやるよ。早めの休憩だと思えばいい」
また彼の言いなりになるのも癪に障ると思ったが、ラガルトは腕を掴んでもう歩き出していたので、引っ張られるようにしてセレッソも立ち上がり、後に続いた。
独房の連なる通路に、やけに足音が響く。それぞれの持ち場があるのだろう、独房は閑散としているようだ。監視窓でも開けなければ中は見えないが、居るかどうかはランプの点灯で確認できるようになっている。不在の独房はランプが消えていた。
「おい、こっちじゃないのか」
今朝のアナウンスといい、やけに親切な監獄だ。案内板や時計が設置され、パソコンルームやダイナー、バスケットコートや教会に病室まで案内されていた。監内の囚人用の施設は中央のコートを囲んだフロアのみなので、方向が逆だ。
「いや、そっちじゃない」
しかしラガルトは他の経路を知っているのか、逆の方向へ向かっていく。暫く歩くと突き当たりの部屋に入った。
部屋には特に何もなく、机や椅子がまとめてある倉庫といった様子だ。ラガルトは奥の机の上に立つと、腰のベルトに刺さっていた金属棒を取り出し、頭上の通風孔の蓋を開けて中へ登った。
「ほら、来いよ」
腕を差し出され、躊躇う。一体どこへ行こうというのか、セレッソは首を傾げた。
「逃げたらどうなるかわかってんだろうな? どうせ帰る場所は同じなんだぞ。どう思ってるか知らないけどアンタ、俺より弱いんだから言う通りにしといた方がいい。言っとくけど、簡単に殺すほど慈悲深くないよ俺は」
今更引き返しても面倒な橋を渡ることには変わりないのだなと改めて思い知らされ、セレッソは溜息を吐いてラガルトの腕を掴んだ。簡単に引き上げられ、大してたくましくも無いその腕のどこにそんな力があるんだと忌々しく思った。
「監視カメラないのか?」
「セレッソはさ、この監獄がいつからあるか知ってる?」
「さあ、子どもの頃にはもう噂は聞いてたが…」
「築160年。おかげで設備は随分古い。新しいものも導入されてるけど、殆ど開設当初と変わってない」
「…つまり?」
「あの部屋は重要じゃないからカメラを変えてないんだ。もう死んでる。わざわざセンサーも入れてないしね」
「杜撰だな。地元の刑務所の方がしっかりしてたんじゃないか」
「そりゃそうだよ。終身刑の奴なんか更生する必要がないから生きてても死んでてもいいし、逃げてもこの星に街なんか無い。看守と囚人にしか被害者が出ないのに、無駄なコストなんか掛けても税金の無駄だろ」
「まあ、そうだな」
「開設当初こそ税金の有効利用をアピールするために派手に各星民に完璧な監獄を宣伝したみたいだけど、今は完全に時代に取り残されてるね」
そんな会話をしながら通風孔を通った二人は、別の部屋へ降りた。閉まっていた内鍵を開けて出ると、すぐそこにあるエレベータに乗って上昇した。ベルが鳴って扉が開くと、そこは監視塔だった。窓を張り巡らせたそこは絶好の展望場所だ。広がる宇宙の星々は煌き、中でも強く目を引くのは鮮やかに青い星だった。
「地球、」
「ああ。水の惑星だよ」
透明な窓に触れ、セレッソは呟く。この特殊硝子が無くても触れることなど出来るはずもないが、まるですぐそこにあるような、しかし遥か遠い青が浮かんでいた。
「あれが海か」
「行ったことはないけどな」
「俺もだ」
ラガルトは操作パネルを避けてデスクに座り、振り返るようにして地球を眺めた。
「妙なもんだよな。俺たち人類はあそこで生まれたのに、今じゃ殆どの奴があの星を知らない。行ったことのある奴のほうが少ないだろうさ」
「…そうだな」
すぐそこに見えるあの青い星まで、一体どれほどの距離があるのか。まるで蜃気楼のようだ。途方も無い距離。アルカトラズに、そしてあらゆる惑星に縛り付けられている一般人にとっては。すぐにそこまで飛べる連中は、ほんの一握りだ。
「行きたいと思ったことは?」
「…ないな。考えたこともない」
ラガルトの問いに、セレッソは地球を眺めたまま答えた。
「…お前の言う通りさ。俺は――俺はいつも諦めてきたんだ。でも俺だけじゃない。誰だってそうだ。きっと最初に覚えることだ。生きていくことは、諦めることだって」
「そうかもな」
「でもお前は諦めなかったんだろ」
セレッソはラガルトを見つめて言った。
「お前は諦めずに殺し続けたわけだ。きのう言ってただろ」
「…そう。俺は諦めなかった。ずっと探してた。セレッソ、あんたを」
ラガルトは立ち上がり腕を取ると、そのまま窓硝子にセレッソを磔た。
「なあ、俺がなぜアルカトラズに居るか解るか?」
「そりゃ殺人だろ」
「……ストリートを一つ壊滅させたのさ」
意味が把握できず、セレッソは瞳に疑問を浮かべる。ラガルトは口端を上げたが、翳る瞳はどこか寂しげな色をしていた。
「スラムのギャングとモメてさ…そいつらの武器という武器を車に積んで撃ちまくったんだ。まず外から。それから中も全部。ギャングも牧師も女も子供も、みんな殺した。俺には迷いがなかったから、笑えるくらい簡単だった。ポリスが俺を捕まえた頃には、ストリート一本壊滅状態。なぜかわかるか?スラムだからだよ。あそこがセレブ街なら、せいぜい三人殺るのがやっとさ」
「なぜそんなことを?」
「ぜんぶ壊したかったんだよ。出来るわけないって解ってた。でも俺はあの時、ストリートどころか星ごと落とすつもりだった。――つもり、ではないな。そうしたかった、というだけだ。あそこに居ると、毎日ナイフで神経を抉られるみたいだった。眼球が腐って、脳が溶けて…生きるか殺すかさ。べつに生きたかったわけでもないけど、俺は殺す方を選んだ」
「お前はどうなりたかった? 星を壊して」
「…なにも。なににもなりたくなかった。どこへも行きたくなかったし、何も欲しくなかった。だけどそこは嫌だった。あるものは全て気に入らなかった」
「それならお前は、ここで何を諦めなかったんだ。誰を探してた」
「セレッソ」
「答えになってない」
「なってるさ。セレッソ、あんたはこうして俺の自分勝手な話を聞いてるじゃないか。俺の存在を容認してる。それがただの諦めでも構わない。なあ、俺にはわかるんだよ」
ラガルトは窓硝子へ抑え込んでいたセレッソの手を引き、自身の頬に重ねた。セレッソの体温が、冷たいラガルトの頬に伝わる。
「あんたなら俺と息をしていてくれるって」
「…ラガルト。俺はここに死ににきたようなものなんだ」
「させない。俺と居るんだ、アンタはずっと」
「なぜそこまで俺に執着する」
「運命だからさ」
「バカをいうな」
「俺にはわかるんだよ」
「そればっかりだな、お前は」
セレッソが初めて呆れたように微笑うと、ラガルトは泣き出しそうな笑みを浮かべた。それは邪気の無い少年のような笑みで、セレッソはその表情をどう受け止めればいいのか解らなかった。重なった唇に、抗う術も見出せない。
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